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世界旅行記

エストニア、フィンランド旅行記

4/30月曜日 タリン観光

早朝の散歩

 昨晩は9時に寝たものだから、当然ながら早朝5時には完全に目が覚めた。シャワーを浴びてから窓外を見ると、真っ白だ。雨かと思いきや、濃霧らしい。さすが北欧だな。かなり寒いし。

 多少の躊躇はあったものの、このまま部屋にいても詰まらないので散歩に出る。濃霧の中の散歩というのも、ムードがあって良いだろう。

 とりあえず、バルト海を見たいので、海を目指して北に向かって歩く。旧市街の東側城壁沿いにメレ大通りを進むうち、街の正門とそれを守る円形城塞、通称「太っちょマルガレータ」に到達した。濃霧の中の古城も、なかなか絵になるね。


 そこからさらに北上したのだが、なかなか海に出ないのでおかしいなと思ってスマホ地図を起動したところ、海と平行に西に向かって歩いていたことに気づいた。この辺りの道路は、微妙に湾曲しているので、濃霧の中では正確な方向を掴みづらいのであった。仕方ないので、元来た道を引き返し、進路を北東に変えたところでやっと海に到達。しかし、真っ白で何も見えないぞ。

 とりあえず、明後日にはヘルシンキまで海路を取る予定なので、この付近にある高速艇のチケット売り場の場所を確認した。もちろん、早朝なので売り場は開いていないが。

 高速艇のチケット売り場が入っている建物は、石造りの巨大なピラミッド状の施設だ。『地球の歩き方』で「市民ホール」などと書かれている施設だが、明らかに廃墟である。ネットで調べたところ、これはソ連支配時代にモスクワ五輪に備えて作った(作らされた)、ヨットなどの海上種目用の施設らしい。その後、コンサートホールなどに使われた時期もあったようだが、ソ連崩壊後は完全な放置状態だ。そのせいで、石積みは崩落仕掛けているし、その隙間からペンペン草が生えまくりである。もちろん、ピラミッドの内部は立ち入り禁止。例外的に、高速艇のチケット売り場だけが、ピラミッド側方の隙間の中に鎮座している形だ。このピラミッドに上ってみようかとも考えたのだが、濃霧の中ではどうも足元が危ないので、この施設を迂回してホテル方面に戻ることにした。すると、まっすぐ歩けば、港とホテルが意外に近いことが判明。

 メトロポル・ホテルに戻ったら、7時ちょうどだった。朝食バイキングが始まる時間帯なので、そのまま1階奥のレストランに入る。チーズ、ハム、サラダ、パン、ソーセージ。なかなか質素だなあ。それでも、ジャムとハチミツは凄く美味かった。これは、お土産に買って帰らなければ。ただし、コーヒーはかなり不味かった。ドイツやポーランドもそうだったのだが、ハプスブルク帝国文化圏を外れたヨーロッパのコーヒーは、不味い傾向があるようだ。

 

タリン旧市街を本格的に散策

  さて、部屋に戻って歯を磨き、荷物を整えて出陣だ。

 昨日の夕方と同じルートでタリン旧市街に入る。今回は、南東側だけでなく全体を見て回る予定なので、街の北西方面に移動し、聖オレフ教会を見る。なかなか荘厳で立派だ。そのまま南に移動し、有名な古い家屋などを外から観察する。

 何気なく歩いているうちに、ラエコヤ広場に出た。ここは、旧市街の中心部にある広場で、ヨーロッパの古い都市に在りがちの施設である。案の定、教会や市庁舎に囲まれた石畳のスペースは、開店前のレストランでいっぱいだ。とりあえず各店のメニューを物色すると、パスタとかステーキとかハンバーガー。つまり、エストニアならではの個性的なメニューが無い。そういえば、エストニア料理って聞いたことないな。ただし、イノシシやクマやトナカイを喰わせる店が一軒あったので、これは心に止めておくとしよう。

 旧市街の南端に到達し、そこから聖ニコラス教会などを外から見学。この教会の美術品はかなり立派みたいなので、滞在中に見ておきたいものだ。ただし、今日は月曜日なので、この教会のみならず、この街のほとんどの博物館と美術館は閉館日なのであった。

 そのまま西に向かって歩くと、そこにはトームペアと呼ばれる高さ40メートルほどの丘がある。ここは、かつて王や貴族が住んでいたエリアで、いわば山の手だ。細い石の階段を上って、城壁に囲まれた地区に入ると、なるほど。立派な宮殿や教会が並ぶ一等地であるな。プラハで言えば、フラッチャニ地区といったところだろう。

 この街の構造は、全体的にプラハに似ている。ただし、非常に小ぶりだし、市中にまったく川が流れていないところが大きく違う。また、街そのものが丘の上に建っていて起伏が多いことを鑑みるなら、川沿いの谷間に置かれたプラハ旧市街というよりは、むしろクトナー・ホラの街に似ているかもしれない。

 ただ、雰囲気はとても良い。全体的に清潔だし。天気も、濃霧が晴れて空に青空が見えるようになって来た。主にロシア語を話す観光客たちも、楽しそうにあちこち散策している。

 俺は、トームペアの主要名所を外から見学しまくり、それに飽きてから北西側の階段を下りて鉄道駅方面に移動した。

 地表に降りてからトームペアを見上げると、丘全体が城壁や防柵に覆われていて、もともと戦闘用に建てられた要塞であることが実感出来て興味深い。地表に広がる駅前公園にも、よく見るとあちこちに堡塁のような施設がある。

 タリンの起源は、いわゆる「北方十字軍」の時代に、この地を占領したデンマーク人が築いた城塞である。その後の重い歴史の歳月を、見事に耐え抜いたわけだ。

 

タリン駅

  公園をぶらぶら歩きしながらタリン駅に到達。構内に入って、付属のスーパーを見回ったが、ジャンパーはさすがに売っていない。駅の切符売り場や待合室を見に行ったが、すごく小さい。ホームが2つしかないし、運行本数も極端に少ない。これでは、クトナー・ホラ駅より小さいのではないか?まあ、小さい国だし、鉄道で移動する人自体が少ないのだろうな。

 ともあれ、俺の目当ては、鉄道ではなくバスだ。駅の北側に隣接するバスターミナルに行くと、そこはかなり広くて混んでいた。それにしても、鉄道よりもバスが人気の駅って・・・。

 『地球の歩き方』によれば、21番バスに乗れば市街の西端に行けるらしい。このガイドブックは、2年に一度の更新頻度なので、情報が古いことがままあるのだが、確率70%くらいで頼りになることは間違いない。今回の情報も正確で、指定のバス停にちゃんと21番バスが現れた。これに乗って、タリン市西郊に位置する野外博物館と動物園に行くのが、今日のメインイベントである。この2つの施設が月曜休館でないことは、『地球の歩き方』で確認済みである。まあ、それが嘘情報の確率は30%程度あるわけだが、その時はその時だ。

 快走するバスの沿道の景色を見るのが楽しい。あっという間に人口密集地域を過ぎて田舎っぽくなる。それでも、道路が広くてまっすぐなのは、人口が少なくて平野勝ちの国柄だからだろう。

 道路の周囲は、アパート中心の住宅地か森林だ。森林は、白樺などの針葉樹が多い。強烈な既視感の原因は、独ソ戦を舞台にした映画の影響だろう。ここエストニアからレニングラード(現サンクト・ペテルブルク)は、1941-45年の独ソ戦における激戦地だったのだ。森の中に、ティーガー戦車の残骸とか落ちていないかな?

 などと妄想しているうちに、バスは約8キロの道程を20分ほどで消化して、「ロッカ・アル・マーレ」地区に入った。似たような停留所名が多いものだから、間違えて博物館の一つ前のバス停で降りてしまったので、森林に左右から挟まれた道路を一停留所分歩いた。これはこれで気持ち良いのだが、空は再び曇りになり霧が立ち込めて来た。

 かなり寒くなって来たのが問題だ。

 

エストニア野外博物館

  やがて辿り着いた野外博物館の入り口は、小さなゲストハウスになっていた。ちゃんと開館している。構内の左側にチケット売り場とインフォメーションセンターがあり、右側が土産屋という造りだ。

 この土産屋で、ジャンパーを探したのだが、さすがにそんなものは売っていない。失敗したかな。先にどこかの大型スーパーに寄った方が良かったかな。などと微妙に悩みつつ、チケット売り場のオバサンにタリンカードを提示した。

 ここは、タリンカードによって無料になる施設なのだ。オバサンは、カードの有効期限内かどうか端末を用いてチェックすると、俺に1枚の小さなシールをくれた。これを、上着に貼っておけと言うのだ。なるほど、料金支払い済みの印というわけだな。アナログだけど、良い方法だ。

 さて、こうして「エストニア野外博物館」こと「ロッカ・アル・マーレ」に突入だ。どうしてイタリア語の名前なのか謎なのだが、ここはエストニアの伝統家屋や古民家を保存する公園なのだ。そういえば、往路のバスの中でイタリア語を話す中年の団体と居合わせたのだが、陽気な彼らはやっぱりここの構内にいた。やはり、ここは名前的に、イタリア人が好む施設なのだろうか?

 ともあれ、せっかくエストニアに来た以上、他では見られないような施設を積極的に回るべきだろう。ここエストニア野外博物館では、様々な形態の特徴的な家屋が、広大なスペースに要領よく配置され、そして丁寧な解説や案内板が置かれている。つまり、日本で良くある「古民家園」みたいなものだ。

 驚いたのは、エストニアの伝統農家の造りが、日本の古民家にそっくりなこと。茅葺でしかも土間まである。

 また、空き地のところどころに、木製の風車が立っている。その形は、オランダなどの他のヨーロッパ諸国のものに似ているのに、石造りではなくて木製というのが興味深い。これは、さすがに日本には無いものなので、まさにエストニア・オリジナルといったところだろう。


 想像するに、この国は日本と同様、石よりも樹木が豊富な土地柄で、だからこそ茅葺や木製風車などの木造文化が大きく発達したのだろう。もちろん、日本と技術交流があったはずはないので、それぞれ独自の発達を遂げたのだろうが、農家の形状がここまで似るということは、頭の良い人間が考えることは、洋の東西を問わず同じということだろうか。そう考えながら悠久の人類文化に思いを馳せると、なかなかロマンチックなのだった。

 さて、施設のメイン通りを中ほどまで進むと、そこにあったのは休憩所兼レストラン。ドアも窓も締め切っているが、中から賑やかな声が聞こえているから、団体観光客が入っているのかもしれない。そういう目で見ていると、先ほどのバスの中で居合わせたイタリア人集団が、俺の後ろから現れて、ドアを開けてこの休憩所の中に入って行った。イタリア系のイベントでも、やっているのかな?俺は、休憩所の裏手に回って屋外トイレに入った。どうも、先ほどから腹具合がおかしいのである。だが、この時は便器に腰かけたものの何も出て来なかった。微妙に不安を感じつつも、さらに施設の奥まで歩くことにする。

 施設の最奥は、この土地の北端であり、すなわちバルト海である。しかし、濃霧が濃くなったため、ほとんど何も見えない。目を凝らすと、波間にチラチラとカモメの群れが浮いているから、この濃霧では彼らも飛べずに困っているのかも。

 しかし、観光客が全く見当たらなくなった。もともと入場者は少ないのだが、今日は濃霧が厳しいので、こんな奥までは入り込まないのかもしれない。月曜だから、現地人はみんな仕事するか勉強しているはずだしな。

 そういうわけで、一人さみしく、施設の左側(西翼)を一周することにした。個性的な家屋が次々に現れて楽しいのだが、公園としても実に気持ちの良い施設で、ここなら一日中いられそうだ。ただし、天気が良くて暖かければの話だが。

 

下半身の反乱

  突然、下腹部が暴れ出した。構内地図を見ても、付近にトイレは無い。これは不味いぞ。

 海外旅行史上で、最悪のトラブル発生かもしれぬ。周囲に誰もいないのを見計らって、白樺の針葉樹林の奥に侵入。白樺に栄養分を大量に与えてしまった。俺様に素晴らしい餌を与えられた白樺さんは、今頃は全長57メートル、体重550トンくらいに成長しただろうか?あるいは、逆に枯れてしまっただろうか?俺の糞には、アメリカや中国から輸入された有毒物質が多量に含有されていそうだからな。福島原発の放射能も、かなり吸ってそうだし。

 とりあえず安心して、元の道に戻る。ところが、しばらく歩くと、また具合が悪くなって来た。ようやく、入口のゲストハウスが見えて来たぞ。トイレはあそこに見える。しかし、後5メートルという距離で、下腹部が暴発しおった。周囲に誰もいなかったのが幸いで、誰かいたら大恥をかくところだった。トイレに飛び込み、それから育児室兼身体障害者用便所に入って、必死になって水と石鹸で洗ったのだが、臭いと汚れを根絶することは無理であった。とりあえず、トランクスを肩掛けカバンに詰めて、びしょ濡れのズボン(濃緑色だから、意外と汚れや水分が目立たないのが幸い)を下腹部に直接履いて、トイレを出た。

 エストニアのトイレは、とても清潔で快適である。そのトイレをここまで汚した男は、この俺様が史上第一号なのではなかろうか?

 それにしても、この逆境にめげず、施設の右側(東翼)を見て回ろうとした俺は、異常に図々しい奴だな。しかし、海からの寒風を濡れたズボンに食らった瞬間、あまりの冷たさに完全に心が折れた。ここは素直に、いったんホテルに帰ろう。

 足早にゲストハウスを抜けて、施設の外に出る。そのまま道の反対側に出たら、ほどなく43番バスがやって来た。乗客たちに、ずぶ濡れのズボンに気づかれたら恥ずかしいな。などと、心配しながらバスに乗り込む。

 しばらく進むと、また腹具合がおかしくなって来た。ここでやらかしたら、いくら何でも周囲にバレるだろうし迷惑だろう。すると、大型商業施設「ロッカ・アル・マーレ」が見えて来た。そこで、バスを飛び降りて施設内のトイレに向かう。おお、ギリギリセーフだ。完全に液状になったものを、ついに完璧に出し切ったぞ。

 心身ともに余裕が出来たので、そのまま大型スーパーマーケットを見て回った。ここは綺麗で広大で、アメリカのスーパーにも引けを取らないレベルだ。しかし、ずぶ濡れズボン着用のままで、店員と親しく接したら不審がられるだろうから(お漏らししたことは秘密にしておきたい)、ジャンパーなどの買い物は後回しにするとしよう。

 施設を出ると、動物園前のバス停まで歩き、そこから旧市街行のバスを待った。この動物園は、今日の旅程に入っていたのだが、さすがに今は止めておいた方が良いだろう。

 バスの中では、ズボンが乾いて悪臭が拡散することを極度に心配したのだが、幸運なことに、そうなる前に鉄道駅に着いた。エストニア人は、ポーランド人らと同様に、あまり周囲や他人に興味がなさそうな人たちで、それが結果的に幸いしたとも言えよう。

 駅から足早に旧市街を東に横断し、無事にメトロポル・ホテルに帰り着くことに成功。部屋のシャワーや石鹸などを使って、もう一度入念にズボンと下半身を洗い直したのであった。

 これで、臭いを根絶出来たはずだ。

 時計を見ると午後2時。そういえば、今日は昼飯を食っていないのだが、今はそれどころではない。

 

ジャンパー入手

 上着や靴下にも汚いものが付いていたので、それらを全て綺麗にすると、外出用の着衣が無くなってしまった。俺はいつも、最小限の衣類を持って海外に来るのだが、今回はそれが裏目に出たようだ。備え付けのドライヤーを使ったものの、濡れた着衣が乾くまで、室内で待機しなければならぬ。

 仕方ないので読書をしているうち、ベッドの上で30分ほどうたた寝した。目が覚めて戸外を見ると、午後3時の空は快晴である。よりによって、今から晴れるとは。

 こんな良い天気なのに、部屋に籠っているのはもったいない。そこで、まだ乾かないズボンと半渇きの上着を装着して、ジャンパーを買いに行くことにした。濡れた着衣は、まあ、太陽が出ているのだから、歩いているうちに勝手に乾くだろう。

 ホテル正面の細い道は、最近になって整備された繁華街「ロッテルマン地区」に通じている。入ってみると、お洒落なカフェやブティックが並んでいるものの、かなり小規模な区画である。これは、かつてこの辺りを所有していた、ロッテルマンという資本家が寄贈した工業区画を改造したものらしい。現地の家族連れやカップルで、いちおうそれなりに賑わっているようだ。しかし、エストニア人の子供はみんな物凄く可愛いな。特に幼女は、同じ人間とは思えない造作だ。忘れかけていたロリ根性が復活しそうだぜ。

 げへへへへー。お嬢ちゃん可愛いねえ~。う〇こ臭いオジサンは好きでしゅか~?

 ともあれ、晴れてもかなり寒いことが分かったので、予定通りにジャンパーを買いに行く。ロッテルマン地区を南に抜けると、正面に大型スーパー「ヴィル・ケスクス」(昨夜も寄った)がある。この国のショッピングセンターの名前には、だいたいケスクス(Keskus)という言葉が付いているのだが、これはエストニア語で「中心」を表す言葉らしい。ショッピングセンターのセンターという意味だろうか?ともあれ、ケスクスという看板を頼りにすれば、買い物に困ることは無いわけだ。

 ところで、エストニア語は、英語やドイツ語やロシア語には全く似ていない独自言語である。北欧がルーツなようだが、フィンランド語との共通点は少ないように見える。総人口わずか130万人なのに、激動の歴史を乗り越えて独自言語を守っているとは、立派なものである。俺はとりあえず、「こんにちは(テレ)」と「ありがとう(スール・アイタ)」だけ覚えて、積極的に使うようにしている。エストニア語は、語彙が比較的短いので、覚えやすいのが良い。

 さて、午後3時なのに「ヴィル・ケスクス」は混んでいる。若い人が多いので、きっとみんな学校帰りなのだろう。閑散としたCDショップなどに寄り道しつつ、2階で服屋さんを発見。ちゃんと、ジャンパーも売っているぞ。しかし、最低152ユーロ(約2万円)とは、かなり高いな。どうしようかな。なぜかLサイズが全く置いていないし。

 すると、店員の若い女の子(もちろん美人)が寄って来た。そこでLサイズを要求したら、生意気そうで不愛想っぽい外見に反して、倉庫からジャンパーを次々に持って来てくれる。そして、しきりに、この色はあなたに似合いそうとか、こっちは少し袖が長そうだとか教えてくれる。エストニア人って、不愛想に見えるけど親切なんだなあ。あるいは、俺様に惚れたとか?

 〇んこ臭いオジサンは好きでしゅかー?(笑)。

 結局、青い厚手のジャンパーを選んだら「あなたにきっと良く似合う」と、女の子はなぜか大喜び。しきりに勧めるので、試着室を借りてみる。袖が少々長いようだが、まあ良いだろう。そこで、レジに持って行った。あれれ、カードをホテルの部屋に置いて来たぞ。仕方ないのでユーロで払う。エストニア語で、親切にしてくれたことについてお礼を言ったら、その女の子は可愛いことに「きゃっ!」と声を上げて喜んでくれた。「また来てくださいねー」の声を背中に受けながら、ジャンパーをビニール袋に入れて貰って店を出た。まあ、あの子はきっと、俺みたいな東洋人が珍しかったんだろうね。

 ちなみに、以上の会話は原則として英語で行った。エストニア人は、若者でもみんな英語ペラペラなのである。そういう俺様も、数年ぶりに英会話をしたような気がするが、まだまだ能力は錆びついていないのだった。

 

タリン港から旧市街へ

  さて、そろそろ「エストニア土産」を物色しなければならぬ。ズボンはかなり乾いたし、ジャンパーを手に入れて心も落ち着いたので、ホテルへの帰路、再びロッテルマン地区に入ると、今度は各店舗をじっくりと見て回った。

 チョコレート専門店「カレフ」を見つけたので、入ってみる。店内は、やはり可愛い幼児たちでいっぱいだわい。眼福、眼福。さて、チョコよりもマジパンに興味があったのだが、なるほど、これはキャラクター人形みたいなパンだ。ただし値段は高いし、どうやって食べたら良いのか分からない。合成着色料がふんだんに塗ってあったら身体に悪そうだしなあ。ここでの土産調達は止めておくか。と、何も買わずに店を出る。

 エストニアの物価は、日本の15倍から2倍といったところか。やはり、ユーロの国だと、為替相場の影響をそのまま受けてしまう。こうなると、物価の安いチェコやポーランドが恋しくなるなあ。デフレ大国の日本より物価が安い先進国なんて、今ではレアものだぞ。

 ともあれ、ホテルの部屋に帰ってから、ジャンパーを袋から出して商品タグを外す。装着したら、なかなか良い感じだわい。あの女の子の見立て通りか。

 とはいえ、服屋でユーロを想定外に浪費したのが気になるな。そこで、フロントに行って追加の両替をお願いしたところ、チェックイン時に応対してくれた礼儀正しいお姉さんが笑顔で迎えてくれたのだが、このホテルでは両替業務はしていないという。では、仕方ない。他で探すか。

 ジャンパー装備で、勇躍してホテルを出陣。ズボンは、いつの間にか完全に乾いてくれたので、もはや怖いものなしじゃ。

 ホテル横の街道に広大な中央分離帯があり、そこに神殿のような白い建物がある。空港でもらった地図によると、「エストニア建築博物館」だ。ここも、タリンカードで無料になる施設なので、入ってみることにする。ところが、今日は休館日ではないはずなのに、ドアが開かない。俺の後からやって来たロシア系(?)少女たちも中に入れなかったので、どうやらお休みらしい。その様子を見ていた周囲の人々は、みんな無表情なので、特に異常事態ではないのだろう。

 拍子抜けしたのだが、このまま歩いて港に行ってみる。せっかく快晴なので、青い海を眺めつつ、高速艇のチケットを買うのも良いだろう。まっすぐ北上すると、例の崩落寸前の「市民ホール」が見えて来た。意外と、施設の上に人がいるぞ。なんだか安心したので、ピラミッドの南側から階段を上って、この施設を経由して北側に降りてみる。なるほど、ここは小高い丘になっているので、それなりに眺めが良いのだ。崩壊寸前の老朽施設とはいえ、市民の憩いの場になっているのだな。

 そして、バルト海だ。青いバルト海を見たのは、これが生まれて初めてだ。なるほど、波が極端に少ないから、ここで捕れた魚はきっと不味いだろうな。それでも、広大な海を、ヨットやフェリーや漁船など、いくつもの船が行き来しているのは眼福である。

 ピラミッドを北側に下って、早朝も訪れた高速艇チケット売り場に行ってみたが、開いていなかった。不思議に思って、スマホでこの会社(リンダライン)のホームページを調べてみたところ、準備中の案内が出て来たぞ。もしかして、会社自体が休業中なのかな?ただし、時計を見ると4時半なので、この売り場が閉店直後だった可能性もある。明日の朝、また来てみよう。

 海辺を散歩しつつ、フェンスの礎石に腰かけてガイドブックを読む。この近辺の観光資源は、この時間帯だと、旧市街に行くしか無さそうだ。

 海にも飽きたので、南下して正門から旧市街に入る。観光客でいっぱいの旧市街南側に回ると、ヴィル通り沿いにエストニア土産専門店を見つけたので、ここでハチミツやジャム、そしてトナカイやボア(イノシシの一種)の燻製肉を買い込んだ。さしあたって、土産はこんなもので良いだろう。

 旧市街中心部で無料の両替所を見つけたので、15,000円を94.3ユーロに替えた。たぶん、今回の旅行中は、これで足りるだろう。それから、タリン市歴史博物館に行ってみたのだが、閉館だった。まあ、月曜だから仕方ないね。

 時計を見ると5時半だ。今日は昼飯を抜いたので、それなりに空腹である。そこで、混まないうちに旧市街で夕食を摂ることにした。

 『地球の歩き方』にも出ているご当地パブの「ヘル・フント」に入る。店名を冠した地ビールと、珍しいマトン入りパスタを注文。なかなか美味かった割には、11.4ユーロ(約1,500円)なので意外と安く済んだ。満足したので、旧市街を出てホテルに帰り、今日は大人しく寝ることにした。

 ところで、エストニアにはチップの習慣が存在しない。朝方、ホテルの部屋のデスクに1ユーロ置いておいたのだが、手付かずのまま残されていた。パブなどでも、チップを要求する素振りすらない。個人的には、チップの習慣は不愉快なので、これは良いことだと思う。

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