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世界旅行記

中国旅行記その1

12月22日(月)


 

 今日は、メンバー全員が勢ぞろいの上で、貸切りバンで蘇州に向かう。

 その手配は全て、中国語に精通した中村先生がやってくれた。やはり、尊敬すべき人だ。

 バンの運ちゃんは、中国人の中年のオジサンだった。この人は、我々に気を遣ったためだろうが、カーオーディオで、道中ずっと、安室奈美恵のベストアルバムをエンドレスで流し続けていた。別に、日本人だからって、みんながみんな安室ファンとは限らないと思うけどなあ。

 バンは、上海郊外に出ると、すごいスピードで高速道路に乗った。さすがに中国は、道路が広くて良いな。日本とは大違いだ。俺と御子ちゃんは、単調な景色に飽きて、高速道路に入るとすぐに爆睡したのだったが。

 目覚めると、車は既に蘇州に入っていた。ここは「水の都」と言われるだけに、景色一帯が山水画のようだ。淡い緑と多くの河川、そして対岸が見えないような太湖。多くの中国人は、蘇州で生活し洛陽に葬られるのを夢見ているのだとか。その気持ちは分かるなあ。

 運河の鉄橋の上で、中村先生は車を停めさせた。みんなで記念撮影をしようと言うのだ。この運河は、隋の時代に開かれたもので、なんと北京まで通じているという。行きかう船は、材木を満載して実に忙しそうにしているのだが、こうした風景は紀元7世紀から変わらないのかもしれない。思わず、歴史の深さを痛感した瞬間であった。

 時計を見ると、いつのまにかお昼なので、先生は運ちゃんに手近な食堂に案内してくれるようお願いした。運ちゃんは車を飛ばすと、沿道の小奇麗な中華レストランに案内してくれた。

 円卓に座った一同&運ちゃんは、次々に運ばれてくる小皿に舌鼓を打った。と思いきや、運ちゃんはまったく箸をつけようとしない。先生は、「ここは私たちが払いますから、遠慮はいりませんよ」と言い聞かせたのだが、運ちゃんは両手を膝の上に置いたまま、箸を手に取ろうともしないのだ。義理堅いというのか、報酬の範囲外の行動は取りたがらない人のようだ。そこで我々は説得を諦めて、勝手に満腹した。

 この運ちゃんは、我々が観光している間に、車の中で愛妻弁当でもつつくつもりなのだろうか?それにしたって、せっかく「ごちそうしてあげる」と言っているのだから、一口くらい食べれば良いのに。中国人って、もっと図々しい人種かと思っていたけどなあ。

 ともあれ、腹も膨れたので、いよいよ蘇州観光だ。

 まずは、呉の古城こと「盤門」にやって来た。堀のような運河に石造りの城壁が映え、壁頭には「呉」と大書した旗が翻る。どうやら「春秋戦国時代の遺跡」と言いたいらしいが、まあ眉唾だろう。実際には、元とか宋の時代の遺構らしい。それでも、現存しているのはたいしたものなのだが。

 我々は、さすがに歴史研究部らしく、中国史の話題で盛り上がりながら城内を散歩した。それにしても寒い。「水の都」とはいえ、海から遠い内陸部だからであろうか?

 印象的だったのは、付近の駄菓子屋である。あんず飴とかイカの燻製とか売っていて、30年くらい昔の日本の駄菓子屋とそっくりなのだ。中国は、そういう意味では、日本がかつて来た道を必死に追走しているところなのかもしれない。きっと、日本も昔はこんな風だったのだろう。人々の表情は希望にあふれ、街全体は活気に満ちていたのだろうな。今となっては、夢のまた夢だが。

 さて、次なる目標は「北寺塔」だ。これは、三国時代の英雄・孫権が、母親の霊を慰めるために建立したという由緒正しき塔である。三国志マニアの俺としては、もう嬉しくてしょうがない。ただ、この塔には当然ながらエレベーターが存在しないから、7階(九層の最上階)まで階段を歩いて昇るのはかなりたいへんだった。でも、ここからの景色は蘇州一と言われるだけにまさに絶景であった。円状の回廊をグルグル回ると、美しい蘇州一帯が一望の下なのだ。山水画の心得がある人なら、ここに居座って筆をふるいたくなるところだろう。

 すっかり景色を楽しんだ我々は、階下に下りると、美しく選定された庭園を眺めつつ、しばし茶店でお茶を飲んでくつろいだ。それから、広大な庭園を散歩したのだが、これは本当に楽しかった。

 庭園の隅に廟があり、誰を祀っているのかと思ったら、なんと張士誠である。この人は、元末明初の戦乱期(14世紀)に、蘇州を本拠地にして割拠した群雄である。商人あがりだったために軍事に疎く、そこを明の朱元璋の攻撃に遭って、敢え無く滅ぼされてしまった。しかし、内政や貿易が得意だったために、民衆には深く慕われていたという。それが、この廟になって顕れているのだと思うと、なかなか感無量だ。歴史の本当の勝者というのは、実はこういう人物なのかもしれない。

 さて、そろそろ蘇州を去る時間がやって来た。実は、今夜の上海雑技団のチケットを予約済みなので、公演に間に合うように上海に戻らなければならない。

 真面目な運ちゃんにバンを飛ばしてもらい、我々は夕方の5時に上海に帰ってきた。ホテルの前で丁重にお礼を言って運ちゃんと別れ、その後は自由行動となった。各自で食事を摂って、雑技団の公演会場であるヒルトンホテル前に8時集合ということになったのだ。俺はもちろん、御子ちゃんと戸丸さんとつるんだ。いつものトリオ復活というわけ。

 すると戸丸さんが、「ヒルトンの近くにハードロック・カフェがあるから、そこに行こう!」と言い出した。彼女は、マクドナルドのみならず、ハードロック・カフェの愛好者でもあるらしい。この店は、世界中どこにでもチェーンを出している、その名のとおりのカフェである。俺と御子ちゃんは諸手をあげて賛成し、かくしてトリオは、ハードロックをガンガン聴きながらアメリカンテイストのディナー(ステーキとかポテトとか)に舌鼓を打ったのである。俺はロック愛好家だから、この店の雰囲気は実に楽しかった。それにしても、戸丸さんが「実は再来月、結婚して監査法人を退社する」という爆弾発言を投げたのには驚いた。俺と御子ちゃんは、目を白黒させて頷くのみであった。

 やがて時間になったので、トリオはヒルトンの前で中村先生や奥井、花井さんと合流した。この巨大なホテルは、信じられないほどバブリーな造りをしている。こんな豪華な建物に入るのは、生まれて初めての経験だ。

 上海雑技団は、やっぱり凄かった。机とか椅子とか食器とか包丁とか、とにかく身の回りの品だけを使ってサーカスをやるのである。彼らのあの体の柔らかさときたら、いったいどういう訓練をすればああなるのだろうか。隣の御子ちゃんは、「すごいぞー!」などと絶叫していたが、俺は実はそれどころではなかった。声をあげようとすると、たちまち咳込んでしまうのである。どうやら、風邪をひいたらしい。

 実はこのころ、香港を中心とした東アジアでは、「鳥インフルエンザ」というのが隆盛を極めていた。インフルエンザのくせに、極めて高い致死率を誇る悪疫である。もしかするとそれに感染したのだろうかと、ムチャクチャに不安になった。

 そういうわけなので、公演が終わると、俺はヒルトンホテルの近くのドラックストアに走った。もちろん、風邪薬を調達するためであるが、この店では品物の表示が全て中国語なので、どれがどういう薬なのかまるで分からなかった。それでもなんとか、英語表記の品を発見し(俺は、中国語より英語のほうが分かるのだ)、それらしい風邪薬をゲットすることに成功したのである。

 店の入り口で薬を飲んでから(ピルだから、水無しでも飲めた)みんなに合流した。ヒルトンの入り口付近で次の予定の相談をしたところ、どうやら女性陣はみんな上海賓館に戻って休むらしい。

 残されたのが男三人なら、行くところは決まっている。

 中村先生が「私がおごるから」と言ってくれたので、図々しさなら中国人以上の俺と御子ちゃんは、先生についてヒルトンホテル最上階のラウンジに繰り出した。想像したとおり、とんでもなくバブリーなラウンジだ。酒の値段も、目玉が飛び出るくらいに高い。なんでこんなに高いのかと思ったら、すんごいゴージャスな美女がゾロゾロ現れて隣に座ってくれるのである。ほとんどキャ○クラだな。でも、これほどの美女に酒を飲ませてもらえるなら、まあこの料金体系でも悪くない。気のせいか、風邪の悪寒もおさまった。薬の効果なのか、美女の笑顔のせいなのかは分からない。

 同じフロアに個室カラオケもあったのだが、これはレンタル料が1時間1万円もする。きっと、歌を歌えるだけじゃなく、別種のサービスもあるのだろう。バブルのころは、日本のビジネスマンたちが、こういうところに会社の経費で入り浸っていたのだろうな、恥さらしどもめ。そう考えると、悪寒がまたぶり返してきた。

 上海では、料金体系が完全に二極化している。すなわち、金持ち用(外国人用)と庶民用(一般人用)である。昔は、法的にも二分化されていたらしいが、今では表面的に統一されている。でも、それはあくまでも「表面」であって、やはりこういった格差は厳然として存在するのだ。俺は「庶民派」なので、金持ち待遇を受けるのは好きではない。でも、こういった経験も大切なことだと割り切って、ラウンジの豪華な雰囲気を楽しんだ(都合がいい男だねえ)。

 しかし、風邪ひいてボロボロなのに、よくもあんな深酒をしたもんだ。

 上海賓館にたどり着いたとき、俺の体力は完全に崩壊していた。そのため、風呂にも入らずベッドの中に潜り込んだ。御子ちゃんの心配そうな励ましを聞きつつ、俺の意識は半ば朦朧としていた。これは本当にヤバい。マジで死ぬのではないだろうか?

 今にして思えば、なんと虚しく儚い一生だったのだろう。

 人生の中で、このときほど死を覚悟したことはない。

 やがて、俺は意識を失った。

 きっと、二度と目覚めることはないだろう。

 みなさん、さようなら。

 

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