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世界旅行記

ロシア旅行記

9月13日 金曜日 サンクトペテルブルク到着


出発

モスクワ空港

サンクトペテルブルク到着

サンクトペテルブルクの地下鉄

アトリウム・ホテル


 

出発

 

 さて、13日の金曜日である。

 仕事を休んだ早朝からの出発で、今回は東京駅から成田エクスプレスに乗った。なぜか15分ほど到着が遅れたので、若干焦りつつ、空港構内の旅行会社専用出発カウンターに急行し、パスポートとeチケットを入手した。今回は、ビザ取得の必要上、旅行会社にパスポートを預け放しにしていたのだった。

 さて、ロシア旅行の遂行には、かなり特殊な条件が必要だ。現地に入国し滞在するためには、ビザのみならずヴァウチャーの発給を受けねばならない。そのためには、「旅程表」をロシア大使館に提出して、審査を受けなければならないのだ。つまり、いわゆる自由旅行は出来ない仕様で、だからこそ俺もこれまでロシアに手が出せなかったのである。ところが、近年になっていろいろと緩くなり、旅行会社経由で実質「自由行動」な内容の旅程表を出せば、それだけでヴァウチャーを貰えるようになった。また、近年のオリンピックやワールドカップの成功により、かなり治安も良くなり英語も通じるようになったとか。それで、ようやく行く気になったというわけだ。

 今回の旅行会社(必ず通す必要あり)は、ファイブスタークラブを選んだのだが、当然ながら、ビザやヴァウチャーの取得手数料をそれなりに取られた。ホテルは、旅行会社が勝手に予約してロシア政府に報告済み。仕方ないのである。

 さて、旅行会社のカウンター近くに両替所があったので、とりあえず50,000円を両替した。ところが、1円2.25ルーブルの極悪交換レートで、22,200ルーブルしか入手出来なかった(新聞などで見る相場は、1.6から1.7のはずだが)。しかも、これを円に戻すときは1ルーブル1.5円の更に不利な交換レートで換算すると窓口で言われた。いったい、これは何の罰ゲームなのだ?日本政府は、ロシアが北方領土を返さないから、日本人旅行者に意地悪して、向こうにお金を落とさせないようにしているとか?安倍政権なら、陰湿で嘘つきだから、やりかねない気もするが。

 などと首を傾げつつ、アエロフロートの受付カウンターに移動して航空券を入手する。荷物(ボストンバック1個だが)は全て、機内持ち込みだ。海外保険は事前に加入済みだし、後はすんなりと出国手続きを済ませてから構内に入り、カツカレーなど喫茶店で食いつつ(不味かったが)、12:15発のSU261に乗り込んだ。なお、SUというのはスホーイではなくて、ソヴィエト・ユニオンの略らしい。未だにソ連を引きずっているのかい!

 いちおうこの機体はエアバスだと思うのだが、エコノミーシートは狭くてあまり心地良くない。さすがはアエロフロート。ただし、内側の通路に面した席だったので、トイレに行きやすいのはラッキーだった。それにしても、ロシア人のCAたちは期待したほどには可愛くないぞ。そして、飯はあまり旨くなかった。俺の隣に座ったのは、日本人の中年に成りかけた女性だったのだが、特に会話はしなかった。

 機内映画は、『翔んでさいたま』を観たのだが、面白くなかった。内容が無茶苦茶に幼稚なだけでなく、全体的にミスキャストだと思う。ガクトと二階堂ふみは、決して嫌いではないのだが、「この役じゃないだろう」と強く感じた。こんなのが、最近の日本映画最大のヒット作だというから愕然とする。もはや、邦画そのものが(あるいは日本そのものが)オワコンということだね。

 気を取り直して、機内オーディオで音楽を聴いたのだが、その途中で突然、機内全てのエンターテインメント機器が不調になり、リセット状態になってしまった。さすがはアエロフロート!まあ、墜落さえしなければそれで良い。

 仕方がないので、読書ざんまい。そして、4回目の『白夜行』(東野圭吾)は、相変わらず面白い。なんで今更『白夜行』なのかと言えば、今回のロシア行に備えて『罪と罰』(ドストエフスキー)を読み返したところ、それなりに感銘を受けたので、類似テーマの小説を再読したくなったというわけだ。

 

モスクワ空港

 

 シートが悪いせいか、あまり眠れなかったのだが、『白夜行』のお陰でほとんど退屈しないで9時間半を乗り切り、モスクワ・シェレメチェヴォ空港に到着した(時差6時間で現地時間は16時半)。

 アエロフロートは頻繁に墜落するので、「無事に到着すると乗客の間で歓声と拍手が起きる」と噂に聞いていたのだが、そういうことは無かった(笑)。しかし、30分遅れの到着だぞ。もともと、サンクトペテルブルク行きの乗り継ぎ便まで1時間しかない設定だったので、つまり残り30分以内に、初めての空港構内を高速移動しなければならぬ!

 焦ってはみたものの、荷物検査がそれなりに厳しかった上、乗り換え便への移動経路を探しあぐねて時間を無駄にしつつ、しかも入国審査で並んだ。

 意外なことに、入国審査自体は、予想外にサクサクと進んだ。どうやら入国管理の係官は、手元ブース上の端末から、オンラインで俺の個人データを参照できるらしい。そして、ビザ申請時に登録した内容と俺の顔とパスポートを照合して、それで終わりと言うわけだ。

 いちおう、ロシア入国時には「入国カード」を書かなければいけないはずなのだが、俺は機内でその用紙を入手できなかった(CAが用紙を配らなかった)ので、どうなることかと思っていたら、それも係官が勝手に端末からプリントアウトして、そこにスタンプを押すのだった。そして半分に破って、無言で半きれを俺に渡した。どうやら「帰国カード」がこれらしい。ロシア出国時に必要になるはずなので、とりあえずパスポートに挟んでおくことにする。

 ロシアは、つまり、日本より遥かに電子化が進んでいるというわけだ。っていうか、日本の電子化が遅れすぎていてヤバいのだ。我が国は相変わらず、紙とボールペンで入国カードや税関申告書を書かせる仕様だからな。

 さて、大急ぎで乗り継ぎ便を目指したのだが、途中で国内便ブースの前を通りかかったところ、職員のお姉さんに止められた。「航空券を見せろ」と言うので渡したら、彼女はそれを破いて、端末から新しい航空券を発行してくれた。どうやら、俺が乗るはずだった便は先に飛び立ってしまったので、代わりの航空券をくれたのだ。次の便は、なんと3時間後。飛行機に置いてきぼりを食わされたのは、俺にとって初めての経験なので、さすがに動揺したのだが、ロシア美人の金髪姉さんは、冷静にいろいろ英語で指示してくれて、しかも「コーヒー1杯無料券」をくれた。

 アエロフロートは、いつも遅れるので、職員はこういう状況に慣れているのかもしれない。それはそれで、怖いな(笑)。仮に、後発便に空席が無かったら、俺はどうなったのだろうか?いずれにせよ、自分の荷物は全て機内持ち込みしていたので、荷物ロストの危機を回避できたのは良かったわけだから、物事の良い面を見ることにしよう。

 さて、そこからが長かった。かなりの距離を歩き、さらに構内電車に乗って移動し、この空港の反対側に位置するBターミナルに到着。ただし、ここは様々なお店が並ぶ楽しい場所だった。いきなりチェコ料理屋があるぞ。ベトナム料理屋もあるぞ。

 さっそく、チェコ料理屋「クロショビッチェ」に入って生ビール(400ルーブル)で人心地。店内の大型スクリーンにはプラハの映像が流れまくりで、郷愁をそそられる。ああ、チェコに行きたくなった。って、モスクワ空港まで来て何を言っているのだ、俺は?(笑)

 

 微妙に小腹は減ったものの、あまり食べたいものがない。ベトナム料理屋のフォーが美味そうではあるが、わざわざロシアでフォー食べるか?という問題。

 せっかくなので、職員のお姉さんに貰った「コーヒー1杯無料券」を使おうと思ったら、入ったカフェで断られてしまった。いったい、どの店で使えるのだ?この券は?(苦笑)

 

サンクトペテルブルク到着

 

 結局、土産屋を冷やかしたり読書したりするうちに時間は過ぎ、いよいよサンクトペテルブルク行の機体SU30に乗りこんだ。これは、さすがに国際便より小型の機体だったのだが、20時30分発のエアバスには、ちゃんとサンドイッチが付いていた。今日の夕飯は、この不味いサンドイッチで終わりでも良いかな。

 漆黒の低空を、ほとんど直線距離で突破した機体は、やがて滑らかにサンクトペテルブルク・プールゴヴォ空港に到着した。時に22時ちょうど。

 想定外に遅い時間の到着になった。とりあえず、意外に小ぶりな空港構内の売店で、ペットボトルのミネラルウォーター(75ルーブル)を買い、バス停を目指す。

 39番バスが、市内の地下鉄駅まで行くはずなので、空港前のバス停で飛び乗った。すると、小太りのオバサンが近寄って来て手のひらを差し出す。なるほど、これが車掌なのだな。財布から40ルーブルを取り出して渡すと、オバサンは腰のハンディ端末からプリントアウトして紙の切符をくれた。

 今どき、現金払いの車掌システムってどうなのよ?と思ったものの、いちおうICカードの読み取り端末も車内に設置されていて、一般現地人はSUICAと良く似たシステムのICカードで乗っているようである。つまり、車掌システムは、「外国人+老人専用&オバサンの雇用対策」なのかもしれないね。

 さて、バスは空港からモスクワ大通りをまっすぐに北上し、30分ほどで終点「モスコフスカヤ」駅に到着した。市内中心部からかなり南に離れた中途半端な場所が終点なのだが、大好きなプラハもその点では同じ仕組みなので、ここで文句を言う気はない。

 ここから地下鉄2号線に乗り換えるべきだが、バス停のすぐ横が地下鉄駅だった。

 

サンクトペテルブルクの地下鉄

 

 さて、サンクトペテルブルクの地下鉄に乗るためには、ジェトンと呼ばれるコインを買う必要がある。駅の階段を降りると、すぐに切符売り場を見つけたので、そこに並んでジェトン5枚を(45ルーブル×5)を入手した。1,000ルーブル札で買ったところ、売り子のオバサンはかなり時間をかけて悩んでから、釣銭の種類を選別した。次第に気づくことだが、ロシア人は万事、生真面目で几帳面なところがある。

 ロシアの地下鉄の乗り方は、日本の都市部のそれとほぼ同じである。入口に自動改札機があって、そこにICカードを当てるかジェトン1枚を投入することで、ゲートが開いて構内に入れる仕組み。ただし、自動改札機の前には、必ず金属探知ゲート(警備員付き)が置いてあるので、まずはそこを潜る必要がある。ロシアは、公共交通機関や空港でテロが頻発している国柄だから、こういうところに気を遣うのだろう。そこが、日本との最大の違いである。

 実はICカードの入手についても検討したのだが、今回は滞在期間が短いので、ジェトンで済ませることにした。そもそも俺は、歩き回るのが好きなので、あまり公共交通機関を使わない可能性もある。それに、デポジットや使い切れなかったチャージ金額の精算などを考えると、ICカードはむしろ面倒くさくて不便だろうと思案したのだ。

 さて、首尾よく自動改札機のゲートを開けて、ホーム行きのエスカレーターを下る。長い、長い、ものすごく長い。駆動速度は日本のものより遥かに早いのに、乗ってから降りるまで3分近くかかった。つまり、異様に深い位置にホームがあるのだ。それでも、ケータイの電波が入るから偉い。少なくとも、2013年時点のロンドン(1階分地下に入っただけで電波が無くなる世界)より、だいぶマシである。

 さて、サンクトペテルブルクの地下鉄ホームは、プラハほどではないけれど、お洒落で美麗な内装空間である。このセンスは、少しは日本も見習って欲しいな。

 そして、ホームと列車の間は、完全なホームドアで仕切られている。「完全な」というのは、日本のような腰の高さの中途半端なドアではなく、床から天井までを完全に遮断するシャッターなのだ。これなら、人身事故など絶対に起きっこない。これも、日本は見習うべきかもしれない。ただし、完全に停止するまで列車の姿を目視できないので(音しか聞こえない)、その列車が左右どちら側から走って来たのか全く分からない。つまり、逆方向に乗り間違えるリスクが高いので、慣れないうちは不便だろう。

 それでも、ホームの案内表示は、なかなか視覚的に分かりやすく親切なので、どのプラットホームがどこ行きなのか、すぐに分かるように出来ていた。また、サンクトペテルブルクに全部で5路線ある地下鉄は、プラハの地下鉄と同様に、綺麗に色分けされているので見分けやすい。

 そのため、俺は間違えることなく北上し、6つ目の「センナヤ広場」駅で4号線に乗り換えた。そこから東進して3つ目の「アレクサンドル・ネフスキー広場1/2」駅が目的地だ。ん?1/2って?

 ロシアの地下鉄駅は、名前の最後に1/2と書いてある場合がある。最初は意味が分からなかったのだが、これはどうやら、異なる地下鉄路線が同じ名前の駅(プラットホームはもちろん違うが)に停車する場合に付けられるようだ。つまり、3号線と4号線が、どちらも「アレクサンドル・ネフスキー広場」を停車駅とする場合、3号線の駅名は「アレクサンドル・ネフスキー広場1」で、4号線の駅名は「アレクサンドル・ネフスキー広場2」と区別する。この両方を並べて地図に書くのはたいへんなので、便宜上「アレクサンドル・ネフスキー広場駅1/2」と表記するわけだ。

 日本人の感覚では、「全ての路線の駅名が共通でも良いじゃん?」となるのだが、ロシア人は、いちいち「1」とか「2」とか分けないと気が済まないようなのだ。ある意味、生真面目である。

 ちなみに、地下鉄の乗換駅であったとしても、それぞれのプラットホーム間にある程度の距離がある場合は、駅名そのものを完全に変えてしまう。たとえば、2号線の「ネフスキー大通り駅」と3号線の「ゴスチーヌイ・ドヴォール」駅は、かなり近くて、地下通路経由で容易に乗り換え可能なのだが、路線が違うので名前も違う。これこそが、ロシア的生真面目さの一端なのかもしれない。

 さて、4号線の「アレクサンドル・ネフスキー広場2」駅に到着したぞ。もはや23時なので、早めにホテルにチェックインしたいところだ。とりあえず地表に出たいのだが、4号線から直結の出口にロープが渡されていて、進入禁止となっていた。これは、いったいどういうことだ?外に出られないの?

 しばしウロウロしていると、ホームにいたお姉さんが、怒ったような顔で俺を見て、それから3号線への乗り換え口を指さした。どうやら、この時間帯は3号線のプラットホーム経由じゃないと外に出られないらしい。とりあえず、お姉さんにロシア語でお礼を言ってから、3号線のプラットホーム(つまり「アレクサンドル・ネフスキー広場1」だ)を端から端まで縦断して、やっと長大なエスカレーターに辿り着いた。約3分かけて上昇し、やっと外の空気を吸うことが出来たぞ。

 駅を出る時は、自動改札機は自動的に開く仕組みで、金属探知ゲートを通る必要もない。結果的に、この出口で正解だった。ホテルへの最寄り口は、こちら側だったので。

 

アトリウム・ホテル

 

 さて、この地下鉄の駅ビルは、ホテル兼デパートになっていた。ビルの中には、マクドナルドもあるぞ。そして、眼前にはアレクサンドル・ネフスキーの騎馬像が立つ大きな広場がある。なるほど、駅名の由来が分かった。そしてこの騎馬像こそが、サンクトペテルブルク最大の目抜き通りである「ネフスキー大通り」の起点であるようだ。

 アレクサンドル・ネフスキーは、13世紀の英雄である。この地域(正確にはノヴゴロド公国だが)を基盤に活躍し、スウェーデンやドイツ騎士団の侵略軍を片端から撃破した軍事天才で、セルゲイ・エイゼンシュタインの歴史映画の主人公としても有名である。つまり、チェコで言えばヤン・ジシュカみたいなタイプの守勢の英雄なのだが、この地域の人々は、この街を築いたピョートル大帝よりも、むしろこの人を尊敬しているらしい。

 そして、まさに騎馬像があるこの広場において、アレクサンドルの軍勢がスウェーデンの侵略軍を打ち破ったのだった(ネヴァ川の戦い。1240年)。それを記念して、付近には修道院や偉人たちの集合墓地があるらしい。

 さて、この通り沿いに2ブロック北上したところが、今夜の宿アトリウム・ホテルのはずである。荷物を担いでのんびり歩く。周囲は真っ暗だが、意外と人出はあるし、治安もなかなか良さそうだ。

 スマホ地図を頼りに目的地の前まで行くと、民家を改造したような小さなホテルだったので拍子抜けした。

 チェックインの手続きは、意外と簡単だった。空港の入国審査時と同様、フロントの端末に俺の個人情報が入っているので、それと俺が提出したパスポートやヴァウチャーの内容とを照合すれば手続き完了である。宿泊カードも、受付のオバサンが勝手にプリントアウトしてスタンプを押すだけなので、俺は黙ってその作業を見ていれば良かった。

 受付のオバサンは、ロシア人にしては不美人だったのだが、片言の日本語で挨拶してくれたりと、なかなか愛想が良かった。そして、フロントで渡された3階308号室の部屋の鍵は、今どき珍しい鍵穴式のごっつい奴だった。

 エレベーターがフロントの裏にあったのだが、小さくて古そうで、なんだか怖い。そこで、地味だけどシックな雰囲気の階段を歩いて上り、樫の分厚い扉を押し開けて3階に入った。各階フロアへの入口と階段の間に、いちいち分厚い扉があるのに違和感を覚えたのだが、これはおそらく寒い国の特徴である。寒い国は、なるべく室内の扉を多く設ける工夫で、気温低下を阻止するのである。エストニアやフィンランドが、まさにそんな感じだった。

 鍵穴に巨大な鍵を押し込んで、ぐりぐりと何度も回し、ようやく部屋に入ることが出来た。狭くて小さな部屋で、シャワー室には湯船も無いのだが、どうせ夜は寝るだけである。備え付けの小型金庫は、シンプルな構造で使いやすそうだ。

 荷物を置いたり整理したりを済ませてから、さっさと下着姿になると、歯を磨いてとっととベッドに潜り込んだ。

 さすがに深夜0時だから、今日はもう寝る。

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