不安に駆られた劉備は、その年の収穫で、多少の備蓄が出来たことを利用して、大々的に募兵を始めた。食うに困る人が多いこの時勢、兵士だけは簡単に集まる。たちまち、一万余の軍勢が手に入った。
ちょうどその折、河北から馬商人が、一千頭の馬を連れて徐州にやってきたので、張飛を派遣して買い付けに行かせたところ、彼は程なく一千頭全部を連れて帰ってきた。
「まさか、一千頭全部を買えるとは思わなかった」劉備は驚いた。「下邳の奉先のところからは、誰も派遣されてなかったのか」
張飛は、義兄から無言で目をそむけた。
案の定、呂布が派遣した者は、張飛に殺されていたのである。
呂布は怒った。
「見たことか」陳宮は声を張り上げた。「これが劉備の本性なのです」
「恩を仇で返すとは許せぬ」呂布は、右手を頭上でぐるぐると回した。出陣の合図である。
呂布自ら率いる精鋭五千騎は、風を巻いて小沛に向かった。
下邳の陳登の急使から急を知った劉備は、思わず天を仰いだ。小沛の劉備軍は、訓練未了の寄せ集めが一万人である。とても適いっこない。
「益徳」関羽は怒りを顕して、義弟の襟首を掴んだ。「この責任はどう取るんだ」
張飛は唇を噛んでそっぽを向く。そこに、城主が割って入った。
「まあ、そう怒るな、雲長。いつかはこうなると思っていたし、ちょうどいい機会だ。ここは、諦めて逃げよう」
「逃げるって、どこへ」
「曹操のところしかあるまい」劉備は、悠然と微笑んだ。
「・・・口惜しや」
関羽は足を踏み鳴らし、彼が襟首を掴んでいる張飛の両眼からも、涙が滴り落ちる。
数刻後、家族と糧食を載せた馬車が西門から滑り出し、これを護る形で、一万の軍が密集隊形を組んだ。
そして、呂布軍が殺到したとき、小沛城はもぬけの殻となっていた。
劉備主従は、途中で脱落者を出しながらも、曹操の勢力圏である豫州に入った。譙郡で出迎えた役人に事情を説明したところ、待つこと数日にして、亡命が新都・許昌で承認されたとの連絡が入った。さっそく、許昌に挨拶に向かわなければならない。劉備は、主だった幹部と五十名の士卒を連れて街道を西へと向かった。部将の陳到が率いる残りの将兵は、譙に残って主君の首尾を待つこととなった。
仲間たちに囲まれながら馬上揺られる劉備は、久しぶりに安息の気持ちに浸っていた。思えば、徐州にいたころは、絶え間ない戦争と権力抗争に巻き込まれ、座を暖める暇もなかった。そんな悲惨な生活から、彼はようやく解放されたのだ。
道中で劉備が驚いたのは、曹操の勢力圏内では秩序が回復しつつあるという事実であった。田畑は整備され、多くの民衆が笑顔で耕作に従事している。役所は整備され、事務連絡も迅速だ。隊伍を組んで巡回する兵士たちの数も多く、治安も良好に保たれているようだ。
これは、曹氏政権が、天子奉迎によって、従来の帝国の統治制度を合法的に利用できるようになり、また、屯田制の施行による経済成果があいまった結果であったのだが、今の劉備たちには、知るよしもないことである。
のどかな田園を西行すること十日、一行は頴川郡に造られた新都・許昌に入った。
曹操は、ようやく先月になって天子をここに迎え入れたばかり。都の大部分は、まだ建築途中であったので、左官や石積み大工が群がる活気に溢れる城市だった。
大将軍・曹操は、盛大な宴席を設けて劉備たちをもてなした。
政庁の宴会場に案内された劉備とその幹部たちは、壮麗に飾られた部屋や豪奢な酒肴よりも、その場に居並ぶ文武百官の多彩な顔ぶれに度肝を抜かれた。右列には、荀彧、荀攸、郭嘉、程昱、韓浩、司馬朗、劉馥、董昭、任峻、鍾繇、毛玠ら文官が居並ぶ。左列には、一族の曹仁、曹洪、曹純、夏侯惇、夏侯淵を筆頭に、李典、楽進、徐晃、于禁、呂虔ら武官が、猛々しい面構えを披露している。上座に座る曹操の背後に屹立する巨漢は、親衛隊長の典韋である。その手にある矛は、呂布のものより一回り大きい。
挨拶を交わした後で、中央の賓客席に座った劉備たちは、周囲の迫力に圧倒されて、なかなか物も言えなかった。
曹操は、劉備とその左右に並ぶ二人の義弟を見て、高らかに笑った。
「相変わらずの臭い仲というわけか。今でも厠で内緒話をしているのかね」
「はい」劉備は、必死に頭を回転させる。「大将軍も一緒にどうですか。鼻腔が刺激されると、信頼と友情が深まるそうですよ」
「ははは、俺と君は、とっくに深い仲だから必要ないよ」
「嬉しいお言葉です。でも・・・」
「どうしてかって、それはね」大将軍は、悪戯っぽい目を輝かせた。「二人は、呂布にオカマを掘られたことがある穴兄弟なんだよ、わははははは」
曹操は、自分の下品な冗談に大笑いして、卓上の肉汁に前のめりに突っ込んだ。絹の頭巾が、びしょ濡れになる。後ろに控えていた典韋が、巨体に似合わぬ素早い動きで主人を助け起こしたが、笑い上戸の大将軍は、まだ腹を抱えている。
曹操も劉備も、共に呂布に後ろから襲われた共通体験を持っている。だからといって、そのことの何がおかしいのかな、と劉備は思ったが、とりあえず一緒に笑ってあげた。
厳粛な表情だった左右の群臣たちも、主客のそんな様子に気を緩めて、賑やかに談笑を始めた。
劉備たちは、ようやく安心して肴に箸をつけた。やがて群臣たちが、酒器を持って彼らに話し掛けてくる。杯を重ねて上機嫌になった関羽と張飛は、もろ肌になって、夏侯惇たちと武勇談に花を咲かせた。酔眼の孫乾や麋竺は、荀彧たち文官と、徐州の政情や物産について語り合う。主の劉備はといえば、終始笑顔を崩すことなく、はしゃぐ部下たちの様子を楽しそうに見ていた。
宴会の終わった後、曹操の居室を参謀の程昱が訪れた。
「どうした、仲徳」曹操は、侍女たちを遠ざけて真顔になる。
兗州東郡の程昱仲徳は、曹操が最も信頼する参謀の一人である。彼はもともと、東阿県の顔役として、しばしば無能な役人に代わって黄巾軍や野盗の攻撃から民衆を護っていた。兗州刺史の劉岱は、これを知って程昱を州に招聘しようとしたのだが、程昱は劉岱の人物に失望して応じようとはしなかった。劉岱の死後、今度は曹操の招聘を受けた彼は、民衆を引き連れてその配下となったのである。士大夫ではない程昱は、儒教道徳に縛られない大胆な策を創出するため(軍糧に人肉を混ぜるなど)、曹操にとって得がたい人材であった。
「殿は、劉玄徳をどうお考えですか」
「君の意見を聞きたいな」
「では」居ずまいを正して軍師は言った。「劉玄徳は、心強く寛容で謙虚。事の道理を十分に理解し、人民の心を掴むのが巧みな英雄です。最後まで人の下についている人物ではありません。早目に始末するにこしたことはありませんぞ」
「ははははは」
「何を笑われる」
「いやあ、呂布のところの陳宮が、君と同じ事を言っているそうだ。軍師の考えることは似るものなのかなあ」
「あのような裏切り者と、一緒にしてほしくはありません」
「いや、彼を裏切らせたのは、俺が悪いのだ。徐州であのような無道な行いをしなければ、きっと張邈も陳宮も、ここで楽しく仕事をしていたのだ」曹操は、目を落とす。素直に自分の失敗を認め、それを正そうと努力するのは、この人物の最上の美質であった。
「殿・・・」
「俺は、いたらない男だ。すぐに目先の感情に走って、大切なものを見失ってしまう弱い男なのだ。だからこそ君のような立派な人材を集めて、短所を補わなければならないのだ」
「もったいないお言葉」程昱は跪く。
「玄徳は、俺には無い長所を持っている。だから、ここで殺すことはできない。今は、天下の人材を収攬する時期なのだ」曹操は、軍師の肩に手を置いた。
このような物騒な会話がなされているとは知らず、劉備は、与えられた宿舎の寝台に横たわっていた。彼は、なかなか寝付けなかった。隣室から轟く張飛の鼾がうるさいためでもあったが、それ以上に今日の情景が忘れられなかったのだ。
初めて曹操と出会ったとき、彼の立場は俺とほとんど同じで、地方の募兵に狩り出される役人に過ぎず、ちょっと力をつけると、無道な大虐殺をする粗忽者だった。それがどうだ。いまや、兗州と豫州を制圧し、天子を迎えて文武百官を取り揃え、内政も充実し、天下に号令せんばかりの勢いじゃないか。
それに比べて俺はどうだ。袁術や呂布などという小人たちに翻弄され、一州すら保つことができない。前線では多くの将兵を飢え死にさせる体たらく。人材だって、どいつもこいつも小粒だ。関羽と張飛は、かわいい弟どもだが腕っぷしが強いだけ。簡雍は知恵が回って器用だが、それだけの男。麋竺と麋芳は金持ちのぼんぼん。陳到と孫乾は、人に言われたことしかできない男。陳羣は有能だったが、俺を見限って在野に下ってしまった。陳登は尊敬に値する人材だが、今は呂布のところにいる。あいつ、呂布を陥れるために下邳に残ったと言っているが、この先はどうなるか分からない。
だんだん惨めになって、涙までにじんできたぞ。
曹操と自分の距離は、もはや取り返せないほど開いてしまった。この差はどこから出たのだろうか。涙をこすりながらどんなに考えても、答えは見つからなかった。
その翌日、劉備たちの宿舎を、朝廷の使者が訪れた。使者は、豫州牧の辞令と印綬を携えて、沛国に駐屯するよう劉備に命令した。曹操領の東端を、呂布と袁術から防衛せよというのである。当地には、一万の兵力を養うのに十分な兵糧と軍需物資があるという。
「曹操も、存外と気前がいいですな」関羽が髯をしごきながら感想を漏らした。
「今の彼には、東にかかずらわっている余裕がないのだろう。俺たちを捨石にして、時間稼ぎをしようというのだ」劉備は、悲観的な見解を口にする。
「もっと前向きに考えましょう」簡雍が笑顔を作る。「曹操どのと朝廷は、我々の力を頼りにしているのです。その期待に応えましょうよ」
「そうとも」張飛が、久しぶりに大声を上げた。「強い兵を養って、今度こそ呂布を斬り殺すんだ。徐州を奪い返すんだ」
「うん、そうだな。憲和と益徳の言うとおりだ」劉備は、笑みを浮かべて頷いた。元気一杯の仲間たちを見て、胸のもやもやが少しは晴れたようだ。
こうして、劉備たちは、東の沛国へと、再び旅路の人となった。
試練の再開である。
だが、劉備が、自分たちを捨石ではないかと疑ったのには、根拠がある。
曹操は、北方と西方、そして南方に敵を抱えていた。ないしは、敵を作りつつあった。
北方では、袁紹と曹操の盟友関係にひびが入った。曹操は天子を奉迎して以来、各地の豪族に官位をばら撒いて政治力強化に勤めたのだが、その一環として袁紹に大尉の位を授けたのである。しかし袁紹は、それを受け取ろうとしなかった。彼は、曹操を子分扱いしていたので、子分よりも低い官位を、子分から与えられるのに耐えられなかったのだ。呆れた曹操は、自分の大将軍位を袁紹に与えて、司空に退いた。一応、親分の顔を立てたのである。図に乗った袁紹は、都を鄄城に移すように勧告してきた。いざというときに、占領しやすい土地を指定したというわけである。さすがに曹操はこれを拒否したため、両者の関係は険悪となった。
南方では、曹操に天子を奪われた白波賊の楊奉と韓暹が、袁術と組んで破壊活動を繰り返していた。
西方では、長安から食糧難を避けて進出してきた張済の一党が、南陽の宛城を拠点にして、勢力を著しく強めていた。
曹操は、袁紹との協力関係が破綻する前に、西と南を平定しなければならなかったのである。
建安二年(一九七)正月、曹操は三万の大軍を率いて西に向かった。最初の標的は宛城である。
この遠征は、絶妙なタイミングで行なわれた。宛城の張済は、荊州の劉表との小競り合いで、流れ矢に当たって戦死していたのである。その甥の張繍が跡を継いだが、軍勢は纏まりきっていない。彼らは、戦わずに降参した。
曹操は大いに喜び、彼らの降伏を受け入れ、武装解除さえしなかった。激戦を予想していたのに、簡単に蹴りがついたので安心したのであろうか。大局を見失う悪い癖が出た。彼は張済の美貌の未亡人が気に入り、喪中だというのに彼女を幕舎に拉致して、夜昼となく荒淫にふけったのである。不幸なことに、それを諌止するべき荀彧や程昱は、許昌で内政に追われて従軍していなかった。大将がそんなだから、曹操軍の将兵たちは、弛緩して警戒を怠ってしまい、敵地の真中だというのに、毎晩飲んだくれて馬鹿騒ぎした。
この情勢に喜んだのは、張繍の軍師・賈詡である。彼は、屈辱に苦しむ張繍とともに、曹操を一挙に倒す作戦をたてたのである。警戒措置という名目で軍勢を広く配置した賈詡は、ある夜、総攻撃を指令した。油断しきっていた曹操軍は総崩れとなり、死傷二万という大敗を喫したのである。
この激戦のさなか、曹操は肌着一枚で戸外に逃れ、彼を救おうとした親衛隊長の典韋、長男の曹昂、甥の曹安民らが戦死した。身一つで辛うじて逃れた曹操は、兗州との国境でようやく于禁将軍に助けられた。しかし、失われた将兵は二度とは帰ってこない。
曹操の負った心の傷は大きかった。人間としての彼は、息子の死を悼んだ。しかし、政治家としての彼は、素直に息子の死を悲しむことが許されなかった。愛児よりも、人材を愛するというポーズを作らなければならない。彼は、息子や甥のことは口にせず、ひたすら典韋の死を悼んで見せたのである。
曹操の妻・丁氏は、こんな夫に激怒した。夫が、喪中の未亡人と浮気したことで、かわいい子供が死んだのだから、夫人の怒りは当然であろう。彼女は、三行半を叩きつけて実家に帰ってしまった。
曹操は、彼女を深く愛していたらしい。実家まで、何度も頭を下げて謝りに行った。しかし、夫人は会ってもくれない。裏庭に回りこんだ曹操は、開け放たれた部屋で機を織る丁氏を眺めた。しかし、彼女は夫に目もくれない。曹操は、そのまま一日中立ち尽くし、最後に一粒の涙を落として去ったという。彼は、死ぬまで丁氏のことを思いつづけ、遺言でも彼女のことに触れている。曹操が、小説に書かれるような冷酷漢でないことが良く分かる挿話だ。
深く傷ついた曹操は、しかし並みの人間ではなかった。内政を整備して軍事力を蓄え、張繍と賈詡への雪辱の機会を待ったのである。
しかし、そんな彼のもとに、東から飛報が舞い込んできた。
袁術が、皇帝を僭称したというのだ。