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世界旅行記

エストニア、フィンランド旅行記

5/1火曜日 タリン郊外観光

タリン主要港

 今日は、俺にしては朝寝した。何しろ、天気は小雨模様で、やっぱり霧に煙っている。おまけに、無茶苦茶に寒そうだ。そういうわけで、恒例の朝の散歩を諦めて、二度寝したのであった。

 とはいえ、8時にはテレビのニュースを見ながらゆっくり支度して、階下に降りてバイキングを食べた。朝食のメニューは、昨日とまったく同じ。エストニアの食文化の貧弱さを感じてしまいつつ、腹具合が心配なので、あまり食べ過ぎないように気を付けた。

 なお、このホテルは、フロントにジュースの自動販売機があって便利である。これは、ガラスの向こうに並んだ商品を選び、お金を入れて商品番号を押すと、アームが動いて商品を取り出し口に落とす形式の奴である。俺は、フロントのホテルマンたちに見守られながら、ここでミネラルウォーター(2ユーロ)を買うのが常だった。どんな機械でも、山勘ですぐに使いこなせる自分の才能が怖くなることがあるな(そんな大げさな話でもないけど)。

 さて、いつまでもホテルで燻っていても仕方ない。ちょうど予定開場時間の9時に間に合うように、昨日と同じ市民ホール乗り越えルートで、高速艇チケット売り場に到達した。ところが、開いていないし開く気配も無い。周囲には誰もいない。不思議に思って鉄製の柵越しにチケット売り場を覗き込むと、入口ドアに小さな張り紙が貼ってある。その英語文字を、目をこらして読んだところ、どうやら高速艇自体が長期運休していることが分かった。事故でもあったのか、それとも経営不振なのか。いずれにしても、分かりにくいわ。そういう重要なことは、もっと大きな文字や看板で告知して貰いたかったな。

 しかし、明日はヘルシンキまで海路で移動する必要があるから、何としてでも移動手段を確保しなければならぬ。そこで、次善の策として、タリン主要港のフェリーを利用することに決める。市民ホールの東側へと歩いて移動すると、やがて主要港が見えて来た。付近には立派なレストランやショッピングセンターがあるから、やはりこっち側が港の中心だったのだな。あちこちに、大型フェリーや豪華客船が停まっていて、すこぶる立派だ。横浜の大さん橋などは、規模の上で完全にタリン港に負けているぞ。

 さて、汽船ターミナルに入ると、さすがに早朝だけに構内はガラガラだった。ここには、ヴァイキング・ラインとタリンク・シリア・ラインの2路線あるらしい。受付に行って、とりあえずヴァイキング・ラインの早朝発フェリーのチケットを買った。値段は、26ユーロ(約3,500円)で消費税(VAT)は不課税であるから、所要2時間半の大型フェリーの乗船券としてはリーズナブルである。しかし、早朝7時の出発とは、想定外の早さだったな。まあ、早めにヘルシンキに着いた方が、いろいろ見て回れるから良いだろう。おそらく、タリンは今日で飽きる気がするからな(笑)。

 さて、ヘルシンキへの移動手段を確保出来て安心したので、タリン旅行に戻ろう。

 

カドリオルクへ

 メトロポル・ホテル前を通過して、ロッテルマン地区を南下して、ナルヴァ街道に出る。ちょうど、お気に入り(?)のスーパー「ヴィル・ケスクス」前のトラム停で、3番トラムを待った。今日は、このトラムに乗って街の東側を散策する予定なのだ。

 トラムに乗ったら、10分程度で終点カドリオルクに着いた。小さな街だからな。

 なお、タリンにはトラムが4路線しかない。それも、似たような道を中途半端に被りながら走っているから、あまり賢い路線設定に見えない。それでも、バスの種類がかなり多いから、市民生活に不便は無いのだろうけど、そう考えれば逆に、トラムそのものが要らないような気もしてくるな。まあ、トラムが無いヨーロッパの街は、とても寂しく味気ないわけだが。

 さて、カドリオルクだ。これはエストニア語で、カドリの谷という意味らしい。カドリとは女性の名前で、ロシア読みだとエカテリーナになる。すなわち、ここはピョートル大帝の后であり、夫の死後にロシア皇帝に即位したエカテリーナ1世に由来のある土地なのだ。

 個人的には、ピョートル大帝とエカテリーナ1世に以前から興味があるのだが、本国ロシアではなくエストニアでその事績に触れられるのは意外である。今日のエストニアを中心とするこの地域は、もともとスウェーデン領だったものを、「大北方戦争(1700-21年)」でロシアが奪い取ったものだ。その後、ピョートル大帝は、愛する后のために宮殿を建てた。それが、カドリオルクというわけだ。そもそも、エカテリーナはこの地方出身者らしい。

 さて、トラム停はカドリオルク庭園の西端にある。そこから大通りを東に向かって進むと、左右に緑の広大な庭園が広がる。庭園の中には、遊歩道や噴水、それに児童公園など散見されるけれど、ウイーンのシェーンブルンあるいはポツダムのサン・スーシに比べると、整備にカネを掛けていない感がありありだ。まあ、ピョートル夫妻は、そもそもエストニアの英雄では無いからなあ。

 庭園の途中に、カドリオルク宮殿、ミッケル博物館などがある。興味深く眺めつつ、さらに東に進むと、大統領官邸だ。ちょうど、10時ちょうどの衛兵の交代式の最中だった。ベージュ色の地味な建物の入り口で、約4名ずつの銃剣を構えた衛兵が交代式をやっている。その前には、カメラを構えた観光客が10名ほど。・・・地味だねえ。

 過去に旅行で訪れた経験では、ヨーロッパ諸国の国家元首周りは、ガードマンや兵士による警戒が非常に緩い。なぜなら、これらの国々は、国家元首と国民との距離がとても近い上に、国家元首が自分の仕事と生き様に誇りを持っているので、暗殺される可能性を考えないからだ。だからこそ、エストニア大統領官邸の周囲はとても地味なのである。

 そういえば、チェコ大統領などは、観光名所プラハ城の中に普通にいるけど(笑)、暗殺されたり暴漢に襲われたりという話は聞いたことが無い。北欧諸国もそうだ。これらの国では、国王や大統領が、護衛を付けずにその辺りを普通に散歩しているらしい。

 逆に言えば、俺が知る限り、国家元首の周囲にあんなにガードマンやSPを並べる国は、アメリカや中国や北朝鮮など、むしろ少数である。それは、政府要人に「悪政をやって国民を苦しめている」という自覚があるからであって、日本もその例外ではない。日本国民は、この客観的事実を、もう少し重く考えた方が良いと思うぞ。

 

KUMU美術館

 などと考えつつ、さらに庭園の奥に進む。行き止まりの右側に見えて来たのが、KUMU美術館だ。ここには、エストニアの近代美術が集められているらしい。

 青いガラス張りの、いかにも「近代」美術な建物だ。ガラス張りのドアを押し開けて館内に入ると、無人で殺風景だ。俺とほぼ同じタイミングで入館した女性客も、戸惑いの表情を隠せない様子。しかし、エストニア文化に慣れつつあった俺は、女性を置き去りにして通路をさらに奥へと進む。すると、カフェやチケット売り場や売店が置かれたスペースが現れた。

 この国は、とにかく地味なのである。寒くて天気が悪い日が多いからだろうけど、ドアや窓は常に締め切っている。おまけに、入口に看板や告知も無い。そのため、ドアを開けて中に入ってから、さらに行動しないと、その店や施設が開いているかどうか分からないのだ。中には、本当に閉館している場合もあるから面倒くさい(すでに、高速艇チケット売り場や建築博物館で経験した)。

 ともあれ、チケット売り場のオバサンにタリンカードを提示すると、有効期限内であることを端末でチェックしてから、シールをくれた。昨日の野外博物館と同じ手順だが、シールの色とデザインが違う。タリンカード用のシールは、各施設で全部違うようなので、全部集めるのもスタンプラリーみたいで楽しいかも。

 このシールをジャンパーに貼ろうとしたら、大柄な係員のお爺さんが近づいて、ジャンパーとカバンをクロークに預けるよう指示して来た。意外と、マナーに厳格な美術館なのだね。指示に従って身軽になると、シールをセーターに貼って美術見学開始。

 ロビーから緩いスロープを上って展示室に入る構造は、上野の西洋美術館に似ているかも。この美術館は、企画展示室を含めて5階ある。2階は、18世紀以降の絵画や彫刻が中心。3階は、第二次大戦前後の絵画が中心。4階は、ソ連に支配されていた冷戦期の美術が中心。5階は、特別企画で前衛美術をやっていた。いずれも、この国の歴史とシンクロしているので、歴史好きにとって楽しい美術館と言えよう。

 印象的だったのは、第二次大戦末期のヒロシマの惨状を描いた絵画群だ。この国は同時期、ナチスとソ連に挟まれてたいへんな苦難に置かれていたはずなのに、それでもヒロシマに想いを寄せてくれていたのか。素直に感動である。

 2時間近く廻って十分に堪能した。素晴らしい美術館だな。ヨーロッパの美術館は、いつも客が少ないのが良い。日本(特に東京)の博物館や美術館は、少しでも油断すると大行列の大混雑に巻き込まれ、展示を見ているのか人混みを見に来たのかまったく分からなくなる。その限りでは、少子高齢化で人口が激減するのは良いことではないだろうか?

 いずれにせよ、美術品は海外の美術館でゆっくり見るのが一番だ。

 土産屋でネクタイでも買おうかと思案したのだが、高い割にはデザインがダサかったので断念した。美術館のくせに、売り物のデザインが良くないのは感心しないな。

 

カドリオルク宮殿

 今回の旅行の目的は、世界最高のIT先進国の実態を見ることである。その割には、今のところ普通に観光名所を回っているだけだけど、楽しいから、まあいいか。

 次の目的地は、ピョートル大帝が生活していたといわれる小さな屋敷である。KUMU美術館の近くなので行ってみたのだが、入口のドアは固く閉ざされていたから、どうやら休館らしい。だけど、扉付近には何の情報も書いていないから、ドアを押し引きしてみないと開いているかどうか分からないのが面倒くさい。まあ、これがエストニア文化ということだろう。

 次に、元来た道を引き返して、大統領官邸をスルーして、カドリオルク宮殿にやって来た。地味さが身上のエストニアの観光物件にしては、入口付近に何本も幟が立っていて、派手に宣伝している。幟の一つに、300という数字が乱舞しているので読んでみると、この宮殿は1718年に建てられたもので、今年でちょうど300歳になるのだ。つまり、大北方戦争中に建てられたということか。なかなかの古さだね。

 しばし、宮殿正面のベンチに座って全容を眺める。やはり、ロシア風の建築は、西欧風とはかなり雰囲気が違う。考えてみたら、ロシア風宮殿は、これが初めての経験である。勇躍して館内に入り、チケット売り場にタリンカードを提示してシールを貰い、それをジャンパーに張り付けて館内を見て回った。ここは、ちょっとした美術館になっていて、ピョートル大帝夫妻の肖像画をはじめ、様々な絵画が目を楽しませてくれる。それ以上に、宮殿の意匠や構造などが面白い。やっぱり俺は、先進IT国家の現実より、昔の事物が好きなのだった。

 ・・・ピョートル大帝の小説を書くべきだろうか。

 最近の我が国では、子供の個性を精神疾患と見なして、若いうちから潰す動きが加速化している。しかしながら、歴史上の偉人や英雄を広く見ると、彼らは精神疾患スレスレの個性の者が多い。だから、そういった存在を芽のうちに潰すことは間違いだろう。多少、周囲に軋轢を生むことがあるにしても、その特異な個性を優しく見つめて育てるべきである。

  ピョートル大帝は、明らかに重度のADHDで、それゆえに周囲に様々なトラブルを起こした人だが、結果的に彼が成し遂げた偉業を見よ。遅れた農業国だったロシアを、わずか1代で世界大国に成長させたではないか?

 つまり、ピョートルのADHDぶりを強調し美化する小説を著すことは、今の日本の閉塞感を少しでも打破する上で有効なのではあるまいか?

 もっとも、最近は本業(?)の会計がらみの仕事が忙しくなりすぎて、ろくに小説を書く暇が持てないのだが。などと考えながら、カドルオルク宮殿を出るのだった。

 

ミッケル博物館、遅い昼食

 宮殿を出て右側(北側)にも公園の敷地が広がり、その北端に巨大な記念碑が遠望できる。その向こう側は、おそらくバルト海だろう。当たり前だが、なかなか風光明媚な良い場所に宮殿と公園を作ったものである。そういうわけで、北側に心惹かれたものの、左折して元来た道路(南側)に戻る。まずは、この道路の向こう側にある「ミッケル博物館」に行くのだ。

 これは、元々宮殿の厨房だった建物を、好事家のミッケル氏が私蔵の珍品を寄贈して博物館にしたものである。カドルオルク宮殿に比べるとかなり小さい可愛らしい建物で、そのせいか受付のオバサンは、タリンカードのチェックはしたものの(もちろん無料)、シールをくれなかった。ケチだなあ(悲)。まあ、狭いし客も少ないから、顔パスで問題ないのだろうね。

 この建物は、スペースは狭いものの2階建てで、内部にびっしりと宗教装飾を中心にした美術品が飾られている。似たような宗教美術はワルシャワ国民博物館でも見学したけれど、あちらはカトリックなのに、こちらはロシア正教が中心だ。俺は信仰心ゼロだけど、これはこれで、とても味わい深くて楽しい。美しいものは、素直に美しいのだ。

 すっかり満足したので、博物館を後にする。宮殿前を横切って、記念碑とバルト海を見るために北上した。しかし、あいにくの曇天で、海の景色は楽しそうではない。海辺に行くためには、かなり交通量の多いナルヴァ通りを北側に渡る必要があるし。そこで、道路の南側に沿ってタリン旧市街方面に歩くことにする。

 時計を見ると、午後2時だ。実は、下腹部の具合を極度に警戒していたのだが、どうやら今日は大丈夫そうである。ならば、昼飯でも食うか。

 しかし、この沿道にはレストランが見当たらない。それでも、庶民向けの小さなスーパーがあったので、そこに入ってみた。さて、世界最先端のIT国家における庶民向けスーパーは、どんなものだろうか?

 ここは、野菜やパンなどの食料を商う普通のスーパーだ。レジのシステムも日本と同じ。オバサンが座っていて、お金を払うとお釣りをくれる。どの辺が、世界最先端のIT国家なのか、依然として良く分からないなあ。俺は、とりあえずジャムパンを持ってレジに並んだ。

 レジでお釣りを受け取る際に0.1ユーロを床に落としてしまったのだが、どこに行ったのか分からない。まあ、良いかと思った瞬間、近くでそれを見ていた3歳くらいの男の子が、脱兎のごとくレジの下に滑り込み、埃まみれになりつつ0.1ユーロを俺に届けてくれた。俺は満面の笑顔で、その子と近くにいた母親にお礼を言ったのだが、エストニアの子弟教育はレベルが高いんだな。誘拐して日本に連れ帰りたいわい(こら、こら)。

 さて、スーパーを出るとトラム停に向かう。とりあえず、3番トラムで旧市街方面だ。なかなか車両が来ないので、その隙に腹ごしらえしたいのだが、トラム停とその近くにはベンチが無い。仕方ないので、少し離れた場所の邸宅の門柱に寄りかかって(ここなら、通行人からは陰になって見えない)、さっき入手したジャムパンを立ち食いした。これで、今日の昼食は完了だ。

 ところで、エストニアの何がIT先進国かと言えば、行政サービスのほとんどが電子化されていて、戸籍や住民票などが紙の形で保管されていないところ。だったら、一介の旅行者には関係ないし、気づくことも出来ないね。

 どうして北欧諸国でIT化が盛んなのかと言えば、経済規模の割には人口が少ないので、仕事を機械に代替させるニーズが強いのだ。また、一説によると、ロシアが侵略して来た場合に、行政文書が全て電子化されていた方が、国外への避難が容易になるだろうとの計算があるとか。その場合、サイバー攻撃を食らったら一網打尽じゃないのか?と逆に心配になるのだが、セキュリティ対策は万全らしい。

 日本の場合は、平和ボケというのもあるけれど、人口が無駄に多いので、下手に機械に仕事をさせると失業者が溢れてしまうという現実がある。役人の天下りとか、区役所や銀行の窓口だとか、いくらでも合理化の余地はあると思うのだが、この国は借金を増やしてでも、無駄な仕事に対して無駄な給料を支払う方法で社会を安定させているのだから仕方ない。

 ちなみに、エストニアには税理士がいないらしい。税制が非常に簡単なので、職業的専門家が活躍する余地が無いのだ。日本の場合は、税制や社会保険制度などが異常に複雑で難解なので、どうしても職業的専門家を使わざるを得ない。その裏には天下り利権があるのだが(実は、税理士の半分以上が天下り官僚である)、もともとの人口が多すぎるので、無駄な仕事やポストを増設・維持しなければ社会が成り立たないという事情があるのだ。

 これは、俺の30年来の持論なのだが、日本の適正人口は4千万人程度である。つまり、現状では8千万人が余剰なのだから、むしろ積極的に人口を減らした方が良い。そういう意味では、少子化というのは正しい自然現象なのである。

 我が国の一部の政治家は、子供を産まない奴から税金を取るべきだ!などと騒いでいるようだが、長期的な国益のためには、むしろ逆に、子供を産む奴から罰金を取った方が良いのではないかな?(笑)

 日本の人口が4千万人程度になれば、エストニアを見習って、社会全体を徹底的に合理化しIT化出来るだろうし、借金しないでも国家財政を回せるようになるはずだ。まあ、放っておけば自然にそうなりそうだが。

 

タリン動物園

 などと考えているうちに、トラムに乗って旧市街に戻って来たぞ。

 なんとなく身体がだるい。もしかすると、風邪をひいたかもしれぬ。どこかで風邪薬を調達しないと。

 それでも、俺は前へ進まなければならぬ。なぜなら、タリンカードの有効期限は今日の179分。それまでに、より多くの交通機関に乗り、より多くの施設を回らなければ元が取れなくなるのだ!(どケチ)。

 とはいえ、交通機関を駆使した有料施設といえば、動物園しか思いつかない。そういうわけで、メレ通りの入口付近で3番トラムを降りると、旧市街のヴィル門まで徒歩移動して、そこで21番バスを捕まえた。昨日と同じルートで、タリン動物園を目指すのだ。本当は、ここには昨日行くはずだったのだが、う〇こ騒動で延期したので、無駄な機動という気もするが仕方ない。

 動物園の正門前は、若者や小さな子連れの家族で混んでいるから、これは期待できそうだぞ。長い行列を克服し、受付にタリンカードを提示したら、オバサンが俺の後方を指さして「WallWall!」って。そこで後ろ側の壁をよく探してみたら、トラム車両備え付けの端末に似た形の小さな機械が貼ってある。ここにカードを押し当てて認証させるシステムだった。とりあえず、無料で入場することに成功したものの、ここでもシールは貰えずじまいか。

 さて、動物園だ。海外の動物園は、オーストリア、オーストラリア、ドイツ、チェコに続いて5つ目だ。しかし、ここタリン動物園は、非常に残念だった。白樺の森に周囲を囲まれ、エストニア名物・木製水車があちこちに建つ独特な雰囲気は良いのだが、肝心の動物が少ない上に、厩舎で休憩中だったのか、ほとんど見える場所にいないのである。しかも、曇天で寒風が吹いて寒い。おまけに、こちらは風邪気味と来た。それでも、せっかく来たのだから、根性で奥まで見て回ったのだが。

 客の多くはロシア人だ(話し言葉で分かる)。そして、ロシア人の幼女をこんなに大量に間近で見られる機会はレアであるから、その限りでは、ロリコン的には貴重な経験だったと言えようか。

 げへへへー。可愛いロシアのお嬢ちゃん。うん〇臭いオジサンは好きでちゅか~?

 一通り見て飽きたので、裏口から園外に出たのだが、正門側とまったく異なる地形なので道に迷った。スマホを起動させて現在地を把握し、かなりの距離を歩いて、俺の排泄マーキング場所の一つであるスーパー「ロッカ・アル・マーレ」を発見。ようやく、馴染みのバス路線にたどり着いたのであった。

 途中の沿道で、武骨な集合住宅をいくつも見かけた。チェコでも似たようなものをいくつも見たが、明らかに社会主義時代に大量建築された粗悪アパートだ。ここエストニアでも、チェコと同様、せめて建物の外壁を明るい色に塗り替えているのが微笑ましい。彼らは、こういうのは、あまり観光客に見られたくなかっただろうな。

 さて、43番バスに乗って鉄道駅へ。時計を見ると16時半だから、ちょうど良い感じにタリンカードを使い切れるペースだ。もうこの国では、出国まで公共交通機関を使わない予定である。

 

タリン旧市街とのお別れ

 鉄道駅でバスを降りて、タリン旧市街に入った。

 昨日も気付いたことだが、旧市街の入口にボリス・エリツィンのレリーフが飾ってある。彼は、日本では酔っ払いのダメ大統領のイメージが強いのだが(笑)、ロシア人でありながら冷戦終結直後にバルト三国の独立を積極的に支援してくれた政治家なので、エストニアにとっての大恩人なのだ。こういった価値観の相対性に気付けるのも、海外を周遊する楽しみの一つである。

 さて、タリン旧市街におけるこの夕方の目当ては、「タリン市歴史博物館」と「聖ニコラス教会」の美術だったのだが、意外なことに、どちらも閉館していた。『地球の歩き方』によると、ちゃんと開いている日時のはずなのだが、このガイドブックはあまり信用できないからなあ。

 仕方ないので、昨日も行った土産屋(HAAD ROAD)に行って、土産品を追加で買った。それからラエコヤ広場に行き、晩飯スポットを物色する。ううむ。やはり、トナカイやボアやクマの肉に惹かれるなあ。だが、店の外に置かれたメニューをよく読むと、これら珍品は特別料金になっていて、かなり高い。それに、高級肉をがっつり食うほど空腹でもない。

 悩みながら歩いているうちに、広場の端にあるハンバーガー・ショップ「BURGER&RIBI」に心惹かれた。とりあえず休憩したくなったので、ここに入ることにする。ビール1杯と、ブルーチーズ入りベーコンハンバーガーを注文したら、これがなかなかのボリュームで、しかも物凄い美味だった。人生の中で、こんなに美味いハンバーガーを食べたのは生まれて初めてだ。お代は全部で17.8ユーロだから、約2,500円。休憩に寄ったにしては、ちょっと高くついたような気もするが、美味かったから満足じゃ。

 なんとなく満足しちゃったので、夕飯はこれで終わりにするか。その後は、旧市街をそぞろ歩きしながら、有名な幽霊通り(ヴァイム通り。中世の殺人事件の犠牲者の幽霊が出るという)を見学し、あるいは土産屋を物色しつつ、旧市街観光に終止符を打つことにした。

 タリンは、なかなか素敵な街だったけど、たぶんもう二度と来ないだろうなあ。

 ヴィル門から旧市街を出ると、スーパー「ヴィル・ケスクス」で明日の朝食用のパンとポテトチップス、ジュースなど買い込んで、ホテルで楽しんだ。ポテチは、お気に入りのRaysのスプリングオニオン味。ジュースはグアバジュースだ。Raysのポテチは日本でも買えるけれど、なぜかヨーロッパのものに比べると不味いのである。そして、グアバジュースは、日本ではなかなか飲めない。美味しいし健康にも良さそうなのに、どうしてだろう?などと思いつつ、シャワーを浴びてベッドに入った。

 明日は、6時にはホテルを出なければならない。

 

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