それから数年が過ぎた。
自分の字を玄徳と決めた劉備は、二十三歳の立派な若者に成長していた。
立派といっても、相変わらず勉強は嫌い。それでも盧植塾には数ヶ月に一度顔を出し、兄弟子の公孫瓉や従兄弟の徳然、それに徳然の親友の簡雍らとは良好な関係を保ち、一緒に飲みに行き、大好きな闘犬を楽しんだのである。
盧植塾は、今日の大学のように年限が決まってはいなかった。勉強したいものは好きなだけ通学していて良いのである。そして塾頭の公孫瓉は、そろそろ潮時と知った。彼は郷里の県知事の娘と婚約し、北平郡で騎兵将校として勤めることになったのだ。もちろん、盧植塾の塾頭を務めたことが、彼の出世に好影響を与えたのである。
公孫瓉の送別会のさなか、簡雍が劉備に酌をしに寄った。簡雍は徳然の親友で、あばた面の小柄な青年であった。
「劉さん、商売はどう?」
「うん、順調だよ」劉備は、赤ら顔を向けた。「伯珪兄い(公孫瓉の字)みたいに役人になるより、よっぽどいい稼ぎになるぜ」
「ふうん、やっぱり」
「おまえは、どうするんだ」
「もし良ければ、劉さんのところで働きたいんだけど」簡雍は、あばた面の唇をへの字にして言った。
劉備は、はじけるような笑顔を見せた。
「明日から来な。俺の仲間たちは、いつも東の茶屋で博打してるから」
「ありがとう」簡雍は両手を打って喜んだ。「劉さんなら、そう言うと思ったよ」
「ところで、徳然は、どうするつもりなんだろう」
「彼は、郷里に帰って役人になりたいらしいから、もうしばらく勉強するんじゃないかな」
簡雍の推察は正しかった。だが、徳然の帰郷の時期は早められた。
盧植が中央政界に復帰することになって、塾の閉鎖が決まったからである。
当時、中華の辺境では反乱が頻発しており、中央政府は鎮圧のために多くの士大夫の力を必要としたので、もはや党錮などという内部抗争をしている場合ではなくなったのだ。かくして、在野の有能な士、盧植先生が招聘されたというわけである。
さすがの劉備も、盧植の最終講義には出席した。もっとも、連日の博打疲れによる居眠りは避けられなかったのだが。
講義の後、劉備は盧植に呼び出された。
「居眠りがばれたかなあ」
頭をかきながら対峙した劉備は、しかし先生の真剣な眼差しに射抜かれた。
「玄徳よ、無頼漢の親玉に納まって、英雄の道は見えたのか」
「い、いえ。それはまだです」劉備は、手を膝の上に載せてかしこまった。
「かれこれ数年前の話だが、毋丘毅どのの家の者を救ったそうだな。毅どのは、たいへんに感謝して、お前に会いたがっていたよ。どうして、善行を積む気になったのだ」
「・・・あの場で一夜限りの欲望を満たすより、将来を大切にしたかったからです」
「それなのに、お前は毎日、場末の遊び場で無頼漢たちと戯れて、時間を無駄にしておる。わしの講義は、無頼漢の与太話に劣るのか」
「先生、ごめんなさい」劉備は、頭を下げた。
「もうよい」盧植は、白い歯を見せた。「お前の言ったとおりかもしれぬ」
「えっ」
「わしには乱世の足音が聞こえる。儒の力ではどうにもならぬ事態がきっと来る。そのときに人々が必要とするのは、きっと乱世の英雄だろう。玄徳よ、お主、乱世の英雄となるか」
「・・・・」劉備は、師の瞳をじっと見つめ、やがて大きく頷いた。
「そうとも、その意気だ」盧植は微笑んで、不肖の教え子の頭を軽く撫でた。「仲間を大切にせよ。怪しげな邪教に惑ってはならぬ。この二点を肝に銘じて、英雄への道を歩むが良いぞ」
こうして、盧植は涿を後にした。二人の従者に連れられて、黄砂の中を洛陽へと発ったのである。大勢の弟子たちの見送りを受けながら。
「邪教に惑うな・・・」劉備は、師の後ろ姿を見つめながら思案した。「きっと太平道のことを仰ったのだ、先生は」
このころ、燎原の火のように河北を覆った新興宗教があった。
太平道である。
多くの人が新興宗教に飛びつくのは、政治や経済が行き詰まり、将来に不安が感得されるときである。そして、二世紀終盤の漢帝国も、そのような事態に直面していた。連年の凶作や天災の続発に対し、官僚化し硬直化した漢の為政者は、なすすべを知らなかった。官僚たちは己の蓄財と栄進に汲々とし、幼いころから贅沢に慣れた皇帝は、下々の苦難に思いを寄せる心持ちを失っていたからである。
生活に苦しむ人々は、せめてもの心のよりどころを、宗教に求めるしかなかった。
太平道は、その名からも分かるとおり、道教の一派である。創始者は、冀州鉅鹿郡の張角という人物。彼は、大興山中で仙人に出会い、太平要術という巻物を授けられ、それを精読することで道術を操れる賢者になったのだと自ら語っている。張角は、大賢良師と名乗り、人々の教化に乗り出した。彼には医療の心得があり、病人やけが人の介護に手腕を発揮したのだが、自らが施す最新の医療を、あたかも道術の一種であるかのように巧みに演出したため、迷信深い人々は、張角の霊験を深く信奉したのである。
いつしか太平道の勢力は、河北河南を中心に、数百万と言われる規模にまで成長していた。
中央政府は、張角の慈善行為を善行と受け止めて大いに奨励した。しかし、教祖の心中には、別の思いが膨らみつつあったのである。
忘れもしない中平元年(一八四)正月、馬商人を警護して中山の宿舎に在泊中の劉備のもとを、一人の精悍な人物が訪れた。
その人物は、馬元義と名乗った。太平道の幹部だという。
劉備は、関羽と張飛を左右に従え、宿舎の居室でこの幹部の口上を聞くことにした。
「劉備玄徳どの、噂にたがわぬ異相ですな」馬元義は、開口一番こう言った。「大きな体躯に大きな耳、大きな目。古の高祖劉邦を髣髴とさせる竜顔とは、まさにこの事か」
「それはどうも」劉備は微笑んだ。高祖に憧れる彼は、この手のお世辞には弱いのだが、これをお世辞と見破るだけの冷静な見識は備えていた。「それで、今日はどのようなご用件で?」
「まずは、これを御覧あれ」広間の中央に正座した馬元義は、懐から一枚の布を取り出した。これを広げると、墨で次のように書かれてあった。
蒼天すでに死す 黄天まさに立つべし 年は甲子にあり 天下は大吉
「これは?」劉備は、その文句をしげしげと眺めた。「やけに物騒だが」
蒼天とは、漢王朝の事である。黄天というのは、五行思想に従った場合の、漢に代わる政権を指している。そして、甲子の年は今年である。明らかに、革命の宣言であった。今年、革命勢力の蜂起があるという声明文としか思えない。
「劉備どのを、男と見込んで秘事を漏らします」髯面の馬元義は、膝を揃えて座りなおした。「われら太平道は、武装蜂起し、漢王朝を打倒することに決めました。名高い侠者である貴君には、一方の渠師を勤めていただく予定であります。どうか、我らへの協力をお願いいたす」
方というのは、太平道の軍事組織の単位である。一方は約一万人の兵士とその家族によって構成される。太平道は、今や三十六の方を整備しているという。そして、方の指揮官を渠師と言う。馬元義の話によれば、渠師に任命されたのはいずれも名高い侠客なのだという。
「あの波才や張曼成、楊奉も、太平道への参加を決めたとは、真ですか・・・」関羽は絶句した。
「それだけ、現体制への不満が高まっておるということです」馬元義は、大きく頷いた。
「ううむ、お上は、士大夫や宦官ばかり大事にして、下々のことなど考えてくれないもんな。飢饉だというのに税は高くなる一方で、誰も流民を助けてくれない。起ち上がるのがむしろ当然かもしれぬ」張飛も、腕組みして沈思した。
「なるほど」劉備は頷いた。「それで、漢を倒してから、どのような新王朝を始めるのですか」
馬元義は、予期せぬ質問に面食らった。
「黄天の世は分かりますが、具体的にどのような体制になるのかご教授願いたい。まさか、太平道の信者が宦官に成り代わるだけではありますまい」劉備は、詰め寄った。
「・・・そのような事は、私ごときには分かりませんが、きっと、大賢良師さまには、深いお考えがあるに違いありません」
「そもそも、成功するでしょうか。官軍は強大ですぞ」劉備は、さぐるような目を向けた。
「それは大丈夫」馬元義は、厚い胸を張った。「三十六方の信者たちは、いずれも強健な若者ぞろい。軍事教練も十分にしております」
「それは、官軍だって同じでしょう」
「・・」沈思した馬元義は、ついに秘中の秘を明かす決意をした。「実は、中央政府の中に内応者がいるのです。高級宦官の多くは、密かに太平道への協力を誓っています。私は、これから洛陽へ行き、彼らと最終打ち合わせをする予定なのですよ」
「それはすごい・・・」劉備は、関羽と張飛を交互に振り返り、三人揃って肩をすくめた。
「どうです、これでも成功間違いなしとは思われませんか」馬元義は得意げに言った。
「帰りに、ここにお立ち寄りください。それまでに結論を出しておきます」劉備は、笑顔を返した。
「分かりました」馬元義も微笑む。「そのときには、くれぐれもよろしく」
こうして、太平道の幹部は去っていった。
「どう思う、兄者」関羽は、腕組みして唸る。
「だいぶ、景気の良い話だったな」張飛は、最近生え始めた虎髯を捻った。
「宣伝っていうのは、もともと景気が良いもんだ」劉備は、自分の大きな両耳たぶを、それぞれ両手で掴んだ。思案しているときの彼の癖である。「だが、洛陽の宦官どもが通敵しているとは世も末だ。奴ら、革命成功の暁には、張角の後宮の世話でもするつもりなのかな」
「そんな売国奴が実権を握るようでは、政治の乱れも当然ですな」関羽は、赤ら顔を更に赤くした。一徹者の彼は、卑怯な行為が大嫌いなのだ。「どうなさる、太平道に参加されるか」
「さあね」劉備は、両手を耳たぶから離した。「馬さんが帰ってくるまでに考えとこうぜ」
しかし、馬元義は二度とやってこなかった。
洛陽で政府に逮捕され、処刑されたのである。
太平道は一枚岩ではなかった。密告者が出たのである。馬元義の副官が、前途に疑問を感じて上司を訴え出たのだ。ここに、太平道の必勝の策は破れた。
しかし張角は、ここで諦めるような玉ではなかった。
中平元年(一八四)二月、三十六万を超える太平道信者は、一斉に起ち上がった。彼らは、黄色い頭巾を被って黄天革命の決意を天下に示したため、黄巾党と呼ばれた。歴史を揺るがす黄巾の乱の勃発である。張角は自ら天公将軍と称し、二人の弟、張宝と張梁を、それぞれ地公将軍、人公将軍と名づけて左右の輔弼とし、全国の虐げられた民に反漢決起を呼びかけたのである。
予期せぬ事態に、時の政権は周章狼狽した。通敵していた宦官を粛清すると、慌てて軍勢を召集したのだが、その出足は鈍った。
この隙に、黄巾軍の勢力は拡大した。河北と河南を中心に、役所を焼き、城市を占拠した。苛斂誅求を尽くし、民を苛め私財を蓄えていた役人は、片端から惨殺された。この勢いを見て、太平道と無縁の民衆や侠客も呼応して決起していった。
「どうする、兄貴」張飛は真摯な眼を向けてくる。
「そろそろ去就を決めるときですぞ」関羽も重々しく言った。
「盧植先生は、別れ際にこう言われた」劉備は、遠くを見る目で呟いた。「邪教に惑うな」
「やっぱ、兄貴は士大夫に頭が上がらないのかよ」張飛が鼻を鳴らす。
「益徳、黄巾軍は確かに優勢だ。でも、張角は皇帝になれるかな。宗教の教祖さまに、民の全てが付いてゆけるかな」劉備は、唇に笑みを浮かべる。
「確かに・・・」簡雍が頷く。「黄巾軍は一枚岩じゃあない。数は多いし強く見えるけど、精強なのは信者さんだけで、後はゴロツキや食い詰め者が勢いに便乗しているだけだ。最後まで勝ち残れるとは思えない」
「なら、決まりですな」関羽は微笑んだ。「官軍として戦いましょう」
そのとき、宿舎の引き戸が開いた。そこに立っていたのは、雇い主の張世平と蘇双だった。
「聞いていたのですか」関羽は、唇を引き締める。
「命に係わる問題ですからな」張世平は、平然と嘯いた。「お話を聞いて、安心しました。黄巾は、どさくさに紛れて富豪や隊商を襲撃して皆殺しにしておるようです。あなた方の去就いかんでは、我々は財貨を捨てて逃走するほかなかったでしょう」
「あんたたちは、何があっても俺たちで守る」劉備は言った。「そういう契約だろう」
「いいえ、劉さん」豪商は、弱々しく微笑んだ。「契約は今日限りです」
「どうして」
「あなたたちは、これから官軍の義勇兵になるのでしょう。餞別代りに、うちの馬を好きなだけ持っていってください。資金も、一万銭ならすぐにご用意できます」
「でも、それじゃあ、あなたの商いが」
「今は商売どころではありません。なまじ財貨など持っているほうが危険でしょう。劉さん、私どもの財貨を使って、早く賊徒を平らげてください。それまで、我々は郷里に身を隠します。そして、世の中が平和になった暁には、またよろしくお願いしますよ」
「そういうことですか」劉備は立ち上がって、真剣な面持ちで雇い主に礼をした。「それでは、しばらくお借りします」
「御武運をお祈りしますよ」豪商は、優しい目を向けて微笑んだ。「劉さん、あなたは只者ではない。この機会を生かして、思う存分羽ばたいてくだされ」
劉備は、無言で強く頷いた。
無頼漢たちは、恩人たちに別れを告げると、幽州の州都である薊へと旅立った。刺史(州長官)の劉虞のもとで、義勇軍になるためである。
劉備たち一行四十人は、全員が豪奢な鎧と刀槍を着用し、見事な馬に跨って涿の町に帰ってきた。町はまだ直接被害にあっていなかったが、町民の多くは避難していたので、平時の賑わいは望むべくも無い。
劉備たちは、町民に、張世平の温情によって軍資金に余裕があることを説明した。すると、生活に不安を抱える若者たちが争って従軍志願してきた。そのため、一行はたちまち三百人を超える大所帯となったのである。
涿の付近にも、黄巾党に便乗して暴徒となった飢民たちが跳梁跋扈しており、彼らに生活基盤を破壊された人々は、もはや平和な正業を営める状況ではなくなっていた。義勇兵に従軍するか、むしろ暴徒に合流して破壊する側に回った方が賢明でさえあった。
「楼桑村が心配だ」劉備は、沈痛な面持ちで呟いた。「まさか、ここまで状況がひどいとは思わなかったな」
「徳然くんの身の上が心配です」簡雍も渋面を作る。
「悩むことはない」張飛が言った。「楼桑村は、薊への通り道だ。途中ちょっと立ち寄って、兄貴の一族の安否を確かめて、ついでに徳然とやらを連れて行けばいい」
「ははは、益徳、おまえ、たまにはまともな事言うなあ」と、関羽。
「雲長兄貴、そいつはないぜ」
「ははは、すまん、すまん」
一行の笑顔は、しかし、楼桑村の惨状を見て凍りついた。
跡形もなかった。破壊尽くされ、焼き尽くされていたのだ。
村はずれの森の中に、死体が山積みになっていた。身包みはがれ、損傷がひどく、誰のものやら見分けが付かなかった。
劉備は、死人のような青い顔で、死体の間を彷徨った。腐乱した骸の中に、母や叔父や従兄弟の姿を捜し求めたが、それも虚しかった。仲間たちは、そんな大将の様子を、遠くから痛ましげに見ていることしか出来なかった。
やがて劉備は、黒く焼け落ちた自分の生家に帰ってきた。裏庭には、まだ立っていた。
桑の木が、焼け残っていた。
黒くすすけた樹皮に顔を押し付けると、全てを失った劉備玄徳は、音を立ててすすり泣いた。震える肩に、落ち葉が舞い落ちる。
彼は、幹に頭を打ちつけながら渦巻く想念を集中した。己の中の感情を整理し、篩にかけて余計な物を排除した。そして、死人を彼の心の袋から追い出したのである。一個の人間ではなく、義勇軍の隊長としての己に徹しきるために。
そして再び顔を上げたとき、彼の表情は平静そのものだった。
「さあ、行こうぜ」と、両腕を挙げた。
怖気ついていた三百人の部下たちは、親分の強靭な精神に接して、大いに勇気付けられたのである。
だが、この悲劇は序の口であった。
乱世の過酷さは、ようやくその全貌を顕しつつあったのである。