歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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世界旅行記

モンゴル旅行記(附韓国旅行記)

7月11日日曜日 ナーダム祭、大草原


 (1)朝の散歩

(2)スフバートル広場で

(3)ナーダムの開会式

(4)モンゴル相撲観戦

(5)弓射観戦

(6)昼食

(7)郊外へ

(8)草原初体験

(9)子供競馬

(10)草原大爆走

(11)謎の砂漠とオボー

(12)ウランバートルの鉄道と道路

(13)晩餐会

 


 

(1)朝の散歩

 7時半に起きてから、全員集合してホテルの朝食バイキングを食いに行った。

 このホテルには、洋食の食堂と中華の食堂があるのだが、部屋割りの関係で、我々は洋食の食堂に行った。しかし俺は、ここのバイキング料理の貧弱さにあまり食欲を感じなかったので、簡単な惣菜とパンだけで食事を済ませた。サラダとチーズは日本のものより美味だったけどな。食後に飲もうかと思ったコーヒーは、粉を溶かす形式のインスタントだし、紅茶はティーバックだ。どっちにしようか迷ったが、紅茶にしておいた。料理はすぐに無くなって補充はなかなか来ない。これほど貧弱なバイキングを経験したのは生まれて初めてだ。

 他のみんなは、何度もお代わりしてそれなりに満腹したので、俺のことを「少食」と評したが、チェコの朝飯の美味さを経験してしまった俺にとって、モンゴルの安ホテルのバイキングなど時間の無駄でしかないのだ。

 それにしても、ウエイトレスの女の子はみんな可愛いな。モンゴルって、実は美人が多い国だったんだな。周囲に仲間がいなければ、ナンパしたところだが。

 さて、集合の10時まで時間があるぞ。とりあえず両替しようと思ったが、フラワーホテルの両替ブースはまだ開いてなかったので、近くにあるチンギスハーンホテルまで、みんなでぶらぶらと足を伸ばすことにした。空は青々と晴れ、空気は透き通って気持ちよいので、絶好の散歩日よりだ。この周辺は住宅地帯らしく、車道以外は無数の団地に埋め尽くされている。途中で児童公園の石像と戯れたりしつつ、韓国資本と思われる高級なチンギスハーンホテルに入った。そこの両替所は開いていたので、1万円をトウグルクに替えたところ、だいたい11万トウグルクになった。この国の貨幣価値と物価水準は、いずれも日本の1/10程度なので、頭の中で計算しやすい。

 ところで、チンギスハーンホテルには、ウランバートルで唯一(!)のエスカレーターがあるのだという。後に実見したが、そんなに大したものではなかった。ホテル裏手の1FからB1Fに降りる階段脇に、全長3メートル程度の小さなものがあるだけだった。この都市は、電力の供給に不安があるせいか、あまり派手に電気を食う設備は付けたがらないのかもしれない。

 さて、用事も済んだので、みんなでフラワーホテルに帰って土産屋を冷やかした。このホテルの土産屋は、狭いせいか、小物ばかりを多く売っていた。望月さんは、ペットボトルを入れるための布製の容器を買ったが、俺はそのときは冷やかしに止めた。

 

(2)スフバートル広場で

 やがて10時になって、バトボルドさんがKIAに乗って一人で現れた。娘のハリウンは、車に乗り切れないと思って、先にスフバートル広場に降ろしてきたのだという。

 考えてみたら、今回のメンバーはハリウンを含めて5名である。バトボルドさんを入れると6名が、1台の車に入りきるのだろうか?もしもピストン輸送になるとすれば、実に面倒くさいことになる。かといって、もう1台、車を借りるにしても運転手の問題が出てくるぞ。これは、なかなか頭の痛い問題だ。

 悩みつつも、日本人4名は四駆に乗ってスフバートル広場への道をたどった。何でも、この広場でナーダムのオープニングイベントが行われるというのだ。広大な広場の片隅にみんなは降り立ち、駆け寄ってきたハリウンとの第四次合流も成功だ。

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 ここにようやく、メンバー5名が顔を合わせたというわけ。何と言っても、通訳の登場によって、俺が「ダメダメ英語モード」から解放された点がうれしいぜ。俺はさっそく、頼まれていた化粧品をハリウンに渡しつつ、「お前なんか、化粧しても無駄だろう」と言いかけて口がモゴモゴしたが、命が惜しいので止めておいた。

 肝心のハリウンの体調は、今日はかなり良いらしいので安心だ。

 スフバートル像は、朝日の中で美しく輝く。さすがに、昨晩とは違った趣きがあるわい。バトボルドさんの説明によれば、広場最奥に聳え立つ政府宮殿(国会議事堂)の入口から、これからチンギスハーン時代の扮装をした騎馬団が、民族の象徴(黄金色の 9つのボンボリ)を手に持って走り出て、広場を行進するのだそうな。これは、なかなか楽しみだぞ。

 しかし、広場にはほとんど人影がないのが不思議だ。そんな大イベントがあるのに、これはどうしたことだろう?不審に思ったバトボルドさんが聞き込みに回ったところ、どうやら騎馬団は朝7時30分くらいに行進を終えてしまったのだという。

 「おかしいな、確かに10時半と聞いたのだが」「お父さんのドジ!」という親子の会話(モンゴル語だけど、こんな感じ)を背後で聞きながら、我々はデジカメ&写真タイムに突入だ。ひとしきり写真を撮ったころ、気を取り直したハリウンが、全員にナーダムの開会式のチケットを配って歩いた。お父さんが、我々のためにゲットしてくれたのだ。

 俺は、チケットに書かれた文字をいちいち指差しながら、「これはどういう意味?」とハリウンに尋ねた。ところが彼女は、ロシア文字のところは分かるけれど、モンゴル文字のところはまったく分からないのである。だからといって、彼女の無知蒙昧を非難することはできない。実は、モンゴル民族は、固有の文字を失いつつあるのだ。

 いわゆるモンゴル文字は、13世紀から始まるモンゴル民族の大拡張期に制定された。しかし、非常に難解で、例えば文頭、文中、文末で、同じ語句に対して異なる文字が使われたりする。また、ソ連のスターリンの政治的思惑もあり、1940年代以降はロシア文字(キリル文字)を用いるようになったのである。こうして、ほとんどのモンゴル語がロシア文字で表記されるようになり、今では、一部の教養人や学者以外は、モンゴル語の読み書きが出来なくなってしまったというのだ。固有の文字を喪失しつつあるなんて、彼らはある意味、不幸な民族なのかもしれない。

 

(3)ナーダムの開会式

 さて、次の予定は、ナーダムのオープニングセレモニーの見物だから、車でウランバートル南郊のスタジアムに向かわなければならない。

 バトボルドさんは決断を下した。すなわち、後部座席に4人が座れば良いというのだ。確かに、女性3人と俺は、とてもスマートな体型をしている(お世辞半分だが)。ためしに4人入ってみたが、もともと大きい車だけに、意外と大丈夫だった。こうして、助手席に望月さん(男の標準体型だからね)、後部座席に女3人&俺という不動のオーダーが完成したのである。

 バトボルドさんは、車を走らせスタジアムに向かう途中で、双眼鏡があったほうが便利であることを思い出し、いったん進路を自宅に向けた。彼らの家は、市街中心の一等地にあるのだ。いくつもの団地に囲まれた児童公園に車を停めると、仲良し親子は団地の一つに姿を消した。小さな児童公園を持つ団地群の雰囲気は、なんだか昔の日本みたいで懐かしさを感じる。少年が愛犬を追って車の近くに来たので、モンゴル語で声をかけたけど、無視されてしまった。危ない人だと思われたのかなあ?しばらく待つうちに、バトボルド親子はいくつもの双眼鏡を持って出てきた。

 再び車上の人となった一行は、渋滞に巻き込まれながら中央スタジアムに到着した。周辺はたいへんな人ごみで、食べ物屋さんや土産屋さんも大繁盛だ。この雰囲気は、日本のお祭りと少しも変わらない。我々は、たまたま来着した大統領夫妻を横目にしながら、人波を掻き分けて2番ゲートからスタジアムに入った。

 スタジアムは想像以上に大きくて立派だった。芝生の植わった広いセンターを、クレイのトラックが楕円形に囲む形式だ。センター北端には演台が置かれていて、どうやらそこで大統領が演説を行うらしい。センターの真上では、派手な幟や飾り物が涼やかな風にそよいでいた。

 ナーダムは、モンゴルの国家行事とも言える「夏の大運動会」である。モンゴル各地からやって来た強者たちが、「相撲」、「弓射」、「子供競馬」の3競技で技量を競い合うのだ。我々は、開会式に続いて、その3つを観戦する予定である。

 それにしても、スタジアムは大混雑だ。後から後から人が入ってくる。っていうか、俺たちが入場した時点で、すでに2番ゲート周辺には座る場所が無かった。かろうじて宮ちゃんがベンチの端に滑り込んだ程度で、残りの5人は階段に座り込む羽目に陥ったのだ。ハリウンは、「ここはモンゴルなんだから、日本と違って謙虚でいちゃダメですよ!無理やり押し入らないと」と叫ぶ。確かに、押し合いへし合いでたいへんだ。モンゴル人、日本人、韓国人、欧米人、いろんな人が溢れかえる。ぼんやりしていると階段にもいられなくなりそうだ。事故が起こらないのが不思議なくらい。バトボルドさんは、これに呆れて、我々を置いてさっさと退場してしまった。彼は、車の中で待っているという。

 ふと、スタジアムの反対側の観客席に目をやると、あっちは席が余っているように見えるぞ。どうして係員は、向こう側に観客を誘導しないのだろう?2番ゲートばかりに人を押し込みすぎている。

 どうも、そういうところが出鱈目なんだな、この国は。

 ようやく、開会式が始まった。スタジアムの一角に相撲や弓射の選手たちが並ぶ前を、3組のパレードがトラック1週疾走する。最初の騎馬団は、チンギスハーン時代の軍装で、鎧兜に身を包み、旗指物を誇らしげに抱えて疾駆した。本当は、我々はこいつを朝のスフバートル広場で見る予定だったらしい。次の騎馬団は、革命時代の軍装で、西欧風の雰囲気を撒き散らしつつ走った。最後の一団は現代の歩兵部隊で、踵を鳴らしつつ隊伍を揃えて進んだ。どうせなら、最後のも馬に乗せちゃえば良かったのに。

 

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 それから、赤い軍装の騎馬団(ジュンガル帝国時代の扮装?)が、黄金色の9つのボンボリを抱えて行進し、センター中央にしつらえた壇の上にそれを立てかけた。これはチンギスハーン以来の、モンゴル民族の象徴である。

 その後、バカバンディ大統領が演台に立ち、荘重な開会演説を行った。続いて、歌手が2人、立て続けにナーダムの歌を歌う。

 それから、サーカス団や舞踊団が大挙して乱入し、広大なセンターの至る所で派手なパフォーマンスを繰り広げた。面白いことに、順番も何もなく、みんな勝手に演じるのである。我々の前ではサーカス団が曲芸をやり、対角の端ではフランス風の宮廷衣装に身を包んだ集団(オペラ座の団員)が寸劇をやるという具合。サーカスは、一種のマスゲームを展開したのだが、なかなか面白かった。演目が終了すると、各パフォーマンス団は、トラックを一周しつつ客席に笑顔を振りまきながら手を振って退場した。

 

(4)モンゴル相撲観戦

 間髪入れず、スタジアムでの主要競技である「モンゴル相撲」が始まった。

 そのころになると、客席は少しずつ空いてきたので、我々はようやくベンチに腰をかけることが出来た。

 スタジアムの中央で繰り広げられるモンゴル相撲は、客席からはかなり遠い。しかも、会場のいたるところで、複数の試合がランダムに行われる形態なのだ。これなら、テレビで見たほうが良さそうだ。それでも、隣に座ったハリウンの解説で、なんとか流れに付いて行けたのだが。

 モンゴル相撲(ヴフ)は、日本の相撲とはルールが違う。力士のコスチュームは、とんがり帽子&Tバック&ブーツ姿。土俵という概念はなく、しかも転んで手を突いても負けにはならない。背中が地に付いて、初めて負けなのだ。そのため、試合はしばしば長時間に渡り、観客がダレることも多い。そういうこともあって、最近はモンゴル人の間でも日本の相撲のほうが人気があるようだ。

 力士は、試合前に「鷹の舞い」を踊る。両手を大きく振り上げて強さを誇示するのだ。そして勝負が付いたら、勝者の右腕の下を敗者が潜ることで負けを認める。

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 我々が見ているのは、まだまだ緒戦だから、実力者と新参者が入り混じって角逐を交えている。そのため、試合の展開は比較的スピーディーであった。とはいえ、力士の顔も良く見えず、仮に見えたとしても応援も思い入れもしようがない。本当に盛り上がるのは、恐らく、有名な実力者同士が戦う後半戦からなのだろう。そういうわけで、いつのまにか周囲の客席はガラガラになっていた。

 我々も、「もういいか」ということになって、スタジアムを出ることにした。次の目的地は、弓射の会場である。

 

(5)弓射観戦

 弓射の会場は、スタジアムから2ブロック離れた場所にある。

 スタジアムの外でバトボルドさんと落ち合った我々は、のんびりと歩きながら会場を目指した。

 沿道は、露店がいっぱいで実に楽しい雰囲気だ。肉の串焼きとか、アイスクリームとか、すごく美味そうだ。考えてみたら、もう12時近い。腹が減るのが当然なのだ。

 そんなとき、ロシア語の「クワス」が目に入った。黄色のタンクに彩られたクワスの文字。これが噂の「クワスタンク」に違いない。ああ、我慢できないぞ。俺は、売り子の金髪女性2人組に駆け寄ると、さっそく「くださいな」とやった。バトボルドさんが近づいてフォローしてくれたところ、1杯100トウグルク(10円)だ。俺は両替したばかりで大きな札しか持っていないので難渋したが、みんなの分まで買ってなんとかお釣りを貰うことが出来た。その後、金髪姉ちゃんにロシア語で「スパシーボ」とお礼を言ったら、バトボルドさんが大笑いしていた。俺の発音がおかしかったのかな?

 クワスは、ロシアの名物ジュースである。白樺の樹液と黒パンの酵母から作るもので、スラヴ文化マニアの俺は、このジュースが大好きなのだった。他のみんなは、マニアに付き合わされてご苦労様でした(笑)。

 雑踏の中を歩くうち、弓射の会場に到着。階段状の客席は、やっぱり大混雑だったので、バトボルドさんは「私はいいや」と去った。ハリウンに先導された我々は、とりあえず客席に入ろうとしたのだが、なかなか列が動かない。どうしてこんなに混むのかというと、入口と出口が同じだからである。狭いところに、登る人と降りる人が重なって渋滞しまくるのだ。せめて、客席の反対側に出口を別に設ければ、それだけで混雑が緩和されると思うのだが。モンゴルは、こういう段取りが悪いのである。

 それでも、なんとか客席最上段の立見席に入り込んだ。試合は、まだ始まっていない。どうやら、大統領夫妻の列席を待つようだ。

 この競技場は、2列の階段状客席(我々が立ったのは、そのうちの左翼側)に挟まれた広い芝生だ。その手前側に洒落た建物が建っていて、どうやらここがVIPの観戦席らしい。つまりこの競技場は、2列の客席と1棟のVIP席によって、コの字型に囲まれているというわけなのだ。

 競技場の向こう側に目をやると、ウランバートル南郊の美麗な山々が広がり、実に気持ち良い。モンゴルの山は、とてもなだらかで、黄緑の草に覆われた優しい色合いのものが多いのだ。九州の「やまなみハイウエイ」を彷彿とさせる。

 おりしも、大統領一家が入って来て、俺の20メートル先のVIP席に座った。この距離なら、ゴルゴ13の力を借りずとも殺れそうだな(笑)。

 やがて、競技が始まった。

 弓射は、一人ずつではなく、選手一同が横一列に並んで一斉に行う。標的は、75メートル離れたところに積まれた革張りのコップである。コップを数十個、ピラミッド状に積み上げて、その真ん中の列を縦に赤く塗っているのだ。赤い部分に命中すれば高得点、それ以外のコップに命中したり、コップ群の前に引かれた白線を越えても得点される。こうしたピラミッドは、全部で2つ、横並びに造られていて、選手は自分の立ち位置に従ってどちらかに射ち込むのである。そして、ピラミッドの後ろには、それぞれ10人ずつの審判が並び、命中や得点すると、独特の手振りで「オーハイ」と叫びつつ両手を振って選手に知らせる。

 

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 みんなが一斉に射撃するから、どれが誰の矢だか混同するんじゃないかと心配になるが、選手各自が自製して持ち込み、それを事前に登録しておくので、その辺は大丈夫なのだそうだ。

 1時間ほど見たところで、ハリウンが切り上げようと言い出した。次の「子供競馬」は、かなり郊外に出ることになるので、早めに昼食を摂ったほうが無難だと言う。

 我々が、往路と同様、混雑に苦労しながら客席を降りると、いつものようにバトボルドさんが待っていて、駐車場まで導いてくれた。その途中、露店でモンゴル相撲の帽子を売っていたので(1個5ドル)、望月さんと二人でこれを買った。俺は、さらにアイスクリームを食いたかったのだが、ハリウンに「明日でも明後日でも食べられるでしょ」と窘められたので諦めた。我ながら、子供みたいだな。

 

(6)昼食

 再び車上の人となった6人だが、荷物のこともあるので、いったんホテルに帰ることにした。バトボルドさんは、我々を送ってから、いったん自宅に帰るという。その愛嬢と日本人4名は、ホテル近辺で食事をし、バトボルドさんとは2時半に再びホテルロビーで待ち合わせということになった。

 ホテルの近所には、あまり洒落たレストランはないし、また、待ち合わせの2時半までは残り1時間くらいしかない。そこで、各自の部屋で午後の準備をした後、ホテル内の洋食レストランに出かけた。

 なお、望月さんは気を利かせてトランシーバーを持ってきていた。とりあえず、これは館内での事務連絡などに貢献したのであった。

 午後1時半だと、お客は我々しかいない。最奥のテーブルに陣取った5人は、日本語まじりのメニューを見ながら、悩むことしばし。俺は、「時間がないから、早く調理出来るものが良い」と考えて、モンゴル風焼きそば(チャオワン)を注文することにした。日本人3人は、俺の見識に賛同し、みんなで焼きそばを食べることに。ハリウンだけは、サラダとジュースを注文した。なんとなく、付和雷同型の日本人と独立独歩型のモンゴル人との対比を感じてしまうな。

 サラダとジュースはすぐに出てきたが、焼きそばが遅い。待てど暮らせど出てこない。あっという間に2時半だ。サラダを食べ終えたハリウンは、親父と合流するためにロビーに出て行った。その後、ようやく焼きそば登場。どうして焼きそば4丁作るのに1時間もかかるのだろう?

 どうやら、モンゴルのレストランには「仕込み」という習慣がないらしい。注文が入った後で、ようやく一から調理を始めるのだ。時間の感覚が、日本と違ってスローモーなのだな。

 で、肝心のお味は、なかなか良かった。塩味がうまく利いている。麺は、かなり太くて「ほうとう」みたいだ。具は、マトンの肉とキューリやニンジンで、ジャージャー麺に似ている。モンゴル料理の美味さは、馬鹿に出来ない。そのくせ、料金は2000トウグルクだから200円。なんて素晴らしいのだろうか。

 満腹した我々は、大急ぎで支払いを終えると、ホテルの駐車場で待つバトボルドさんに合流した。これから、ウランバートル西郊の子供競馬の競技会場まで行かなければならない。

  

(7)郊外へ

 KIAは、ウランバートル中心部を東から西へと横断したが、窓外のあちこちに近代的なビルや立派な映画館が広がる。看板を見るに、そうか、ちょうど「スパイダーマン2」が封切られたばかりなのだな。日本に帰ったら、いつもの友人グループと見に行かねばならぬ。しかし、あまり一戸建ての家は見当たらず、貧しそうな一画もある。この街では、実は貧富の差が急激に拡大しているのではなかろうか。

 バトボルドさんは、オーディオでCDを流した。モンゴルの歌姫、サラーことサラントヤーの歌だ。モンゴル人は、みんな彼女の歌が大好きだ。仲良し親子は、楽しげに声を合わせて歌い出す。俺も、日本でハリウンからサラーやアリウナーのCDを借りて聴いた事があるのだが、モンゴルのポップミュージックは日本人の耳に良く馴染む。メロディが、昔の日本のニューミュージックみたいなのだ。そういうわけで、俺も仲良し親子と一緒にサラーを歌いたかったのだが、残念ながら歌詞がさっぱり分からないんじゃ仕方ない。他の日本人3人は、こっくりこっくり船を漕いでいたが、サラー様に対して失礼であるぞ!

 やがて車は郊外のザハの前を通った。ザハは、いわゆる大衆向けのマーケットであるが、想像以上に汚れ、寂れている。ここはウランバートルの低所得階層が集うところだそうで、バトボルドさんも「近づかないほうが良い」とアドバイスしてくれた。さらに西に進むと、今度は2棟の火力発電所が見えてきた。この2棟が、ウランバートルの電力全てを賄っているのだ。東側に立つのが中国製で、西側に立つのがロシア製だそうだが、言われてみれば、デザインが随分と違う。これはモンゴルが、中国とロシアという2つの大国の利害に翻弄されていることの象徴かもしれない。さらに進むと、大きな変電所も見えてきた。

 ウランバートルの端には、なぜか検問所がある。後で聞いた話によると、これは毛皮の密売業者の侵入を防ぐための措置だという。確かに、この検問所を出た辺りには、いくつもの毛皮のフリーマーケットが開催されていた。ウランバートル市は、値崩れを防ぐため、毛皮の乱売を規制しているというわけだ。

 さらに車が西に進むと、今度はもっと異様な光景が見えてきた。道の左右は草原なのだが、あちこちに木の柵で四角く囲いがしてあるのだ。囲いの中は、土地とゲル(遊牧民の移動式住居)があるだけだ。ハリウンの話によると、これは、冷戦崩壊以降、モンゴルで「私有財産制」が認められたことによるらしい。この柵の中は、所有者が買い取った土地であり、そしていずれはカネを貯めて一戸建ての住居を築く予定だという。定住をしない遊牧民族であったはずのモンゴル人は、今、急激に変容している。それが本当に良いことなのかどうか。俺は複雑な気持ちになった。

 こうした木柵エリアを抜けると、もう何もない。

 道の前後左右は、見渡す限りの草原だ。

 そのスケールの大きさは、北海道(釧路湿原など)や九州(草千里など)の比ではない。

 ああ、モンゴルに来たんだな。

 ようやく本当に実感が湧いてきた。

 

 (8)草原初体験

 モンゴルの道は、草原の中の一本道だ。中央分離帯もなく、2台がすれ違えるくらいの幅だ。それでも、ちゃんとアスファルトで舗装されていたのが意外だが、これが曲者で、所々に大穴が開いている。おそらく、冬の寒さ(零下30度になる)のため、アスファルトが撓んで破損してしまうのだろう。そのような自然環境の厳しい国に、普通のアスファルトを敷こうという見識に問題があるのではないだろうか? 沿道には、パンクしたと思われるエンコ車がやたらに多い。ひえー。

 そういうわけで、特に後部座席に座る連中は、ゲームセンターの「モグラ叩き」の悲哀を味わうことになった。車が穴を踏むたびに、座高の高い俺などは(座席の最左翼に座っていた)天井に頭をぶつける有り様だ。バトボルドさんも気を遣って、穴を避けるように左右にハンドルを切るのだが、そうすると、しばしば対向車にぶつかりそうになる。「モグラ叩き」と「ジェットコースター」を同時に楽しめてラッキーだぜ!(自棄だな)。

 ともあれ、左右の景色はますます圧巻だ。モンゴルの草原は、地平線まで平らというわけではない。あちこちに低い丘があって、その全体が黄緑色の草に覆われている独特の景観が、極めて美しいのだ。

 

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 沿道のところどころに、緩い円錐状の石積みがある。これが、噂に聞くオボーだろうか。オボーは、モンゴルのアニミズムの象徴である。この石積みの周りを3回回って願をかけると願いがかなうという。バトボルドさんは、「時間があれば寄りましょう」と言ってくれた。

 さて、ウランバートルから20キロも走ったころだろうか。ようやく車は「子供競馬」の会場に到着した。車道の右側の広大な平原の向こうに膨大な自動車の列が見えるが、あそこ付近がゴールだろう。しかしバトボルドさんは、いまさらゴールスポットには入れないと判断し(混んでいるだろうから)、少し手前の最終コーナーの横に入ることにした。車道から右90度にハンドルを切り、ダートの狭い道をガタガタ揺られながら進む。

 会場は、すでに車の山だった。ハリウンがしきりに、「車の群れを写真に撮ってください」と言う。なぜかといえば、外国人のほとんどが「モンゴル人は車を持たず、未だに馬に乗っている」との偏見を抱いているので、車の写真を日本で見せびらかすことでそれを打破したいという。まあ、一部の外人が、日本のことを未だに「サムライとゲイシャの国」と思っているのと同じような話だが、モンゴルのほうが情報発信力は弱いので、これは、より深刻な問題なのだろう。

 そういえば、中国人の中には、モンゴルを独立国ではなく、中国の属国だと思い込んでいる人が多いらしい。「内蒙古自治区」と混同しているというわけだ。情報発信力の弱い国は、いろいろとこうした気苦労が多いのである。

 さて、久しぶりに四駆から降り立った。これが、モンゴルの草原の初体験である。

 信じられないほどに空気が美味い。空気というものが、これほどまでに美味いとは今になるまで知らなかった。なんといっても、草原の香りである。不思議なことに、ジャスミンの甘い香りが立ち込めているのだ。あまりの香りの濃さにむせそうになる。そのせいか、あちこちに馬糞が転がっているけれど、まったく気にならないのだ。

 ハリウンは「馬糞に気をつけて!」と注意をするが、「そんなものが怖くて、モンゴルを歩けるかい!」と啖呵を切って構わず進んだ。この女は、俺が地雷に引っかかるたびに「踏んだー、また踏んだー」と囃し立てる。お前は、日本人の小学生かっつーの!

 足元から、ブンブンと音がして何かが飛び跳ねる。バッタかイナゴの一種だが、実に元気一杯である。すごい勢いで、腰の高さまで跳ねるのだ。

 また、草原といえば草しかないように思えるが、実際には綺麗な花が咲き乱れているのだ。女性陣は、大喜びで花の写真を撮りまくっていた。

 

(9)子供競馬

 肝心の競馬は、まだここまで到来しそうにない。

 我々の周囲では、大勢の観客(白人が多かった)が所在なげに西の彼方を眺めている。

 この広大な草原の彼方から、25キロの道のりを560頭がここまで走って来るのだ。7歳馬までの若い馬に、5歳から12歳までの少年が乗るのだという。子供が走る理由は、この競技の目的がモンゴルの子供の勇気と強さを示すことにあるためだが、25キロもの長丁場を、大人を乗せて走れる馬がいないことも理由の一つであるらしい。

 広大なコースは、人間の鎖によって観客から仕切られている。軍人や警官が、東西25キロに渡って、約2メートルおきにロープを握ってズラッと並んでいるのだ。これも、他では決して見られない光景である。

 バトボルドさんは、子供のように目を輝かせながら双眼鏡を覗いた。どうやら、遥か西の彼方に砂埃が見えるあそこが、競争集団の先頭らしい。なるほど、双眼鏡が必要なわけだな。肉眼では、何が何やら分からない。これほどまでにスケールの大きな競馬は、これ以外には決して存在しないだろう。

 でも、先頭集団が砂埃から肉塊へと進化するまで、しばし時間があるようだ。俺は、草原の上に横たわりたくなった。ハリウンが、「みんなで馬糞のベッドをこしらえるから、その上に寝れば?」と優しく言ってくれたが、好意だけを受け取った。いつか、ぶっ殺す!(笑)

 俺はみんなと離れて、なるべく馬糞の少ない草原を見つけると、そこに横になった。思ったとおり、信じられないくらいに気持ちよい。出来ることなら、1日中ここに横になって読書に明け暮れたいくらいだ。自然が、五感の全てに直接、働きかけ語りかけてくる。耳を澄ますと、プチプチと音が聞こえる(ように思える)。これは、馬糞が大地に溶け、そこから草花が芽生え、雨と日光を浴びて成長する音かもしれない。

 俺は、生まれて初めて「自然」と対話できたように思った。

 やがて、観客の群れから声が上がった。先頭集団が見えてきたのだ。俺は、昼寝を打ち切って仲間のもとに戻った。

 どうやら、2位につけていた子が落馬したらしい。その場合でも、乗馬がそのまま走り続けてゴールすれば、1位繰り下がってゴールしたことになるという。たとえば、2位ならば3位になる。やはり、この国では馬が主役なのだ。

 馬の群は、今しも我々の真横を通るところだが、あまりにもコース幅が広すぎて、コースの中央を疾走する馬の列が点にしか見えない。バトボルドさんから借りた双眼鏡で見やると、おお、ちょうど2位の裸馬が1位を追い抜いたところじゃないか。すごい場面を見てしまった。あの裸馬が、このままゴールしたら面白いのに。ここからでは、観客の人波に邪魔されてゴールまで見られないのが残念だ。

 

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 後で聞いたところ、結局、裸馬は抜き返されて1位になれなかったそうな。仮に1位でゴールしたとしてもスコア上は2位になるんだろうけど、ちょっぴり残念だね。

 子供競馬は、昨年までは、もっとウランバートルに近いところで観客の近くを走ったそうだ。しかし、馬が観客の群れに脅えるなどのハプニングがあったため(蒙古馬は気が小さい)、今年からこのような広大な場所で走らせることにしたのだそうな。レースを間近に見られなかったという点で、残念といえば残念だ。

 車に帰る途中、草原の中に馬の大腿骨を発見した。棍棒にするのに、ちょうど良い大きさである。それを拾った俺は、「ウホ、ウホ」と原始人の真似をして地面を何度か叩いてから、骨を中空に放り投げた。

 ポカーンとする仲間たち。

 俺が「映画『2001年宇宙の旅』の冒頭を知らないの?」と聞いたら、みんなして「観てない」「覚えていない」。

 ああ、なんて虚しいんだ。元「SF研究会」会長としては、実に悲しいぞ。お前ら、そんなことでは俺の刎頚の友には決してなれないな。えっ?別になりたくないって?(笑)

 

10)草原大爆走

 時計を見ると、もう4時だ。

 これから、バトボルドさんの長男の家で晩餐会をやるというから、本当はウランバートルに帰らなければならない。

 しかし、バトボルドさんは、「まだ時間があるからドライブをしましょう」と言ってくれた。我々に異存があるはずがない。そこで、KIAは西方に最近出来た小さな砂漠地帯(モルツォグ・エレス)を目指すことになった。

 四駆は、草原地帯の一本の車道をどこまでも進む。

 するとバトボルドさんは、「この際、草原の真ん中を走ってみましょう」と言って、ハンドルを左に切った。車道をそれてあぜ道に入ったKIAは、しばし車道と垂直に爆走すると、やがて進路を先ほどの車道と平行に走る細い道に入れた。モンゴル人のドライバーは、むやみやたらに草を踏んづけたりしない。ちゃんと、決められたあぜ道を走るように自らを習慣づけているようだ。

 あちこちに小柄な鳥が羽ばたく。ヒバリの一種だ。潅木や草の中に巣を構える種類に違いない。なにしろ、この周囲にはいわゆる「樹木」が存在しないのだから。

 ただし、電信柱は多い。石の土台の上に木の棒を括り付けた粗末な電柱が、至るところに立っている。ウランバートルの発電所から、延々と電気を引いているのだ。電柱の上を見ると、時々、ワシの一種が羽根を休めていた。

 やがて、左のほうに小高い丘が見えてきた。その頂上は岩場になっている。スピードを落としたバトボルドさんは、「あそこに、プレーリードックの巣があるんです」と言った。言われてみると、何か動物が動いたような気がした。モンゴルに、野生のプレーリードックがいるなんて知らなかったな。バトボルドさんが沈痛な調子で言うには、「昔はもっとたくさん居たのですが、中国人が毛皮目当てで乱獲して減ったのです」。モンゴル人は、中国に好意を持たない場合が多いのだが、こういうことも原因の一つかもしれない。

 再びスピードを上げた車は、低い丘に囲まれたまっさらな草原の中を走る。まるで海の中にいるようで、どっちが北だか南だか見当がつかない。望月さんが、「良く迷いませんね」と問うと、バトボルドさんは「ここは、冬になるとオオカミを狩りに来る場所なので、慣れているのです。それにモンゴル人は、自然に対する感覚が日本人より研ぎ澄まされているので迷うことはありません」と応えた。望月さんと我々はそれで納得したのだが、実は通訳のハリウンが一番不安がっていたらしい。何度もモンゴル語で「本当に大丈夫なの?お父さん」とやっていた(らしい)。

 ある草原に差し掛かると、バトボルドさんは急に車を停め、ドアを開けて飛び降りると、彼方に走り出した。ハリウンいわく、ここは、にわか雨の後でマッシュルームが繁殖するのだとか。お父上は、昨晩のにわか雨を想起し、夜食の足しをゲットしにいったらしい。俺も車を降りて、面白半分にマッシュルームを探したところ、草の間に白く丸いものを発見。拾い上げたところ、手の中でボロボロと砂のように崩れ去った。白く乾燥した馬糞じゃないかよ!俺の後ろで、ハリウンが腹を抱えて爆笑していた。こいつに目撃されるとは、一生の不覚じゃあ!結局、バトボルドさんも目的を達成できず、再び四駆は草原の海を渡る。

 やがて車は、広大な麦畑に差し掛かった。俺が、「朝飯でパンを齧ったとき以来、モンゴルの麦に興味があったんだ」と言うと、ハリウンの司令が飛んだ。お父上は、急ブレーキを踏み脱兎のごとく飛び出すと、大麦の穂を5つばかり掴んで戻り、それを俺に渡してくれた。そこまでしてくれなくても良かったのになあ。

 

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 麦畑は、地平線の彼方まで広がる。草原の黄緑色とは違って、濃緑色が一面に広がる様相は実に印象的だ。でも、農夫らしい人も農家らしきものも全く見かけなかった。どうやら、種を蒔いて、その後は自然繁殖に任せているようだ。また、赤茶けた荒地と化した「かつての麦畑」も見た。これは、疲労や砂漠化の進展によって、土地が痩せてしまったものらしい。そもそも、モンゴルの草原は農地に適さないのではないか?そんな疑問を抱いた。

 モンゴルの歴史は、農耕文化に対する遊牧文化の戦いの歴史である。チンギスハーンに始まりスフバートルやチョイバルサンに代表されるこの国の偉人たちは、みな、農耕文明から遊牧の生活を守るために戦った。それが、今ではモンゴル人の自発的意思によって破壊されているのだ。本当に、これは正しいことなのだろうか?

 俺の手の中で、青い麦穂は小さく震えた。気のせいか、日本の麦よりも大柄で、青々として、生気が溢れているように思える。この国では、麦に限った話ではなく、草も木も花も動物も人間も、みんな日本のものより「生気」に恵まれている。これだけ美味い空気と自然に囲まれているのだから、それが当然なのだ。俺の知っているモンゴル人で、最も生気に欠けるのがハリウンだ。日本に10年もいるから、日本の悪い空気や食事に汚染されてしまったのに違いない。かわいそうな奴。

 そう考えると、日本人って、我々が想像する以上に惨めな民族なのかもしれない。

 

11)謎の砂漠とオボー

 麦畑を抜けた四駆は、進路を右に変えて、やがて最前の車道に帰ってきた。数十キロを、グルっと左方に迂回する旅だったわけだ。

 バトボルドさんは、我々の様子を見て「休憩しましょう」と言ってくれた。目的地の付近に、ツーリスト・ゲルがあるらしい。

 ツーリスト・ゲルというのは、遊牧民がしつらえた旅行者用の施設である。阿寒湖のアイヌ部落みたいなものだと思って良い。モンゴルには、今ではこういうのがたくさんある。世界各国の旅行会社と契約を結び、旅行者を誘致してキャンプに使わせるのだ。我々は、木の柵で囲われた広大な施設に入り、レストランとして使われている大きなゲル(遊牧民の住居)に入り、ビールやジュースを飲んでくつろいだ。

 こういった施設にはちゃんとトイレもあるから、「草原=座り小便」と悲痛な(?)覚悟をしていた女性陣は大喜びである。

 用を済ませた後、我々は施設内に立ち並ぶゲル群を見て回った。どうやら、本当に人が生活しているものらしいぞ。敷地の端には、粗末ながらもバスケットボールのゴールまで設置してある。ここで働く人が、暇なときにダンクして遊ぶのだろうな。すると、レストランから店の人が出てきて、「何やってんの!(モンゴル語だけどこんな感じ)」と怒声をあげた。このゲルは、店の人たちの「家」だったらしい。我々は、謝って退散した。勝手に覗いて悪いことしたなあ。

 再び車上に移った我々は、少し走ったところにある目的地、モルツォグ・エレス(小さな砂漠)に到着した。ここは、草原の真ん中がいきなり砂漠化した場所であるが、その原因は不明なのだそうだ。結局、地球全体で砂漠化が進行しているということかもしれない。

 砂漠といっても、アフリカのサハラ砂漠のように「黄金色の海が広がる」という感じではない。モンゴルのゴビ砂漠は、赤茶けた土が広がり、その合間に痩せた草が生えるような土地なのだ。ここも、その例外ではない。我々は、砂漠を背景に写真を撮りまくった。

 少し離れた丘の上に、ラクダが一頭、寂しそうにたたずんでいた。さっきのツーリスト・ゲルで飼っているものらしく、遠目にも首輪が見える。俺は全力疾走でラクダに駆け寄ると、背後に小さく見えるゲルをバックにカメラを使った。その後、再び全力疾走でみんなと合流し、再び車上の人となったのである。

 

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 時計を見ると、もう7時を回っている。それでも、外は昼間のように明るい。モンゴルの夏季の日没時間は、恐るべきことに夜10時半なのだ。緯度が高いからなあ。

 いずれにせよ、晩餐会があるのだから、大急ぎでウランバートルに戻らなければならない。バトボルドさんの携帯電話には、家族から催促の電話がかかり始めた。

 それでも、バトボルドさんは、沿道で見かけたオボーに寄ってくれた。低い円錐状の石積みの上に、モンゴルの縁起物である青い布が翻る。ここに石を置き、その周囲を3回回ると願いがかなうのだ。俺は、3回を数えるのに夢中で、何の願もかけなかった。もったいなかったかな?どうせなら、「世界征服の野望を達成させてください」とか願えば良かったぜ。良く見ると、オボーの上に、松葉杖や現金のお札が置かれていたりする。これは、願いがかなった人(足が完治したとか)のお礼なのだろう。

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 オボーは、モンゴルに仏教が伝わる何百年も前からの伝統である。いわゆる、自然崇拝(アニミズム)であり、日本神道の原初的な形に近い。日本のみならず、韓国や中国にもこういう風習があると聞いたことがあるが、これは人類の多くが、古代ではアニミズム一色だったことの傍証であろう。

 ただ、最近はオボーが乱造される傾向にあるらしい。本来は、神の聖地にしか置けないはずなのに、面白半分にあちこちに造ってしまうというのだ。中には、観光客目当てのものもあるのだろう。

 モンゴル民族は、変質しつつある。

 

12)ウランバートルの鉄道と道路

 実は、車の上で俺がずっと心配していたことは、ハリウンが車酔いをする性質だという点である。彼女がもよおした場合、ゲロを吐きかける相手は右隣のわかなちゃん(=同期の親友で女の子)か、左隣の俺(=変なオジサン)しかいない。この状況だと、ハリウンがどちらを標的にするかは明白だ。まあ、「モンゴルの中心でゲロをぶちまけられてアイーンを叫ぶ」もありかな、と破滅的で自虐的な覚悟をしていたのだが、幸いにして彼女の体調はすこぶる良かった。神様、ありがとう。これも、オボー参りのお陰だな!

 帰り道では、カーオーディオは「ビートルズ」のベスト版CDを流しまくりだったので、みんなで声を合わせて歌いまくった。「モンゴルの中心でビートルズを叫ぶ」というのも、なかなか得がたい経験だろう。

 そうこうするうちに、ようやくKIAはウランバートルに帰って来た。空はだいぶ、暮れかけている。

 すると望月さんが、午前中にピースブリッジの上から見かけた鉄道のことを口にした。駅の近くに古い機関車の展示場があったのだが、鉄道好きの彼は、それが気になって仕方ないらしい。そこでバトボルドさんは、車の進路を南に変え、鉄道駅に寄ってくれることにした。

 モンゴルの鉄道は、中国からロシアへと、ウランバートル経由で南北を縦貫する1本しかない。しかも未だに電化されておらず、ディーゼル機関車が走っている状態だ。それも全て、ロシアが造ってくれたのだという。モンゴル人は、ロシアに対する感謝の念が非常に強いのだが、それはこうしたことにも起因するのだろう。この希少な鉄道は、ウランバートル市内を東西に横断して走っている。その上を南北にまたぐのが、午前中に通ったピースブリッジというわけだ。

 さて、我々は鉄道と平行して東西に走る幹線道路に入ったのだが、これがすこぶる見事な道路で、実に快適に走れる。なにしろ、日本の鴻池グループが造ったODA道路なのだから。

 ウランバートル市は、日本、ロシア、中国、韓国といった国々のODAの継ぎはぎで出来ている。それぞれを乗り比べて感じたことは、やはり日本の技術力の高さである。日本のODAは美麗であるのみならず、丈夫で滅多に壊れないという。それで、モンゴル人の多くは、日本人の能力を大いに尊敬しているらしい。そう考えれば、税金の無駄遣いとも言えるODAは、必ずしも悪いことばかりではないのかもしれない。

 やがてKIAは、美しいけれど小さなウランバートル駅のロータリーを過ぎ、鉄柵で囲われた鉄道車両の展示場の前で停まった。すると、脱兎のごとく飛び出した望月さんは、子供のようにはしゃぎながら機関車の写真を撮りまくった。この人は、50歳を迎えようという年配なのだが、こういう無邪気さが人間的魅力に繋がっている。会計士や税理士には、なぜかこういうタイプの人が多いようだ。心が子供のまんま、体だけ大人になっちゃったみたいな。まあ、俺も人のことは全然言えないけどね。

 望月さんってば、カメラを抱えて一人で随分先のほうまで走って行ってしまった。

 イタズラ心を起こした俺は、ハリウンに指示し、車を出してもらうように言った。「置いてきぼりになるぞー」と望月さんを焦らせたかったのだ。でも、我々を信頼しきっている彼は、動き出した四駆を見ても、自分を迎えに来るものだと思ったらしく、少しも焦ってくれなかった。

 ちぇ、つまんなーい。

 

13)晩餐会

 時刻はもう9時近い。

 こんな遅くにお邪魔して大丈夫なのだろうか?

 KIAは、市内南東部の団地に滑り込んだ。ここに、バトボルドさんの長男(ハリウンの弟)の家がある。すなわち、晩餐会の会場だ。

 バトボルドさんの家は手狭な上、犬が4匹(!)もいるので晩餐会には向かない。それで、息子の家を使うことになったのだ。お父上は、「4匹のうちで、日本の秋田犬が一番賢いですよ」と嬉しそうに語った。

 モンゴル人は、一般に、たいへんな「犬好き&猫嫌い」である。犬が好きなのは良く分かる(俺も犬は大好きだ)が、猫嫌いなのはこの民族の歴史的伝統らしく、そうなった経緯は不明である。彼らは、猫を見かけると「トゥイ、トゥイ、トゥイ(汚らわしいものを追うお呪い)」と言って追い払うのだ。ハリウンにいたっては、猫に近づくと蕁麻疹(じんましん)に襲われるらしい。そういうわけで、滞在した3日間というもの、我々は1匹の猫も見かけなかった。みんな、三味線にされてしまったのだろうか(笑)。

 さて、ホストの住む団地はロシア資本によるもので、赤いレンガ造りの美麗な建物だった。しかし、あまり造りはしっかりとしていない。何といっても、ロシア人の仕事だからな(笑)。

 最上階(4階)にホストの家がある。車を降りて駐車場から見上げると、そこの出窓から可愛らしい赤ちゃんが、母親と思われる若い女性に抱かれて顔を覗かせていた。これが、バトボルドさんの初孫(ハリウンの甥)に当たるググちゃんだ。お爺さんのことが大好きなこの子は、ずっと帰りを待ちわびていたらしい。

 日本から携えてきたお土産を抱えた我々は、薄暗い階段(電灯も設置しないのかい、ロシアのゼネコンは!)を登り、緊張しながらお邪魔した。待っていたのは、バトボルド夫人(ハリウンのお母さん)、ハリウンの弟夫婦、そしてその赤ちゃんである。本当はハリウンの妹も来るはずだが、用事で遅れているとか。このむさ苦しい日本人連中を、家族総出で、ありがたいことだ。

 部屋は、明るくお洒落な雰囲気の2DKだ。駐車場から見上げた出窓のところが、ちょうど食堂になっている。玄関を入ってすぐが、大型テレビを備えた居間だ。居間とキッチンと食堂は、一繋がりの大きな部屋になっている。キッチンの向こう側が、寝室のようだ。

 一通りの挨拶に続いてお土産を渡した我々は、料理の準備が出来るまで、居間のソファに座ってテレビ(ナーダム関連の歌番組)を見ながらくつろいだ。

 すると、好奇心旺盛な赤ちゃん(生後9ヶ月)が、ハイハイしながら近づいてくる。どうやら、人見知りをしない子のようだ。俺の甥とは大違いだな。こちらが手を伸ばすと、向こうも手を差し伸べてくる。あまりの可愛らしさに、思わず何度も握手をしちまった。ああ、そんなにツブらな瞳で見つめないでおくれ。恋に落ちてしまうじゃないか。俺と君は、36歳も離れているし、国籍も違うし、そもそも男同士じゃないか!

 その様子に嫉妬したわけではあるまいが(どっちに?)、ハリウンが「見てよ、このブサイクな子、顔はでかいし髪に茶髪が入ってるんだよー」と顔をいじると、赤ちゃんは「ばぶー」と雄たけびをあげて、口の悪い伯母の頭をぶん殴った!これには、一同大爆笑だった。ハリウンは日本語で悪態をついたのに、どうして赤ちゃんに伝わったのだろう?赤ん坊の能力、げに恐るべし!

 やがて、母上とハリウン弟の奥方のお陰で、晩餐の用意が出来た。しかし、食堂のテーブルには椅子が足りなかったので、バトボルドさんとハリウン以外のご家族は、奥の寝室に引き取った。

 食卓の上は、見たこともないご馳走で埋まっていた。スープ、サラダをはじめ、お惣菜の皿が10以上並び、モンゴル産の缶ビールもたくさん置いてあった。ハリウンいわく、「こんなご馳走が出るのは、正月くらいです」。

 さっそく、ビールで乾杯と洒落込んだ。実は、この家族は酒をまったく嗜まないので、何が良いのか分からないままにスーパーで買い込んで来たのだという。それでも、チンギスビールを名乗る国産の缶ビールは、無茶苦茶に美味かった。なるほど、あの生気溢れる大麦からなら、こういう味も出来るはずだ。

 それでも俺は、「こんなもの、チェコのビールに比べれば」と必死の抵抗を口にしたが、周囲の視線が冷たいのでそれ以上は言わずにおいた。いちおう、チェコマニアを自称する以上、こういう局面では多少なりとも意地を見せないとな。俺にも、マニアとしてのプライドがあるのだ。

 そうこうするうちに、酒豪集団の猛襲を前に、ビール缶はたちまち空になっていく。

 ここの家族は、可愛い娘が極東の島国でただ一人、こーんな、とーんでもない酔っ払い連中に囲まれて生活していることを知って、別室で恐慌状態なのではあるまいか?ちょっぴり不安になる。

 そう考えつつ耳を澄ますと、奥の部屋からは、赤ちゃんの声が鳴るたびに家族の幸せそうな喜声が木霊していた。俺の家もそうだが、赤ちゃんはまさに「小皇帝」なのだ。家族の生活は、赤ちゃんを中心に回る。国や民族が違っても、この原則は万古普遍なのだなあ。こっちまで幸せになるぞ。

 おしめを替えるときに、お婆ちゃん(ハリウンのお母さん)が、赤ちゃんのお尻を見せに来た。ああ、俺がロリコンだと知っていたら、決してそんな無謀なことはしなかっただろうに。セクシーなお尻には、実に見事な青痣がびっしりと。これぞ、元祖「蒙古斑」である。モンゴル人が、日本人の兄弟民族である何よりの証拠だ。俺も対抗してケツを出そうと思ったが、どうせ蒙古班は消えているし、「日本人のおケツは貧弱だ」と思われたら国益上ヤバいので止めておいた。

 ともあれ、ロリコンの毒で脳みそが破綻した俺は、「将来、俺の甥(2歳半)とググちゃんを結婚させようぜ!」と非常識なことを口走ってしまった。ハリウンが冷たく「無理だよ、だって男同士でしょうが」と言って、モンゴル語で通訳すると、バトボルドさんも腹を抱えて爆笑した。

 アホウな話はこれくらいにして、食卓に話を戻すと、野菜で和えた白身魚は、日本では幻となった「イトウ」である。ああ、故・開高健の世界だなあ。ただ、味は他の白身魚と比べて際立った違いは感じなかったのだが、まあ、魚の味なんてそんなものだよね。モンゴルの川では、イトウをはじめ大型の魚がたくさん獲れるのだという。彼らは、肉ばかり食っているわけではないのだ。

 それにしても、料理が魚や野菜中心なので意表を付かれたのだが、これはどうやら「日本人仕様」だったようだ。都市部のモンゴル人は、普段はパンとスープだけで食事を済ますことが多いのだが、たまにご馳走を食べるとすれば、それは肉料理なのだ。つまりバトボルド一家は、モンゴルの肉を食べ慣れない我々に気を遣ってくれたのに違いない。この国では、肉よりも野菜のほうが高価だろうに。本当に、ありがたいことだ。

 俺は言った。「ハリウンのご両親を、ぜひ、日本に招待したい。みんな大歓迎でおもてなしするから」。

 ハリウンは悲しそうに、「モンゴル人は、後見人がいないと日本に渡航できないんです。あたしも、両親に日本を案内したいんだけど」。

 後見人というのは、どうやら政治家や外務官僚の類を言うらしい。どうして、モンゴル人の通常の観光渡航が許されないのだろうか?この世界は、理不尽なことで埋め尽くされているが、その中でもここまで理不尽な話は滅多にないと思うぞ。俺は、マジで憤りを感じた。何とか、恩返しをしたいのだが。

 さて、最初の食膳が一段落すると、茹で上がったばかりの「ボーズ」の皿が出てきた。ボーズは、おそらく中国語の「包子」から来た言葉だろう。要するに、大き目のショウロンポウ(小籠包)である。これはモンゴルの代表的家庭料理で、家庭ごとに味が違うという。皮に閉じ込められた牛肉の肉汁がたまらなく美味いのだが、1個あたりが大きいので、そうたくさんは食べられない。それで、余った分の皮はググちゃんのお夜食になった。この元気一杯の赤ちゃんは、ボーズの皮が大好物らしい。

 食事が終わり、デザートの時間となった。居間に移動した我々は、バトボルドさんと一緒にテレビで相撲観戦と相成った。ちょうど日本の相撲中継で、連勝中の朝青龍が今日も大活躍だ。通訳のハリウンがフル稼働して、しばし相撲談義に花が咲いた。バトボルドさんは相撲が大好きで、日本の角界にも精通している。俺も望月さんも、しばしば話に付いていけなかったのが恥ずかしい。

 こうして観戦しつつ、モンゴルで採れたスイカやリンゴを頂いたけれど、いずれも小ぶりであまり美味くなかった。どうも、果物はモンゴルの土壌に合わないのかもしれない。

 俺は、ここで「取って置きの秘策」に打って出た。モンゴル人の名前は、全てちゃんとした意味を持っている。俺は、その意味を「漢字」で書いて、家族みんなにプレゼントしようと思っていたのだ。これぞ文化交流!我ながら、ナイスアイデアだぜ。そのために、日本から帳面と筆ペンを用意して来たのであった。

 しかし、肝心のハリウンがここでは機能しなかった。家族の名前の意味は、「ググのしか分からない」という。あるいは、教えたくなかったのかもしれない。仕方ないので、ググちゃんの意味を聞いたら「レオパルドの子」だという。

 俺は動物にも詳しい(つもりの)人である。その傲慢さが仇となった。どういうわけか、そのときの俺は「レオパルド」と「レオポン」を脳内で完全に混同していたのである。レオポンは、ライオンと豹の混血動物で、日本語では表記不可能だ。悩んだ俺は、仕方なしに、帳面に『獅子の子』と書くことにした。ここで情けないことに、獅子という字が書けない!わかなちゃんに携帯メールの漢字変換機能で調べてもらって(迷惑な先輩でごめんなー)、ようやく『獅子の子』を書き上げて、若いお母さんにプレゼントした。

 言うまでなく、これは間違いである。レオパルドの日本語訳は、単純に「豹」で良いのだ。つまり俺は、『豹の子』と書くべきだったのだな。まったく、これは一生の不覚である。後で 望月さんやハリウンに「ほんとに、いい加減なんだから!」とボロクソに虐められたのは言うまでもない(泣)。努力だけは、認めて欲しいけどなあ。

 時計を見ると、11時近い刻限だ。さすがに、お暇しなければ。

 そのころになると、ご家族は我々のプレゼントを開封してくれていた。その中には贈答用の日本酒とか、和風の壁飾りなどもあったが、最も喜ばれたのは、わかなちゃんのお母さんが趣味で作った小ぶりな「生け花」だった。わかなちゃんの家は、ハイレベルで多彩な趣味人が多いので素晴らしい。

 こうして、日蒙懇親会は終わりを迎えた。最後に、みんなで赤ちゃんを抱かせてもらおうと思ったら、またもや俺がドジった。抱き損ねて、ググの頭を俺の肩にぶつけてしまったのだ。ちょっと半べその赤ちゃん。「赤ん坊の抱き方も知らないの!」と、ハリウンに怒られながら、ご家族に「オーチラーラェ(ごめんなさい)」を連呼する俺であった。まったく今日は、天中殺かい!

 それでも、最後はみんなで手を振って円満に別れを告げた。

 真っ暗で足元不如意のまま階下に降りると、バトボルドさんが車を用意してくれていた。これから、ホテルまで帰って寝るだけだ。

 そういえば、ハリウンの妹さんは最後まで現れなかったなあ。妹さんはディスコが大好きらしいから、あわよくば案内してもらおうと考えていたのだが。

 明日は、バトボルドさんは仕事の都合で動けないという。そこで、ピンチヒッターとしてたまたま帰省中の弟さん(ハリウンの叔父)を寄越してくれることになった。

 実は、バトボルドさんは、今が仕事の繁忙期なのである。それを知った俺は、日本にいるときに「お父さんにあまり無理をさせたくないから、お忙しいようなら車はこっちでレンタルするよ」とハリウンに言ったのだ。しかし彼女が答えるには、「モンゴル人は、日本人と違って、仕事を口実にしてお客さんに礼を欠くようなことはありません!」。確かに、武士道とか義理人情という概念は、今ではモンゴルのほうが強く持っているのかもしれない。そういうわけで、今回の旅行は、友人の家族のご好意に甘えっぱなし状態なのあった。

 そのハリウンは、「車が狭いから、明日は一緒に行くのはよそうかなあ」と最初は言っていたのだが、気が変わってやはり同行することになった。そのほうが、こちらとしては有り難い。初対面の叔父さんが、どんな人か分からないし。

 しかし、今日は異常に密度の濃い日だった。豊富な旅行経験を持つ俺にとっても、ここまで濃い旅程は初めてだ。

 どうせ明日も、女性陣と「押しくら饅頭」三昧の生活になるだろうから(考えてみたら、美味しい話と言えなくもないな)、さすがに今日は風呂に入らないとマズい。眠気を抑えつつ、ホテルの大浴場に深夜12時過ぎに行ったら、ガラガラで貸切り状態だった。ラッキー!でも、浴槽の湯が異常に熱い。「あちー、あちー」と言いながら、ザブンと1回だけ入ってすぐに出た。モンゴルってところは、どうも、こういう点で詰めが甘いのだな。

 それでも、今夜は停電が起こらなくて良かった。

 俺は部屋に帰ると、ことんと眠りに落ちた。

 明日は、ウランバートル東方の景勝地、テレルジへの旅である。

 

 

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