歴史ぱびりよん

8.募兵の旅路

 

中平六年(一八九)四月、皇帝劉宏が崩御した。霊帝とおくり名されたこの人物は、三十四歳の若さで逝った。聡明な資質を持っていたとの評もあるが、終生、取り巻きに惑わされて、その能力を開花させる機会を持たなかった。

そして、霊帝が生前に世継ぎを指名しなかったため、後継者争いが始まった。

霊帝には、二人の皇子があった。何皇后の生んだ劉弁と、王美人の生んだ劉協である。

何皇后とその兄・何進将軍は、もともと肉屋であった。その肉屋の野性のなせる技なのか、何進は、劉協を支持する董皇太后の一族と、これに荷担する西園校尉・憲碩を誅滅し、実権をその手中に収めたのである。

こうして、劉弁(少帝)が帝位に就き、何進の時代が訪れた。

大将軍に就任した何進は、宮廷での地位を強化するため、名門の清流派士大夫を周囲に集め、その歓心を買おうとした。

清流派は、内心では何進一族を濁流呼ばわりして軽蔑していたのだが、彼らにとっては、党錮の恨みを晴らす絶好のチャンス到来である。袁紹を中心とした清流派は、宦官の討滅を画策し、何進を裏から煽り立てた。外戚と宦官の対立を助長し、共倒れさせ、もって濁流を一掃しようというのだ。

そして単純な何進大将軍は、袁紹らの魂胆を見抜くことができなかった。彼らの助言に従い、宦官を抹殺するための軍勢の増強を目論んだのである。

こうして、中華各地に募兵の役人が派遣された。

徐州方面に募兵に向かうのは、都尉の毋丘毅である。そして、その一行の中に劉備玄徳の姿もあった。

 

黄土平原を抜けて、東の方、徐州へと馬上を揺られる。道は平坦だ。

黄河と長江に挟まれた河南は、古代から中原と呼ばれる先進地域であった。当然、道路交通網は完備され、駅舎も立派なものが置かれている。治安も良いから、人の行き来が多い。

毋丘毅一行は、最初の宿場・滎陽で、酒宴を行なった。酒楼を一つ丸ごと借り切って、総勢百名からなる面々は、明け方まで楽しく騒いだ。

「これなる御仁は、劉備玄徳どのと申す」赤ら顔の毋丘毅は、傍らの巨漢の襟首を掴むと、酒席の満座に向かって大声を上げた。「我が家人の命の恩人です。右北平の家宰の娘が悪漢にさらわれた折、この方は勇敢にも敵の洞に潜入し、命がけで彼女を救って下されたのじゃ。それだけではないぞ。黄巾の乱の折には、幽州刺史のもとに手柄を立てて中山の県尉になられたが、督郵の横暴に憤り、半殺しにして逃げ去ったという強者じゃ。みなさま、お近づきになるなら、今が絶好の機会ですぞ」

酔客たちは、一斉に時の人に群がったので、劉、関、張はもみくちゃになった。

よろしく、よろしく、と連呼しながら、後のことは簡雍に任せて厠の中へと逃げる。

「いやあ、ひどい目にあった」関羽は、自慢の髯に付いた酒肴のカスを払い落とした。

「俺っち、人ごみは苦手なんだよな」張飛も、真っ赤な酔眼をしばたたかせる。

「それにしても」劉備は、厠の壁に寄りかかる。「曾勝のところのあの女は、毋丘毅どのの実の娘じゃなかったんだな。見事に騙されたわい。それだったら、あの場で犯っちまってもよかったかなあ」

そのとき、厠の入り口から高らかな哄笑が響いた。

思わず振り向いた劉備たちの前に現れたのは、厚い胸板が印象的な小男だった。

「ちょっと、失礼するよ」

そう言った小男は、人懐こい視線をみんなに向かって投げると、関羽と張飛の間を掻き分けて奥へと入り、下の物を全て脱ぎ捨て、便器に向かって用を足し始めた。

「あなたは、確か」歩み寄った劉備が、後ろから声をかける。

「おお」小男が、下半身から派手な水しぶきを上げながら応える。「俺は曹操だ」

「ああ、典軍校尉どの」

「面倒くさいから、孟徳でいい」

ようやく用を足し終わった小男は、身づくろいをしながら、品定めをするような視線を劉備たちにぶつけてきた。油断のならない鋭い目だ。

「便所で出会ったのも、何かの縁だ。名乗ってくれ」

「・・・私は、幽州涿郡涿県の劉備玄徳です。毋丘毅どののお引き立てで、今度の募兵行に参加することになりました。無位無官の無頼漢です」

「俺は、司州河東郡解県の関羽雲長。劉備どのの義弟です」

「俺は、幽州涿郡涿県の張飛益徳。同じく、劉備どのの義弟」

「三人兄弟か」曹操は微笑んだ。「便所の中でも仲がよさそうで羨ましいな。俺も仲間に入れてくれよ。これが本当の臭い仲ってか」

そう言い終えると、曹操は一人で腹を抱えて笑い出した。自分の駄洒落に酔っているらしい。三人は、顔を見合わせて肩をすくめるばかりだ。

「ああ」曹操は笑い終えると、背を伸ばして名乗りをあげた。「俺は、豫州沛国譙県の曹操、字は孟徳。西園校尉の一員として、この馬鹿げた募兵に付き従うことになった。まあ、よろしくな」

「馬鹿げた?」劉備は、首をかしげた。

「そうは思わんか」曹操は、意外そうな顔を向けた。「君のその大きな耳でも、時代の羽音が聞き取れないのかい」

「・・・どういう意味でしょうか」

「ただでさえ混乱している都に、地方で集めた荒くれどもをぶちこんでみろ。ますます紛糾して収拾がつかなくなるぞ。やがて、地方軍閥が台頭して、丸ごと都を食ってしまうだろう。何進や本初(袁紹)は、その辺が分かっていない。自分たちが食われてしまうなど、想像すらできんのだ」

劉備の酔いは、たちまち醒めた。とぼけた風采の小男の指摘は、盧植先生の言葉以上に鋭い洞察に満ちている。

「まあ、お互い頑張ろう」曹操は、背伸びして劉備の大きな肩を叩くと、するりと厠を出て行った。

「実に面白い人物ですな」関羽も、髯をしごきながら唸る。

「都の役人にも、ああいうのが残っているんだな」張飛も、しきりに首を振る。

「・・・・・・」劉備は、無言で厠の入り口を見つめていた。

 

劉備は曹操に興味を持ち、旅の途中で彼に関する情報を集めて回った。

それによると。

曹操孟徳は、早くから将来を嘱望された若手士大夫の一人である。祖父は、三代の皇帝に仕えた大宦官の曹騰、父は、その養子となった曹嵩。つまり、大金持ちで名門の子弟であった。しかし、宦官の孫という理由で清流派士大夫たちにはまるで評価されず、軽佻浮薄な性質の小男という理由で、推挙の機会もなかなか得られなかった。ようやく二十歳のときに推挙され、就いた地位が洛陽北部尉である。聞こえはよいが、これは門番の仕事であった。だが、ここでの彼の仕事ぶりは、実力者の子弟が時間外に通行しようとしたとき、これを殴り殺すほどに厳格だった。そのため官界から敬遠され、頓丘の県令に左遷されたという。しばらくして中央に帰ったが、そのとき黄巾の乱が起きた。騎都尉に任命された曹操は、頴川の黄巾の大軍を小勢で迎え撃ち、これを火攻めで大敗させたという。この戦功で済南国の相(長官)に任命された。この任地での仕事ぶりも猛烈で、汚職する役人や無能な官吏を全員追放し、また邪教を大弾圧してその祠を全て打ち壊したという。正義感が強く、合理主義で、しかも抜群の行動力を持った人物だということが良く分かる。その後、東郡太守に任命されたが赴任せず、中央政界に意見書を書き送り政道批判を試みたが受け入れられず、郷里でぶらぶらしていたが、先ごろ西園八校尉に任命され、この募兵行に従事したというわけだ。

「ふうむ、実に偉い人物ですね」

劉備は、情報を提供してくれた曹操の従兄弟・曹仁に感想を述べた。

「うちの兄貴は」曹仁は、鼻を自慢げにこする。「偉い予言者の許劭さまに、『君は治世の能臣、乱世の奸雄』と言われたんだ。今にきっと、でかいことをしでかすぜ」

劉備は、複雑な表情で頷いた。俺も、偉い予言者に、英雄になると言われたんだ・・・喉まで出かかった言葉を飲み込む。笑い飛ばされるのがおちだから。

「役人のなかにも人物はいる」劉備は、心中深く思った。「俺も、侠客ばかりでなく、士大夫たちとの交流の場を、もっと広く持たなきゃな」

曹操が、己の人生最大のライバルになろうとは、このときは夢にも思わなかったのである。

 

一行は、徐州に入り、道を南に向けた。長江を越えて、丹楊郡で募兵することにしたのである。当時、長江下流域の南岸(江東、江南)は漢民族のフロンティアであった。この地方では、異民族との戦いが絶え間なく続いたため、民心は質実剛健、兵士は精強であるから、募兵には最適なのである。

一行は、徐州牧・陶謙に便宜を図ってもらい、広陵から船に乗った。陶謙は、丹楊の出身なので、この土地のことを一行にいろいろと教えてくれたのである。

「広いな、しかも綺麗だ」長江を波に揺られながら、簡雍が歓声を上げた。

「うん、黄河とは大分違うな。魚が泳ぐのが見えるもの」張飛も楽しそうだ。「あれ、ほらほら人魚が泳いでる」

「ははは、あれはイルカというんだ」近くにいた水先案内人が教えてくれた。

「イルカ・・・魚の一種か」

「いやあ、魚とは別の生き物だ。だって鱗がついてない」

「やっぱり人魚じゃないか」張飛は胸を張る。

だが、一番楽しんだのは曹操だった。船の舳先に立った彼は、腰の剣を抜き、これを左右に振り回しながら緩やかに舞を舞った。やがて、その喉から低い声で音曲が流れる。即興で作った歌を歌っているのだ。

船腹から聴いていた音楽好きの劉備は、思わず一緒になってその曲を口ずさんだ。

 

京口に無事に上陸した一行は、そこで宿を取った。

出迎えた亭長の話によれば、この地方の治安は急激に悪化しているという。

「文台さまがおられたころは、こうではなかったのに」

「文台さま?」毋丘毅が尋ねた。

「今の長沙太守、孫堅文台さまです。あの方が無頼漢を引き連れてこの地を束ねていたころは、海賊も湖賊も、山越(異民族)も、みんな鳴りを潜めていたのですが」

「それは残念だの」

「ええ、でもいつか必ず戻ってこられる。土地の人はみんな、そう信じているのです。そうでなければ、やっていられませんから」

亭長と毋丘毅の会話を横で聞いていた劉備は、大きく感銘を受けていた。

孫堅の勇名は、都でも鳴り響いている。

孫堅文台は、揚州呉郡富春の生まれ。勇猛果敢な人物で、若いころから仲間を集めて海賊討伐で名をあげた。黄巾の乱のときも軍勢を率いて大活躍し、先ごろは長沙の区星の反乱を鎮圧し、その軍功で長沙の太守(郡長官)に就任した人物である。ただの荒くれかと思いきや、この地で神のごとき信奉を受けているとは。

「中華は広い。人物も多いのだ」劉備は、英雄候補が自分だけではないことを、いまさらのように思い知ったのである。

さて、無事に丹楊に到着した一行は、さっそく太守の助けを得て募兵に乗り出した。貧しい若者や無頼漢たちが、次々に名乗りを挙げる。みんな猛々しい面構えで強そうだ。一週間の滞在で、二千人が集まった。

異変が起きたのは、帰途に就いたときである。

三千人近い大所帯となった一行が、山沿いに長江への道を北上している途中、前方の山中に狼煙があがり、右の山腹から雲のように軍勢が湧き起こった。一千はいるだろうか。

「山越族だ」丹楊から付いてきた役人が叫んだ。

「こいつは面白い」張飛が叫んだ。「ちょうど、腕がなまっていたんだ」

「お待ちください、交渉しましょう。財貨をくれてやれば引き下がるはずです」役人が大声で主張する。

「集まってくれた新兵さんの前で、そんな醜態をさらすのか」関羽が反論する。

「でも、こっちの正規兵は二百です。相手になりませんよ」

「まあ、見てな」

そう言うや、脱兎のごとく騎乗して駆け出した三人は、劉、関、張。雌雄一対を陽光に掲げる劉備が中央に、青龍刀を上段に構える関羽がその右に、蛇棒を水車のように振り回す張飛はその左につく。簡雍は、残りの手勢十名を従えて後ろからサポート。これが、彼らの必勝の戦闘態勢だ。

「なんと無鉄砲な」丹楊の役人は、両手で目を覆った。

確かに無鉄砲だった。山越は、総大将を先頭に立てたりしないから、敵将を一騎打ちで倒すという、劉備党のいつもの作戦は空振りに終わった。たちまち取り囲まれて苦境に陥る。どんなに三人が強くても、数があまりにも違いすぎるのだ。

「劉備どのを救え」毋丘毅が絶叫したが、彼の手勢は既に逃げ腰だ。

そのとき、曹操が動いた。彼は、二千を越える新兵の群れに愛馬を乗り入れると、持ち前の大声で演説を始めた。

「見よ、あの三人の勇士と仲間たちを。あの英雄たちを見殺しにしたら、一生後悔するぞ。楽しい夢を見たいとは思わないか。幸せな汗を流したくはないか」

新兵たちは、不安げな面持ちを互いにかわす。

「諸君は天子に選ばれた強者だ。顔をあげて奮い立て。そして君たちの強さを見せてくれ。天子は君たちの忠節を見守っている」

羊のように怯えていた群衆は、たちまち虎のような目つきになった。

「いくぞ、諸君」

曹操が駆け出すと、みんなこれに続いた。彼らは、支給された護身用の刀を抜くと、一斉に雄たけびをあげて山越軍へと突入した。曹操の手勢も、適所に分散して新兵たちを導く。

ただの群集と思って侮っていた連中が、圧倒的大軍となって迫り来るのを見た山越は、驚き慌てて退却を始めた。

劉、関、張は、大量の遺棄死体の中に立ち尽くし、肩で息をついていた。

「次からは、戦のやり方をもうちょっと考えよう」劉備が言う。

「曹操のところに弟子入りしましょうか」関羽も、自信を無くしてうなだれる。

「・・・・・」虎髯の張飛も、憮然として意気消沈だ。

 

危機を脱して帰路を急ぐ一行は、無事に長江を渡り、徐州に入った。もう七月。そろそろ寒くなるころだ。

「さあ、急ごう。都では、大将軍と宦官どもが一触即発となっている」毋丘毅は、唇を噛み締めた。

一行が下邳まで来たとき、早馬が到着した。使者は辞令を持っている。

「劉備玄徳、獅子奮迅の忠節を重ねた功績によって、徐州下密県の丞に任ずる」

「都尉どの」劉備は、毋丘毅を振り返った。「これは、いったい」

「丹楊の戦功について、都に早馬を飛ばしておいたのです」毋丘毅は笑顔で応えた。「ようやく、恩返しができました。ここはもういいから、さっそく任地に向かわれるがよろしかろう」

「かたじけない」劉備は、恩人の両手を押し頂いた。

「良かったな」曹操も笑顔である。

「孟徳どの」劉備は、もう一人の恩人の手を取った。「貴殿は、命の恩人です。事あらば、必ず馳せつけてこのご恩に報いる所存」

「ああ、よろしく頼む」曹操は、白い歯を見せた。

こうして劉備たちは、募兵の一行から離れて、新任地の下密へ向かったのである。劉備の過去の罪は、正式に赦免された形である。

しかし、漢王朝を揺さぶる嵐は、そのような瑣末な出来事を問題にしないほど強く吹き荒れていたのであった。