歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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世界旅行記

ロシア旅行記

9月15日 日曜日 エルミタージュ美術館


朝の散歩その1

ピョートル大帝の話

朝の散歩その2

ナチュラ・シベリカ

カフェ・ゴースチ

エルミタージュ美術館その1~冬宮

エルミタージュ美術館その2~貨幣博物館

エルミタージュ美術館その3~旧エルミタージュなど

レニングラード包囲博物館

ロシアの雑貨屋

ゴースチ再び


 

朝の散歩その1

 

 6時半に起きてシャワーを浴びる。7時過ぎになってからレストランに行ったのだが、今日は客が極端に少なかった。メニューは昨日とまったく同じ。仕方ないので、昨日パスしたメロンとスイカに挑戦してみよう。なんだ、この旨さは!メロンとスイカって、こんなに美味い食べ物だったのか!と、びっくり仰天。思わず、これらばっかり食いまくってしまったぞ。

 ロシアが、メロンやスイカの名産地だとは意外だった。そういえば、カスピ海や黒海周辺には、水はけの良い産地があるよね。

 なんとなく満足したので、朝の散歩に出かける。今日の目的地である「エルミタージュ美術館」は開館時間が遅めなので、どこかで時間を潰す必要があるのだ。

 窓を開けて空を見ると、今日は曇りか雨の様で気温も低めである。そこで、セーターを着て、ジャケットも身にまとう。

 まずは、ホテルの前の道を東に向かおう。案の定、閑散としていて生活感ゼロだ。日曜の朝だからかもしれないけれど、ジョギングをする人もいない。自動車もほとんど通らない。プラハやワルシャワは、こんなこと無いんだけどな。と、首をかしげつつ歩いていくと、ネヴァ川に出た。なかなかの大河だが、コンクリートの堤防に厳重に守られていて川辺には降りられない仕様である。ここは、かなりキツい氾濫地域の暴れ川らしいから、これは仕方ないね。かすかに潮の匂いがするのは、河口付近だからだろうな。とりあえず、川沿いの遊歩道沿いに北上してみよう。

 遊歩道にも、人はほとんどいない。釣りをしているオジサン延べ2名とすれ違ったが、バケツを覗いてみるに成果ゼロのようだ。イスタンブールでは、朝6時から海岸に太公望が並んで釣果ザクザクだったのだが、こういう所を比較すると、サンクトペテルブルクは地味豊富とは言い難い。

 もともと、何も無いところに、300年前に、無理やり作った街なのだ。ここはその昔、一面の湿地帯だったのである。かつての英雄アレクサンドル・ネフスキーの戦場での大活躍も、ここが何も無い原っぱだったから起きたとも言える。

 

ピョートル大帝の話

 

 この何も無い湿地帯に街が出来たのは、ピョートル大帝(1672-1725)という一人の天才の意志によるものだ。

 かつてトルストイは『戦争と平和』の中で、「世の中は神の摂理によって動いているのであるから、個々の人間の営みなど大きな意味を持たない」といった趣旨のことを書いている。それはそうなのかもしれないが、中には例外もある。ピョートル・ロマノフという人物とその行動は、明らかにその例外である。彼は、間違いなく一人で人類史を転換したのだ。

 ピョートルが帝位に就いたころのロシアは、首都モスクワを中心とした中規模の内陸国であり、農業以外に産業を持たない貧乏国だった。しかし、少年時代から好奇心と冒険心の塊だった彼は、バルト海沿岸地域のドイツ系商人たちから知的刺激を受けた結果、ロシアの未来は、貿易による経済発展と文化交流以外に有り得ないと確信するに至る。

 貿易をするためには、まずは海を獲りに行く必要がある。バルト海を手に入れるためには、スウェーデン(バルト帝国)から土地を奪うしかない。黒海を手に入れるためには、トルコ(オスマン帝国)から土地を奪うしかない。しかし、スウェーデンもトルコも当時の超大国である。彼らに挑むのは物凄いリスクなのだが、ピョートルはそれをやり遂げた。

 スウェーデン相手の「大北方戦争」は、それだけでドラマチックなスペクタクルなのだが、語り始めると長くなるので詳細は割愛する。ピョートルは、その人生のほとんどをこの戦争に費やしたと言ってもよい。長期にわたる壮絶な死闘を制したロシアは、ついにサンクトペテルブルク周辺とバルト三国の領有権を獲得したのだった。

 サンクトペテルブルクの建設は、戦争と平行して行われた。この気候の悪い湿地帯を開発するために、4万人もの犠牲者が出たと言われている。ピョートル自らがここに座し、この街をロシアの首都と定めた。そして、嫌がる家族や家臣たちを、モスクワから無理やり呼び集めた。住民も強制的に駆り集めた。そして、この街に巨大な港を築き、ヨーロッパ諸国との交易に乗り出したのである。

 一方、南方のオスマン帝国との戦いは、ピョートルが生きている間は一進一退だった。しかし、彼の子孫たちは、先代の遺訓を胸にオスマンに挑み続け、この帝国を瀕死状態に追い込むこととなる。その結果、黒海沿岸の港もロシアのものとなった。ピョートルの執念は、子々孫々にまで影響を与え、ロシア帝国の在り方そのものとなっていたのである。

 まさに一世一代の大巨人ピョートル大帝。しかし、彼の思い込みの強さというか、一度決めたことは絶対に変えない偏執的なところや、奇妙なまでの生真面目さは、「ロシア人気質の典型」という気がする。

 そのような知識を基に、サンクトペテルブルクを見ていると、改めて見えて来るものがありそうだ。幾何学的な形状の街並みが、妙に生活感が薄かったり不自然なまでに美しかったりする理由は、この街が一人の天才によって築かれた人工都市であることに由来するのではないだろうか?

 過疎化しているように見えるのも、首都がソ連時代にモスクワに移転してしまったために、これまでサンクトペテルブルクを支えていた政治家や貴族や官僚が、根こそぎいなくなってしまったことが関係していると思われる。すなわち、一定の目的のために無理に築いた人工都市ならではの弱点である。

 

朝の散歩その2

 

 などと考えながら、川沿いの遊歩道をひたすら北に歩いていくと、行き止まりになってしまったぞ。大オーフチンスキー橋という巨大な橋がネヴァ川に架かっているのだが、そこを走る幅広な自動車道には横断歩道が無いので、道の北側に渡れないのだ。ここを渡れば、美麗なスモーリヌイ聖堂が目の前なので、せっかくだから近くで見たいぞ。

 仕方ないので、ネヴァ川を離れて横断歩道を西側に渡る。しかし、迂回路がなかなか見つかりそうにない。閑散とした自動車道沿いにひたすら西に歩いているうちに、無理して大聖堂に行く必要もないことに気付いたので、ここからは街の観察に切り替えた。

 ロシアの信号機は、歩行者用も自動車用も、どちらも時差式になっている。面白いことに、待ち時間が秒単位の数字で信号機上に表示されるのだ。それだけなら他の国にもあるかもしれないが、ロシアの信号機の待ち時間は、一機ごとに全部違うのである。たとえば、自動車の交通量が多い大通りの歩行者の待ち時間は67秒だけど、そうでもない道なら34秒とか、秒単位でかなり細かい刻み方になっている。街の交通局が、大掛かりな交通量調査でもやって、全ての場所の適切な待ち時間を把握したのだろうか?あるいは、高性能のAIがその都度判断して対応しているのか?いずれにせよ、「日本も見習え!」である。

 そして、閑散とした街路であっても、バスや乗り合いタクシーがかなりの頻度で走って来るのは感心である。これもまた、「日本も見習え!」と言いたいところだ。

 などと考えながら歩いているうちに、スヴォロフスキー大通りにぶち当たったので、その通りを南西方面に向かう。この通りも、人があまりにも少なくて寂しいので、目抜き通りのネフスキー大通りを目指すことにした。

 サンクトペテルブルクは、プラハなどと違って街の面積が広大なので、軽い気持ちで散歩しても、かなりの距離を歩くことになる。しかも、街路が全て碁盤目状にまっすぐなので、あんまり楽しくない。無駄に綺麗で、不自然に人が少ないのも気になるところだ。そう考えると、やっぱりプラハの方が好きだな。

 そうこうするうちに、ネフスキー大通りに行き着いた。道の向こう側にはモスクワ駅が見えるぞ。そして、ようやく通行人が多くなって来た。とりあえず、エルミタージュ美術館がある西側に向かって大通りを歩く。その途中で、昨日見かけた「ナチュラ・シベリカ」の前を通りかかったところ、時計を見ると9:50だから、どうせなら10時の開店を待って買い物するのが賢いな。そこで、しばらくこの周辺を散歩して時間を潰した。

 近くのバス停を観察したのだが、路線種類が多すぎて、どのバスに乗ればエルミタージュ美術館に行けるのか、まったく分からなかった。たぶんアレクサンドル・ネフスキー広場を通る22番バスが、ネフスキー大通りをフルカバーする路線であるような気がする。だとすれば、エルミタージュ美術館とホテルを行き来するための、最高の交通手段であるのだが。

 ところで、この大通りには「Hopping On Hopping Off」と車両に大書されたオープンエアの「はとバス」が盛んに行き来しているのだが、エストニアとフィンランドでも全く同じ塗装と柄のバスを良く見かけた。この観光会社、ロシアと北欧全域で広域展開しているのだろうな。

 そういえば、「HESバーガー」という安めのハンバーガーショップも良く見かけるのだが、これもエストニアやフィンランドにたくさんあった。

 世界経済は、今や完全にグローバル化しているので、EUとロシアの政治的対立など超越しているんだろうね。

 

ナチュラ・シベリカ

 

 などと考えているうちに、10時になって「ナチュラ・シベリカ」が開店した。今日は買い物リストを持って来たので、女友達のために化粧品を買えるのだ。

 店内に入ると、当然ながら他の客はいないのは計算通りである。混んでいる時間帯に、お店に迷惑をかけたくないからね。俺は、入口近くで商品整理をしていた赤毛の女の子に、友人から言付かった買い物リストを渡して、印が付いている化粧品を探して貰おうと試みた。すると、その女の子は、英語が得意らしい金髪の女の子を奥から連れて来てバトンタッチした。こっちの方が美人だから好都合(?)。その子が買い物リストを抱えて店内を探した結果、2品ほど在庫切れだったのだが、8品のゲットに成功した。しかし、思ったよりも1品当たりの容器が大きいので、これは高くつくだろうか?と心配しつつカード払いしたところ、なんと総額1,509ルーブル(2,621円)。

 なんでこんなに安いのだ?日本で待つ友達からは1万円預かって来たので、大幅にお釣りが出る計算だが、返したくないな。着服したいな。どうやって騙そうかな(笑)。

 ともあれ「ナチュラ・シベリカ」だ。店員さんはみんな美人で親切だし、店内の雰囲気も良いし、おまけにリーズナブルという素晴らしい店だった。その名の通り、シベリアの天然素材のみを用いた完全オーガニックのお店なので、いろいろな意味でお勧めです。

 さて、荷物がいきなり大変なボリュームになってしまったぞ。このままエルミタージュ美術館に行くのは無理なので、いったんホテルに帰ることにする。モスクワ駅から1駅乗って、いつもの「アレクサンドル・ネフスキー広場」駅からホテルに戻った。

 荷物を軽くして、せっかくだから30分ほど休もうかなと思ったところで、ベッドメイクのオバサン登場。「お邪魔ですか?」と聞いて来たから、「すぐに出るよ」と答えて部屋を出た。過去の旅行中にも何度かこういうパターンに出くわしたが、なかなかタイミングが悪い。

 

カフェ・ゴースチ

 

 とりあえず、「エルミタージュ美術館」を目指すとしよう。時計を見ると、すでに11時近いので、今日は早めに腹ごしらえするのが良いかもしれぬ。そこで、いつもの地下鉄3号線で「ゴスチーヌイ・ドヴォール」に出て、そこからネフスキー大通り沿いにレストランを探しにかかったところ、地下鉄駅を降りたら暴風雨だった。朝から空模様は怪しかったけれど、やっぱり保たなかったんだね。

 雨が強いだけならまだしも、風がすさまじい。傘が何度もキノコになる有り様で、日本からレインコートを持って来なかったことを後悔する。さすが、サンクトペテルブルクは、不便なところに偏執狂の大帝が無理やり造った街だわい。しかしながら気温の方は、セーターの上にジャケットを羽織った程度で凌げる寒さではあるから、寒風の中を歩き回ったとしても、昨年5月のエストニア滞在時のような体調不良にはならないだろうと判断する。地球温暖化、ばんざーい!

 雨の中を歩いているうちに、ネフスキー大通りを左に入った路地沿いに、目指す「ゴースチ」を発見。ここは、1階がカフェで2階がレストランというお店で、『地球の歩き方』を頼りに来てみたのだった。しかし、2階に上がる正面階段の前に、白人観光客の家族連れが屯している。もしかして、レストランは混んでいるのだろうか?はるばるロシアまで来て、行列に並ぶのは嫌だぞ。そこで、左手の階段を降りて、半地下になっているカフェ・ゴースチで食事を取ることにした。

 カフェとは言え、スパゲティくらいあるだろうと軽く考えたら、メニューを見たところ、本当に軽食しか出ない店だった。仕方ないので、一人で忙しそうにしている店員のお兄さんに、エスプレッソとチキンサンドイッチを注文する(700ルーブル)。まあ、美味かったから良いか。

 しかし今回の旅行では、ホテルの不味い朝バイキングを除けば、今のところ、茹でトウモロコシとサンドイッチしか食べていないような気がする(苦笑)。

 微妙に納得いかない思いを胸に、エルミタージュ美術館を目指すのだった。

 

エルミタージュ美術館その1~冬宮

 

 ネフスキー大通りに戻ると、通りの北側にベージュ色の美麗な巨大アーチがある。これを潜ると広大な宮殿広場だ。この広場の北側エリア全域を占める緑色の巨大建造物が、帝政時代の冬宮、すなわちエルミタージュ美術館である。

 俺も、これまで海外で様々な宮殿を見て来た男だが、これほど巨大なのは見たことがない。さすが、帝政ロシアは伊達ではない。

 エルミタージュ美術館は、子供のころからの憧れだった。なぜか、ルーブル(パリ)やメトロポリタン(ニューヨーク)には全く心惹かれないのだが、エルミタージュだけは「いつか必ず行きたい」とずっと思い続けていたのだ。俺は、小さいころからロシア大好き少年だったからな。

 20年近く前に、アレクサンドル・ソクーロフ監督の『エルミタージュ幻想』を映画館に観に行ったこともある。なぜか、モンゴル人のハリウンちゃんと一緒に。日本人のロシア好きって、実はかなり少ないので、なかなかロシア系のイベントに付き合ってくれる友人が見つからないのだ。その点、モンゴル人はみんなロシア大好きだからな。懐かしい思い出である。

 ともあれ、ようやく今日ここに、念願のエルミタージュ美術館に到達したというわけだ。

 チケットは、バレエと同様、事前に日本でゲットしてある。購入日から半年の間の任意の2日間、関連する5種類の施設に入れる仕様で、なんと2,600円。内容を考えれば、非常にリーズナブルだ。もちろん、ウェブサイトからの購入直後にPDFでチケットが送られて来るので便利である。いろんな意味で「日本も見習え!」。

 で、インターネットでチケットを買った人用の入口は、通常とは全く違う場所にあるらしい。かなり分かりにくい場所だと聞いていたので、事前に経験者のブログなどをしっかりチェックしたお陰で、問題なく宮殿全体の中央に位置する入口に辿り着いた。

 この入口からは、中国人と思われる若者集団と一緒に入ったのだが、中国でも若者は、ネットを使って個人行動する旅行が主流になりつつあるようだな。

 館内にはトイレが少ないと聞いていたので、ロビーでしっかり用を足してから、チケットのバーコードを受付のオバサンに読んでもらい、いつもの(笑)金属探知ゲートを潜り、ついに館内に入ることが出来た。

 さて、いきなり迷ったぞ。どこに行けば博物館の正門なのだ?ウロウロしているうちに、古代ギリシャコーナーに突き当たったので、とりあえず石像や壁画まみれのフロアを見学する。

 「なんでギリシャ?」と思う人もいそうだが、実はロシアとギリシャは非常に関係が深いのである。中世の昔、未開の蛮族同然だったロシア人に先進文明や文化を教えたのは、当時のギリシャ人国家「ビザンツ帝国」だった。何しろ、今の独特のロシア文字(キリル文字)やロシア正教も、もともとはビザンツ帝国からの輸入品なのである。ロシア帝国が、17世紀以降ひたすら執拗にトルコ(=ビザンツ帝国を滅亡させたオスマン帝国)を攻撃した理由は、単なる領土的野心ばかりではなく、「お師匠様の敵討ちを果たして故地を回復する」という義侠的な意味合いも強かったのだ。

 そういうわけで、ギリシャコーナーの存在にはそれほど違和感は無いのだが、ここを訪れた目的のメインストリームから外れているような気がする。そこで中2階に移動すると、ここには団体入口から入って来た集団がいくつも蠢いていた。この団体の動線を観察することで、彼らが入って来た場所を推測し、そちらに移動する。迷路のような通路を歩くと、お土産コーナーとトイレや軽食レストランをスルーして、ようやく団体入口だ。この辺りからすでに、絢爛豪華な内装である。そこから人の動きに合わせて進んでいくと、有名な「大使の階段」に到達。いよいよ、気品漂う宮殿っぽくなって来たぞ。

 

 ここエルミタージュ美術館は、ロマノフ王家の冬宮だった場所だが、狭義の冬宮、新エルミタージュ、旧エルミタージュ、そして小エルミタージュから成る複合建築である。そして、それぞれの棟に美術品満載なのである。俺は歴史ファンなので、今回は狭義の冬宮を中心に見学することにしたのだが、それにしても巨大すぎる。また、美術品はもちろん物凄いのだが、それを飾っている部屋そのものが豪華絢爛で圧倒的なのである。歩いているだけで、頭がクラクラして来る。まさに、乗り物酔いに近い感覚に陥って目が回る。いくら何でも、ここまで物凄いとは思わなかった。

 黄金の孔雀時計、1812年祖国戦争の画廊、黄金の客間、孔雀石の間、ニコライ2世の書斎など、時計回りに見て回った。どの展示もどの部屋も、圧倒的である。

 ここ狭義の冬宮は、意外と空いていて団体観光客も疎らだった。どうやら、大手の団体ツアーはこちらを通らないようだ。なぜなら、添乗員付きの団体観光は、スケジュールの都合で、エルミタージュ美術館にわずか3時間程度しか掛けられない。だから、別の小さい棟を一周して終わりにするようだが、こういう時こそ自由行動の有難みが実感できるね。

 もっとも、有名な絵画などは、新エルミタージュや旧エルミタージュの方に集まっているので、ひたすら絵画が見たい人はそちらを優先した方が楽しいだろうね。俺は歴史マニアだから、むしろロマノフ王家の歴史の息吹を感じられる狭義の冬宮こそ楽しめたのだが。

 それにしても、狭義の冬宮を一周しただけで、頭クラクラで足が棒のようだ。全部真面目に見ようとしたら、2日間かかるという噂はどうやら本当だ。それに備えて、日本で2日間有効チケットを買って来たわけだが、明日もここに来るかというと、ここは思案のしどころである。

 実は、明日の夜にモスクワに移動する予定なのである。この街には他に見たいものもあるので、エルミタージュは今日一日で制覇するつもりで頑張るぞ!すでに疲労困憊だが。

 

エルミタージュ美術館その2~貨幣博物館

 

 狭義の冬宮をほぼ制覇したので、次の棟に移動しかけたところで3階への階段を発見した。せっかくだから、行ってみよう。登ってみたところ、長い回廊に出たのだが、その全体が「世界の貨幣博物館」になっていた。

 入っていきなり東洋の貨幣コーナーで、日本や中国やインドの貨幣が、詳細な解説付きで展示されている。少し進むと、モンゴル帝国やペルシャやビザンツ帝国の貨幣。その奥に、ヨーロッパやアフリカの貨幣。しかし、ロシア的生真面目ゆえなのか、「紙幣」は全く飾っていない。貨幣といったら、あくまでも貨幣しか置いていないのだ。

 そもそも、どうしてエルミタージュ「美術館」に、こんな博物館的コーナーがあるのか謎なのだが、解説は非常に丁寧で(英語訳もある)、とても勉強になった。その気になれば、半日くらいはこのコーナーで潰せそうだ。

 満足したので、2階に戻る。

 

エルミタージュ美術館その3~旧エルミタージュなど

 

 さて、この巨大複合建築の西側一帯が、旧エルミタージュと小エルミタージュである。こちらは、ラファエロなどの有名絵画がいっぱいで、建築よりは絵画を楽しむコーナーである。つまりは普通の美術館なので、俺のテンションも若干低めになった。

 そして案の定、こちらの棟には団体観光客が多いのだが、特に中国人の数の暴力が凄まじかった。とても、落ち着いて絵を見ている環境ではない。それにしても、中年以上の中国人のマナーの悪さは相変わらずで、係員が「触らないで!」と英語で絶叫するのを無視して、美術品に触りまくっていたりする。人数が無駄に多いから、気が大きくなっているのだろうか?プーチン閣下は、こういう連中こそ、ポロニウムやノビチョクで暗殺するべきでは?(笑)

 団体観光客を掻き分けて移動するのに、体力を異常に消耗したため、美術品についてはあまり印象に残っていない。建物に入ってから4時間半。そろそろ気力体力の限界か。

 次回来るときは、もっと早い時間帯に2日間に分けて訪れよう。

 そう誓って、エルミタージュ美術館を後にしたのであった。

 

レニングラード包囲博物館

 

 迷路のような通路を抜けて美術館の正門から外に出ると、宮殿広場は相変わらずの暴風雨だった。雨にも負けず、次の目標は「レニングラード包囲博物館である」。

 実はこの旅行中、合間を見てFacebookに写真をアップしつつ、友人たちと愉快な会話を交わしていたのだが、好事家の友人たちが、いろいろと有益な情報を提供してくれるのでとても助かるのである。その中で、ヒトラー研究家のSさんが強く薦めていたのが、「レニングラード包囲博物館」。今日は、エルミタージュ美術館を想定よりも早く出られたので、近いところで行ってみることにする。

 ピョートル大帝の冬宮前を経て、ネヴァ川の宮殿河岸通りに出ると、何しろ開けた場所だから、風の強さが半端ない。傘ごと吹っ飛ばされそうになりつつ、必死に東を目指す。川の北岸に見える黄金の教会が、ペトロパブロフスク要塞の大聖堂だ。明日、行ってみるとしよう。などと考えつつ、いくつかの運河を東に越えたところで、「夏の庭園」の前を通りかかった。

 ここは有料の観光施設なのだが、この暴風雨では、屋外アトラクションは当然のように閑古鳥だ。それにもかかわらず、庭園のチケット係のオジサン2人組は、真面目に愚直に、濡れネズミになりながら直立して、来るはずもない客を待っていた。こういうところに、ロシア的な糞真面目さを感じてしまうな。

 この「夏の宮殿」前をスルーして、昨日の朝に散策したフォンタンカ川のネヴァ川への合流点を東に越えると、そこを右折南下した。暴風雨のせいでもあるだろうけど、相変わらず閑散とした街だね。スマホ地図の力を借りつつ、ようやく目的地に到着した。

 博物館に入ると、中年男女の係員が立っていた。強面の彼らにチケット売り場を訪ねると、ボディランゲージで「必要ない」という。「ただし、地下に荷物を置いて行け」と。仕方ないので地下のクロークに降りてみたものの、考えてみたら小さな肩掛けカバン1つで旅しているのだから、預ける物も無いのである。おそらく、俺の荷物の中で周囲の迷惑になるのは、ずぶ濡れの折りたたみ傘くらいだろうから、これをカバンに仕舞ってお茶を濁すことにした。

 さて、クローク周りは、学生風の若者が多い。ここは純粋に、現地の若者が勉強する仕様の博物館なのかな?それにしても、どうして無料なのだろう?『地球の歩き方』によれば有料だったはずだが?

 ともあれ、先ほどの係員2人組に会釈しつつ、1階から階段を上って2階展示室に向かった。その途中の壁には、スターリンやジューコフなど、独ソ戦で活躍した将軍たちの肖像画が飾ってある。ただし、出来はいまいちで、どれもあまり本人に似ていなかった(笑)。

 2階展示室に入ると、妙に薄暗い雰囲気で、以前に訪れたポーランドの「ワルシャワ蜂起博物館」を思い出す。

 予想通り、ここはロシア語表記しかない施設だった(泣)。そして、ワンフロアしか存在しない小さな博物館だ。しかしながら、フロア中央に多くの人々が集まっていて、整然と配置されたパイプ椅子に並んで座っている。どうやら、何かのシンポジウムが開催されているようだぞ。マイクを持った女性司会者が、年配の知的なオジサンにスピーチを依頼している。

 なるほど。今日はシンポジウムの開催日だから入場無料だったのかな?俺は、その様子を横目に見つつ、フロア外縁部に飾られている様々な戦時中の展示を見て回った。

 とはいえ、ワンフロアしかないし、説明は全てロシア語表記だから、ちんぷんかんぷんである。ここまでハードルの高い博物館だとは思わなかった。もっとも、無料だから文句は言えない。当時の弾丸や防壁の跡の展示があり、機関銃やポスターなどが飾られているのだが、文字がまったく読めないのが、とにかく残念である。

 展示を2周しつつ、中央で展開されるシンポジウムを横目で観察すると、今しも演壇に立った学生風の女性が、手持ちPCとプロジェクターを駆使して、博物館の白い天井に自作の映像作品を映し、何か解説をしているところだった。その内容がまったく分からないのは、寂しい話だ。そもそも、何のシンポジウムなのかも分からないのだが、周囲にカメラマンや音響さんがいるので、きっとテレビに出るような立派な催しなのだろう。周囲をうろちょろしている俺様のご尊顔も、ロシアのお茶の間に映っちゃうかしらん?(笑)

 「レニングラード包囲博物館」。ちんぷんかんぷんだったのだが、いろいろと興味深い経験だったし、なぜか無料だったということで、良かったことにしよう。

 

ロシアの雑貨屋

 

 博物館を出ると、相変わらずの暴風雨である。スマホ時計を見ると17時半だから、そろそろ夕飯の場所を探そうとしよう。ぶらぶら南下すると、ベステリャ通りに出たので、そこを右折する。相変わらず、殺風景でほぼ無人の通りだ。すると、さっきの「夏の庭園」の南側の出入り口に到達したぞ。こちら側でもやはり、2人組の係員のオジサンが、ずぶ濡れになりつつも、真面目に突っ立って、客が来るのを待っている。ロシア人は、ある意味で、世界一真面目な人たちなのかもしれないね。そして、ちょうどこの位置からだと、昨日南側から訪れたミハイロフ城の北側が、ベージュ色の威容を誇っていた。

 その前をスルーしてモイカ川河岸通りを西進すると、左方向に印象的なお菓子の家が見えて来た。昨日訪れた「血の上の救世主教会」だ。北側から見るこいつも、なかなか魅力的だな。そこで、教会目指して左折南下し、グリボエートフ運河河岸通りに入った。さすがにこの周辺は観光客で賑わっている。

 なんとなくジュースとお菓子を調達したくなったので、通り沿いの雑貨屋に入ってみる。不機嫌そうな女の子が、一人で店番をしているぞ。俺の目当てはクワスだったのだが、この店には家族用の巨大ペットボトルしか置いてなかった。クワスってつまり、原則的には一人で歩きながら飲むような飲み物ではないのかしらん?お家で、家族みんなで飲むものだったのかしらん?仕方ないので、普通に水とポテチを買うことにした。

 お会計の際にルーブル札を出すと、お店の女の子は露骨に嫌そうな顔をした。そして、手前に置いてあった小さな機械を起動すると、俺のお札をそこに置いて操作をし、何らかの光を当ててチェックを入れた。その作業に満足すると、そのまま普通に精算してお釣りをくれた。

 なるほど。これは偽札チェックなのだ。ロシアは自国の造幣技術に自信が無いので、こうやってお店ごとに偽札チェックを入れているというわけだ。実を言うと、ロシアや中国でキャッシュレスが進んでいる理由は、自国の紙幣が劣悪だからでもある。

 日本でもキャッシュレスが話題だが、なかなか浸透しない理由は、造幣技術が優れているために偽札リスクが少ないせいでもある。これは世界に誇れることなのだから、無理にキャッシュレスを進める必要は無いのではなかろうか?何も、キャッシュレスをやっているから進んでいるとか優れているとか、そういうことでは無いと思うのだが。

 

ゴースチ再び

 

 さて、再びネフスキー大通りを散策する。この大通りは、いつでも人がいっぱいだ。それなのに、一本違う道に入るとたちまち閑散とするのは、なかなか不思議である。

 現地の若者たちは、元気いっぱいに「ダバイ!ダバイ!」と叫んでいることが多い。ロシア語のダバイは、いろいろな意味を持つ柔軟な言葉なのだが、基本的には「〇〇しようぜ!」というやる気満々の言葉である。歩きスマホをしている人はほとんど見ないし、電車ではみんな喜んで老人に席を譲るし、どうやらロシアの若者たちは、最近の日本の若者たちよりレベルが高いらしいな。寂しい話ではあるが。

 夕方6時なので、さすがに腹が減った。適当な候補が思いつかなかったので、とりあえず、昼にも行ったゴースチに向かう。今回は、2階のレストランにチャレンジするのだ。

 相変わらずの横殴りの暴風雨の中、キノコになりそうなボロ傘を支えつつ、階段を上ってお店に入った。すると、俺が今日のお客第1号なのか、お店の女の子が3人そろってお出迎え。3人とも、物凄い美人である。それぞれ全く特徴が異なるのだが、いずれも典型的なロシア美人といった風情だ。店長チョイスなのか、これはいきなりテンションが上がるぜ。

 店内は、女性が好きそうなゴスロリ風の内装である。全体的に木材を多用していて、雰囲気が良い。中央の小さ目の丸テーブルに座って、さっそく適当にビールを注文した。それをちびちびやりながらメニューを見て、ボルシチとビーフストロガノフを注文した。我ながら「ベタだなあ」と思うのだが、せっかくロシアに来たのだから、典型的なロシア料理を食わない手はないだろう。

 俺に飯を運ぶ担当になった女の子は、3人娘の中で一番とっぽい雰囲気の黒髪ちゃんだった。あんまり愛想が良くないのだが、それは気のせいかもしれない。ロシア人は、ポーランド人と同様に、相手に合わせて表情を変える習慣が無いのだ。

 これは、あくまでも個人的意見なのだが、俺はアメリカ人やイタリア人のように、無駄に愛想を振りまいたり、あるいは異様にフランクに振舞う人間が信用できない。むしろ、ロシア人やポーランド人のように、不愛想な方が安心できるというものだ。だって、こっちは初対面の一見さんなんだから、不愛想なのがむしろ当然である。

 さて、やがて運ばれて来たボルシチの味は、日本のロシア料理屋とほとんど一緒なのだが、ビーツたっぷりで濃厚だった。調子に乗って、付け合わせのサワークリームをたっぷりスープの中に放り込んだら、やたらに味が重くなった。ロシア人のペースで飯を食うと脂肪の取りすぎでヤバいことになりそうだぞ。付け合わせのパンも、なかなかのボリュームだった。

 メインのビーフストロガノフは、予想していたのとは違って、ハッシュポテトの上でパン生地に包まれた、シチュー風のお肉がザクザクある料理だった。ビーフストロガノフというのは、特別な調理法で作るものではない。もともとは、この付近に宮殿を構えていたストロガノフ侯爵が、隻腕の友人をもてなすために、客がナイフを使わなくても良いように、牛肉料理を細かく刻んで給仕したのが語源である。つまり、牛肉が細かく刻んである料理は、みんなビーフストロガノフなのである。そして、これはなかなかの美味だった。とはいえ、サワークリームにまみれた肉なので、なかなか腹に重い。

 なるほど。本場のロシア料理は想像通り、脂肪分過剰なのだね。美味いとは思うけど、これを毎日食べていたら、たいへんなデブになってしまう。

 お会計は1,549ルーブルだったから、まあ日本と同じ相場観だ。いつものように、少し多めにルーブル札で払ってあげた。この店では、受付の金髪ぽっちゃりの女の子が、いちばんオイラの好みだったのに、今回は接する機会が無かったな。そういうわけで、明日もまた来ようかな?などと浮かれながら店を出た。

 その後は、いつもの「ゴスチーヌイ・ドヴォール」から地下鉄に乗ってホテルに帰った。部屋では雑貨屋で買ったLaysのスプリングオニオン味を楽しんでから、ガイドブックを精読しているうちに眠くなったので、早めに寝た。

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