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世界旅行記

中国旅行記その1

発端


  さて、まずは歴史研究部の話から。

 俺が勤務していた某監査法人には、多くの部活がある。ちゃんと、総務部が活動費をくれる形態なので、高校や大学のノリと変わらない。最も活動が盛んなのは、テニス部、サッカー部、野球部(俺もその一員)といった体育会系であるが、文科系サークルも少なからず活動しているのである。囲碁部、音楽研究会(=カラオケ部)、民族研究部、そして我が歴史研究部。

 歴史研究部は、監査第2部門(当時)の中村先生が創設した文化部である。噂を聞きつけて先生に会いに行った俺は、面接(?)に合格して、創設当初からの部員となったのである。

 その活動内容は、月に一度ずつの割合で会議室に集まり、ローテーションで決められる発表者が、歴史に関する論述をレポート形式で報告し、それに対して質疑応答をする。たまに、都内の博物館を観に行ったりもする。もちろん、その後は、部費で飲みに行くのである。

 メンバーは、異動が激しかったのだが、平均して5~6人程度だった。中村先生が「ただ酒」を餌に集めた人が多く、真剣に歴史の勉強をしたがっている人は、先生と部長の小泉さん、業務管理部の奥井さん、社内報編集担当の花井さん、そして俺くらいのものであった。まあ、それくらいの人数の方が、動き易くて良かったのだが。

 ただ、先生をはじめ、奥井さんと花井さんはかなりの年配だったので、ちょっと部の空気は重かった。それが、若きオイラにとっての不満といえば不満である。

 さて、そんなある日、マネージャーに昇進した小泉部長が、仕事が忙しくなったので部活から足を洗いたいと言ってきた。もしかすると、部の空気の重さに耐え切れなくなったのかもしれない。

 後任の部長は、他ならぬ俺であった。俺は、昔から、こういう局面で部長に祭り上げられ易い傾向にあるようだ。中学時代も高校時代もそうだった。

 ともあれ、ハッスルした新部長の最重要任務は、「部員集め」である。俺は歴史部を「若者の園」に変えようと考えて、昔からの親友である加藤さん(会社の中では先輩に当たるので、さん付け)と同じ部門の先輩の石原さん、そして後輩の御子柴くんを誘ったところ、彼らは二つ返事でやって来た。

 いつしか、歴史部は若者パワーで活性化を遂げていたのである。

 その様子を満足げに見ていた中村先生は、ある飲み会でこんな提案をした。

 「みんなで海外に取材旅行に行こうじゃないか!中国なんかいいんじゃない?私は中国語が話せるから安心だし」

 旅行愛好家の奥井さんが、もろ手を挙げて賛成し、こうして企画は走り出したのであった。

 年末上海旅行に臨むメンバーは、中村先生(会長)、俺(部長)、奥井(会計)、花井(社内報)、石原(お嬢様)、御子柴(唯一の後輩)の6名である。

 親友の加藤さんは、仕事の都合で来られなかったのだが、彼は中国語が出来るので、その不参加はとても残念であった。

 ただ、石原さんの同期の戸丸さんが、急遽、参加してくれることになったのが、たいへんな朗報だった。すなわち、奥井&花井オバサンタッグに石原&戸丸レディータッグをぶつければ、中和効果が発揮されて、部長である俺が楽を出来ると思われたからである。俺は、御子柴くんと二人で遊んでいれば良いわけだ。きっと素晴らしい旅行になるぞ!

 ところが、直前になってどんでん返しが発生したのである。

 石原さんが、「やっぱりロスがいいー」と言い出して、いきなり上海行きをキャンセルしたのである。天然のお嬢は、これだから困る。取り残された戸丸さんの身にもなりたまえ。立ちこめる暗雲・・・。

 こうして最終メンバーは、中村先生、俺、奥井、花井、御子柴、戸丸の6名となった。

 旅行会社(近畿日本ツーリスト)の手配は、全て奥井さんがやってくれた。部の会計係でもある彼女は、実に良く働くのである。

 ところで、某監査法人は上海に事務所を持っている。中村先生は、現地駐在の高部先生と面識があったので、連絡して会食のセッティングをしてくれたのだった。

 こうして、準備万端整って、いよいよ出発の日を迎えたのである。

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