歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

世界史・日本史の隠れた巨人たちを鮮やかに蘇らせる!歴史小説家 三浦伸昭公式ホームページ

世界旅行記

第2次チェコ旅行記

9月3日火曜日 プラハ市内観光

 二人とも、朝6時半に、ほぼ同時に自動的に目が覚めたので、前夜に目覚まし時計をセットする必要は無かったな。テレビのニュースをしばらく見ると、天気予報では曇りか雨っぽい。カーテンを開けて空を眺めると、ちゃんと晴れていたのだが、これから悪くなるのだろうか?

 7時くらいに1階に降り、昨日のレストランで朝飯を掻っ込んだ。やっぱり美味いなあ。パンもサラダもベーコンも、日本のバイキング料理とは比較にならぬ美味さである。これに比べれば、オーストリアとハンガリーの朝飯などカスみたいなものだ。調理法のレベルではなくて、食材の出来から違うのだ。具体的には、サラダもパンも大自然の味がする。日本のように農薬を使わないし、工場で大量生産もしないのだろう。そういうわけなので、ついつい食べ過ぎてしまった。

 膨らんだ腹を撫でながら、7時半にホテルを出て、今日は歩いて旧市街に向かうこととする。アンジェルまで来ると、そこにはトラムを待つ出勤途上のビジネスマンがひしめきあっていた。地下鉄が動いていないから、どうしてもトラムが混むのだろう。我々は、ここからまっすぐに東進して、パラツキー橋でヴルタヴァ川を渡った。橋の上から南を向けばヴィシェフラト、北を向けばカレル橋とプラハ城が朝日の中で輝く。いやあ、やはり素晴らしい風景だなあ。そこで、二人とも、しばしデジカメタイムに突入したのである。

 やがて、川を東に渡りきると、そこには巨大なパラツキーの銅像があった。まあ、最初は誰の像だか分からなかったのだが、パラツキーというのは、19世紀チェコの歴史家兼政治家である。当時、この国は民族復興運動というのが全盛だったのだが、この人はその活動の重要な担い手であった。チェコの民族復興運動について詳しく知りたい方は、ホームページの論説集にある『概説チェコ史』を参照すると良い(と宣伝)。

 さて、銅像の横をまっすぐ東に進むと、大きな長方形をしたカレル広場の西南端に出る。そこを左折して広場沿いを北上すると、昨日見た新市街庁舎に達する。さらに北へ歩くと、スーパーマーケットのテスコだ。この辺りが、中世の昔は、旧市街と新市街の境界線だった場所だろう。

 我々は、ナ・プシーコピエ通りを北に渡り、そのまままっすぐ進み続けた。旧市街は、石畳に覆われた狭い路地が多い。適当に見当をつけながら歩くと、開けた場所に出た。

 そこにあったのは、ベトレヘム礼拝堂だ。ここは15世紀に、宗教改革者のヤン・フスが、2千人の聴衆を集めて講演した場所だ。一度取り壊されて再度建て直されたものらしいが、想像していたよりも大きくて立派だった。拙著『ボヘミア物語』で重要な役割を果たした場所だから、なかなか感無量である。この通りの向こうには、ナープルステク博物館も見えたが、この時間ではまだ開いていないだろうから、見捨てて旧市街広場へと進路を取った。

 

betolem

べトレへム礼拝堂

 

 狭い路地をいくつか抜けると、やがて懐かしい旧市街庁舎とカラクリ大時計が見えてきた。その向こうには、ティーン教会の二本の尖塔も見える。いやあ、実に懐かしい。加賀谷は、初めてだったから、隣で感動しまくっていた。

 ただ、広場の中に2台の大型トラックが入り込んでいるのが気になった。大勢の作業員が、荷台から大きな機材を運び出している。どうやら、コンサートの設営機材のように見えるのだが、チラシもポスターも周囲に見当たらなかったので正体不明だ。

 「おそらくロックバンドが、洪水のチャリティライブでもやるのだろう」と、二人で話しながら、広場の東端を南に折れる。次の目標は、14世紀開講の由緒正しきカレル大学本部(カロリヌム)である。一瞬、道に迷ったかと思ったが、結局、問題なく目的地に到達し、デジカメとカメラをフル動員した。また、その隣のエステート劇場も、外から見学した。

 二人は、東へと進路を変えた。その眼前に聳え立つのは火薬塔である。これは、中世において、プラハ旧市街東端を守る城壁の一部だったところだ。壁は取り壊されたが、厳しい塔だけは残されたというわけだ。その威容を前に、加賀谷は大いに感銘を受けたようだ。

 ついでに、その隣に立つ市民会館の前に出た。ここは、「プラハの春音楽祭」のオープニングが行われる場所だ。今年の5月、日本の小林研一郎がチェコフィルを指揮して「我が祖国」のタクトを振った場所だ。外から見ても、相変わらず美しいなあ。隣の加賀谷は、さらに感動しまくっていた。

 

 siminkaikann

市民会館

 「この程度で感動しているのは甘すぎる。これからが本番なんだぞ」と友人に言い聞かせつつ、ガイド気取りの俺は再び旧市街広場方面に進路を向けた。これから「王の道」を踏破してプラハ城に向かう計画である。

 狭い路地からクレメンティヌムの脇を抜け、いよいよ川辺に出たところ、我々の眼前には、懐かしきカレル橋が健在だった。「よくぞ、洪水に持ちこたえたものよ・・」と感動しながらその上を渡る。まだ朝9時だから、観光客の姿は少ないし、物売りやパフォーマーの姿も無い。ただ、欄干を彩る高名な石像のいくつかは、白色のレプリカに置き換えられていた。これはおそらく、損傷部分を補修中のためなのだろう。あるいは、丸ごと川に流されたのかな?

 

 karelmost

カレル橋とプラハ城

 橋の西側に渡りきると、もう小地区だ。周囲を見ると、川沿いのレストランはすべて休業中だし、カンパ島も薄汚れてひどい有様だった。やはり、洪水の影響はいたるところに感じられる。

 とりあえず直進して小地区広場の前に出た。高名な聖ミクラーシュ教会が聳えていたが、あいにく補修中だったため、外観は鉄骨や補修機材で醜くなっていた。すると加賀谷は、「これが『コーリャ』に出ていた有名な教会だね」と言った。勉強家の彼は、国を発つ前にチェコ映画『コーリャ愛のプラハ』をビデオで見てきたのである。この教会は、確かに主人公の部屋の窓から良く見える位置にあった。

 『コーリャ』の話題で盛り上がりながら、教会を一通り写真にとると、我々は城に向かって西進した。だんだんと坂道がきつくなり、二人ともふうふうと息をきらすが、なんとか休憩を取らずに城門の前まで上りきった。

 いやあ、実に懐かしい。全然、変わっていない。青い服の衛兵は相変わらず無表情に突っ立っているし、その背後の二つの巨人像の後ろのポールには、チェコの三色旗がはためいている。

 しばらく城門前のフラッチャニ広場をウロウロしてから、城の中に突入した。俺は、前回は歴史博物館くらいしか行かなかったのだが、今回は時間をかけていろいろ見ようと心ぐんでいた。そこで中庭のチケット売り場に、城内施設の共通チケットを買いに行ったのである。

 売り場には、無愛想なオバサンがいて、英語で「二人分を1枚でいいかい?」と聞いてきた。一瞬、意味が分からずとまどうが、横の加賀谷がすぐに気づいて助言してくれたので、「オーケー」と答えた。ここは、申込者が複数人数であっても、チケットを1枚しか発券しない仕組みになっているのだ。紙資源とコストの節約という点では、なかなか良い仕組みだと思う。これは、日本も見習うべきだろう。

 さて、渡された1枚の大きなチケットには、その券で見られる施設の場所と名前、そして拝観順序までご丁寧に書いてある。そこで我々は、順序どおりに聖ヴィート教会に向かうことにした。「驚くなよ」と加賀谷に言い置いてから、一緒に中庭の門をくぐった。

 いやあ、天空に向かってそそり立つ聖ヴィート教会は、いつ見ても荘厳だ。これよりすごい教会は、バチカンですら見たことがない。隣の加賀谷も、目を丸くして感動していたほどだ。俺は、3年前は外から見ただけで中には入らなかった。というのは、あのときは開館前に来てしまったので入れなかったのである。

 今回は、係員にチケットを見せて、大きな門から教会の中へと足を踏み入れた。やはり、内部も巨大で立派だ。写真撮影は禁止だったのだが、ムハが描いたステンドグラスに目がくらみ、ついついデジカメを使ってしまった。・・・係員には気づかれなかったらしい。

 

stendmuha

 教会の中ほどまで進むと、左側のエリアに白いロープが張ってあり、その前に係員らしきオジサンが立っていた。チケットを見せると、一昔前の電車の改札に使うような鋏で、チケット上の1aと書かれた欄にパンチをくれて、それからロープの隙間から中に通してくれた。

 奥に向かって歩くと、そこは歴代のチェコ王が即位した祭壇の置かれた場所だった。俺の小説の中でも、神聖ローマ皇帝ジギスムントが戴冠式をあげる場面がある。その祭壇の前には日本人観光客が20名ほど群れており、ガイドらしい白人が神聖ローマ帝国の歴史について日本語で熱心に語っていたので、我々も観光客に混じってしばし耳を傾けた。個人旅行の欠点はガイドがつかない点なのだが、その欠点は、こうして多少は補うことが出来るというわけだ。

 ガイドの長話に飽きたので、我々は観光客の群れを離れてさらに奥へと向かった。あちこちに懺悔の施設などが置かれて興味深かったのだが、だんだんと単調になる。最奥まで入り込むと、教会右翼側に、さらに白いロープが張られた場所があり、白人の老夫婦が係員と話しこんでいた。今から思うと、そこがチケット1bの入り口だったのだ。ただ、そのときの俺は単調な調度品に飽きていて、しかも老夫婦の腰を折るのも嫌だったので、友人をうながしてそのまま元来た道を引き返してしまったのである。

 1aのオジサンの横から教会の入り口の方へ出た。ふと気づくと、教会右翼にも白いロープが張られている。どうでもいいかな、とも思ったが、せっかくだからそのロープの前に行くと、係員の若い姉ちゃんが「裏から回ってください」と早口に言った。なるほど、1aの入り口から出て来てはいけなかったのだな。1aの奥からグルっと回り、この可愛い姉ちゃんのところから外に出る順序だったのだろう。まあいいや、と思った俺は、加賀谷をうながして教会の外に出た。

 実をいうと、俺はこの1日だけでプラハのミーハーな観光名所を制覇するつもりだった。そして、2日目以降は、なるべく郊外や地方の街に行きたかったのである。だから、聖ヴィート教会にいつまでも拘ってはいられなかったというわけ。加賀谷くんには内緒だったけど、いい加減なガイドだなあ。

 さて、次なる目標は王宮だ。その前に、トイレで連れションとしゃれ込んだ。チェコのトイレは、基本的に有料なのだが、ここはタダだったので嬉しくなる。

 王宮の入り口に行くと、係員が我々のチケットを見て、「ここに入ると、もう1bを観られなくなるよ」と忠告をくれた。どうやらこのチケットは、順番どおりに拝観しないと、スキップされた部分が無効になるらしい。まあいいやと思い、かまわず中に進んだ。すると、いきなり広大なホールに出た。歴史に名高いヴワディスワフ・ホールだ。完成当時は、ヨーロッパで最大のホールだったというここは、現在でも大統領選挙が行われる場所らしい。その右脇の通路からは、プラハ全市が見渡せる壮大なテラスに出ることが出来る。うちの天皇と皇后も、つい最近、ここからプラハ市を眺めたはずだ。俺と加賀谷は、雄大な景色を思う存分楽しんだ。あいにくの逆光なので、写真はとりづらかったのだが。

 

 oukyuuyori

 その後、ホール奥の礼拝堂や、ホール上階のアンティーク品などを見学したのだが、展示物の表記がすべてチェコ語だったので、ほとんど理解できなかった。ただ、拙著『ボヘミア物語』にも登場する貴族たちの紋様の展示は興味深かった。

 王宮の出口に向かう途中に地下に降りる通路があったので、興味にかられて見に行ったのだが、そこには薄暗い地下室がいくつかあるだけで、展示品は何もなかった。おそらく、これから展示場にする予定なのだろう。また、一番深い地下室には掘削の跡があったが、これは発掘調査の途中ということらしい。プラハ城は、10世紀に出来た古い城だから、最初の遺構は地中深くにあるに違いない。調査結果が楽しみだ。

 さて、こうして王宮から出る。地下から出てきた我々は、まぶしい陽光に眼を細めた。

 次なる目標は、聖イジー教会だ。我々は、聖ヴィート教会の裏手に回り、目的地の入り口に達する。聖イジー教会は、聖ヴィート教会に比べると小さくて派手さはないが、城内で最も古い教会であり、建築学的にも極めて貴重な存在なのだそうだ。まあ、俺も加賀谷も、建築学にはそんなに興味がないのだったが。

 で、その入り口では兄ちゃんがコンサートのチケットを売っていた。夕方から、この教会の祭壇でクラシックのコンサートをやるらしい。その演目は、バッハやヘンデルが中心だ。やはり教会だから教会音楽にするってか?それにしても、貴重な歴史遺産の中でコンサートをやるセンスは、日本ではほとんど考えられないだろう。でも、これがチェコ人なのだ。

 我々は、コンサートチケットには眼もくれず、教会の見学に入ったが、やはり聖ヴィートに比べると見るところが少ない。普通の教会だ。こっそり写真を撮ろうと思ったら、係員のオバサンに見つかって怒られてしまった。

 そうそうに教会を出てからチケットを見ると、次の順路は「火薬塔」である。少し戻る形に歩き、城の北側に出る通路から、円筒形で3階建ての火薬塔に入った。ここは、文字通り火薬を備蓄する施設なのだが、ルドルフ2世の治世(16世紀)には、錬金術の研究所となっていたらしい。そのためか、塔内の展示はケプラーやティコ・ブラーエなどの科学者の事跡や化学実験の道具に関する内容が多かった。

 足早に火薬塔を出ると、次の順路は「黄金小道」である。ここは、カフカが生活していたことで有名な場所だ。でも、3年前はスルーパスだったはずだが・・・。案の定、入り口のところに門が出来て係員が立っていた。ここが観光名所になりうることを悟って、最近になって有料制にしたのだろう。別に、たいして面白いところでもなかったけどなあ。中には、日本人観光客が大勢いて写真を撮り合っていたので、俺も加賀谷も興ざめした。足早に小道とその周辺を散歩して、城の東端にあたる出口から外に出た。

 すると、出た場所の左横に薄暗い地下室への入り口があり、「ダリボルカ」なる表示があった。これは、スメタナのオペラの題材にもなった史跡である。15世紀末、貴族のダリボルが王の怒りに触れてここに幽閉されたというのだ。興味にかられた我々は、この薄暗い場所へと降りて行った。ここは、良く見ると2層になった石塔であり、1層目の床の中央に大きな井戸のようなものがあって、その表面を厚いガラス板が覆っていた。どうやら、この井戸みたいな中に、ダリボルは幽閉されていたのだろう。日も差さぬ恐ろしい場所に、実に気の毒なことである。他の観光客は誰も降りてこないので、我々は思う存分恐怖にひたれたのであった。

 さて、「黄金小道」の見学で、共通チケットに示された順路は終了だ。我々は、他のところも見て回ろうと、再び陽光を浴びながら城内に戻る。「おもちゃ博物館」には興味がないので素通りし、その正面にあるロヴゴヴィッツ宮殿の前に立った。3年前、ここにある歴史博物館から大きなインスピレーションを受けたことを思い出す。ただ、あのときは予備知識がなかったので、展示の1/3も理解出来なかった。でも今回は、チェコ史の知識を存分に蓄えて来たので、雪辱戦に勝つ自信は十分だ。

 それにしても、入り口の前で、元気な兄ちゃんがコンサートのチケットを売っている。これは、聖イジー教会のとは別口で、1時半からこの宮殿内でやるものらしい。演目は、ヴィヴァルディやモーツアルトだ。時間的には、なかなかちょうど良いので、しばしば悩む。でも、とりあえずは歴史博物館に突入することにした。加賀谷は、文句を言わずについてくる。良い奴だなあ。

 愛想の良いバアチャンたちの笑顔と挨拶を受けながら、3年前と少しも変わらぬ博物館を行く。今の俺は、加賀谷の質問に完璧に答えられるぞ。それにしても、やはり見事な博物館だ。わが国でも、こういう総合的な日本史博物館を作れば良いのに。

 ある部屋では、係員のバアチャンが気を利かせてテラスのドアを開けてくれた。そこからベランダに出ると、王宮とは違った角度からプラハ全市を眺望出来て、そよ風がとても気持ち良かった。3年前にも気づいたことだが、旧社会主義国にしてはサービスがいいんだよな、チェコは。

 最後の展示部屋(民族復興運動コーナー)には、相変わらずノートが置かれていたので、俺は「TOMEITO 三浦&加賀谷」と日本語で書いた。「とめいとう」というのは、幼馴染が仲間内で使う一種の隠語である。ついに、世界に羽ばたいてしまったか!

 そんな我々は、見学を終えても、バアチャンにさえぎられて最後の部屋からは外に出られなかった。ドアの向こうからソプラノ歌手の歌声がするから、どうやらこの奥の広間がコンサート会場で、現在、リハーサル中ということらしい。そこで、元来た順路を戻って、入った扉から外に出た。それにしても、お客さんが俺たち以外に誰もいなかったけど、普通の外国人観光客は、あまりこういうところに来ないのかもしれぬ。

 時計を見ると、12時50分である。これなら、この宮殿のコンサートに間に合うぞ。宮殿の入り口でチケット売りの兄ちゃんに渡されたチラシを見ると、料金は390コルナ。つまり1,500円だから、安いといえば安い。そこで、加賀谷と相談してコンサートを聴くことにした。加賀谷はクラシックに興味ないはずだが、付き合いが良いので実に有り難い。

 二人は、時間まで、聖イジー教会前のオープンエアのカフェで休むことにした。俺は黒ビール、加賀谷はジュースを注文した。加賀谷は、自称「子供の味覚」なので、酒やコーヒーより、水やジュースが好きな人なのだ。まあ、痛風を気にしての行為でもあろう。

 空は晴れ渡り(天気予報は何だったんだ)、風は気持ちよいし黒ビールはうまいし、眼前には二つの立派な教会が威容を競っているしで、もう言うことはない。やはり、プラハは良いなあ。来て良かったなあ。

 さて、時間になったので、再びロヴゴヴィッツ宮殿に舞い戻る。地階で小用を済ましてから(有料だった)、3階の会場まで階段を昇る。会場は、昔風の貴族のサロンだ。この隣の部屋が、さっきまで俺たちがウロウロしていた博物館の最後の展示場なのだろう。客席の折り畳み椅子は、約1/3を残して満席だった。

 コンサートは、ピアノ、フルート、ヴァイオリン、そしてソプラノヴォーカルの4人編成で行われた。どれも、チェコでは有名な楽士らしい。ヴォーカルの姉さんは、白い鬘の宮廷風衣装で登場した。それぞれがソロ演奏を聞かせてくれる場面もあり、小曲ばかりではあったが、実に素晴らしい音楽を1時間にわたって奏でてくれた。ただ、俺はビールが回ってきたためか、途中で5分ばかりウトウトしてしまったのだが。

 それにしても、プラハはクラシックが好きな街だ。3年前に来たときも、街のいたるところでコンサートの案内が配られていた。平均的な日本人の感覚では、クラシックの本場はウイーンということになるのだろうが、実際にはプラハに遠く及ばないだろう。日本のマスコミは、こういう点で著しく偏っていると思う。いまだに、「西側」とか「東側」という感覚を引きずっているのだ。これは、実に情けないな。

 さて、宮殿の外に出るともう2時半なので、そろそろ飯を食いに行くべし。王宮の正門方面に戻り、土産屋を物色してから鹿の谷を北に渡り、王宮庭園の在る方へ向かう。この辺りに、大統領や政治家ご用達のレストランがあるはずだと思って探していると、地下鉄フラッチャニスカ駅がある大通りとの交差点に、ルヴィ・ドウブールというレストランを発見。入り口のメニューを見ると少し高めかとも思ったが、まあいいかと店内に入った。

 ウエイトレスに案内されて中庭の席に座り周囲を眺めると、昼飯の時間帯を過ぎているせいか、お客さんは疎らだ。定番どおり(?)、ビールで加賀谷と乾杯し、サラダとスープと鶏料理を頼む。料理の出方は妙に遅めだったが、味はどれもナイスだった。さすがは、政治家ご用達だけのことはある。

 ヨーロッパの食事でいつも感心するのは、サラダが美味いという点である。日本の野菜と違って自然の甘みがあるのだ。きっと、農薬漬けにしたり、つまらぬ品種改良をしたりしないせいだろう。目の前のサラダをよく見ると、キュウリのあちこちに包丁で削った痕があるが、これは恐らく虫食い部分を削ったのだろうな。それにしても、チェコの野菜は本当に美味いと思う。俺と加賀谷は、文字通りむさぼるように食った。また、付け合せのパンも、信じられないほどの美味である。そのせいで、メインディッシュが来たときには既に満腹で、必死に腹に詰め込むような風情であった。せっかく美味のチキンが、もったいない・・・。

 なんとか皿を空にすると、ウエイトレスがすかさず駆け寄って「デザートは?」とか「コーヒー?紅茶?」とか巧みに聞いてくる。これはなかなか断りきれず、コーヒーくらいは注文してしまう。コーヒーを飲み終えたら、またもやウエイトレスがやって来て注文を始める。俺は、「もういいよ、もういいよ」と何度も言って、ようやく「お勘定」に漕ぎ着けた。だいたい、一人2千円くらいだったから、チェコにしては高い。観光客料金だったのかな?それにしても、彼らの積極的な営業精神はなかなかすごい。チェコ経済の躍進は、こういう人々に支えられているのかもしれぬ。

 ほろ酔い加減で店を出た二人組は、美しい王宮庭園を散歩し、ヴェルヴェデーレ宮殿の前でしばらく休んだ。こちら側から見た聖ヴィート教会も、実に壮麗ですごい。このような建築遺産は、人類の滅亡の日まで保全するべきだと心から思う。

 さて、次なる目標はストラホフ修道院だ。いったんプラハ城まで戻り、正門(西門)からフラッチャニ広場に出る。そこから懐かしいロレッタ教会の前を通り(俺が3年前に昼飯を食った、教会横のレストランは健在だった!あの可愛いウエイトレスは元気にしているのだろうか)、さらに西へ西へと歩くと、白い立派な修道院前に達した。

 

stotahof

 入り口で切符を買って2階に上がると、観光客でごった返した展示場に出る。その階には、それぞれ「哲学の間」、「神学の間」と呼ばれる2つの大きな図書室があった。左右に並ぶ2段の本棚には、古色蒼然とした中世の書籍がビッシリだ。あいにく、入り口に太い棒が渡してあって室内には入れないのだが、入り口から中を見渡すだけで、中世ヨーロッパの知の伝統の深さを十分に感じ取ることが出来るから、これは楽しい。振り返ると、背後の壁に生物の標本などが飾られていたが、これも年代ものなのかどうかは判断できなかった。

 さて、次なる目標はぺトシーン展望台だ。修道院からまっすぐ南に向かえば近いはずだが、展望台は小高いところにあるので、かなり遠く感じられる。加賀谷は「あそこまで登るの?」と難色を示したが、俺は聞こえなかった振りをして(ひどいな!)どんどんと歩を進めた。

 修道院は、ぺトシーン丘とフラッチャニ丘の接点に立っているから、少し南に進むと、たちまちぺトシーン丘の中腹に出ることができる。ここから見たプラハ城とプラハ市の眺望は実に壮観だ。この眺めが数倍に強化されるのが、これから目指す展望台である。そう言って加賀谷を励ましつつ、3年前に降りた山道を今回は逆に登って行ったのである。やはり、登りは険しい。はあはあと息をきらしつつ、ようやく展望台に到達したのであった。

 俺は尿意が我慢できず、展望台前の便所に行ったところ、なんと使用料として10コルナも取られた(相場は3コルナ)。便所に行かずにベンチに座って待っていた加賀谷は、俺の愚痴を聞いて「山の上だからかな?」と軽く言った。彼は、レストランで1杯しかビールを飲んでいないから(俺は2杯飲んだ)10コルナ払わずに済んだのだ。うらやましいやつめ。まあ、考えてみれば10コルナは40円。気にするような問題では無いのだった。

 ともあれ、すっきりしたので、パリのエッフェル塔を模した展望台に突入した。3年前よりも綺麗に整備されているが、相変わらずエレベーターはない。二人は階段を歩いて登り、ようやく最上階までたどり着いた。ここは、映画『コーリャ』に出てきた場所だから、加賀谷には取っ付きやすかったはずだ。

 いやあ、俺は3年ぶりだったが、この眺めはいつ見てもすごい。もう二度と、ここから降りたくない気分だ。二人でカメラとデジカメを忙しく使っていると、小うるさい白人の若者たちが大挙襲来しやがった。その話し言葉はドイツ語であるから、きっとドイツかオーストリアから来たやつらだろう。窓からツバを吐いたりして、実に下品な連中だ。俺のプラハに何をする!お前らの先祖が、60年前にこの国に加えた残虐な仕打ちを忘れたのか!どうも、ドイツっぽは好きになれない。

 

petotenn

 展望台の西側からは、巨大なストラホフ・スタジアムが見えた。加賀谷はサッカーマニアなので、もしも時間が許せば、一緒にサッカーでも見に行くプランもあったのだが、どうもスタジアムは改装工事中らしく、グラウンド内に何台ものシャベルカーが駐留しているのが見えた。ここでもコンサートをやるのだろうか?ともあれ、これで、サッカー観戦はお預けだ。

 すると、背後から白人の可愛い娘さんが声をかけてきた。「英語できますか?」というから何だと思えば、彼氏と一緒の写真を撮って欲しいらしい。ちぇ、彼氏付きかよ!ともあれ、美しい旧市街の全景をバックに、若いドイツ系カップルの写真を撮ってやったわい。でも、綺麗な目をした美男美女の可愛いカップルだったなあ。ドイツっぽも、みんながみんな悪いわけではない、と思い直した。俺も単純だなあ。

 すると加賀谷がにやにやしながら、「あいつら、三浦くんの顔を怖がらなかったじゃん」と言った。このセリフの意味について説明すると、俺は旅行に出る前に、仲間内で「俺の顔は白人には怖く見えるらしいぜ」という話をしていたのだ。加賀谷めは、そのことを良く覚えていたというわけ。まあ、あの女の子は、俺の背後から声をかけたわけなので、俺の顔の怖さを知らなかっただけだろうけど。

 さて、景色に堪能したので階下に下りて、懐かしのケーブルカー駅(3年前に利用したのだ)に向かった。ここから小地区に下りる算段である。ケーブルカーは、結構混んでいたが、やはりドイツ系観光客が良く利用するようだ。これは、どうしてなのか分からない。

 終点駅まで降りると、加賀谷が「水が欲しい」と言い出した。お前はガブラ(特撮ヒーロー番組「アクマイザー3」に出て来る、水ばかり飲んでいる超人)かい!まあ、彼は痛風なので、定期的に水分(アルコール類除く)を補給しなければならぬのだ。

 駅の売店はなぜか閉まっていたので、市街で水を探すことにする。その前に、ぺトシーン公園の子供の遊び場を見に行った。なんで、そんなのを見に行くかって?俺がロリコンだからじゃあ!悪いかあ!

 手ごろなベンチに座って、木製のジャングルジムで遊ぶ可愛い子供たちを見物しつつ、こっそりとカメラとデジカメを取り出した。本当は、可愛い幼女を撮影したかったのだが、あんまり露骨にやると変態の正体がバレてしまうので、少しずらし気味にカメラとデジカメを使った。その結果、何を狙ったのか全く分からぬ写真が出来上がってしまった。ううむ、失敗だ。隣に座る加賀谷は、もう慣れっこなので、友人の変態大旋風を前にしても何の反応も示さなかった。水のことで頭がいっぱいだったのかもしれない。

 公園を見回すと、周囲のベンチでは、奥様方が鈴なりになって井戸端会議を開催中だ。こういう景色は、世界中どこでも同じなのかもしれない。相変わらず、犬を連れて散歩する人が多いけど、3年前に比べ、公園内に撒き散らされた犬のウンコの数は激減している。清掃員が増員されたのか、それとも公衆マナーがパワーアップされたのか?ともあれ、良いことだ。この国は、まさに全ての面で向上しているように見えるぞ。

 さて、ロリコンにも飽きたので、トラムが行き来する小地区の大通りに出た。沿道にボヘミアン・ベーグルの店もあるが、満腹なので残念ながら見送りつつ南下する。繁華街に出れば水くらい売っているだろうと言い合いながら、ヴァーツラフ広場に向かうことにした。そこで、軍団橋でヴルタヴァ川を東に渡った。

 この橋からは、途中で中州(射撃島)に降りられるようになっている。3年前は、この中州の北端に出て、可愛い水鳥たちにチョコレートを食わせたものだ。懐かしさに惹かれて階段から中州に降りようとしたところ、迷彩服の兵隊が駆け寄って、早口に「ここは駄目だ(チェコ語だけどこんな感じ)」と言ったので、諦めて橋に戻った。どうやら、この中州は洪水で完全に冠水し、現在、復旧作業の途中であったようだ。橋のたもとから良く見ると、確かに廃材や泥が中州を埋めていた。ううむ、ここから見たカレル橋やプラハ城は、通しか知らない見事な眺望なのだがなあ(パヴェル・コホウトの小説にも、そう書いてあった)。加賀谷に見せてやれず残念だ。洪水のバカヤロー!

 さて、橋を渡りきって国民劇場前を東へと向かう。賑やかなナ・プシーコピエ通りを、テスコを過ぎてもさらに東へ歩き続け、やがて「雪の中の聖母マリア教会」の前に出た。ここは、フス派運動で重要な役割を果たした教会なのだが、近年になって建て直されたためか、小奇麗なだけであまり面白い建物ではなかった。そこで、無視して進路を東南に取ると、そこに現れたのは懐かしきヴァーツラフ広場である。南北に細長く伸びる巨大な広場は、相変わらず、家族連れや若者が多く行きかう明るい場所だ。我々は、東寄りの歩道を国民博物館に向かって歩くことにした。

 土産物屋やホテルが多いここは、プラハ最大の繁華街である。俺が3年前に夕食をとった沿道のレストランも健在のようで、なんだか安心した。何しろ、日本では故郷の懐かしい店が次々と倒産や撤退していくので寂しくて仕方ない。この街の店の様子や、行き交う家族連れの明るい笑顔を見る限り、チェコは、日本など眼中にないほどの好景気なのだと一目瞭然である。また、沿道の人々が持つ携帯電話の大きさや質感は、日本のものとほぼ同じである。それどころか、携帯メールをしている人も良く見かけた。3年前のプラハでは、トランシーバーみたいな携帯電話しか見かけなかったのになあ。

 こういう状況を見ていると、日本がチェコに置いてきぼりにされる日は、それほど遠からぬ未来に訪れるであろうことは間違いない。これは、真剣に亡命プランを練ったほうが良いかもしれぬ。このまま日本に居座っていても、何も良いこと無さそうだものな。どう考えても、チェコの方が良い。プラハ辺りで日本人相手のペンションを経営したほうが、会計士よりも儲かるのじゃないかな?

 それにしても、両親に手を引かれて歩く金髪の幼女たちの可愛さはどうだ!マジで誘拐したくなるぜ。「おい、加賀谷くん、俺はあの娘をさらって逃げるから、君は親の追撃を食い止めてくれ!」というセリフを10回くらい言った気がする。加賀谷は、冗談だと思って苦笑していたが、友達甲斐の無いやつだぜ。古い付き合いだというのに、友人の本音が分からぬというのか!・・・というのは冗談です。誘拐なんかしたいわけないじゃん!そこまで変態じゃないんだよ。嫌だなー、本気にしないでねー。でへへへへー。

 ところで、この広場の沿道にはジュースを売る屋台が多いのだが、加賀谷めは「水じゃなけりゃ嫌だ」と駄々をこねる。ミネラルウオーターくらいなら屋台でも扱っているはずなのだが、彼は店の人に尋ねるのが面倒くさいらしい。

 だらだらと歩いているうちに、広場南端の「聖ヴァーツラフ騎馬像」まで来てしまった。騎馬像の周囲は、待ち合わせの若者たちでいっぱいだ。チェコの若者は、渋谷に群れる日本の若造たちに比べて、上品で知的で好感が持てる。それに引き換え、渋谷のハチ公前なんて、人間だか獣だか判別できぬ知性皆無のガキどもに埋め尽くされているもんなあ。まったく、日本は駄目な国になったもんだ。いつも思うことだが、外国を放浪すると、そういう事実が痛切に身にしみて嫌になる。

 気を取り直して、二人で騎馬像の写真を撮った。それから、銅像前の花壇の前に置かれた花束を見に行った。ここは、1968年の「チェコ事件」のさい、ソ連の軍事介入に憤った大学生ヤン・パラフが、抗議の焼身自殺を遂げた場所である。ヤン青年も、祖国の自由回復と躍進を草葉の陰から喜んでいる違いない。

 広場の南端には壮麗な国民博物館が建っているのだが、時計を見るともう夕方5時だから、ここに突入するのは無謀というものだろう。そこで、なんとなく気分で地下鉄「博物館(ムジウム)駅」に降りたところ、駅構内は3年前に比べて華やかになり、売店も多くなっていた。そこで、手近なコンビニで、加賀谷はミネラルウオーター、俺はアイスティーの調達に成功した。しかし、加賀谷の水は、あいにく「ガス入り」だったようだ。やはり、チェコ語表記の商品について、ガス入りかどうかを判別するのは難しい。まあ、彼は我慢して飲んではいたが。

 さて、駅の構内をウロウロして路線図を眺めると、どうやらこの駅から南に向かう地下鉄C線(赤い車両)は、無事に運行しているようだ。この路線の南側は、川に面していないからだろう。せっかくだから、加賀谷にチェコの地下鉄を体験させてあげようと思って、ちょうど来合わせたC線に飛び乗った。でも俺は、この時点では目的地について何も考えていなかった。行き当たりばったりだ。車両に乗り込めば何か思いつくかと思ったのだが、特に新たな着想は生まれてこない。まあ、3年ぶりにヴィシェフラト(高い城)に行ってみるかと思って加賀谷に確認をとると、彼は何も言わずにうなずいた。彼は、もう少し自己主張しても良いと思うのだが。

 地下鉄の車両は、気のせいか新しくなったようで、居住性が記憶に比べて向上していた。こいつは相変わらずの快速ですっ飛ばし、あっという間に2駅目の「ヴィシェフラト」に到着した。ああ懐かしい、少しも変わっていない。駅前のカフェは若者たちで埋め尽くされ、駅前広場ではロ-ラースケートを楽しむ若者が元気いっぱいだ。薄暗くなりつつある空を気にしながら、プラハ南郊の古城ヴィシェフラトに突入した。

 この古城は、ほとんどの建物が焼失して自然公園になっているのだが、不思議なことに独特の瀟洒な雰囲気が、いたるところから漂い流れる場所なのだ。しかし、黒く厳めしい城門は、残念ながら全面修復中で、足場や修復機材に彩られてしまっていた。

 俺と加賀谷は、人影もまばらな公園内をブラブラと散策した。俺は、スラヴィーン墓地でチャペックやニェムツオヴァーの墓を見たかったので、少々遠回りしながら(そのお陰で、プラハ最古の教会建築跡を写真に収めることが出来た)、懐かしい墓地に到着した。しかし、墓地の閉館時間は午後6時ちょうど。これは、まさに時間との戦いだ。俺は、加賀谷にスメタナやドヴォルザークの墓を案内してから、入り口の案内板を頼りにチャペックたちの墓を発見することに成功。しっかりと墓碑銘を写真に収めたのであった。その後、展望台から暮れ行くプラハとヴルタヴァ川の全景を味わい、バレーボールの練習に夢中の子供たちを心の中で応援しつつ、我々は西側の登山口からヴィシェフラトを後にしたのであった。

 川沿いの自動車道をブラブラと北上していると、やがて川を横切る鉄道橋が目に付いた。この橋には、意外なことに歩行者用の側道が設けられていて、歩いて向こう岸に渡れるようになっていた。そこで我々は、錆びた金属製の階段で鉄道橋の上に登り、古びた木製の回廊を頼りにヴルタヴァ川を西に渡った。その橋からのヴィシェフラトの眺めは、最高に素晴らしい。どうやら、またもや穴場を発見してしまったようだぜ。

 

vysye

 また、我々のすぐ横を鉄道が通るのも楽しい。思えば、映画『コーリャ』で、コーリャ少年が義父のロウカに肩車してもらった場所が、まさにここなのだった。俺と加賀谷は、「コーリャごっこしようぜ!」「うえー、君の臭いタマキンが後頭部に当たるからいやだー」などとアホウな冗談を言い合いながら橋を渡り終えた。

 それにしても、橋を行きかう電車が、いずれも新型車両だったのには驚いた。それも、銀色のステンレスに輝く2階建て車両なのだ。うわー、乗ってみたいぜ!外国の車両かと思って良く観察したのだが、やはりちゃんと車体にCD(チェコ鉄道)と書いてある。3年前は、錆びた古い車両ばかりだったのだが、こっちの面でもこの国は激しく進歩しているのだなあ。どうやら、去年訪れたハンガリーは、チェコに大きく遅れを取っているようだ。ハンガリーの鉄道車両は、とんでもなくボロかったもんな。ともあれ、この旅行中に、国鉄で地方都市に遊びに行く夢が大きく膨らんだのであった。

 それにしても、どうしてチェコはまだEUに加入できないのだろう?はっきり言って、去年訪れたオーストリアよりも、今のチェコの方が遥かに豊かに思えるぞ。さらに言えば、イタリアのような貧乏な国がEUであることが信じられない。やはり、純粋な経済状況のみならず、西側とか東側とかいう政治状況が微妙に関係しているのだろうか。

 などと思索を巡らせつつ、ヴルタヴァ川の西岸に降り立った。そこから北上してホテルに帰る算段である。その前に夕飯を食おうと思ったのが、二人ともあまり空腹ではなかった。昼飯が重かったせいであろう。そこで夕飯は、例の巨大スーパーマーケットで軽いお惣菜を買って、ホテルで食って済ませることにした。というわけで、次の目的地はアンジェルのスーパーマーケットということに決定。

 自動車道を北上していると、道の両脇が大きな工場であることに気づいた。工場の屋根に飾られた文字は「スタロプラウメン」だ。さては、昨晩飲んだビールは、ここから出荷されたやつなのかな?出来立てビールの一種独特の香りが、鼻腔を強く打つ。加賀谷は「臭いな、なんでこんな臭いなんだ?」と嫌気なので、過去にビール工場を見学した経験のある俺は、「出来立ては、みな、こういう臭いなんだよ」と教えてやった。配送センターと思われる右手の敷地からは、ビールを満載したトラックが引っ切り無しに出て来る。チェコ人は、一人当たりビール消費量が世界一というユニークな民族なのだが、首都の郊外にこんな立派な工場を持っているあたりは、なるほどと思う。

 やがて我々は、俺の土地勘を頼りに左折し、最短コースでアンジェルの繁華街に出ることに成功した。我ながら見事な土地勘である。今日は、まったく時間を無駄にせず、完璧に旅程を消化できたわけだ。わずか1日で、この街の主要な観光名所を網羅したのだから、とんでもない快挙なのである。俺って、もしかして、ツアコンに転職した方が良いのかもしれぬなあ。でも、さすがに疲れたわい。

 夜8時でもう随分と暗いけど、アンジェルのスーパーマーケットは深夜12時まで営業しているから心配はいらない。

 このスーパーの入っているビルは、3階建ての広大な奥行き面積を持っていた。入り口から最奥まで二筋の廊下がまっすぐに通り、廊下によって区分けされた3つのエリアに様々な店舗が並んでいる。階と階とを結ぶのは、ゆったりしたエスカレーターだ。イメージ的には、横浜みなとみらいのワールドポーターズに良く似ている。この施設内の最大の店舗は、昨晩利用したスーパーマーケットである。これは、最左翼の1階と2階の大部分を占有していた。それ以外は、携帯電話屋、服屋、本屋、スポーツ用品屋、コーヒーショップ、お菓子屋、マクドナルド、そしてCDショップといった具合。また、3階の最奥は、シネマコンプレックス形式の映画館になっていた。はっきり言って、東京のデパートと比べてもまったく遜色ない。いや、大多数の東京のデパートは、すでに追い抜かれているように思えるぞ。やはり、チェコの進歩は侮りがたい。

 まずは本屋を物色した。歴史コーナーに、いろいろと欲しい本があったのだが、この店で売っている本は全てチェコ語表記だったので、涙をのんで断念した。俺のチェコ語能力は、翻訳できるほどには高くないのである。

 次に、3階建ての2階にエスカレーターで上った。ここには紳士服や婦人服屋、時計屋、スポーツ用品屋などがあったのだが、我々は構わずスーパーの2階部分に突入した。俺は、チェコアニメのビデオを買って帰りたかったのでCDコーナーに行ってみたのだが、驚いたことに、ビデオというメディア媒体が存在しないのだ。映像ソフトは、すべてDVDなのである。ただ、中古コーナーには使い古されたようなビデオカセットがあったから、一昔前まではビデオも売っていたのだろう。ということは、チェコ人はみな、ビデオデッキをDVDデッキに買い換えたということか?ああ、これで分かった。日本はもう、チェコに追い抜かれてしまったのだ。日本では、まだまだビデオとDVDが半々だもんな。

 いずれにしても、映像ソフトの購入は諦めざるをえない。なぜなら、DVDは国によって規格が違うので、チェコのDVDソフトは日本の機械では使用できない恐れがあるからである(加賀谷くんに教えてもらった)。

 仕方ないから、チェコのポップス歌手のCDでも買おうと思って物色すると、意外とチェコ人のポップス歌手って多いんだな。日本では完全に無名だけど。

 その場では買いたいものが決まらなかったので、今度は雑誌売り場に行ってみたところ、料理本コーナーにSUSHIというレシピ本があったので驚いた。中を見ると、「カリフォルニア巻き」みたいな軟弱なやつではなく、随分と本格的な内容だ。だから、海鮮食品売場に、巨大なエビやカニが蠢いていたというわけか。

 その後、玩具売場や生活用品売場を見に行った。品揃えは、日本とほとんど同じだ。人形売場に、ポケモンに出て来るピカチュー人形まであったのには笑ってしまった。そういえば、ゲーム機もプレイステーションはもちろんプレイステーション2やX-BOXまで揃って実に賑やかだ。日本の「鬼武者」を改題したゲームソフトもあった。これなら、日本人が単身赴任しても、プラハにいれば困ることは何もないだろう。

 結局、我々は1階で簡単なパン食品と牛乳を買い込んでホテルへの帰路をたどった。俺が買ったのは、「黄桃パイ」である。ホテルの部屋でさっそく賞味したところ、日本の黄桃に比べて酸っぱめの味がたまらない。パン生地もとても美味いので、あっというまに食べ終えてしまった。加賀谷は違うものを買ったのだが、やはり「美味い、美味い」を連呼していた。やはり、海外に亡命するとしたら、チェコしかないな。スーパーの冷食にしてこの美味さなんだもんなあ。

 さて、もう夜10時なので、交代で風呂に入って寝床に入る。何しろ疲労困憊だったので、二人とも前日と同様に、泥のようにぐっすり眠った。

ページ上部へ