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世界旅行記

ハンガリー旅行記(附第二次オーストリア旅行記)

7月9日月曜日 帰国

 7時に眼が覚めた。今日は国に帰るだけの日だ。遅い朝飯を食いに行ったが、やはり食欲をそそられるものが乏しかったので、パンとコーヒーで腹を膨らせた。

 それにしても、国際色豊かなホテルだ。食堂への行き帰りで幾組もの観光客に出会ったが、アメリカ人ありベルギー人あり、韓国人あり。どうして分かるかというと、英語で世間話くらいは交わしたからである。また、中東系の人も多く見かけた。さすがはハンガリー、まさに東西世界の交差点なのである。

 部屋に戻る途中のエレベーターで、白人青年にいきなり「日本人?」と英語で聞かれた。「そうだよ」と答えたら、彼は日本語で「おはようございます!」と言った。どうして日本語を知ってるのか?でも、彼が知っている日本語は挨拶だけだった。二言三言英語で会話したが、エレベーターが俺の階(12階)に着いてしまったので、彼とはそれまでとなった。彼が、どこの国の人かも聞きそびれた。意外と、親日的な人って多いのかもしれない。

 8時40分が、旅行会社の送迎係との集合時間なので、8時30分に準備を済ませてチェックアウトに向かった。すると、「Mr.Miura」の張り紙を掲げたハンガリー人のオジサンがロビーに立っていた。もう来たのか、早いな。

 例の、ロシア語訛りの受付を相手に、早口でチェックアウトの手続きを済ませると、さっそく、太った初老のオジサンに案内されて駐車場の黒い車に乗った。これから、フェリヘジ空港に行き、10時半の飛行機でアムステルダムまで飛ばねばならぬ。

 運転席のオジサンは、英語が達者な上に、なかなか愛想の良い人で、いろいろな事を教えてくれた。いわく、地下鉄M1は、ヨーロッパ最古の地下鉄であること。ハンガリーの鉄道車両は、ほとんどロシアのお古であること(だからボロいのね!納得!)。自由橋の南にもう1本新しい橋が出来るのだが、これは陽光を浴びて銀色に輝く趣向であること(見てみたい!)。

 俺も、いろいろと話し掛けてみた。

 「日本人は、温泉(the      hot spring)が大好きなんだよ」

 「ああ、知っているよ。オンセン(日本語で)だろう」

 「いろいろ試してみたよ」

 「やっぱり、ゲッレールトが一番でしょう」

 「へーヴィーズが凄かったね」

 「えっ?どこに泊まったの」

 「ブダペストから日帰りだから、たいへんだったよ」

 喜んだオジサンは、ハンガリー各地の珍しい温泉の話をしてくれた。いわく、エゲルには巨大な野外スパがある。ミシュコルツには世界でも珍しい「洞窟温泉」がある。さすがはハンガリー。国内に1000箇所の温泉があるというだけのことはある。

 俺は、「東欧の歴史に興味があり、それを調べに来たのだ」と言ったら(まんざら嘘でもない)、オジサンは大いに喜んで「ここの歴史は深すぎて、本当にいろいろあるからなあ」と言った。

 オジサンは、日本で仕事していたこともあり、ときどき日本語を披露してくれた。「温泉」と「地下鉄」、そしてなぜか「英雄広場」は日本語だった。俺が、「日本語は難しいでしょう」と言ったら、オジサンは「ハンガリー語だって同じくらい難しいさ」と笑顔で答えた。それについては、全く同感である。

 俺は切り出した。「俺はハンガリー人を尊敬している。なぜなら、これだけ多くの歴史的苦難を味わい、何度も何度も占領されているのに、固有の文化や言語を決して捨てることがなかった。それに引き換え、日本は腰抜けだ。だって、たった1度アメリカに占領されただけなのに、アメリカに媚を売って固有の文化を捨てかけている。実に駄目な民族だ」。オジサンは、コメントを差し控えて遠い目をした。

 オジサンは、車が郊外の町を通るたびに、「ここは第二次大戦で破壊され、あの教会だけが焼け残った」という話をした。俺が「1956年の動乱のときはどうだったの?」と尋ねたら、オジサンは一言「レボリューション・・・」と呟いて黙ってしまった。生々しすぎて、語りたくないのかもしれない。

 冷戦時代の労務者の話が興味深かった。ブダペストの鋳物工場では、最初のうちは中国人の労務者が働いていたのだそうな。中国人は、安い給料で本当に熱心に働いたため、市民の賞賛を浴びていた。ところが、中ソ紛争が勃発したとたん、彼らは母国に帰ってしまい、代わりにキューバ人がやって来た。キューバ人どもと来たら、仕事なんてしやしない。昼間から酒とセックスに夢中になっていたのだそうな。・・・やはり、東洋人って勤勉なんだねえ。

 さて、1時間弱で空港に到着した。俺は、オジサンと固い握手を交わすと、荷物を背負ってターミナルビルに入った。オジサンは、俺の姿が見えなくなるまで、ずっと名残惜しげに見送ってくれた。ふふふ、またもやハンガリー人の親日感情を増進させてしまったぜ。

 搭乗手続きを済ませてから財布を見ると、1万フォリントくらい残っている。日本円に戻そうかと思ったが、なんとなく免税店をウロウロしているうちに欲しいものが次々と出て来た。こうしてトカイワインを1本買い、日本語版のブダペスト案内やハンガリー料理のレシピ集を買ったら、残り1千フォリントくらいになった。これを両替してもあまり意味は無いので、そのまま日本に持ち帰ることにした。

 しかし、この1週間の滞在費は、せいぜい3万円であった。ハンガリーでは2万円しか使っていない。ただ、お土産代が全部で4万円くらいかかっているから、合計で7万円の出費だったわけだ。待てよ、2年前のチェコでは3日間で6千円だったぞ。なんで、国民所得が高いチェコの方が、ハンガリーより安上がりだったんだ?実に不思議だ。やっぱり、チェコの方が良い国なのかなあ。食い物も、チェコ料理のほうが美味かったしなあ。

 悩みつつ、飛行機に乗り込む。アムステルダム行きのKLM機は、少し遅れての出発となった。隣に座ったのはデブのオバサン。まあいい。もう慣れたわい。

 スキポール空港で、再び乗り換え。いよいよ、日本への長時間のフライトとなる。でも、往路と同じくKLMのエコノミークラスだから、きっと疲れる旅になりそうだ。

 隣に座ったのは、日本人の綺麗なお姉ちゃんだ。普通の人なら喜ぶところだが、俺は普通の人ではない。海外旅行先で日本人と仲良くなるのは、俺のポリシーに反するのだ。また、姉ちゃんの雰囲気は、どう見ても「親のスネを齧ってロンドンあたりに留学してるのよん」タイプである。そういう娘は俺の趣味ではないので、無視することにした。

 相変わらず寝心地の悪いシートだったが、ラジオの音楽がなかなかナイスな選曲だったし、機内上映映画も面白かった。映画は、「アンブレイカブル」と「デンジャラス・ビューティー」だったが、どちらも良かった。

 「アンブレイカブル」は、既に日本で1度見たのだが、実に良く出来た作品なので、2度目でも大いに楽しめる。ただ、ところどころカットされていたのが気になった。どこがカットされたのか考えてみると、それは飛行機事故のエピソードだった。KLMも、さすがに縁起をかついで、飛行機事故の話を機内で見せないようにしているらしい。・・・だったら、そもそも「アンブレイカブル」を上映しなきゃいいのにねえ。

 「デンジャラス・ビューティー」は、サンドラ・ブロック主演の能天気なコメディだったが、なかなか笑えて面白かった。

 こうして、いつのまにか飛行機は東京上空に近づいていた。俺はあまり眠れなかったので、だるそうに読書していたのだが、いきなり隣の姉ちゃんが話し掛けてきた。「成田から広島に行くには、どうすればいいのでしょうか?」。実にくだらない質問だ。要するに、俺と話がしたかったのだろう。ちいっ、面倒くさい。それでも、親切に広島までの交通路を教えてやった。

 それがきっかけで話が弾んだのだが、彼女は俺の想像通り、ロンドンに留学中の身だという。たまの帰省で実家の広島に帰るところなのだが、飛行機の予約が一杯で、関西行きの飛行機に乗れなかったというのだ。やれやれ、気の毒なことだ。成田から広島まで、早くても5時間はかかるだろう。

 彼女のお陰で、ヨーロッパのいろいろな情報を仕入れることが出来た。どうやら、ロンドンには各国の料理店が急増中で、食べ物が随分と美味くなっているらしい。でも、やはり「狂牛病」の影は深刻で、彼女も牛肉は食べないようにしているそうだ。また、ベネチアの浸水は、日を追って深刻なことになっているらしい。

 普通なら、ここで自己紹介やら住所や電話番号の交換をするのだろうが、既述のとおり、俺は「親のスネ齧りのロンドン留学娘」が嫌いなのだ。どんなに顔が綺麗でも、この原則は変わらない。そこで、名前も聞かずに、とっとと成田で別れた。

 成田空港は曇っていた。時に7月10日火曜日午前9時。

 俺の「第二次個人東欧旅行」は、またしても大成功のうちに幕を閉じたのである。

 それにしても、成田エクスプレスを降りて、新宿で見かけた若者たちの眼の曇り方はどうだろうか。魚の腐ったような、ふやけた眼をしやがって。ハンガリーの純朴な若者たちの姿を脳裏に浮かべ、とても切ない気持ちになる。

 次回はハンガリー語を習得し、「現地妻量産計画」を実行に移すとしようか。うふ、うふ、うふふ。デブになったら現地離婚するけどな!

 でも、歴史の取材という点では、少々、悔いが残る結果となった。せめてブダペストの博物館が開いていればなあ。

 というわけで、ハンガリーを舞台にした歴史小説は、今のところ生まれそうにない。

 いずれにせよ、この国はもう1度訪れなければなるまい。そのころには、経済も上手く行って、人々の生活も豊かになっているかもしれない。でも、若者の純朴な眼だけは、決して失って欲しくないと強く思う。

 

終わり

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