歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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世界旅行記

ロシア旅行記

9月17日 火曜日 モスクワ周遊


アクルジナーヤの謎

ルビヤンカ~赤の広場

グム百貨店~レーニン廟特攻作戦

クレムリン一周

ストローヴァヤ57番

雀が丘

救世主キリスト聖堂~コモソモーリスカヤ

お土産屋

アエロエキスプレス

空港そして帰国


 

アクルジナーヤの謎

 

 今日は、モスクワ観光の予定である。とはいえ、帰国便が出るのも今夜。よほど効率的に時間を使わないと、いろいろもったいないことになるだろう。

 そこで、朝のバイキング開始時刻と同時にホテルのレストランに突入。ところが、メニューも味も、サンクトペテルブルクとほぼ同じだったので、少なからずがっかりした。これは、モスクワ市内での昼食に期待するしかないな。

 その後は、フロントで荷物を預かって貰って(専用の荷物室に入れて貰った)、いつもの肩掛けカバンで出陣だ(午前8時)。天候は幸いにも晴れ。

 モスクワ市内を目指して、ホテルの正面に位置する「アクルジナーヤ」駅に入った。ここは、妙に新しい綺麗な駅だ。どうやら国鉄らしい。

 そこで、チケット売り場で国鉄の切符を買おうとしたら、駅員のオバサンに不審な顔で「どこに行きたいの?空港?」などと聞かれた。俺は、「モスクワ市街に行きたい」と片言のロシア語で説明を試みたのだが、なぜか会話が噛み合わない。いったい、どうしてだ?困っていると、俺の後ろに立っていた大柄なオジサンが、怒ったような顔で(もちろん、本当は怒っていない)「この人はどうやら、モスクワ市内に行きたいんだよ。モスクワ、メトロ、向こう」などと片言の英語を使いつつ間に入ってくれた。

 どうやら、モスクワへは地下鉄を使って行くしかなくて、ここには地下鉄の駅はないらしい。しかし、モスクワに行けないとすれば、ここはいったい何の駅なのだろう?

 親切なオジサンに「スパシーバ」とお礼を言いつつも、首をかしげながらこの駅を出て、教えられた方向に南下していくと、200メートルほどで地下鉄10号線「アクルジナーヤ」駅の入り口に辿り着いた。スーツを着た通勤客が、どんどん入っているぞ。

 モスクワの公共交通機関は、金属製のジェトンではなくて、紙製のカードを買って入る仕様だ。値段は、サンクトペテルブルクよりも少し高めで、1回券が55ルーブル。とりあえず4回分(4枚)のカードを駅の窓口で買った。カードを入れて自動改札を潜ると、やっぱり金属探知ゲートと係員が待っている。

 モスクワの地下鉄は、入口からホームまで、サンクトペテルブルクほど深くなくて、東京の地下鉄とほとんど同じである。おそらく、冷戦や核攻撃を想定する前に作られたからだろう。そして、さすがはモスクワ。車両は、サンクトペテルブルクと違ってかなり混んでいて、座席に座れなかった。今は平日の通勤時間帯だし、首都だけに人口も多いのだろう。

 アクルジナーヤは、モスクワ中心部から20キロ以上離れている。地下鉄も最低7駅分乗る必要があるので、降りる駅を間違えないように、車内の地下鉄路線図をじっと見つめているうちに、とんでもないことに気付いた。

 アクルジナーヤには、空港から市内への直通特急(アエロエキスプレス)が停車するのである。俺が早朝に迷い込んだのは、まさにアエロエキスプレスの駅だったのだ。

 これの何が衝撃かと言うと、『地球の歩き方』にその情報が無かったのである。このガイドブックによると、アエロエキスプレスは、モスクワ空港とモスクワ市内の「ベラルースカヤ」駅を途中停車駅なしで連結していて(つまりアクルジナーヤには停車しない)、しかも路線そのものの位置がアクルジナーヤより遥かに西側になっていた。

 俺は、この情報を信じたからこそ、昨夜は空港からタクシーを使ったのである。アエロエキスプレスがアクルジナーヤに停まることを知っていれば、これに乗って遥かに早く安くホテルに行けたはずなのだ。

 どうして、こんな記載ミスが起きたのだろうか?もしかすると、アエロエキスプレスがアクルジナーヤに停まるようになったのが、つい最近の出来事なのかもしれない(駅舎は、確かに新しかった)。それでも、ガイドブックに書かれた路線の位置が、事実と全く異なる場所を通っていたのは納得いかない。

 『地球の歩き方』には、過去に何度も騙されているのだが、今回のこのケースは最悪だと言える。どこをどう間違えたら、こんな記載ミスが出来るのだろう?逆に、不思議である。もっとも、このガイドブックは、他の事では役に立っているのだから、悪口ばかり言うのも不公平ではある。

 気を取り直して、アクルジナーヤから7駅目の「スレチェンスキー通り」駅で降りた。

 

ルビヤンカ~赤の広場

 

 さて、地下鉄あるあるである。駅から降りたものの、自分の位置関係がまったく分からない。

 とりあえず「赤の広場」方面に行きたいのだが、どっちに進めば良いのか分からない。何度も駅周囲をグルグル歩いているうちに、やっと方向感覚が湧いて来たので(我ながら、この才能は謎であるが)、まずはここから南西に位置する「ルビヤンカ」に行くことにした。

 街には、通勤するサラリーマンやOLが多くて、東京によく似た雰囲気だ。さすが、サンクトペテルブルクと違って生活感がある。

 さて、ルビヤンカは、共産主義時代に秘密警察があった場所である。ここで、特にスターリン時代に、数多くの無実の老若男女が粛清の餌食になったのだ。映画や小説を通して、何度も経験して来たこの場所に、実際に来られて感無量である。

 そこから、さらに南西方面に歩いていくと、巨大な石造りの建物が見えて来た。どうやら、世界最大のデパート「グム百貨店」だ。そこを抜けると、おお、まさに「赤の広場」ではないか。

 実はこのところ、なぜか「赤の広場」の夢をよく見るのである。天の啓示だろうか?今回ロシア旅行に踏み切った理由は、それが理由でもあったのである。

 それにしてもデカい。これほど大きな広場に来たのは、キューバ(ハバナ)の「革命広場」以来である。さすがに早朝で閑散としているので、時間をかけてじっくりと見て回った。

 有名な9つのタマネギ、ワシリー寺院は、想像していたよりも小ぶりだった。札幌の時計台みたいなものか?しかし、最近になって色を塗り直したらしく、派手な彩色のお菓子の家の可愛らしさが全開である。ついに、ついに、肉眼で見ることが出来たか。

 夢の中に何度も出て来た光景を、実際に目の当たりにするのは感動である。そして、本物の「赤の広場」は、想像以上に立派だった。

 なお、「赤の広場」はロシア語で「クラースナヤ・プローシャチ」である。クラースナは赤という意味だが、スラブ語では「美しい」という意味も持っている。例えばチェコ語では、クラースナと言えば「綺麗」という意味に取られるのが一般的だ。つまり、この広場の名前は元々、「美しい広場」だったのかもしれない。流血の赤とか共産主義の赤は、まったく関係ないのである。とはいえ、この広場に赤い建物が多いのは、間違えようが無い事実だが。

 それにしても、早朝の9時であるから、どこの施設も開いていないので、時間を持て余して来たぞ。なんだか、お腹も痛くなって来たので、トイレを探すついでに周囲を散策。北側のヴァスクレセンスキー門を出て、マネージナヤ広場の地下道を探したのだが、地下鉄駅の入り口周辺にもトイレが見当たらなかった。この地下道には、意外と悪臭を放つ浮浪者が多い。社会主義をやっていた時代は、こんなことは無かったのであろうか?

 やがて地下道に飽きたので、外に出てしばらく広場周囲を散策したのだが、やはりこの辺りは、外国人向けの高級ホテルが多い。もちろん、赤の広場とクレムリンに客を呼び込むために便利な立地だからなのだろう。なんなら、これらのホテルでトイレを借りようかと思案しているうちに10時になった。つまり観光施設に入れるはずなので、とりあえず「1812年祖国戦争博物館」に入ってみよう。ここは、その名の通り、1812年のナポレオン戦争をテーマにした博物館なのだ。ところが、入口を入ったロビーには、強面の軍人さんがひしめいていて、そのうちの一人から、出て行くよう促された。首をかしげながらガイドブックを確認したところ、この施設は、火曜日が休館日だったのである。

 「まさか?」と思って他の施設についても調べてみたところ、どうやらモスクワの博物館や美術館は、火曜日休館が一般的なのだった。逆に、サンクトペテルブルクの文化施設は月曜休館が多かったので、先入観で、火曜日ならどこでも大丈夫だと思い込んでいた俺なのだった。これは運が悪い。まあ、どうせ今日は時間の余裕が無いのだから、かえって文化施設で時間を潰す必要が無いからラッキーとも言える(前向き!)。モスクワの博物館や美術館は、次回のロシア旅行でのお楽しみかな。

 しかし、こうなるとかえって暇である。これから、どこで時間を潰そうか。悩みつつ「赤の広場」に帰って来ると、広場に隣接した「グム百貨店」がちょうど開店するところだった。とりあえず、ここに寄ろう。

 

グム百貨店~レーニン廟特攻作戦

 

 ここは、世界最大のデパートだ。石造りの巨大な建物を、2棟連結したスタイル。

 20ヶ所近くあるはずの出入口全てに金属探知ゲートが置いてあり、その全てに制服を着た警備員さんが強面で立っている。そういうわけで、中に入るのに多少の心理的抵抗を感じるのだが、そこを我慢して入ってみると、想像をはるかに超える美麗で雰囲気の良い空間が待っていた。

 妙にテンションが上がって来たので、あちこち散策しようとしたのだが、そういえばお腹が痛かったことを思い出したので(笑)、まずはトイレに寄った(40ルーブル)。出すもの出して、すっかり気楽になったので、時間をかけてグム百貨店を散策する。

 デパートの内装は古典的だが、入っている店舗は現代的だ。iPhoneやゲーム機、家電など売っている。もちろん、本屋さんや文房具店、ZARAなどのファッション店もある。食堂やカフェも数多いのだが、「キャビアとワイン専門店」に強く心を惹かれた。さすが、ロシアはキャビアの本場である。ただし、店頭にメニューも料金表も無いのに怖気づいて入店しなかった。おそらく、無茶苦茶に高いのだろうね。

 広大な敷地内を一通り冷やかして満足したので、再び「赤の広場」に戻る。

 あわよくば、広場に隣接するクレムリンに入りたかったのだが、入口付近は主に中国系団体観光客による長蛇の列である。おそらく、3時間待ちといった見当だろう。今日はとにかく慌ただしいので、そんなことで貴重な持ち時間を浪費したくない。

 考えてみたら、どうしても見たいクレムリン構内の名所は「レーニン廟」だけなのである。一目だけでもレーニンさまのミイラを見たいなあと思っていたら、そのレーニン廟は、「赤の広場」から、低い鉄柵によって隔てられているだけである。そして、制服を着た警備員が付近に何人もいるのだが、たまたまみんな、俺から背を向けて去っていくタイミングであった。

 「これはチャンス!」そう判断した俺は、鉄柵を飛び越えてレーニン廟に突進したのである。「ああ、あそこに愛しいレーニンさまの本物があるのだ!やっと会えるね!」。

 その次の瞬間、激しい警笛が鳴り渡り、さっきまでこちらに背を向けていた女性警備員が、悪鬼のごとき形相でこちらに突進して来るではないか!反対方向からは、2人組の屈強な男性警備員が迫り来る。しかも、銃を構えているぞ。

 ・・・両手を上げて降参のポーズを取りつつ、全力で逃走する俺であった。

 さすがの俺様も、あのナチスドイツを捻りつぶし、続いてあのアメリカ合衆国と50年も対峙した強国と対決して勝てる気がしない。ジョジョ流にいえば、「逃げるんだよお~!!」。

 

クレムリン一周

 

 首尾よく警備員を振り切った俺様(ハリウッド映画で主役を張れそうな気がする(笑))は、ワシリー寺院の横を抜けて、モスクワ川を南に渡ることにした。東京でアンナちゃん(夜のお店のロシア嬢)に強く勧められた、「救世主キリスト聖堂」を見に行くことにしたのだ。

 巨大なモスクヴァレツキー橋は、あちこち工事中で歩きにくかったのだが、橋の上から眺める景色は印象的だった。左手側(東)に、かつてワルシャワで訪れた「世界文化宮殿」のような形状のユニークな建物が見えたのだが、これはどうやら通称「芸術家アパート」である。モスクワには、このような形の建物が9か所あり、いずれもスターリン時代に建てられたビルだ。すなわち、スターリン・クラシック様式である。

 ポーランド人は、スターリンによって無理やり建てられた「世界文化宮殿」が大嫌いなのだが、モスクワに似たようなのがたくさんあるという事は、スターリンは純粋な善意であれを建てたのかもしれない。独裁者の善意は、しばしば悪意よりも性質が悪かったりする。

 などと考えながら、巨大な橋を南に渡り切ったのだが、どうやら目指すお寺に向かうためには、ここから右折して西に進んだ方が良い。ところが、このエリアはあちこち道路工事中で、かなりの迂回を強いられそうな気配だ。そこで、橋の下側の路地をUターンして、モスクワ川南岸に面したソフィースカヤ河岸通りを西行することにした。これは意外にヒットで、これだとクレムリンの南側に沿って歩く形になるから、この巨大城砦を外からじっくりと観察できるのだった。

 真っ赤な城壁に囲まれた巨大建築群を楽しく見ているうちに、かなり強い雨が降って来た。またかよ!慌てて傘をさしつつ西に向かって歩いていると、黄金に輝く巨大なお寺が見えて来た。これが、目指す「救世主キリスト聖堂」か。なんとなく満足したので、ここから北上してクレムリンの西側を散策することにした。

 大カーメンヌイ橋を北側に渡って、ボロヴィツカヤ広場へ。そこからマホーヴィヤ通りを北上しつつ右側の路地に入ると、美麗なアレクサンドロフスキー庭園が見えて来た。ここにはクレムリン正門の入口と料金所があるので、やはり中国人団体観光客の山盛りである。こちらは、3時間待ちとか、そんな生易しいことでは済みそうにない。辟易しつつ、さらに北に向かって歩いていくと、「赤の広場」の西側に帰って来た。懐かしき、マネージナヤ広場とヴァスクレセンスキー門に、また会えたというわけだ。

 図らずも、クレムリン全体を、城壁の外から時計回りに一周した形だ。

 

ストローヴァヤ57番

 

 そろそろ腹が減ったので昼飯を食いたいのだが、雨だからあまり遠くまで歩きたくないな。しかしながら、クレムリン周辺の食堂は外資系のチェーン店が多くて、あまり心を惹かれない。そこで、せっかくなのでグム百貨店内のストローヴァヤ(簡易食堂)を試してみることにした。

 強面の警備員に会釈しつつ、金属探知ゲートを潜って店内に入る。目的地はデパート最南端の3階なので、エスカレーターに乗って上がった。そこにあるのが、ストローヴァヤ57番だ。

 なお、ロシアの簡易食堂は、お店が出来た順に番号が付いているようだ。という事は、昨日訪れたネフスキー大通りのストローヴァヤにも、看板からは知り得なかったけど、やっぱり番号があったのだろう。こうやってお店に番号を付けると言うのも、ロシア的生真面目さの一端なのかもしれない。

 さて、ロシアで57番目の簡易食堂は、午後12時だから意外と混んでいた。トレーを持ったお客さんが、大勢並んでいる。ただし、店内はかなり広くて座席数も多そうだから、この程度の長さの列ならたぶん大丈夫だろうと判断して俺も並んだ。

 ここに来るのは観光客ばかりだと思っていたけど、意外とビジネスマンも多い。俺の前に並んだ2人のスーツ姿のオジサンは、しきりに会話の中で「ニェメッツ」という言葉を出していた。ニェメッツとは、ロシア語でドイツのことだから、このオジサンたちはドイツ人相手に商売しているのかもしれない。

 面白いことに、チェコ語でもポーランド語でも、ドイツは「ニェメッツ」である。そしてニェメッツは、スラブ語でもともと「しかめ面」という意味だから、スラブ人全体がドイツ人に対して、長い交流の歴史の最初の時点で、一斉に同じ印象を抱いたということなのだろうか?そう考えると、なかなか興味深いのである。まあ確かに、ドイツ人は「しかめ面」なイメージあるけどね(笑)。

 さて俺は、目についた旨そうなものを片端からトレーに積んでいった。サラダ、ピロシキ、メロン(クラスノダール産)、カツレツ、サーモン包み焼き、パスタ、レモンティー。お値段は全部で2,000円近かったので、さすがに観光地価格である。それにしても、昨日の昼飯の約10倍とは恐れ入る。ロシアでは、貧富格差を反映させて、庶民向けと金持ち向けで物価を大きく変えているように見えるのだが、割り切れば、それはそれで賢い社会の在り方ではなかろうか?

 ともあれ、久しぶりにまともな飯に有りつけるぞ。値段を反映してか、さすがに昨日の昼飯よりも遥かに美味かった。サラダは普通。パスタも普通。ピロシキは、日本の中村屋などで食べるのとほぼ同じ味。豚のカツレツは、ちょっと脂っこかったな。しかし、サーモンがたいへんな美味だった。日本とトルコ以外の国で、美味い魚を食べたのはこれが生まれて初めてかもしれぬ。そしてメロン。これは本当に美味かった。このクラスノダール産のメロンを食べるために、またロシアに行っても良いくらいである。レモンティーは、ティーバック式の普通の奴だが、レモンがとにかく美味かった。

 すっかり満足したので、トレーを返却棚に持って行く途中で、店員さんが受け取ってくれた。さすがに有名老舗だけに、お店のサービスも充実しているのである。

 その後、用を足しつつ、再びグム百貨店内を散歩した。本当に居心地の良い楽しい空間なので、一日中いられそうだぞ。とはいえ、ここで居すくまるのももったいない。

 ベンチに座ってガイドブックを睨んでいるうちに、次の行き先を思い付いた。ナポレオンの跡地を辿るのだ!

 

雀が丘

 

 デパートの外に出てみると、いつのまにか空は晴天。せっかくだから、ナポレオン故知巡りの前に、お土産屋を物色してみようか。

 グム百貨店の北側出口に面した華やかなニコリスカヤ通りが、観光客ご用達エリアになっていた。案の定、この通りには、サンクトペテルブルクにも出没していた「一緒に写真を撮ろうよコスプレ集団」がうじゃうじゃいるぞ。

 彼らの営業攻勢をかわしつつ、何軒かのお土産屋に入ってみた。無難なところで、マトリューシカや絵葉書やマグネットが良いかな。そうそう。女友達(ナチュラシベリカの人とは別人)にチェブラーシュカ人形を買って来るよう頼まれていたのだった。モテる男は忙しいのだ(たかられているだけ?)。

 とりあえず、今回は荷物が重くなるから下見に留めておきつつ、せっかくだから華やかなニコリスカヤ通りを端から端まで散歩してみた。南側の出発点は「赤の広場」で、北側の終点が「ルビヤンカ」だった。つまり、早朝に引き続き、またもやルビヤンカに来てしまったぞ。縁があるね。やはり、赤い糸で指と指とが結ばれているのかしらん?どうせならこの施設の中で、ベリヤ長官みたいに、ロシアの金髪美幼女を好き勝手に拷問したいものだぜ~!

 ・・・ロリ系の妄想はその程度にしておきつつも、一筋西側のマホーヴァヤ通りに移動して南下してみる。おお、ボリショイ劇場とツム百貨店があったぞ。モスクワにもう一泊できる旅程なら、ボリショイ劇場でバレエ観たかったところだが。

 いずれにせよ、モスクワはいつか必ず再訪しなければならぬ街だ。などと考えつつ、地下鉄1号線「劇場前(チアトリーナヤ)」駅に入った。早朝に買いだめしておいた紙チケットで乗車し、西の郊外にある「雀が丘(ヴァラビヨーヴィ・ゴールイ)」を目指す。

 運命の1812年9月、モスクワ西郊における「ボロジノの戦い」で、クツーゾフ将軍率いるロシア軍を撃破したフランス皇帝ナポレオンは、その勢いに乗って占拠した「雀が丘」の上からモスクワ全市を見下ろして、「これでアジアの首都が我が手に落ちたぞ!」と大喜びした。トルストイ『戦争と平和』の熱狂的ファンであるオイラとしては、その故地に憧れないわけはない。

 なおモスクワは、路線図を一瞥しただけで分かることだが、東京以上に地下鉄が発達した街である。地下鉄にさえ慣れれば、他の公共交通機関は不要なくらいである。時間があれば、地下鉄であちこち移動したいところだが、それをやり始めるとキリがないので、今回は1号線沿線の移動だけで我慢することにする。

 さて、「劇場前」から5駅乗ると、だいぶ郊外に来た感の「雀が丘」駅に到着だ。ここは、地下鉄のくせに地上に露出した駅だった。まあ、東京にもあるよね。丸の内線の四ツ谷とか茗荷谷とか。そのお陰で、駅のホームから「雀が丘」の全貌を眺めることが出来たのだが、訪問目標にしていた展望台は、どうやら改装工事中のようだった。いきなり心が折れた上、そもそも展望台までそれなりの距離がありそうなので、時間が無い状態ではハイキングを諦めた方が良いような気がして来た。「肉眼で見た」という実績こそが大切なのだ(言い訳?)。

 そういうわけで、駅のホームから丘を眺めつつナポレオンを思う。

 ナポレオンの1812年戦役については、過去に様々な文献を読んで研究したのだが、いろいろと腑に落ちないことが多い。そもそも、彼はどうしてモスクワに特攻したのか?

 「1812年戦役の目的は、フランスがロシアとの間に生じた政治摩擦を、戦争という手段を用いて一気に解決することにあった」というのが学会の通説みたいだが、だったら、ナポレオンはロシアの首都を攻略の重点目標にするべきだっただろう。

 当時のロシアの首都はペテルブルク(現サンクトペテルブルク)であって、ロシア皇帝アレクサンドル1世もここに住んでいたのである。もちろん、政府機能も官僚機構も、ぜんぶペテルブルクにあった。要するに、当時のモスクワは、ピョートル大帝以前の歴史的な古都に過ぎなかったわけだ。

 ナポレオンのモスクワ突進は、たとえるなら、「日本を短期に降伏させるために、全軍で(東京ではなく)京都に攻め込んで占領した」行為であって、まったく合理性を欠いている。案の定、ナポレオンの侵入を受けたモスクワ市長は、自らモスクワ市に放火してフランス軍を苦しめた。身も蓋もない言い方だが、当時のモスクワは、ロシア人自らが放火して焼け野原にしても構わないような街だったのである。

 ナポレオンは、秋が冬に変わる間、ずっとモスクワという名の廃墟の中で、アレクサンドルからの降伏の使者を待っていたのだが、何しろ首都ペテルブルクや他の地方が全くの無傷なのだから、降伏なんかするわけがない。この結果、衣料や兵糧に深刻な欠乏をきたしたフランス軍は、冬将軍の到来とともに壊滅崩壊するのだった。なんだか、バカみたいである。なんとなく、豊臣秀吉の朝鮮出兵に似た臭いを感じる。

 トルストイは『戦争と平和』の中で、「ナポレオンはもともとロシアに攻め込むつもりはなく、たまたま大軍を率いて国境で示威行為をしていたら、むらむらしてついニーメン川を越えてしまい、引っ込みが付かなくなったのでそのまま道沿いに進んでいるうちに、それがスモレンスク街道だったので成り行きでモスクワに着いちゃった」というトホホな解釈をしているのだが、案外と本当にそうだったのかもしれない(苦笑)。

 秀吉もそうだが、成功体験の塊のような成り上がり物は、そういう強引なパフォーマンスを押し切れば成功できると勘違いする傾向がある。往々にして、それが政権全体の命取りになる。トルストイは、ナポレオンを、まさにそのような劇場演出型の人物として描いているのだが、正鵠を射ているような気がするね。

 1941年、ヒトラー率いるドイツ軍がロシアに侵攻した時、モスクワ攻略を勧める将軍たちに向かって、ヒトラーが「モスクワは単なる地名にすぎぬ!」と主張して攻略に反対したのは有名な話だが、恐らく彼はナポレオンの失敗の故知を念頭に置いていたのだろう。ただし、この時はモスクワがソ連の首都だったのだから、攻略にはそれなりの意味があったはず。ヒトラーは歴史の勉強を熱心にした人らしいが、温故知新に囚われすぎるのも良くないという教訓だろうか?もっとも、仮にドイツ軍が1941年にモスクワを陥落させられたとしても、それだけではロシアは降伏しなかったと思うけどね。

 この国は、そんなに甘くないと思うぞ!

 

救世主キリスト聖堂~コモソモーリスカヤ

 

 などと楽しい歴史妄想をしつつ、「雀が丘」から1号線に乗って市街中心部に引き返す。

 なんとなく、「救世主キリスト聖堂」を間近で見たくなったので、最寄り駅の「クロポトキンスカヤ」駅で降車した。

 この1号線は、東京の丸の内線に似た雰囲気の地下鉄で、丸の内線と同様に地表にかなり近いところを走っている。そのため、地上の観光名所とのアクセスが容易だから、時間が無いときの周遊用に持ってこいの路線なのだ。

 そういうわけで、あっという間に地表に出た。駅からすぐそばに、いきなりあるやん「救世主キリスト聖堂」。さすがに、でかくて綺麗だな。ただしこの建物は、せいぜい築30年くらいの代物である。なぜなら、社会主義の時代にいったん全部取りこぼされて、跡地は市民プールになっていたからである。冷戦終了後、「宗教の自由」が保証されるようになったため、ようやく再建されたのであった。モスクワも、なかなか激動の歴史を送って来たものである。

 美麗な大聖堂をじっくり観察しながら2周する。そこからモスクワ川を渡るための橋に向かうと、「モスクワ川観光船」の乗り場があった。時間があれば、試したところだが。そして、この橋の上からのクレムリンの眺めが最高に美しい。絵葉書などでよく見かけるアングルのクレムリンは、この橋から撮影されたものだったのだね。

 この間の天気は、雨になったり止んだりの繰り返しである。どうにも落ち着かない。しばらく周辺を散策すると、「トレチャコフ美術館」の別館などもある。心惹かれつつも、どうせ火曜日は休館だろうし、再び地下鉄に乗りこんだ。

 次の目的地は、世界一美しいと言われる地下鉄駅コムソモーリスカヤである。

 1号線を北上して、ほどなく目的地に着く。あれ、期待していたのと違うぞ。美しいのは1号線ではなくて、乗り換え路線の別のホームか。乗客の流れに身を任せ、別のホームに移動。途中で、「コムソモーリスカヤ♪」とか歌う大道芸のオバサンがいた。そして5号線のホームは、これぞ期待していたコムソモーリスカヤである。あまりの美しさに息をのみつつ、スマホで写真を撮りまくる俺様であった。

 なお、モスクワの地下鉄駅は、複数の路線が乗り入れる場合であっても、サンクトペテルブルクのように駅名を変えたり1/2と付けたりしないから、東京の地下鉄と同じ仕様である。

 ここで時計を見ると午後3時であるから、そろそろお土産屋巡りを開始した方が良いだろう。

 

お土産屋

 

 1号線で「ルビヤンカ」駅まで戻る。ニコリスカ通りを南に向かって下りつつ、お土産屋の物色を開始。結局、お昼過ぎに立ち寄ったお店に決めた。

 そんなに時間があるわけではないので、ちゃっちゃと決める。歴代書記長&大統領マトリューシカは自分用。チェブラーシュカ人形、冷蔵庫などに付けるマグネット5個、そしてチョコレート2個は、友人たちや職場関係の知人用である。

 歴代書記長&大統領マトリョーシカは、レーニンからプーチンに至るまでの10名が、次から次へと飛び出す入れ子人形である。みんな、とても良く特徴を捉えていて、本人に似ている。これは、帰国してから宴席を盛り上げるナイスなアイテムになった。たとえば、「10人全員のフルネームを言えた人には、酒おごるよ!」とか、そういう使い方。仲間たちはみんな、ブレジネフ辺りまでは言えるけど、アンドロポフやチェルネンコ辺りで必ず挫折するんだよねー。これが3,500ルーブルなのだから、なかなかリーズナブルであった。

 一方、チェブラーシュカ人形(約1,500ルーブル)は、女友達へのお土産だったのが、店に置いてある人形のほとんどがサッカーボールを抱えているのだった。これは明らかに、ワールドカップの売れ残りを売っているわけだが、チェブちゃんとスポーツはそもそも似合わない気がする。そういうわけで、サッカーボールを持っていない普通バージョンのチェブちゃんを探して選んだのであった。帰国してから、その友人に教えて貰ったのだが、こいつはボタンを押すと歌を歌う人形なのである。しかも7種類の歌をランダムに。それを知っていれば、自分用に一個買ったのだがなあ。そういえば、ワニのゲーナの人形もあったな。こいつも歌うのだろうか?次回、必ずゲットすることにしよう。

 それ以外のお土産は、まあ普通である。特筆することもない(笑)。ここでゲットしたお土産の総額は6,550ルーブル(11,363円)だった。

 重くなった荷物を抱えて、最後にもう一度「赤の広場」を散策する。ワシリー寺院の前でこの美麗なお寺をじっくり眺めた。名残惜しいな。

 それに飽きると、再びニコリスカ通りを北上して「ルビヤンカ」駅へ。そこから、1号線を「スレチャニー通り」駅まで一駅乗って、そこから10号線に乗り換えて、「アクルジナーヤ」を目指す。

 まずは、ホテルで荷物を回収しなければならない。

 

アエロエキスプレス

 

 シャーストン・ホテルで首尾よく預けておいた荷物を回収すると、フロントのホテルマンたちに挨拶して、いよいよ帰国の途に出る。

 短い間のモスクワ滞在だったが、自販機の使い方は覚えたぞ。そういうわけで、早朝に迷い込んだ例の国鉄「アクルジナーヤ」駅で、自販機を用いて空港行き切符を手に入れた。なんと、500ルーブルで買えるのね。そう考えると、昨晩タクシーに払った4,500ルーブルが、やっぱりもったいなく感じられる。ちくしょう、『地球の歩き方』め。

 さて、アエロエキスプレスはかなり本数が多い鉄道のようで、さほどホームで待つまでもなくやって来た。ただし、満席なので座席には座れず、仕方なく連結部に立つことにした。どうせ、空港までは1時間弱だろう。

 壁に寄っかかって、スマホで撮りためた写真の整理をしていると、背後でガタガタ音がする。驚いて飛びのくと、壁が開いて客室乗務員が現れた。どうやら、ここはトイレだったらしい。物凄いロシア美人の若い乗務員と、気まずい挨拶を交わす。それにしても、こんな美しい生き物が、おしっ〇やウ〇チをしている光景は想像できないけれど、世界はまだまだ神秘で溢れているんだね(笑)。

 寄っかかるべき壁を吟味し直して、そこに背中を預けていると、次にカートを押した売り子姉さんが現れた。こちらは、あんまり可愛くなかったので、やはり顔と職種は相関関係があるんだね。女性差別な見方なのかもしれないが、悲しいことに、それが世界の常識なのだ。さて、ラッキーにも350ミリペットボトル入りのクワスが売られていたので、75ルーブルでゲットした。「これで当分、クワスは飲めないだろうな」と寂しく思いつつ口を付けたら、微炭酸入りだった。カルピスで言えば、カルピスソーダ。ポンジュースで言えば、ポンスパークリングだ。だけど、爽やか風味で美味かった。クワス独特の癖が弱まったような気がするけど、最近のロシアの若者はこっちの方が好きかもしれない。歴史ある伝統飲料も、日増しに進化を続けているということなんだね。

 そうこうするうちに、列車はモスクワ・シェレメチェヴォ空港に到着した。

 さて、アエロエキスプレスの自動改札を空港側に出るためには、各自が切符のバーコードを使う必要があるのだが、あるオジサンがバーコードの使い方が分からず渋滞を起こしていた。周囲のロシア人たちは、無表情にじっと待つ。どんな行列にも動じない彼らのこの心性は、社会主義時代に培われたのだろうか?(笑)

 

空港そして帰国

 

 時間がかかったものの、17時過ぎには空港構内に入れたので、チェックイン手続きなどオンラインで済ませつつ、お土産屋など物色した。ソ連戦車のフィギュアやプラモに激しく惹かれるのだが、こんなのは日本でも買えるだろう。

 そういえば、骨折入院中の老母のために、お土産を買うのを忘れていたぞ。そこで、売店で普通のマトリョーシカ人形(民族衣装の女の子のやつ)を買った(約2,000ルーブル)。

 その後は、余ったお金でお菓子を買おうと思ったのだが、財布の中に3,000ルーブルも残っている。とてもじゃないけど使い切れないので、次回の旅行に回すことにした。成田で両替すると、極悪レートで大損するはずだから、あえて円転しない。

 この旅行中ずっと納得いかなかったのは、日本で入手したガイドブックの全てが、「ロシアは物価が高くて、日本の2倍くらいの相場観」だと主張していたことだ。だから俺は成田で、極悪レートに気付きつつも、5万円を両替したのだし、今まさに財布の中に大量に余っているのである。しかし実際のところ、ロシアの物価は日本の1/2くらいであった。ぼったくりタクシーでさえ、日本より安いくらいだった。これも、「日本人になるべくロシアでお金を落とさせないため」に安倍政権がねつ造した偽情報なのだろうか?もっとも、俺が貧乏性で、庶民向けエリアばかり入っていたせいでもあるのだろうが、どうにも腑に落ちないね。

 出国手続きは簡単で、職員が俺のパスポートを端末と突き合わせて、そこに挟んでおいた帰国カードを回収して終わりである。今回は、荷物検査も問題なくパスした。

 やがて、19時発のSU260に乗りこんだ。荷物はぜんぶ、機内持ち込みである。窓際の席だったので、トイレに行くのが面倒だったのだが、隣に座った白人夫婦が頻繁に席を立つ人たちだったので、通路に出やすくて助かった。後は、映画「メン・イン・ブラック(の新作)」を観たり、音楽を聴いて過ごした。

 「メン・イン・ブラック」は、決して詰まらないとは思わなかったけど、「とりあえず女の子を主人公にしとけば良いんだろ?」とか「可愛いエイリアンを見せれば良いんだろ?」的な、客をバカにしたような製作者の態度に腹が立った。まあ、最近の「スターウォーズ」が、まさにそうなんだけどね。アメリカ文化も、日本に負けないくらいにオワコンになりつつある。金満主義だから、続編ものしか作らないし。

 さて、日本が近づいてくると、CAが紙の「税関申告カード」や「入国カード(外国人向け)」を配りに来た。周囲の外国人たちは、まさか機内でボールペンが必要とされるとは思っていないので、軽いパニックになり、慌てて荷物室から文房具を出している。なんだか、恥ずかしくなってくる。日本はいつになったらIT化されるんだろうか?

 っていうか、この紙のカードって、本当に活用されているのかね?俺はいつも、「税関申告カード」に「該当なし」と書いて提出しているけど、税関の役人は中身を見もしない。外国人用の「入国カード」もそうなんじゃないのか?役人が、自分たちの仕事を増やすために、わざと意味のない手間を増やして海外から失笑を買うような行為は、いい加減に止めてもらいたいものだな。本当に恥ずかしいや。

 とはいえ、アエロフロートは9時間半を乗り切り、9月18日㈬の午前10:30に成田空港に到着した。今回は、乗客の間で拍手が起きたぞ。やっぱり、あるんだねえ、アエロフロート!

 その後は、小腹が減ったので、空港構内の吉野屋で牛丼を食ってから成田エクスプレスに乗りこんだ。

 今回も、良い旅行であった。その日の夕方から、事務的な都合で仕事に行かざるを得なかったのだが。

 ロシアが、意外に居心地が良い国だと言うのは大発見である。次回は、モスクワを中心に周遊したいものだな。トルストイの生家とか、最近できた「愛国公園(パルク・パトリオット)」にも、ぜひ行ってみたい。

 その時は、キャビアとワインも、頑張って試してみようかな?

 

おわり

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