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世界旅行記

ハンガリー旅行記(附第二次オーストリア旅行記)

7月5日木曜日 ショプロン、ウイーン軍事博物館

             SOPRON

ショプロン旧市街

 

 朝6時だ。いやあ、夕飯も食わずに良く寝たものだ。それでもちっとも腹が減っていないのが、体調が悪いことの何よりの証拠だ。

 でも、朝風呂を浴びてから、うがいをすると痰が大量に出た。これは、回復基調に乗ったことの証であろう。やはり、昨日無理をしなかったのが良かったのだ。

 そこで、今日は予定通り、ハンガリーへの第一次越境侵入計画を実行する。すなわち、ハンガリー最西端の中世都市ショプロンを訪れるのだ。

 最初は、オーストリア南部の都市グラーツを訪れようかと考えた。でも、往復7時間も電車に乗って行って、そんなに見るべきものもないのである。だったら、往復2時間半でハンガリーの中世都市を見たほうが楽しいに決まっている。ショプロンは、ブダペストからよりウイーンからの方が近いのである。

 そこで、マズい朝飯を掻っ込むと、颯爽とウイーン南駅(シュッドバーンホフ)に向かう。U4でカールスプラッツまで出てからU1に乗り換えだ。

 地下鉄南駅から国鉄南駅までは、結構、距離がある。500メートル近く歩いて、ようやく到着。ああ、懐かしい。実は、国鉄南駅は、俺が最初にウイーン市街の土を踏んだ場所なのだ。・・・あの時は、西駅と間違えて空港からのシャトルバスを降りたため、迷子になったんだけどね。

 時刻表を見ると、しまった、ショプロン行きは発車したばかりか。おや、なんだ、1時間ごとに出ているじゃないか。1時間くらいは、別にどうってことはない。

 切符を買うと、駅の東側に拡がる公園を散歩することにした。夕方から、この公園内の「軍事博物館」を見学する予定なので、地理を頭に入れておこうと思ったのだ。いやあ、良い公園じゃないか。何より素晴らしいのは、池の中に俺の大好きな水鳥が大勢棲んでいることだ。「市立公園」より気にいったぜ。こうして、朝の陽光の中を浮かれ気分で散歩してから駅に戻った。

 南駅は、少しユニークな構造だ。乗り場は二階にあるのだが、上がったところで正面と右に通路が分かれる。これは、正面(つまり東南)に向けて発車する電車のプラットホーム群と、右(つまり西南)に向けて発車する電車のプラットホーム群に分かれるということである。

 俺の乗るショプロン方面の電車は、右側のプラットホームにあった。でも、ショプロン市自体はウイーンの東南に位置するのだから、西南に向かって発車してから、どこかで針路変更するのだろうな。

 電車は、コンパートメント形式ではなく、向き合う形で座席が一組ずつ並ぶ形式のやつだ。空いていたので、誰も俺の前には座らなかった。どうやら、今日は恐怖のオバサン地獄から解放された気配だ。神様、ありがとう。

 いやあ、窓外の景色は素晴らしい。見渡す限りの麦畑やヒマワリ畑の中を走るのだ。いやあ、実に美しい。でも、こんなところで電車から転げ落ちたら、野垂れ死にするしかないよな。国境を越える瞬間を見たかったのだが、どこが国境なのか結局分からなかった。

 1時間15分でショプロンに到着。思ったよりも小さくて田舎くさい駅だ。全然、国境を越えて異国に来たというイメージが涌かない。でも、国際列車の乗客は、専用の出口に誘導された。ここには警備員が大勢いて、パスポートのチェックを行っている。やっぱり、異国に来たわけだ。警備員さんは俺のパスポートを確認すると、意外なことに日本語で「どうもありがとう」と言った。ハンガリー人が親日的というのは、どうやら本当らしい。

 こうして、念願のハンガリーの大地に降り立つ。土地柄という点では、別にオーストリアと違うところは無いはずなのだが、なぜか明るく華やいで見えた。街角のいたるところにハンガリーの国旗が翻っている。国境の町なので、自己主張を強くしているのだろう。

 駅の便所に行ったら、50フォリント(約20円)取られた。中国やチェコと同じだ。こういうところが、未だに社会主義なのだなあ。

 さて、とりあえず両替をしなければならないのだが、駅の構内をウロウロしても窓口が見当たらぬ。国内線専用の隣の駅舎に行っても、やはりそれらしい場所が見当たらない。しょうがないので、駅のインフォメーションの窓口で尋ねることにした。

 意外なことに、10代半ばくらいの美少女が座っていた。なんでこんな子供が?と思いつつ、両替所の場所を尋ねると、流暢な英語で「市街に出ればいくらでもあります」と答えてくれた。

 そういうわけなので、駅舎を出て、暖かい夏の日差しを全身に浴びつつ市の中心部を目指して歩いた。町並みや店の雰囲気は、特にオーストリアと違ってはいない。だけど、何か特別な雰囲気を感じるのだ。

 歩きながら、道行くマジャール人たちの様子を観察した。みんな、明るくてさっぱりした表情だ。印象的だったのは、子供である。「なんで、こーんなに可愛いのかよお」と、思わず歌いだしたくなってしまう。オーストリアの、こましゃくれたガキなんぞ、目じゃないね。ハンガリー人は、混血が進んでいるせいで、美貌の子供が多いのだろうか?思わず、むしゃぶりつきたくなってしま・・げほ、がは、げへ、冗談だよーん。

 ハンガリー人の起源は、紀元9世紀ごろに中央アジアからやって来た遊牧騎馬民族マジャールである。でも、その容姿は、白人(特にスラヴ系民族)と同様、金髪碧眼の白い肌だ。少数民族であったマジャール人は、混血が進むにつれて、土着のスラヴ族に同化されてしまったのだろう。というわけで、平均的なハンガリー人の容姿は、チェコ人に良く似ているという印象を受けた。そういえば、チェコ人も、ドイツ人に比べて美男美女や可愛い子供が多かったなあ。

 などと想像を巡らしながら、10分ほど歩いて市の中心部に出た。昔の城壁の周りを、大通りが環状に囲む造りになっているようだ。城壁の中には、昔の教会や館がところ狭しと立ち並んで、2年前に訪れたチェコのターボルを髣髴とさせる雰囲気だ。

 環状大通りの東側を歩いていると、右側に大きなホテルを見つけたので、そこで1万円をフォリントに替えてもらった。だいたい30,000フォリントになったかな?しかし、受付の姉ちゃんはみんな美人だ。考えてみたら、この街では、未だに不細工な姉ちゃんにお目にかかっていない。子供のみならず、若い女性も美女ぞろいなのだ!ハンガリーって、なんて良い国なのだろうか!オーストリアなんて、糞みたいなもんだぜ!

 こうして、ウキウキ気分で城壁の内側の旧市街を見学する。まず目に付くのが、高く聳える「火の見塔」である。薄緑と白色に彩色された、円筒形の立派な塔だ。この塔の基底部は通路になっているのだが、ここを飾る大きな門は「忠誠の門」と呼ばれている。この街は、第一次大戦後に、住民投票でハンガリーに帰属することになったのだが、そのことを記念して造られた門なのである。

 そして、古めかしくて情緒たっぷりの「山羊教会」。ここは入場料が無料だったので、樫の扉を開けて中を覗いてみた。このベネディクト派の教会は、薄暗くて荘厳な雰囲気だ。木製の粗末なベンチが幾重にも並ぶ会堂の前方では、僧侶が何か唱えており、その周りには敬虔な信者さんたちが頭を垂れて祈っている。こういう雰囲気も、なかなか良いねえ。

 旧市街の西側の公園で少し休んで、次の予定を決めようと考えた。ベンチに座って「地球の歩き方」を読んでいると、目の前にソフトビニール製のボールが転がって来た。キャッチボールの零れ球らしい。すると、目の前に3歳くらいの可愛い男の子がよちよちとやって来たので、ボールを渡してあげた。男の子は嬉しそうに俺のほうを見つめていたが、やがて笑顔で去って行った。いやあ、可愛いなあ。もう少しで、押し倒して頬ずりするところだったぜ。

 ごほん!市内観光を続けよう。旧市街は案外と小さくて、5分くらいで城壁の端から端まで歩けてしまう。そういえば、チェコのターボルもそうだった。中世ヨーロッパの城市って、どこもこんなものだったんだねえ。そこで、引き返して火の見塔に昇ることにした。

 とりあえず、ハンガリー語を試してみるべし。火の見塔の受付で、切符売りのバアチャンにハンガリー語で挨拶したりお礼を言ったりしてみた。よしよし、通じるぞ。バアチャンは、なんか嬉しかったようで、しきりに「クスヌム・セーペン(どうもありがとうございます)」を繰り返していた。ふふふ、ますますハンガリーの親日感情を増進させたぞ。公金の無駄遣いにうつつを抜かすアホウな外務官僚より、よっぽど国益に資しているんじゃねえのか、俺は。田中真紀子から報奨金を貰いたいくらいだぜ。

 さて、らせん状の階段をグルグルと昇ると、やがて塔の展望台に出る。地上から約20メートルといったところかな?いやあ、素晴らしい眺めだなあ。旧市街の赤屋根の綺麗なこと綺麗なこと。・・・残念ながら、ターボルには劣るけどね。

 いつのまにか、お昼を過ぎている。だんだん腹が減ってきたので、環状大通りの東側に出てレストランを探すことにした。やっぱり英語が通じるところがいいよなあ、と思いながら歩いていると、ドイツ系の観光客がしげしげと出入りしている店を見つけた。これだけ人が出入りするということは、よっぽど美味いのだろうな。そこで、この店に入ることにした。

 良かった。ちゃんと英語のメニューもあるぞ。ウエイトレスを呼んで、ビールとグヤーシュとタタールステーキとキャベツサラダを注文した。

 いやあ、感じの良い店だ。邸宅の中庭を開放したオープンエアレストランになっている。おまけに、太ったオジサンがピアノの生演奏を聞かせてくれるのだ。

 ビールをチビチビやっているところにグヤーシュが来た。グヤーシュというのは、ハンガリーの名物料理で、要するにビーフシチューである。いやあ、美味い。こんなに美味いとは思わなかった。スープのだしは辛口パプリカなのだが、この辛さがたまらない。喉越しがキュッと辛いのだが、舌先に残らないし、後で喉が渇くこともなかった。具も美味しい。牛肉は程よく煮込んであるし、ニンジンやジャガイモやタマネギもグッド。底のほうに沈んでいるマカロニの欠片も、スープに良く合う。

 すっかりハッピーになったのだが、次の料理がなかなか出てこない。店がだんだん混んで来たので、相席をしなければならなくなった。ハンガリー美女が座ったかって?そんなわけはないでしょう。だって俺は神に見放された生き物なんだぜ。ゲルマン族のバアチャン3人組みが乱入して来たのよ、これが。持ってけ!泥棒!まあ、銀髪のバアチャンたちは、なかなか優雅で上品な感じだったので、そんなに苦にならなかったけど。

 彼女たちは、例の「豚カツ」を注文していた。せっかくハンガリーに来たんだから、別のものにすりゃあいいのに。

 そうこうするうちに、俺のメインディッシュが来た。タタールステーキというから何かと思えば、韓国料理のユッケじゃないか。テンコ盛りした生の牛肉の上に生卵がかかっている。これをかき混ぜて食えと言う事だろう。皿の縁には、ケチャップや塩や胡椒など、いろいろな調味料が料理を取り囲む形で並んでいる。食い終わってから「狂牛病」のことを思い出したが、いまさら手遅れだ。知ったことかい。

 ついでにパン籠も来たのだが、なんと食パンが10枚も入っている。こんなに食えるわけないだろうが。そこで、バアチャンたちに勧めてみる。バアチャンたちは笑顔で「ありがとう、でもいいのよ、あたしたちはこれだけでお腹一杯だから」という趣旨のことをドイツ語で言って、手元の巨大な豚カツを指差した。まあ、そりゃあそうだわな。無理に食わせたら死んじゃうかもね。

 キャベツサラダは、要するにキャベツの酢漬けである。これもなかなか美味かった。それでお足は全部で2,500フォリントくらいだから、日本円で千円ちょっとか。なかなかリーズナブルではある。ただ、お勘定のときに間違えて25,000フォリントを出しそうになって笑われた。どうやら酔っ払っているらしい。いかん、いかん。

 この街は、雑貨屋が多くて便利だ。レストランを出ると、さっそくミネラルウオーターを買い込んだ。それから、街の北側を散策する。中世風の町並みが続く気持ちのいいところだ。パン博物館というのを見かけたのだが、建物がボロくて薄暗いので、中に入るのは見送った。

 意外なことに、日本人らしき老夫婦を街中で何組か見かけた。こいつら、なかなかの旅行通と見たぞ。別に話し掛けようとは思わなかったけど。

 これでだいたい、この街の見所はクリアしたはずだ。そこで駅に戻って帰りの電車の時間を確かめた。おお、2時50分・・・って、あと5分じゃないか!急いで切符を買おうとするが、間違えて国内線の売り場に並んでしまった。売り子のオバサンに言われて気づき、慌てて国際線の売り場に行ったら、中で係員が口論していてなかなか売ってくれない。なんだか、のんびりしてるよな。

 なんとか切符を手に出国審査に行ったら、ここでまたもやトラぶった。俺のカバンが膨れているのに気づいた係官が、全部開けて見せろと言うのだ。こんな純真可憐な美青年を疑うとは、いったいどこに眼を付けてやがるんだ?・・・結局、眼鏡ケースまで開けさせられた。ハンガリーが親日的という見方は、少し修正したほうが良いかもね。いや、もしかすると性質の悪い日本人が急増中なのかもしれない。

 それでも、なんとか列車に間に合った。のんびりと景色を楽しみながら、ウイーン南駅に帰り着く。もう4時半だけど、これから「軍事博物館」だ。南駅の東に広がる公園を散歩しながら、立派な宮殿風の建物に入った。

 受付の兄ちゃんは、とても気さくな感じで好感度大である。英語版の解説が入ったトランシーバーを貸してくれた。

 博物館の展示は1階と2階に分かれている。1階の左翼は第二次大戦とオーストリア海軍の展示だったので、まずそちらに向かった。最初の部屋には、ナチスの軍服やら勲章やら兵器やらが山ほど置いてある。学生風の少女が一心にメモを取っていた。勉強熱心で感心感心。ブスだけどな。

 その部屋をさらに奥に進むと、オーストリア海軍コーナーだ。それにしても、オーストリア海軍だと?この国には、海なんか無いじゃねえか。いったい、どこに船を浮かべるってえんだ?飾ってある海戦の版画を見ると、なんだこりゃ、ハンガリーの軍艦と戦ってるのか?ハンガリーなんて、ますます海が無いじゃねえか。ますます嘘くせえ。・・・でも、冷静になって良く見ると、これはハンガリー海軍ではなくてイタリア海軍だ。国旗が似ているから見間違えたのだ。なるへそ、「イタリア独立戦争」や「第一次世界大戦」の海戦を描いているわけだな。そうだよ、この国はハプスブルク家の昔は海を持っていたんだよ。

 何となく複雑な心境になる。この国は、おそらくもう二度と海を持つことはないだろう。つまり、オーストリア海軍の歴史というのは、永遠に過去のものなのだ。この博物館の中にしか存在できないものなのだ。歴史の中で、国境線の大きな変化を味わったことが無い日本人には、この不思議な感覚はなかなか分からないだろうな。

 展示物のメインイベントは、Uボートの実物だ。もちろん、あんな大きいものを全て館内に収容しちゃいない。艦橋部分だけを切り抜いて飾ってあるのだ。艦橋の全面にフジツボが付着しており、海底から引き上げたものだということが一目瞭然だ。でも、Uボートってオーストリア海軍か?あれはドイツ軍の兵器では?でも、説明文には「国籍:オーストリア」って書いてある。うわー、見栄っ張りだねえ。確かに、当時のオーストリアはドイツと合併(アンシュルス)していたけどさ、ありゃあ、ヒトラードイツに吸収合併されたんでしょうが・・・。

 さて、海軍展示室の裏手から中庭に出る。ここには、第二次大戦中の各種戦車が無造作に置いてあった。俺の知り合いに戦車マニアがいるので、そいつのために何枚かデジカメで写真を撮ってやった。それにしても、ドイツ軍戦車の説明書きに「国籍:オーストリア」とあるのは笑える。なんだかなあ。

 さて、次に建物1階の右翼に移る。ここは第一次大戦コーナーだ。ここの最大の見所は、第一次大戦の直接のきっかけとなったサラエボ事件の遺品だろう。暗殺されたフェルディナント皇太子が着ていた服や、乗っていた車が飾ってあるのだ。

 皇太子の服は、銃弾の穴や血のりの跡が生々しい。この人の死が、ヨーロッパ世界を破局へと導き、そしてハプスブルク帝国を滅亡に追いやったのだ。なかなか感無量である。

 その奥へ行くと、第一次大戦の軍服や勲章や兵器がたくさん飾ってある。それにしても、大砲は全てショコダ社製だ。ショコダ社というのは、チェコの兵器メーカーである。オーストリアは、チェコの技術に頼りきって戦争していたわけだ。でも、このころのチェコは、オーストリアの一部ではあったものの、民族意識に目覚め、反ハプスブルクに凝り固まっていた。チェコの兵士は、戦場でわざとロシア軍の捕虜になったりしていたのである。そんな連中を頼りにしなければならなかったとは、やはり負けるべくして負けたのかな、この国は。

 立派な階段を昇って2階に移る。左翼はラデツキー将軍やプリンツ・オイゲンのコーナーのはずだが、改装中で入れなかった。ちょっぴり残念。

 2階右翼は、中世ハプスブルク家コーナーだ。三十年戦争を中心に、騎士の甲冑や火縄銃などが所狭しと飾られていた。俺は、今、中世ヨーロッパを舞台にした小説を執筆中なので、良く見て勉強しなければならぬ。そもそも、そのために、この博物館を訪れたのであるから。

 受付で貰った解説トランシーバーは、なかなか具合がいい。主な展示物の前に番号札が貼ってあるのだが、その番号をトランシーバーに入力すると、受話口から英語で展示物の解説が流れ出す仕組みだ。さすがに専門用語が羅列されると閉口するが、なかなか良い仕組みだよね。日本の博物館もこれを真似すればいいのに。

 すっかり満足したので、愛想のいい受付の兄ちゃんに礼を言って、博物館を出た。正門の前に小さな池があるのだが、その真ん中の小島に眼を向けると、なんとイシガメが群れているではないか!俺は亀が大好きなので、ついつい写真を撮ってしまった。

 さて、公園を通って南駅の前へと戻る。途中、水鳥の群がる池を通りかかったのだが、なんとなく惹かれるものを感じてベンチに座り込んだ。周囲のベンチにはジジババが蟻集しているので、さすがに水鳥に菓子をやりに行くのは抵抗がある。

 俺が座ったベンチの横の芝生に、なぜか大勢のハトやガチョウが群がっていた。気になったので観察すると、頭上の木々から野イチゴのような木の実が雨のように降っているのである。奴らは、それを食っていたというわけだ。でも、どうして木の実が降ってくるのだろうか?視線を上にやると、梢の間で一羽のハトが羽ばたいて、木の実を叩き落しているではないか。なんと賢いのだろう。俺は、マジで感心したぞ。

 ウイーンという街はそれほど好きではないが、この公園はたいへんに気に入った。ぜひ、次回も訪れたいものだ。ハトは、今以上に賢くなっているかもしれぬ。

 さて、次の予定については、実は何も考えていなかった。体調の具合によって決めようと漠然と考えていたのである。肝心の体調は、意外と良いようだ。そこで、せっかくだからウイーン中心街でも散歩することにした。

 地下鉄やトラムで行くのは簡単だが、それでは面白くない。そこで、南駅からまっすぐ歩いて北上することにした。途中でベルベティーレ宮殿を見かけたのだが、綺麗に改装されすぎて面白みがなかった。さらにどんどんと北に歩いていくと、大きな噴水を持つ立派な公園に出た。そこには、ソ連の兵隊たちの巨大なレリーフが飾ってあったのだが、これは第二次大戦の記念碑なのだろう。

 道がきちんと把握できたのは、実はここまでだった。なぜなら、今回はちゃんとした市街地図を持っていなかったからである。もともと、今回の旅行では、市街を歩くつもりが無かったので確信犯だったのが、ここに来て蹉跌をきたす羽目になろうとは・・・。見当つけて適当に歩いたところ、すっかり自分の位置を見失ってしまった。どこだ、ここは!でも、観光地の化粧を外した素顔のウイーンというのも楽しい。これ、負け惜しみだよなあ。

 狭い街路をいくつも抜けているうちに、やがて右手に大きな公園が姿を現した。その両端に屹立しているやつは、アレ、アレではないか!確か、ウイーンには全部で4基残っているはずである。そのうちの2基は、前回の旅行で発見済みだ。そして、今、俺の目の前に2基ある。つ、つまり、俺はこの瞬間、ナチスが築いた高射砲台を全て実見したことになるのだ!やったぜ!これでもう、ウイーンについて思い残すことは一つもないぜ!

 それにしても、迷子になったお陰で念願達成とは、偶然にしても出来すぎだ。やはり、神は俺を見捨ててなかったのだなあ。早くシュテファン寺院に辿り着いて、お参りをしなければならぬ。

 ところが、道はますますド壺に嵌ってしまった。大通りが何箇所かで工事中だったため、イメージどおりの道を歩けなかったせいもあるだろう。時刻は非情に過ぎ去り、腹も減ってきたので、近くのスーパーでジュースとパンを買い込んだ。パン売り場のオバサンは、笑顔で「どうも、あり」と日本語を喋った。どうしてかと首をかしげていると、スーパーに日本人の団体観光客が大挙して襲来してきた。おそらく、この近くに旅行会社御用達のホテルがあるのだろう。売り子のオバサンが日本語を知っていたとしても、それほど不思議ではないというわけだ。

 パンとジュースを小脇に抱えて、なおもウイーン中心部を目指す。ウイーンというのは、東京と同じで、どこに行っても同じような建物が並ぶ単調な造りで、目印となるシンボルが無いので、一度迷子になったらたいへんなことになる。もっとも、通りの名前は明記されているので、精密な地図さえ持っていれば問題ないのだったが。

 だんだんと足が痛くなってきた。歩きすぎではない。今回の旅行に備えて新調した靴が、少し小さ目だったのである。俺の足指は、普通よりも長いので、小さ目の靴だと足指が圧迫され、互いに擦れ合ってたいへんなことになるのだ。

 足の痛みに耐えながら健気に歩き続ける俺の前に、地下鉄U3の駅が現れた。駅名を見てビックリ。随分と北西方面に流れていた。そこで、進路を東に変えて歩き出す。まっすぐ行けば、ウイーン大学や市庁舎にぶつかるはず・・・。ところが。

 目の前に横に伸びる大通りを発見。その道の反対側には、鬱蒼と繁る木々の群れ。俺は、これは王宮の公園に違いないと確信した。つまり、この大通りがリンクなのだ。リンクに沿って南下すれば、オペラ座やグラーベンに突き当たるはず。ようやく愁眉を開き、大通りを右に進んだ。

 おかしい。こんな景色は見たことがないぞ。やがて、道の左側に巨大な建物が。そこに書かれた大きな文字は「南駅」。俺は、思わず崩れ落ちそうになった。脳天をアスファルトに叩きつけるところであった。こいつは参った。これは完敗だ。

 いったいどういうわけか謎なのだが、グルっと回って元の場所に帰ってきてしまったのだ。なんのために2時間近く歩き回ったんだか。それにしても、リンクに一度も突き当たらずに南駅に帰ってくるとは、我ながら器用である。もしかしてマジシャン?

 疲労困憊した肉体と精神を持て余しながら、俺は地下鉄南駅に向かった。諦めて、地下鉄U1でシュテファン大寺院に向かおうと思ったのである。切符売り場で、英米系の姉ちゃんに道を聞かれたのだが、なんで東洋人の観光客に道を聞くんじゃい!どうやら俺は、相当に図々しい奴に見えるらしい。・・・答えてやれなかったけど。

 さて、シュテファン大寺院だが、相変わらず渋谷のセンター街みたいなところだった。2年ぶりだから、懐かしかったけどね。それにしても、2年前と同じところが未だに工事中なのはどういうわけだ?予算が無くて工事が止まっているのだろうか?

 グラーベンの辺りを少し散歩してから、ケルントナー通りをオペラ座に出て、カールスプラッツからU4に乗ってホテルに帰った。カールスプラッツの地下街でも、寿司バーを見かけたが、大繁盛で良いことだ。たくさん寿司を食えば、オーストリア人ももっと健康になることだろう。ババアどもも、豚カツよりは寿司の方が体に良い事を悟るだろう。

 昼飯が重たかったせいか、あまり腹は減っていなかった。そこで、スーパーで買い込んだパンとジュースをホテルの部屋で食って、その日はさっさと寝た。

 

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