歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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世界旅行記

第4次チェコ旅行記

5月2日(土曜日)~クトナー・ホラ


(1)朝の散歩~プラハ中央駅

(2)駅でのトラブル

(3)「死」の博物館

(4)クトナー・ホラ行き列車

(5)セドレツ~クトナー・ホラ

(6)聖バルボラ大聖堂

(7)クトナー・ホラ旧市街

(8)骸骨寺

(9)プラハに帰還


 

 

(1)朝の散歩~プラハ中央駅

 

 朝5時に目が覚めたので、とりあえずシャワーでも浴びる。

 それから、菓子パンを食いながら壁掛け液晶テレビで天気予報とニュースをチェックした。

 天気はここ2日くらい大丈夫だけど、3日目から崩れるらしい。

 そして朝のニュースでは、チェコ各地で賛軍的なデモ行進が行われていることが分かった。おおかた、ロシア情勢が不穏だからだろうけど、チェコには軍国主義は似合わないけどなあ。もっとも、日本も最近はそんな感じだけど。

 肩掛けカバンで6時半にホテルを出た。アンジェルから9番トラムに乗れば、自動的にプラハ中央駅に到着するはずなのだが、それでは面白くないので、散策がてら歩いて行くことにする。

 しかし寒い。セーターだけでは不足なので、TESCOでジャンパーでも買うべきだろうかと思案しつつも、これから太陽が昇れば暖かくなるかもしれないので、しばらく様子を見ることにした。とりあえず今日は、雨は降らなさそうだし。

 今回の旅行では、まだヴルタヴァ川を見ていないことに気づいたので、「ノヴェ・スミーホフ」の前をそのまま東へまっすぐ歩いた。そして、パラツキー橋の上から清らかな川の流れとプラハ城やカレル橋を眺めると、「帰って来たんだな」と実感する。

 そのまま橋を東に渡りきると、パラツキー先生の大きな銅像が健在だった。4年前に見た工事は、取り壊しではなくて改修だったのだね。

 そのまま北上すると、懐かしの「踊るビル」に出会う。これを見るのは13年ぶりだが、相変わらずで嬉しい。しかし、ガラスの壁面に「テナント募集」と大書されてあるぞ。確かここには保険会社が入っていたはずだが、出て行ってしまったのだろうか?まあ、こんなグニャグニャしたビルにある保険会社では、クライアントも不安になるよね(笑)。

 

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 13年ぶりに「カレル広場」に行こうと思って、「踊るビル」の前で東に入る。しばらく歩くと出会うのは、「聖キリルとメトディウス教会」だ。ここは、数年前に読んだ小説「HHhHプラハ1942年」のクライマックスの舞台である。実は13年前も通りかかったのだが、あまりしっかり見ないでスルーしたような記憶がある。今回、心を入れ替えてじっくり見ると、壁面にボコボコと銃弾の跡がある。これすなわち、1942年に、ナチスとチェコのレジスタンスが激闘を演じた痕である。ナチス総督ハイドリヒを暗殺したレジスタンスは、ここを隠れ家にしていたのだが、密告などでナチスに発覚。軍隊と警官によって完全に包囲されたものの、拷問を恐れて最後の一人まで戦い抜いて戦死した。その悲惨な戦闘の痕跡を、そのまま残しておくのがチェコクオリティであろうか。

 

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 感銘を受けながら、さらに東に歩くと「カレル広場」だ。緑の公園に入って北上すると、フス派戦争の震源地となった歴史名所「新市街庁舎」が相変わらずの美しい姿で建っている。ここは有料の展望台になっているのだが、おそらく外国人観光客は、こんなところに来ないだろう。案の定、市庁舎の塔の入り口に、「ここからのプラハ城の眺めは最高ですよ!」とか写真付きの営業ポスターがたくさん貼ってあった。その必死さは気の毒だが、そもそも観光客はこの場所まで来ないでしょうよ。俺のようなマニアくんを除いては(苦笑)。

 しかし、いつも思うことだけど、プラハは本当に凄い街だね。50メートル歩くごとに、素晴らしい歴史名所に出くわすのだから。

 そのまま北上して、目抜き通りヴォティチコヴァに入る。ここには、ハヴェル財閥の拠点であった複合娯楽施設ルチェルナがあるはずだが、閑散とした早朝ゆえ、どこだかよく分からなかった。

 街角の掲示板のポスターを眺めると、西洋甲冑バトルの案内がいくつもあった。7月にペトシーン公園で大会をやるので、その宣伝告知であるらしい。日本ではキワモノ扱いだが、ヨーロッパではメジャーなスポーツなんだよね、西洋甲冑バトル。

 しばらく歩くと、ヴァーツラフ広場に西から入った。

 昨日、ハヴェル伝を買った本屋さんを横目に見つつ、広場沿いに南下すると、16年前に地図を買ったことがある大きな本屋さんが健在であることに気づいた。開店前なのでショウウインドウを物色すると、「フス派叙事詩」と題された巨大な本が、2冊並んでいた。それぞれ一巻と二巻ということだが、まだまだ続刊しそうな雰囲気の本である。英語版があれば買うところだが、テーマがマニアック過ぎてチェコ語版しか無いだろうな。

 

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 それにしても、プラハには立派な本屋さんが本当に多い。しかも、どこかの下品な東洋の島国と違って、本屋さんには漫画本とかゲーム本とかアニメ本とか、いっさい置いていないのだ。さすが知性の国であるな。だから、俺はこの国とこの街が大好きなのだ。

 感慨にふけりつつ、「国民博物館」の前まで来た。ここは6月まで改装中らしい。来月来れば良かったのかもしれないけど、ここには13年前に加賀谷くんと一緒に入ったことあるので用済みなのである。

 その東側に建つガラス張りのビルが、臨時博物館になっている。興味があるので覗き込んだら、ここでは特別展を開催中らしい。貼られてあるポスターには、巨大なガイコツの絵と「SMRT(死)」という毒々しい文字が。そして、「18歳未満の方にはお勧めできません」とか、ホラー映画みたいなことが書いてある(笑)。「死」をテーマの展示を打つとは、さすがチェコクオリティだ。まさに俺好みである。時間があれば、寄りたいものだ。もちろん、早朝だから、まだ開いていないわけだが。

 さて、そのまま東に向かって歩き続けるとプラハ中央駅だ。間違えて一本南側の自動車道に迷い込んだりしつつも、なんとか駅舎に辿り着いた。

 クトナー・ホラに行くためには、チェコ第2の都市であるブルノ行きの電車に乗れば良いはずなのだが、ブルノ行きには、北側を走る本線と、南側を走るローカル線の2種類がある。そして、クトナー・ホラを通るのは、ハヴリチュクヴ・ブラートを経由するローカル線の方なので、間違えて乗るリスクが大きい。もちろん対策は講じてあって、日本でトーマスクックの時刻表を入手済みである。それによれば、7時59分発の電車があるはずだ。駅構内の時刻表を見ると、ぴったりではないが、それに近い時間帯の急行電車がある。まあ、多少の時刻のズレは許容範囲内だろう。

 実は13年前に加賀谷くんと来た時も、最初はクトナー・ホラに行こうとしたのに、目当ての電車がなぜか見つからなかったので、やむを得ずプルゼニュに行った経緯がある。今回は、いわば雪辱戦ってことかな?

 

(2)駅でのトラブル

 

 とりあえず、賑やかなコーヒースタンドや雑貨屋などを物色する。

 朝早いというのに、駅は外国人観光客で混み合っている。相変わらず綺麗でお洒落で、それでいて機能的な駅なので、散歩するだけでも楽しい。

 地下1階の切符売り場は意外とすいていたので、窓口のお兄さんに「クトナー・ホラの往復券」と告げて、203コルナの切符を難なくゲット。お兄さんは何を思ったのか、「日本円だと700円くらいじゃない?」と話しかけて来たので驚いた。なんで、俺が日本人だと分かったのだ?もしかして天才なのか?そんな天才が、なんで駅で切符を売っているのだ?チェコクオリティなら有りうる話ではあるが、ともあれ話し易そうな人だったので、「クトナー・ホラ行きは、何番線に来るかな?」と聞いてみたら、「到着20分前にならないと分からないので、さすがの俺も言えないよ。後で構内掲示板を見てね」と、肩を竦めながら応えてくれた。君のような天才にも、分からないことがあるのか!(笑)

 さて、電車の時刻まで30分近く時間があるので駅構内を散歩すると、いろいろな面で進歩改善がなされていることに気づいた。たとえば、構内のあちこちに大きなタッチパネル式の端末が置いてあって、利用者は自由にこれを操作しながら情報収集が出来るのだ。この機能のメリットは、利用者が主体的に情報収集できるだけでなく、使用言語を容易に切り替えられることにある。また、遅延や事故の情報も瞬時に把握できる点にある。

 日本では、駅のあちこちに案内表示があるけれど、あれは要するに「光る板きれ」に過ぎない。その情報不足を補うために、ひっきりなしに場内アナウンスが流れるわけだが、うるさいし、余計なことを言い過ぎるし、早口の日本語なので外国人の多くは理解不能だろう。少しは、チェコのやり方を見習った方が良い。

 こうして構内を散歩しているうちに予定時刻になったので、掲示板の情報を頼りに2番プラットホームに上がる。しかし、誰もいない。電車は停まっているけど閑散としているし、車両の行先表示もブルノ行きになっていない。

 「おかしいな?間違えたのかな?」と思って、入口まで掲示板を見に戻ったが、そういうわけではなさそうだ。何かがおかしい。ともあれ、仕切り直しで電車を一本遅らせるとしよう。

 

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 尿意をもよおしたので便所に行ったら、有料で、しかも20コルナ(約100円)も取りやがる。4年前は無料だったような気がするけどな。ともあれ、門番のオバサンに50コルナを渡してお釣りをもらったら、「次からは、事前に20コルナちょうど用意して来てね!」と怒られてしまった。どうも、今回の旅行ではチェコ人女性に怒られてばかりな気がしてきたぞ。俺は、Mキャラではないのだがなあ。

 さて、トイレ内には、ティッシュの自動販売機の隣にコンドームの自動販売機があった。シュールだな。まさか、便所で利用する人がいるのだろうか?こういうところが文化の違いという奴かもしれぬ。

 「自動販売機」と聞くと、大多数の日本人は「当たり前じゃん。それがどうした?」と思うことだろう。しかし、外国で自動販売機が置かれまくっている国ってレアなのである。なぜなら、治安が悪い国では、悪人が自動販売機を破壊してカネを盗むか、箱ごと持って行ってしまうリスクが高いからである。チェコやドイツは、民度と技術が高くて治安が良いからこそ、無造作に自動販売機が置かれているのである。これは、訪れた国の治安の程度を測定する、よいメルクマールだと思うぞ。

 さて、次の電車まで1時間あるので、せっかくだからプラハ旧市街を散歩することにする。中央駅から赤い地下鉄C線に乗ってムゼウム駅まで行き、そこから緑のA線に乗り換えて旧市街駅で降りる。

 ああ、懐かしい。

 プラハ城を眺めながら、カレル橋を西に渡って、ヴァルトシュテイン宮殿の北側を散策した。それからマーネス橋を渡ってルドルフィノムの前を抜けてパリ通りへ。

 パリ通りを南下して旧市街広場に入ったところ、この広場はいつも何かのイベントをやっているのだが、今回はここがマラソン大会のスタートポイントになるらしく、大勢の作業員が設営準備に追われていた。へえ、明日が市民マラソンか。つまり、明日はランナーで溢れるだろうから、あまり旧市街で遊ばない方が良いということだね。

 旧市街庁舎の天文大時計など懐かしく見ながらムステークまで歩き、そこから地下鉄で中央駅に戻った。

 構内掲示板を見ながら2番ホームに上がったところ、やはり状況は同じだ。

 閑散としていて、待機中の電車は車庫行きな感じである。ただし、今回は何組かの旅行者がホームにいた。そこで、白人の中年夫婦に英語で話しかけてみたところ、彼らはベルリン行の国際列車を待っているとのこと。

 マジですか?!

 どうも、状況が混乱してきたぞ。久しぶりのトラブル発生だろうか?

 するとその時、「クトナー・ホラ経由ブルノ行」の表札を下げた列車がホームに入ってきた。待ってました!やはり、俺の判断は間違っていなかったのだ。中年夫婦に別れを告げて、さっそうと電車に乗り込む。しかし、乗客は誰もいない。そして、後から誰かが乗って来る気配も無い。

 不安になって、たまたまコンパートメントの廊下を取りかかった若い駅員に英語で尋ねてみたところ、「この電車がこれからどこに行くかって?僕には分かりませんよ」と、謎のことを言う。「でも、車両に『クトナー・ホラ経由でブルノ行』って書いてあるじゃん?」と言い返したら、真面目で純朴そうな青年駅員は、「確かに、僕らはクトナー・ホラから来ましたよ。でも、これからのことは知りません」と肩を竦める。

 この答えで、ようやく真相が掴めた。天啓のようにピピっと来た。

 つまり俺はずっと、「出発列車の掲示板」ではなく「到着電車の掲示板」を見て行動していたのだ!

 大急ぎで駅の入り口まで戻ると、やっぱり俺がチェックしていた掲示板にArrivalと書いてある。Departureは、その隣にある奴だ。

 うわー、分かりにくい。

 Arrivalの掲示板の方が、Departureのそれよりも数多く設置されているのは、トイレのコンドームと同様、文化の違いとして理解すべきなのだろうか?

 しかし、この駅から電車に乗るのはこれが3回目なのだが、今までずっと平気だったのは謎である。これまでは、たまたま運がよかったのか、最近になって掲示板のシステムが変わったせいなのか?おそらく、後者だという気がする。いずれにせよ、「プラハには慣れっこ」だという思い込みが、俺の心に油断を生んだことは間違いないだろう。

 ・・・貴重な時間を無駄にした。

 ともあれ、状況は分かった。Departureの掲示板によれば、11:51発が次の電車だ。依然として、トーマスクックの時刻表とズレがあるのだが、それがこの間違いを気づきにくくした要因の一つゆえ、困ったもんだ。

 そういえば、あのベルリン行きの中年夫婦はどうしただろう?彼らも、俺と違う意味で間違っているのだろうけど、彼らは単純にプラットホームの場所を勘違いしているだけの気がする。そして、2番ホームにはタッチパネル式の掲示板が置いてあって、あの夫婦はその操作をしていたから、きっと今頃は正しいホームに行っていることだろう。ならば、わざわざ教えに行く必要もないだろうな。

 あと1時間半、どこで時間を潰そうか。

 ここで思いついたのが、早朝に見かけた「死」の博物館である。ここから近いし、せっかくだから行ってみよう。

 

(3)「死」の博物館

 

 中央駅から西へ歩くと、あっという間に臨時国民博物館だ。もう10時半だから、余裕で開館していた。

 

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 ここは、昨日のヴェレトゥルジュニー宮殿と同様、ガラス張りの社会主義っぽい建物だ。100コルナでチケットを買って、1階に置かれたいくつかのエリアに仕切られた展示を見て回る。

 「死」の博物館って、どんなんだろう?本気で怖かったら嫌だなあ。胸の鼓動が止まらないのよ♪

 最初の部屋は、化石や古生物の展示。まあ、「死」んでいるわな。

 続いて、ミイラや棺桶や古代の葬式に関する展示。確かに、みんな「死」んでいるね。

 やがて、殺人や戦争、そして拷問や自殺に関する展示。うん。みんな「死」んでいるね。

 ・・・これで終わり。

 1階の回廊に出て、しばし案内板を見ると、「死」の博物館は2階にもある。そして、こちらが「18歳未満にはお勧めしません」コーナーなので、どうやらこっちが本番なのだろう。

 本気で怖かったらどうしましょう!

 ドキドキしながらエレベーターに乗って2階に入ったら、最初の部屋にマネキン人形が床に転がっていて、酒びんが大量にその周囲に置かれている。そこが、「飲み過ぎは命が危ない」のコーナー。

 次の部屋に進むと、やっぱりマネキンが倒れていて、その周囲にタバコの空き箱。これは、「吸い過ぎは命が危ない」のコーナー。

 他にも、「麻薬は危ない」のコーナーや、「ドーピングは危険だ」のコーナー。

 何じゃ、こりゃ!?

 いったい、どこが18禁やねん。

 っていうか、こういった展示は、むしろ18歳未満の若者に積極的に見せた方が良いんじゃないのか?

 18禁というのは、チェコ流のブラックジョークみたいな煽り文句だったのか?それとも、文化の違いなのだろうか?

 総括すると、1階の展示は、6月まで改装中の国民博物館の展示を流用アレンジしたものだろうし、それはそれで博物館としての価値はある。しかし、2階のマネキン軍団はいったい何だったのだ?

 欲求不満というか不思議な余韻というか、首をかしげつつ博物館を後にした。

 まあ、チェコでしか経験できない不思議な味だったから、良かったことにしよう。

 さて、電車まであと30分だ。

 

(4)クトナー・ホラ行き列車

 

 中央駅まで歩いて戻る。

 ハヴリチュクヴ・ブラート経由ブルノ行きを、構内のDeparture掲示板でチェックすると、定刻通りに7番線からの発車である。ホームに向かうと、やはり大勢の乗客で混雑していた。

 ディーゼル列車の車両は、旧社会主義時代の旧式車両だったのが残念。でも、オンボロ車両なのに、よく元気に壊れずに稼働しているよな。さすが、チェコの技術は日本並みである。

 ホームでグズグズしないで足早に乗り込み、誰もいない2等車コンパートメントを見つけて、滑り込んで窓際の席を確保する。その直後から乗客がウジャウジャ現れたので、タッチの差で座れてラッキーだぜ。

 俺の次に、このコンパートメントに滑り込んできたのは、中国人の青年団。中途半端な席取りをした上で、後からやって来る乗客を、強面で片端から追い出している。せめて、笑顔を浮かべるとか会釈するとかすれば感じが良いのに、そこが文化の違いなのだろうか?どうも、中国人旅行者のそういうところが、俺は馴染めないな。

 なお、プラハ中央駅の構内アナウンスは、その始まりの合図に、スメタナ「我が祖国」の1曲目「ヴィシェフラト(高い城)」の一節を流すので、すこぶる感じが良い。

 やがて発車した列車は、懐かしいヴィトコフ丘目がけて突っ込んでいく。正面に見えるのは、ジシュカ将軍の騎馬像だ。お久しぶりです、将軍。でも、わー、ぶつかる!なんちゃって。列車は、ヴィトコフ丘の中腹に空いたトンネルに入ったのだった。

 4年前に見かけて違和感を覚えたトンネルに、こうして実際に潜ることになろうとは。プラハの街は四方を丘に囲まれているので、ここを出る鉄道は、どこかでトンネルあるいは高架下を潜る形になるのだった。

 トンネルを抜けると、後は平原をまっしぐらに進む。ボヘミアの中央部は、意外と丘が少なくて平野勝ちの地形なんだね。そして季節柄、菜の花畑が一面に広がって、黄色の花々とその香りがすこぶる心地よい。やはり、チェコの車窓は最高だね。アイスティーを舐めつつ景色を楽しむ。

 あんまり気持ち良かったので居眠りしてしまい、切符の検札が来た時に、隣の中国人青年に肩を突いて起こしてもらった。不覚なり。

 約50分でコリーン駅に到着。ここはそれなりの大都市なので、人の乗り降りが多い。そこを出てから、わずか10分でクトナー・ホラ中央駅に到着した。

 中国人軍団も、ここで降りる気配である。彼らが、席取りに利用した雑誌を座席の上に置いたままだから、「忘れ物じゃない?」と指摘したところ、リーダー格の青年がむすっとした表情で、「要らないから、あんたが上の棚にでも上げておけ」と英語で言う。なんか、ムカつくな。せめて、笑顔なり会釈を作るという配慮は無いのかね?どうも、中国人はそういうところが気に入らない。

 不愉快になりつつ駅のホームに降りると、菜の花の香りに包まれた、いかにも「田舎」な雰囲気の駅である。以前に訪れたターボルやプルゼニュより、遥かにローカルな感じである。外国人観光客は、それなりに大勢降りるけど。

 

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 なお、日本人観光客は、これまで一人も見ていない。最近は、チェコは不人気なのだろうか?それとも、円安の影響でみんな海外旅行を敬遠しているのかな?でも、チェコは物価が非常に安いから、ある意味、日本で遊ぶよりリーズナブルだけどな。

 などと寂しく思いつつ、真に不本意ながら、中国人青年団の後ろにくっついてセドレツの観光地を目指した。

 ややこしい話なのだが、クトナー・ホラ中央駅が置かれているのは、セドレツという町である。新宿駅が渋谷区に置かれているような話なのだが、クトナー・ホラの町に行くためには、ここからセドレツを抜けて4キロほど歩かなければならない。

 もちろん、チェコの国鉄もそこは配慮していて、中央駅から単線小型ディーゼル列車が出ていて、これがクトナー・ホラの町の近くまで行ってくれるようだ。ただし、このバスみたいな列車は8コルナも取るし、これに乗ってしまうと、セドレツの名所を見られなくなる。そこで、俺はいつものように歩くことにしたのだった。

 

(5)セドレツ~クトナー・ホラ

 

 さて、クトナー・ホラとセドレツは、2つの町を合わせて「世界文化遺産」になっている。

 ここは、中世の昔は銀鉱山で非常に栄えていて、一時期はプシェミスル王家(ボヘミア王国)の王宮まで置かれていたのだ。ところが、鉱山が16世紀に廃鉱となって以来、寂れ果てていたのだが、かえって観光的にはそれが良かったと言えよう。昔のものが、昔のままに保存されたのだから。

 駅前にはちゃんと道路地図があって、方角の指示もタイムリーに沿道に出るので、迷子になる心配はゼロである。もっとも、観光客の群れがゾロゾロ歩いて行くから、その後ろにくっついて行けば良いのだったが。

 菜の花畑とタンポポが生い茂る草地の間を歩くのは、それだけで楽しい。

 やがて観光客の群れは、セドレツ随一の観光スポットである聖母マリア教会と、その近所にある墓地教会(骸骨寺)に消えて行った。セドレツの観光資源は、この2つしか無いのである。そして混雑が嫌いな俺は、まずはクトナー・ホラ旧市街を目指すことにした。っていうよりも、13時近くなって腹が減ったので、まずはマトモなレストランに行きたくなったのだ。

 一本道をズンズン歩く。今回は、前回のドイツ旅行の反省を踏まえて登山用の丈夫な靴を履いて来たので、足の痛みや疲労は問題ないのだった。

 セドレツの町(っていうか集落)を離れると、殺風景だ。自動車道に沿って歩いているのだが、車さえほとんど通らないし、通行人も稀にしか出会わない。それでも、周囲を遠く見渡すと、あちこちに緑の丘が遠望されて楽しい。

 

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 この沿道では、社会主義時代に作られたであろう無個性な形の集合アパートを見かけるのだが、住民はそれを穏やかな暖色に塗り替えて、なんとか美しく見せているのが微笑ましい。

 風が吹く度に、顔面に微細物がバシバシ当たるので、何だろうかと思ったら、タンポポの種である。この土地では、野生のタンポポがあまりにも多いので、風が巻き上げる羽根つきの種の数もハンパじゃないわけだ。自然豊富なチェコならではの、なかなか得難い経験であろう。

 ともあれ、「旧市街」を指す道路標識に従って歩いたのだが、どうやらこれは、自動車用の駐車場の方向を示すものだったらしく、旧市街の西北方面に偏って歩いてしまったような気がする。

 それでも、緩やかな丘をゆっくりと登りつつ、微妙に東向きに進むようにすると、やがて観光客らしい人のエネルギーが感じられるようになり、いつのまにかクトナー・ホラ旧市街のど真ん中に出ていた。この街は、緩やかな丘の上に無理やり作った感じで、街路が稜線上を蜘蛛の巣のように複雑に走っていて、地理が微妙に分かりにくい。

 ともあれ、現在地を把握できて安心したので、とりあえずレストランを探す。おお、「地球の歩き方」に出ている「ハルモニア」が、聖母マリア柱象の向こうにデカデカと看板を出しているぞ。でも、地ビールのダチツキーに興味があるので、今回はレストラン「ダチツキー」を目指すのであった。「地球の歩き方」を頼りにしつつ、店を探す。

 中世風家屋の狭くて暗い入口なので、「営業しているのかな?」と首をかしげつつ入店したところ、店内は広くて、しかも大入り満員だった。午後2時だというのに、大したものだ。受付の兄さんに、オープンエアのエリアに誘導されたのだが、そこもいっぱいである。

 可愛い金髪ウェイトレスが寄って来たので、英語で案内を頼むと、「席が空いているかどうか、私には分かりません。お客さんが自分で何とかしてください」って。

 ・・・そこを何とかするのが、店員さんの仕事でしょ?こういうところも、文化の違いということで割り切るべきなのだろうか?仕方がないのでテーブルの列を周って、タブレットで遊んでいる白人の若者2人組に相席をお願いしたら、快く応じてくれた。

 木製のテーブルと椅子にくつろいで周囲を見回すと、ここは花々や木々に囲まれた美しい中庭になっている。この店を選んだのは大正解だったようだな。すると、さっきの金髪ちゃんが寄って来たので、ビールと豚の肩肉料理を注文した。

 地ビールの「ダチツキー」は、予想以上に美味かった。スタロプラウメンよりも、微妙に酸味があるけれどジューシーでグッド。運ばれてきた料理も、昨日の夕飯と外見は大差ないものだったが(要するに、ヴェプショー・クネドロ・ゼーロ)、ボリューム満点でしかも美味だった。

 

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 満腹&ほろ酔いで、良い感じになって来たのだが、もう2時半ゆえ、あんまりのんびりしてもいられない。

 お勘定を頼み、金髪ちゃんが可愛いものだから、ちょっと多めに払ってあげた。お姉さんは満面の笑顔でお礼を言ってくれたのだが、俺のような醜い中年オヤジが可愛い子ちゃんの笑顔を見ようと思ったら、カネにものを言わせるしか無いんだよ!参ったか!(啼泣)。

 

(6)聖バルボラ大聖堂

 

 レストランで小用をしてから、この街最大の観光名所である「聖バルボラ大聖堂」を目指して歩く。赤屋根に囲まれた狭い路地を抜けると、いきなり眺望が開け、丘の稜線上を歩く形になった。こうしてみると、この街が小高い丘の上に立っていることが分かる。ここからの眺めも気持ち良い。

 

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 この街は、拙著『ボヘミア物語』に出て来るのだが、実際にここに来るまで自分の描写に自信が無かった。でも、こうして丘の上に立ってみると、作中で描いたような、「橇を使って雪の斜面を滑り降りる戦術」が現実に可能であると分かって嬉しくなるのだった。(あの小説における戦いのシーンは、実は9割以上がオイラの勝手な創作なのである(汗))。

 周囲は、白人観光客がウジャウジャである。しかし、東洋人らしき人は皆無であるので、アジア的にはマイナーな名所であるらしい。しばし石畳の道を歩くと、右手に赤屋根の巨大な建物が現れた。かつて、イエズス会の学校だった建物である。その向こうの行く手に見えるのが、目指す「聖バルボラ大聖堂」。

 うわー、すごい。立派。

 なんだ、この壮大なフライングバットレスは!

 

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 1388年に建設を開始し、今の形に仕上がったのが20世紀。600年がかりの建築物だ。道理で、膨大な地霊が全体から湧き起こるわけだ。

 俺はもともと、宗教建築には興味を持てない人なのだが、例外が一つだけあって、それがプラハの「聖ヴィート大聖堂」である。この建物も、そういえば600年がかりの建築だ。そして今日、2つ目の例外が誕生したのであった。

 あんまり気に入ったので、大聖堂の周囲(綺麗な公園になっている)を歩きまわり、ベンチに座ってじっくり眺めたりして、ついにはお金を払って大聖堂内部を見学し、それにも飽き足らずに、追加料金で2階の展望室にまで行ってしまった。ダメ押しで、絵葉書も買いまくった。

 そして、「この教会を見るためだけに、クトナー・ホラを再訪しても良いな」。と思いつつ、この素晴らしい世界遺産を後にしたのであった。

 

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(7)クトナー・ホラ旧市街

 

 午前中に、3時間も時間を無駄にしたものだから、気分は焦り気味である。

 次の目標はセドレツの骸骨寺なのだが、せっかくなのでクトナー・ホラの他の名所も見て回った。

 狭い街なのだが、中世風の街並みのまま路地が入り組んでいるのでそれなりに楽しい。「石の泉」、「聖ヤン・ネポムツキー教会」、「パラツキー広場」などを足早に見て回った。ただし、かつて王宮があった通称「イタリアン・コート」は、その付近が修復工事中の気配だったので寄らなかった。ちょっぴり残念。

 この「イタリアン・コート」や、「鉱山博物館」に行けば、銀鉱山があった当時の貨幣や歴史遺産を見られたはず。ただし、いずれも長時間を要するガイドツアーらしいので、そういうのが嫌いな俺には馴染まないね。

 なお、この地で鋳造された銀貨「プラハ・グロシュ」は、中欧経済圏の基軸通貨になっていた時期があり、「ドル」と通称されていた。実は、世界の基軸通貨となったアメリカのドルの語源はここにあるという説があり、なかなか興味深いのである。

 なお、チェコ語を起源とする世界共通語は、3つあると言われる。すなわち、「ロボット」、「ピストル」、そして「ドル」である。ロボットという言葉は、作家カレル・チャペックが1920年に書いた戯曲「R.U.R」が初出。ピストルは、15世紀のフス派戦争でヤン・ジシュカ率いるフス派軍が用いた手銃ピーシャチュラがその語源(『ボヘミア物語』参照)。そしてドルは、前述のとおりである。チェコ文化は、実はなかなか偉大なのである。

 さて、一通りの名所を見たので、なだらかな丘を下りる形でセドレツへ戻る。

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 しかし、なんだか疲れたな。さすがに、若いころに比べると体力は落ちた。今日はまだ、10キロ程度しか歩いていないはずだが。

 それでも、あちこちから聞こえてくる山鳩の声に癒される。俺は、この鳥の声が大好きなのだ。しかしこちらの山鳩は、日本の山鳩とほとんど同じ鳴き声なのに、メロディが若干違うのである。日本の山鳩は上ずったような鳴き方だが、こっちのは終盤の音が下がっていくのである。何が原因でそうなるのか、専門家に聞いてみたいものだ。

 

(8)骸骨寺

 

 元通りの道を辿って、セドレツに入った。聖母マリア教会の前を左折する。しばらく行くと見えて来たのが、有名な墓地教会、すなわち「骸骨寺」だ。

 

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 なんか、外国人観光客でえらく混んでいるぞ。もうちょっとホラーっぽい雰囲気を期待していたのだが、周囲には土産屋さんが多いし、若者たちがキャピキャピしているし、なんだこの華やかさは。

 この教会は、内部の調度品のほぼすべてが実際の人骨で作られているのだ。その数、なんと4万体分!

 俺がこの教会を初めて知ったのは、ヤン・シュヴェンクマイエル監督の短編モノクロ映画『コストニッチェ』からである。芸術的な映像から強烈な印象を受けたので、拙著『ボヘミア物語』にも終盤で間接的に登場させている。すなわち、フス派戦争の最後の決戦場であるリパニはこの近郊にあり、この教会にある骸骨の多くが、「リパニの戦い」の戦死者のものなのである。そう考えると、作者的にはいろいろ感慨深い。もちろん、ペストやコレラなどによる、フス派戦争の前後の時代の犠牲者の骸骨も、ここには数多く存在するのだが。

 日本人の感覚では分かりにくいのだが、キリスト教世界は死後の復活を信じている。そのため、復活の日に備えて、死体をなるべく原形のまま残そうとするのだ。ローマ法王などの偉い聖者さまたちが、片端からミイラになっているのは、まさにそのためだ。

 しかし庶民は、死体をミイラに加工するようなカネも手間も持っていないから、せめて骨だけでも残そうとする。そして、ここ「セドレツの墓地教会」は、12世紀から霊験あらたかで由緒正しいお寺とされているので、それでみんな、遺骨をここに持ち寄った。

 ところが、あまりにも骨が多く来すぎたので、持て余した教会側は地元貴族の協力を得て、骨を教会内部の調度品に改造したのであった。

 もっとも、似たような骸骨寺はローマにもあるし、昔バンちゃんと一緒に見たことがある。ただし、人骨の数は、こっちの方が遥かに多い。

 とりあえず、混雑した入口で、入場料90コルナを支払う。受付には陽気なオバサンが3人いて、楽しそうに客の応対をしているから、ローマのとは雰囲気が違う。ローマの骸骨寺は、痩せた修道士(?)が一人で陰気な調子でお金を徴収していたから。

 「あなたはどこから来たの?」と受付のオバサンが聞いてくるので、意味が分からず戸惑ったのだが、各国語のパンフレットを渡してくれるらしい。俺はもちろん、日本語版を受け取ったのだが、なんだかただの観光施設みたいだね。

 しかし、教会内の展示は凄かった。ろうそく立てや装飾品など、全てが人骨を加工して作られているのだ。そして、とにかく骨のボリュームが多い。おそらく、これほど多くの死体を1ヶ所で見ることは、金輪際無いだろう。

 

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 でも、周囲は陽気な外国人観光客でいっぱいだから、明るい午後の陽光もあって、残念ながら荘厳な気分にはならなかった。

 そして、「人間なんて、死んでしまえばただの物体だな」と、持ち前の唯物論にますます拍車がかかるのだった(笑)。

 

(9)プラハに帰還

 

 さて、一通りの観光を済ませたので、クトナー・ホラ中央駅に戻る。

 デジタル式の案内板を見るに、16:59のプラハ行があるので、あと30分待てば良いわけだ。しかし、こんな小さな田舎駅なのに、デジタル式の案内板があるとは驚きだ。チェコは、すでに日本よりもインフラ整備が優れているのではあるまいか。

 穏やかな暖色に包まれた待合室には、コーヒーの自販機があった。カップ式の奴である。とりあえずブラックのブレンドコーヒーを買ってみたら、カップが紙ではなくて薄いプラスチック製なので、熱伝導率の関係で、持つととても熱い。この点は、紙のカップを用いる日本の方が優れているだろう。そして、味は日本のインスタントコーヒーと同レベルであった。

 時間が来たので、無料の公衆便所で小用をしてからホームに向かう。しかし、菜の花の臭いがかぐわしくて、最高に良い気分だ。チェコは、本当に素晴らしい国だね。

 

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 そして、ブルノ発プラハ行の列車は意外と混んでいて、コンパートメントにはまったく入れなかった。席にあぶれた人たちは、コンパートメント車両の廊下に立つことにしたようだが、認識が甘いぜ。この列車には、車内全体を一望できる普通座席仕様の車両もあったので、そっちに移動して様子を伺うことにする。案の定、隣のコリーン駅でかなり降りたので、すかさず席をゲットだぜ。検察を受けた後、あんまり気持ち良いのでウトウトしているうちに、いつのまにかプラハに着いていた。時間は、18時ちょうど。

 プラハ中央駅のコンビニで水やジュースを買ってから、花の香りがかぐわしい駅前の大通りを歩く。

 気まぐれで、一本北側のオプレタロヴァ通りに入ってみたら、そこでは大規模な建築工事をやっていて、工事現場の壁に「ヴァーツラフ広場の歴史」と題する歴史展示のパネルが並んでいた。これは、嬉しい。

 1918年のマサリクとチェコスロヴァキア軍団の行進、1939年のナチスの侵攻、1945年の解放、1948年の共産党のクーデター、1968年の「プラハの春」とチェコ事件、1989年の「ビロード革命」。いずれのパネルにも、ヴァーツラフ広場を背景にした写真がてんこ盛りで、歴史マニアとしては嬉しい限りだ。

 

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 なんとなく、ヴァーツラフ広場沿いにムステークまで歩いて、そこからアンジェルまで地下鉄で移動。それから、ノヴェ・スミーホフのTESCOでお惣菜を物色する。今日の夕飯は、軽く済ませる予定である。そこで、サンドイッチとヨーグルト、ポテトチップスなど買ってホテルに戻った。

 ちなみに、このTESCOでは、10台あるレジのうち3台が全自動になっている。お客さんは、レジに備え付けのPOS端末を手に取って商品バーコードを読み取り、表示された合計金額をレジに投入すれば、ゲートが開いて外に出られる仕組みである。若者だけでなく、老人まで積極的に利用しているのが立派である。すなわちチェコは、日本より遥かにIT化が進んでいるのだった。

 日本では、いくつかのスーパーで全自動レジを導入しているのだが、短日で撤去した所が多い。その理由は、端末の操作方法があまりにも煩雑で、お客さんが使いづらかったためらしい。ちなみに、俺の実家近くの小田急OXでは、タブレット仕様の端末を用いていた。すなわち、お客さんにレジ備え付けのタブレットで商品の映像をまず検索させ、次にその映像をいちいち押させてからの会計だったのだ。つまり、カラオケ屋や一部の居酒屋の要領である。しかし、それだとあまりにも作業が煩雑で時間がかかりすぎるから、混雑時は周囲に迷惑となるし、特に老人では使いこなせまい。また、商品や値段が変更になった際に、お店はいちいち映像からデータを入れ替えねばならぬ。これでは無理なので、あっという間に全自動レジは撤去された。

 ・・・チェコのように、素直にPOSに商品バーコードを読ませるやり方の方が、よっぽど分かりやすくて効率的だったろうに。

 そのような煩雑なシステムを入れた小田急OXの見識に問題がある。それに加えて、ガラパゴス化などと言われて久しいが、要するに日本のIT技術者は、自らの能力を誇るあまり、肝心のお客さんのニーズを置いてきぼりにしているのである。これは日本全国、あらゆるところに見られる現象である。

 少しは、チェコを見習ったらどうだろうか?

 さて、早朝から歩き回ったせいか、なんとなく腰が痛い。俺は腰に爆弾を抱えているので、これからの旅程や帰りの飛行機を考えるなら、ここは慎重に行動した方が良いだろう。

 すなわち、まだ夜8時だがベッドに入って爆睡した。

 すると、朝3時に目が覚めたので、そこでサンドイッチ(美味!)を食ってから、二度寝した。

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