歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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世界旅行記

モンゴル旅行記(附韓国旅行記)

7月12日月曜日 テレルジ小旅行


(1)テレルジへ出発

(2)亀石

(3)ウランバートル2号

(4)乗馬

(5)民族舞踊コンサート

(6)スカイプラザ

(7)怪しい酒盛り

 


 

(1)テレルジへ出発

 この日も、朝7時30分に起きて、みんなで洋食バイキングを食いに行った。メニューは昨日と同じだが、昨日よりも料理が少なかった。ちょうど、料理の切れ目に来てしまったらしい。まあ、俺は少食だから関係なかったのだが。

 食事を終えると、約束の10時まで間がある。ホテル西翼一階に、「ゴビ」というカシミア専門店があるので、みんなでそこを冷やかした。俺は、買うとしてもマフラー程度だと考えていたので気楽だったが、後の3人はセーターを買おうとして難渋していた。この店には、ヨーロッパサイズのL、M、SとアジアサイズのL、M、Sが混在して訳が分からない。結局、その日の買い物は諦めて、後はブラブラと自由行動になった。

 時間通り、みんなで10時にホテルの前に出たが、迎えの車はなかなか現れない。モンゴル人は、もともとそんなに時間を守る民族ではないのである。

 ようやく、10時20分になってKIAが登場した。ハリウンが恥ずかしそうに助手席から降りてきて、「モンゴル時間ですから」と言った。彼女は、日本にいるときは、待ち合わせに5分遅れる場合であっても必ず携帯にメールしてくる律義者である。彼女なりに、ドライバーをせかした結果が20分の遅刻なのだろう。

 ドライバーは、痩身で優しそうな壮年である。これが、ハリウンの叔父さんだ。いつもは、家族とともにアメリカで働いているのだが、たまたま帰省中のところを、我々にとっ捕まったというわけである。なんて不運な人なんだ!(笑)

 叔父さんと、英語や片言のモンゴル語で挨拶を交わした後、我々は昨日に続いて車上の人となった。

 これから向かうテレルジは、ウランバートル東方80キロのところにある景勝地である。ハリウンも、子供のころに遠足で行ったことがあるらしい。

 ただし、夜6時から、ウランバートル市内で開催される「民族舞踊コンサート」をバトボルドさんが手配してくれたので、夕方5時くらいにはホテルに戻っていなければならない。かなりタイトな旅程になりそうだな。

 

(2)亀石

 ウランバートル東郊の検問所(毛皮対策のやつ)を抜け、大きな変電所や鉄道の引込み線施設を眺めた後は、美麗なトーラ川を越え、草原地帯に出た。

 車道は、しばし鉄道線路を右側に見ながら平行して走る。鉄道ファンの望月さんは、カメラを構えてシャッターチャンスを待ったのだが、なかなか列車は現れない。運行本数が非常に少ないのだ。

 やがて、鉄道線路が車道を離れ、グルっと右方に旋回する地点に来た。気を利かせた叔父さんは、ここで車を停めて休憩タイムにしてくれた。どうやら、東方から列車がこちらに近づいて来る様子だ。運が良ければ、シャッターチャンスも生まれるだろう。

 望月さんはカメラを抱えて線路方面に突進し、残った俺と女性陣は、バッタや草花や馬糞と戯れた。しかし、列車は残念ながらこちらには来なかった。東方から南方へと軌道を変えて走り去ってしまったのだ。

 こうして、我々は再びKIAの人となる。

 ナライハの街を過ぎると、周囲にはツーリスト・ゲルやキャンプ場が目立つようになった。この辺りは、世界的に名高いキャンプ適地なのだ。確かに、美しい山々と小川に恵まれた素晴らしい場所である。観光バスも、ひっきりなしに通る。

 途中で、明らかに観光用と思われるオボーで休憩した。そこには観光客が充満し、観光用のラクダや馬が客待ちをしていた。「これに乗って、オボーの周囲を散歩してみませんか?」というわけだ。ラクダは可愛かったけど、乗る気にはならなかったな。

 ウランバートルからテレルジまでの道は、立派に舗装されていてとても快適だった。おかげで、昨日と違って、ほとんど「モグラ叩き」&「ジェットコースター」のスリルは感じなかった。ここは、最高の観光適地だから、モンゴル政府も道路の整備に気を遣っているのだろう。また、叔父さんの運転も、バトボルドさんより優しく丁寧だった。

 やがて車は、ガイドブックで名高い名所「亀石」に差し掛かった。これは、自然の力で岩が亀のような形に削り取られた奇岩である。高さは、50メートルはあるだろうか。みんなで記念撮影と洒落込んだ。

 

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 この周辺には、珍しい動物がうろついていた。毛むくじゃらの牛である。ハリウンに名前を聞かれた俺は、「毛牛じゃないの」と適当に答えた。疑い深いハリウンが、それをモンゴル語に訳して叔父さんに伝えたところ、叔父さんは英語で「これはアメリカでは、ヤクって言うんだよ。日本語でも同じじゃないの?」と言って笑った。昨日の「レオパルド」の失敗があるから、俺が顔色を失ってモゴモゴすると、ハリウンが「なんだー、得意の『知ったかぶり』かー」と俺を指差して笑いものにしおった。

 俺の名誉のために言うなら、ヤクのことを毛牛と呼ぶ地方もあるので、決して嘘をついたわけではないのである。

 話を「亀石」に戻すと、不整地を歩くのが大好きな俺としては、この岩に登ってみたくなった。偵察行動に走った限りでは、どうやら首の部分までは簡単に行けそうである。しかし、叔父さんは時計を気にするし、仲間たちも気乗りしなさそうな様子だ。俺一人で登ろうかとも思ったが、みんなに迷惑をかけるのも忍びないから断念した。こういうところが良くも悪くも「日本人」なんだな。

 

(3)ウランバートル2号

 再びKIAに乗った我々は、いよいよテレルジの街に入った。怪しげな恐竜のオブジェが立ち並ぶペンションがあったり、意外と賑やかな雰囲気だ。

 この街の周辺の山々は、ゴツゴツとした岩山になっていて、昨日の「草原に覆われた丘」とは随分と雰囲気が違う。モンゴルの自然は、実に多彩なのだ。

 時計を見ると、12時を回っている。そこで、テレルジ最奥にあるリゾートホテル「ウランバートル2号(UB2)」のレストランで食事を摂ることになった。

 韓国系の観光客が多いこのレストランで、ビールやジュースは当然として、サラダ、スープ、バーベキュー、ホーショール(焼き餃子)と、多様なメニューを注文してみた。案の定、なかなか料理が出てこない。誇張抜きで、1時間以上待った。全ての料理を、「仕込み」から始めたのに違いない。

 しょうがないから、雑談タイムだ。

 「今回の旅行の最大の功労者は、何と言っても俺だぜ。だって、俺が痩せてなかったら、こんな遠くまで全員でドライブに来られなかったはずだからな。女性たちは俺に感謝して、ここの昼飯をおごるべきじゃないのか?感謝の気持ちが足りないねえ」と言ったら、間髪入れずに宮ちゃんが、「そんなことして、ミウさんが太ったら困るじゃないですか。あたしたちのために、これからずっとずーっと絶食してくださいね」と笑顔で答え、望月さんも「そうだ、そうだ」と唱和して爆笑した。

 宮ちゃんは、なんだかんだで、10年来の飲み友達だからな。完全に見透かされているわい。仕返しに、これから車に乗り込むたびに、「お前ら、ガツガツ食ってまたデブになったな!お陰で席がきつくなったぞ!」と嫌味を言ってやることにした。ザマーミロ(泣)。

 テーブルの一方では、叔父さんと望月さんが妙に意気投合していた。望月さんは、仲間内で唯一の喫煙者であるから、寂しくて仕方なかったのだ。彼は、行きの空港免税店で、お土産にするつもりでタバコを2カートンも買ってきたというのに、ハリウンのご家族は一人もタバコをやらないと知ったときの失望感は痛々しいばかりであった。それがどうやら、ハリウン叔父は、少しだけならタバコを契るという。子供のように目を輝かせた望月さんは、叔父さんと仲良く幸せそうに紫煙を巻き上げるのであった。

 最近、日本では喫煙者に対する規制がますます厳しいから、望月さんもたいへんだと思う。モンゴルでは、原則として喫煙は自由らしいから、その限りでは良い国なのだろうな。タバコをやらない俺にとっては、どうでも良いことであるが。

 ようやく、料理が出てきた。韓国ビールで乾杯し、サラダとスープを平らげる。

 続いて、俺が注文したマトンバーベキューが出てきた。「まさか、食べて太るつもりなの?」との宮ちゃんの嫌味を完全に無視し、ライスにポテトに野菜も付いたバーベキューは、こりゃあ実に美味いわ。モンゴルの肉は、柔らかくてとてもジューシーなのだ。みんなに、少しずつお裾分けしてやった。

 しかし、叔父さんはヌードル入りのスープ、ハリウンはサラダだけしか注文していない。この一族は、みんな少食ぞろいのようだな。

 やがて、お待ちかねのホーショールが登場した。要するに、「焼き餃子」だが、マトンと玉ねぎの具がたっぷり入った様子はピロシキにも似ている。やはり、この国の食文化はロシアと中国の両方の影響を受けているのだろう。1皿に3切れ入っているのだが、これが無闇に大きい。1切れが手のひらに載らないほどだ。3品注文したので、なんとかして巨大な9切れを平らげなければならないぞ。

 ハリウンが横から手を伸ばして「どうせバーベキューで満腹でしょ」と言いながら、俺のホーショールを掴んでいった。お前まで、デブになるつもりかい!でも、正直言って、お陰で助かった。彼女は、わかなちゃんからも1切れもらったので、俺とわかなちゃんは残り2切れずつを何とか食いきった。テーブルの一方では、望月さんと叔父さんが残り3切れを処理した。

 ともあれ、あれだけ飲み食いして、お足は一人1,000円程度だった。もちろん、叔父さんとハリウンの分は、我々で出してあげることにしたのだが。

 結論を言えば、モンゴル料理は「安くて美味い」。これは、嬉しい誤算であった。

 良い気分でお勘定に行ったら、その横にテレビがあって、モンゴルのロックミュージックを特集していた。俺がメロディに体を乗せてノリノリでいると、叔父さんが嬉しそうに「音楽好きですか?」と言ってきた。モンゴル人は、みんな歌が好きである。叔父さんは、モンゴルのロックについて、英語でいろいろと教えてくれるのであった。

 

(4)乗馬

 さて、食事を終えて時計を見ると、もう2時になろうとしている。

 ウランバートルでの「民族舞踊コンサート」に間に合うため、テレルジを3時に出たいのだが、残り1時間をどうするか。

 宮ちゃんは、乗馬経験豊富な人なので、「馬に乗りたい!」との一声だ。残りの女性二人もこれに追随する。わかなちゃんとハリウンは、乗馬体験がないというから、なかなか勇敢な娘たちだな。っていうか、ハリウンはネイティブのくせに乗馬の経験がないだと?モンゴル人の風上にもおけない奴だぜ。だから、国を追放されて日本にいるのだな(笑)。ぷぷぷぷぷっ。

 一方の望月さんは、プロはだしのカメラマンなので、この景勝地の風景を撮りまくりたいらしい。

 俺は、しばし悩みつつ望月さんに続く。ホテルの裏には渓流があり、吊り橋があり、森林があり、息を呑むほどに美しい風景だ。さすがはテレルジ。出来ることなら、ここに1泊したいほどである。

 しかし、風景ならば、後で写真を見ても十分である。望月さんを一人で置いていくのは心苦しいが、「やっぱり乗馬に行きますから」の一言で、俺はホテル正面へと駆け戻った。

 俺の乗馬経験といえば、幼いころに親に付き添われて乗った程度の貧弱さだ。でも、せっかくのモンゴルで馬に乗らないでは、絶対に後悔するだろう。

 叔父さん&女性陣に追いついた俺は、いつしか隊列の先頭に立っていた。すると、ホテル入口の車道で張っていた「乗馬屋さん」たちが大挙して群がり、あっというまに俺を草原へと押し出し、有無を言わさず一頭の馬をあてがった。こいつら、ものすごい商魂だな。

 モンゴルの馬は、とても小さい。体高は、1メートル50センチ程度で、サラブレッドに比べたらロバみたいなもんだ。ただし、筋肉質でガッチリしているから、持久力はありそうに見える。実際に乗ってみたところ、どんな不整地でも少しもペースを変えずに移動する能力を持っていた。それにしてもこんなチビスケが、かつてはユーラシア大陸制覇の原動力になったのだから不思議な気がする。

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 俺があてがわれた馬は、茶色と白のブチで、実に弱そうだ(笑)。まあ、俺にはちょうど良いかもな。何しろ体高が低いから、補助台などを使うまでもなく、鐙に片足を掛ければヒラリと鞍に跨れる。もう1頭に跨ったオッサンが、簡単な手綱の操作法を教えてくれると、俺の馬にゆわえた綱を引きながら、さっそく先導して彼方の丘へと進みだした。その間、わずか3分。なんか、いい加減だな。

 馬の尻に「てい」と手綱を当てると早く進む。蒙古馬は歩幅が狭く小刻みに走るので、駆け足になると上下運動が激しい。すると、胸ポケットからカメラやサングラスが落ちそうになるので、それを外に出して腰のポケットに入れ替える作業がたいへんだった。

 あっという間に、丘の上に来てしまった。ふと振り返ると、女性陣は遥か後方でまだ準備中である。トラブルが起きた場合を考えると、彼女たちと引き離されるのが心配だ。それで、オッサンに英語で説明して、少し待ってもらうことにした。

 女性陣を引率するのは、俺を引率したオッサンとは違うチームだったらしい。オッサンは、後から駆けてきたモンゴル相撲の帽子を被った少年(青年?)に俺の手綱を渡すと、別のお客さんのところに駆けて行った。それと入れ替わりに、宮ちゃん、わかなちゃん、ハリウンを引率した騎馬団がやって来た。ハリウンは茶髪のオバサンに、わかなちゃんは年配のオッサンに引率されていた。宮ちゃんは、乗馬経験があるので、引率なしの単騎行である。生意気な!

 ハリウン叔父はといえば、やはり単騎行で少し離れて付いていた。抜かりなく、みんなを見守ってくれているのだ。

 こうして、みんなで騎馬団を編成してゾロゾロと進んだ。俺は、ガイドの少年に日本製デジカメを自慢したりしつつ、みんなの写真を撮りまくった。このまま、ポーランドやハンガリーまで侵略に出かけようかな。弱そうだけどな。

 少しすると、ガイドの少年は俺に単騎行をさせようと思って手綱を放した。すると、俺を乗せたブチ馬は、馬首を巡らせて逆方向へ歩き出しやがった。おいおい。少年がボディランゲージまじりで止め方を教えてくれるので、指示どおりに手綱を左右に引くと、ブチ馬は大人しくその場に停まった。それ以来、少年は手綱を放そうとせず、俺に単騎行をさせてくれなかったのが残念だ。ブチ公が、あまり慣れていなかったせいなのだろう。

 少年は、何を思ったか、俺の馬の頭に手を伸ばし、ハエを一匹叩き殺して見せた。死骸を見るに、日本のハエの3倍の大きさだ。モンゴルでは、こういう虫もスケールがでかいのだ。これは、ちょっと嫌かも。

 丘の上には、小さなオボーがあった。おおかた、観光用だろうな。弱そうな騎馬団は、その周囲を順繰りに3回ずつ回った。その後は、丘の反対斜面を下る旅になる。彼方の空に目をやると、かなり濃密な灰色の雲だ。どうやら、一雨来る感じだぞ。引率のモンゴル人たちは、心持ち遠征のペースを速めることにしたようだ。

 今度は足元に目をやると、珍しい白い花が咲き乱れている。叔父さんがハリウン経由で教えてくれたところによると、この花は「エーデルワイス」の一種なのだという。モンゴルという国は、それ自体が高原だから、この手の花が咲いていてもおかしくないというわけだ。この国の草原の素晴らしさは、まったく侮るべからずである。

 一行は、丘の下まで降りると、進路を右に変えた。小川を歩いて越え、ゲル集落の横を通り、グルっと回って出発地点に戻る旅程なのだ。

 単騎行の宮ちゃんは、蒙古馬が意外と人見知りするので難渋していた。サラブレットと違って、思ったように進んでくれないみたいなのだ。彼女の馬ときたら、途中で急に立ち止まったと思えば、そのまま派手に放尿を始めたりする。あのときの途方に暮れた宮ちゃんの顔は、なかなか笑えたぜ。

 俺のガイド役の少年は、しばしば宮ちゃんの馬のケアをするために自分の馬から降りた。彼の馬は、感心なことに、騎乗中はお痛を我慢しているのである。主がいなくなったとたんに、派手にジョージョーと。わかなちゃんのガイドのオッサンは、放尿を指差して「ビールだよー」と大喜び。お前は、日本人の小学生かい!「美味そうだね」と英語で応えた俺も同レベルなのだが。

 そうこうするうちに、空はますます曇ってくる。さらにペースを速めた一行は、ようやく出発地点に戻ってきた。誰も怪我をせず、無事に済んだのはラッキーである。時計を見ると、3時15分だから、ちょうど1時間の騎行だったわけだ。

 ガイドどもは、我々から6000トウグルク(600円か、安いな!)を徴収すると、たまたま車道の向こうに現れた韓国人の旅行者たちに向かって、韓国語の殺し文句を叫びながら殺到して行った。すさまじい商魂である。日本人も、少しは見習ったほうが良いかもしれない。

 

 

(5)民族舞踊コンサート

 大満足の我々は、ウランバートル2号の前で望月さんに合流した。彼は、ホテルの裏で写真を取りまくっていたらしい。こうして再び、一行は車上の人となりウランバートルを目指した。ちょうど頃合い良く、激しい夕立が車を叩いた。雨に霞むモンゴルの草原や丘陵も、幻想的な雰囲気で、見ていてとても楽しい。

 往路でも気づいたのだが、この地域には放牧によって生活している人が多い。馬、羊、ラクダ、牛、ヤギ(これらを五畜という)の群れが、いたるところにウロウロして、しばしば車道に出てきたりする。家畜は、モンゴル人の生活にとって欠くべからざる大切な財産なのだ。

 

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 後は、特筆する出来事もなく、4時30分くらいにウランバートルに帰ってきた。俺がハリウンに、「叔父さんにお礼をしたいのだが」と言うと、彼女は「叔父さんは、あたしのお父さんからすごく世話になっているんです。みんなが気を遣う必要はありませんよ」と強気で言った。向こうの家族の内情は良く分からないので、そのまま引き下がったのだが、本当にそれで良かったのかなあ。

 優しい叔父さんとは、フラワーホテルの前で別れた。ハリウンも、今日は一緒に家に帰るというというから少し寂しいな。彼女は今夜も、整体の先生のところに行きたいらしい。

 我々の次の予定は、民族舞踊コンサートだ。5時30分くらいに、叔父さんと入れ替わりにバトボルドさんが迎えに来てくれるという。

 ホテルに入ったら、なんと、部屋がチェンジになっていた。面白い話ではないので、くだくだしい説明は避けるが、旅行会社と現地エージェントの力関係のせいで、我々の料金は通常よりも割高で、しかも狭い部屋を宛がわれてしまっていたのだ。そしてホテル側は、今日になってようやく広い部屋が空いたから、そっちに移って欲しいと言ってきたわけ。我々は、ポーターの助けを借りて荷物を抱え、反対側の翼に移った。調度品のボロさは同じだが、部屋は広いほうが良い。

 その後、我々はホテル内の小さな土産屋に移った。俺は家族や弟夫妻用に、蒙古馬の人形や日本語版のモンゴルとウランバートルの地図を買った。部屋にこういった荷物を置いてからロビーに戻ってくると、ちょうどバトボルドさんが入ってきたところだった。俺は、土産屋に屯っていた仲間たちを呼びに走り、こうして再び一行はKIAに乗る。

 車は、雨雲に覆われているといえども、まだまだ日が高いウランバートルの街を南に向かって走り、やがてナイラルダム公園に到着した。民族舞踊は、この中で開催されるのだ。

 おりしもの夕立を避けて、公園北部にある公演会場に駆け込むと、バトボルドさんは、俺にチケットの買い方など懇切丁寧な指示をして、7時に迎えに来ると約束して大急ぎで去って行った。車内で彼と交わした会話から推察すると、ナーダムのモンゴル相撲の試合が大詰めを迎えているようだ。バトボルドさんは、試合が気になって急いでいたのだ。

 公演会場は、東洋風の雰囲気を残したなかなか立派な建物だ。一人6ドルに加えて写真撮影料金を追加納入した我々だったが、混雑中の会場は全て自由席だったので、最右翼の一番後ろの列に押し込まれてしまった。我々の右隣では、係員の姉さんが巨大な機械を前にBGM用のCDを準備中だ。普通、こういうのって、お客さんに見えない場所でやるもんじゃないかい?(笑)

 俺の左横には、恰幅の良い老人が座った。日本語が通じるので日本人かと思ったら、韓国人だという。俺が「日本語、お上手ですね」と言ったら、「上手だなんて、とんでもない。若いころに、かじった程度ですからな」と笑顔で答えて、俺の膝を上機嫌にポンポンと叩いた。彼は、ウランバートル大学で講演会をやった後だというから、韓国の大学教授か何かなのだろう。ハリウンもそうだが、俺は日本語を操る外国人を尊敬している。こんな難しい言葉を習得するのは、並大抵の努力では済まないはずだから。俺は、老人ともっと話したかったのだが、残念ながら公演が始まってしまった。

 全部で10曲くらいだったか。馬頭琴(モリンホール)の演奏会、モンゴル民謡の長唄の独唱、若い男女の恋愛歌、そしてお待ちかねのホーミー(一人の男性が、低音と高音を同時に使い分けながら歌う独特の歌唱法)。最後は、チベット仏教の神仏を模したコスプレ舞踊団が10人ほど集団舞踊を繰り広げて散会となった。

 1時間程度の公演だったが、実に面白かった。モンゴルの音楽は、日本人の耳に良く馴染む。江刺追分に良く似た曲もあるから、やはりモンゴル人と日本人は、先祖を同じくしているのかもしれない。しかし、中国の影響を受けたと思われる部分も多い。それをハリウンやバトボルドさんに指摘すると、「そんなはずはない」と言下に否定されてしまうのだったが。モンゴル人は、長いこと中国文化圏にいたくせに、中国文化があまり好きではないのである。

 会場の外に出ると、雨はすっかり上がり、そしてバトボルドさんが待っていてくれた。公園北端の展覧会場前でKIAに乗ったら、ホテル目指して飛ばすこと飛ばすこと。ドライバーは、よほど相撲の結果が気になるらしく、何度か事故りそうになり、しかも事故渋滞に遭ってイライラしていた。そこで、ホテルまで行ってもらうのは心苦しいので、手前で降ろしてもらうよう申し出たところ、我々を降ろしたバトボルドさんは、ほっとした表情で「明日も10時で」と言い残して走り去った。

 良くも悪くも、モンゴルの人は純朴で、自分の心に正直なのである。

 後でハリウンに聞いたところ、自宅待機だった彼女(整体の先生が、つかまらなかった)は「帰り道を口頭で教えるだけで十分。わざわざ迎えに行く必要はない」とお父上に言ったのに、バトボルドさんはその言葉を押し切って、無理して来てくれたのだという。こういう親切は、実にありがたい。

 

(6)スカイプラザ

 さて、これから晩飯を食わなければならない。

 我々は、ホテルに戻らずに、ブラブラと南に向かって歩いた。

 最初は、わかなちゃんとハリウンが初日に夕食を摂ったというロシア料理店に行こうと思ったのだが、店の前まで行ったところ、今日はお休みらしい。

 仕方ないので、道路を挟んで反対側にあるチンギスハーンホテルに入り、併設のスーパーマーケット(スカイプラザ)を散歩することにした。ここは、1階右翼が食料品売り場、左翼が文房具と玩具、そして土産物売り場になっていた。2階は、主に衣料品を商っていた。

 俺は土産屋で、皮製のタペストリーと、チンギスハーン肖像画入りのコースターを3つ買った。これらは、日本で待つ友人たちへのお土産である。VISAカードを使用したところ、店のオバサンに怪しい奴だと思われたのか、いろいろと英語で職務質問をされたりカード会社に確認の電話を入れられたりした。モンゴルには、俺のような顔をした悪人が多いのだろうか?ちょっと、納得いかねえな。

 スカイプラザは、なかなか立派なスーパーマーケットなのだが、2年前のプラハで訪れたテスコやノヴェ・スミーホフに比べれば、だいぶ見劣りがする。まあ、チェコとモンゴルを比較しても仕方ないのだが。

 チェコといえば、ビール売り場にブドヴァル(ブヂェヨスキー・ブドヴァル)の瓶が大量にあった。食指が動いたが、ブドヴァルの瓶入りなら日本でも簡単に手に入る。俺は、スタロプラウメン(プラハの地ビール。特に黒ビールが美味)の大ファンなのだが、それはここには置いていなかったのが残念。望月さんと宮ちゃんは、チンギスビールの缶やミネラルウオーターを大量に買っていた。酒豪どもは、どうやら今夜は遅くまで酒盛りをするつもりらしいな。

 食料品売り場はそれなりに充実していて、海鮮食材まで置いてある。羊や牛の肉はとても安いのだが、それに比して鶏肉や野菜は割高だ。また、菓子類のほとんどがロシア製なのだが、どうやらこの国には菓子を自製する能力が無いのかもしれない。我々がケーキやアイスクリームを指差したり写真に撮ったりしていると、制服姿のガードマンが後を付けて来た。万引き野郎と思われたのだろうな。

 ガードマンを振り切ってお勘定を済ませた我々は、店の中を通り抜けて、もと来た場所(レジの反対側)から帰ろうと思ったのだが、驚くべきことに、店員に阻まれて店に入れてもらえないのである。どうしてももう一度店に入りたいなら、ここで買った品物を全て預けろという。どうやら、万引き対策のようだ。

 この国の治安は、想像以上に悪化しているのかもしれない。

 仕方ないので、反対側(ホテルの裏側)から外に出た。スカイプラザは、ホテルの正面からも裏口からも入れる構造なのである。ホテルを出る途中で、ウランバートルで唯一のエスカレーターを体験したり、電化製品売り場を冷やかしたりした。どうやら、この国の電化製品市場は、ほとんど韓国が牛耳りつつあるようだぞ。

 市場といえば、自動車も韓国製が多い気がする。街でたまに三菱の自動車を見かけるのだが、爆発したりしないのか心配だ。バトボルドさんによれば、日本車は性能が良いけど割高で、ロシア製は安いけど性能がボロボロだから、結局、韓国製をチョイスする人が多いのだそうな。

 重い荷物を抱えつつ、フラワーホテルへの帰路を辿った。次なる問題は、どこで夕食を摂るかだ。望月さんは、近くにある日本料理屋(石庭)を推薦した。しかし俺は拒否反応を示した。俺は、現地では現地のものしか食べない主義なのだ。そこで、「モンゴルの日本料理なんて、高くて不味いに違いない」と強弁した。かといって、郊外のモンゴルレストランに入っても、言葉が通じずメニューも読めない可能性がある。諦めて繁華街に出れば日本語や英語が通じる店もあるのだろうが、歩いていくには距離がありすぎる。やはり、ハリウン一家がいないと不便極まりないな。

 みんなで歩きながら鳩首した結果、ホテルの部屋で酒盛りをしながら軽食で済まそうということになった。実は、望月さんと宮ちゃんは、日本からインスタント食品を大量に用意して来たのである。これを処理して荷物を軽くする上でも、このアイデアは良策であった。

 

(7)怪しい酒盛り

 とりあえず、ホテルに帰って荷物を置いた。

 外では花火が鳴っている。今夜は、ナーダムの中日だからな。

 俺以外のみんなは、ホテル内のカシミア専門店「ゴビ」に買い物に行った。俺は、どうせマフラー程度しか買わないから、明日の朝で構わないと考えて、一人で部屋に残ってガイドブックを片手に最終日の旅程固めに頭を絞った。明日はウランバートルの市内観光の予定なのだが、観光の優先順位について考えておくように、ハリウンに言い付かっていたのだ。

 カシミアの買い物を済ませた宮ちゃんは、夕方のスカイプラザで見かけた6ドル(700円)のキャビア(もちろんロシアからの輸入製品)が気になって仕方ないので、望月さんやわかなちゃんと一緒に再び買いに走った。確かに、キャビアを日本で食べようと思ったらたいへんな散財を余儀なくされるから、彼女の気持ちは良く分かる。

 みんなの帰りを待ってから、俺と望月さんの部屋を会場にして、さっそく冷蔵庫で冷やしておいたチンギスビールや日本から持参して来た梅酒で酒盛りを始めた。このメンツは、とにかく酒が強いのである。

 女性二人は、奇妙なことに、日本から飴やガムやチョコといった菓子類を大量に持参して来た。二人分を合わせると、ゆうに一抱えもある。どうして、こんな大量のお菓子が必要なのか?結局、これらのほとんどが食べきれず、最終日にハリウン(=超甘党)に寄贈されることになるのだが。おそらく、彼女たちは子供のころ、学校の厳しい先生に「遠足のお菓子は500円まで!」とか言われて、それが精神的外傷(トラウマ)になってしまったのだろう。そして、社会人になって自分で稼げるようになった今、常に大量のお菓子を持ち歩かなければ安心できない体質になってしまったのに違いない。うう、可哀想になあ(笑)。

 望月さんは、さすがにお菓子は持参しなかったが、やはり一抱えものインスタント食品を用意していた。まあ、現地の料理が口に合わないということもあるからね。

 いずれにせよ、常に現地調達主義を貫く俺の感覚では理解できない話だ、などと文句を言っても始まらない。おかげで大いに助かったのだから。

 我々は、インスタント食品にキャビアを乗せて色々と試した。キャビアラーメン、キャビアうどん、キャビア赤飯。結論を言えば、高級食材だからって、むやみやたらに乗せればいいってもんじゃないな。キャビア赤飯は、意外と美味かったが。

 結局、夜中の2時まで飲んでいた。今から思うと、極めて無謀な行為であった。

 この無茶のツケは、翌日にやって来ることになる。

 そんなことは知るよしもなく、大浴場(今夜のお湯はぬるかった)に入ってからすぐに寝た。

 しかし、明日の旅程については、議論が堂々巡りして結論が出なかった。観光を優先したい俺と、買い物を優先したい望月さんの意見が、どうしても合わなかったのだ。女性陣は、決まったほうに付いて来るだけだから、議論には参加しなかったのだが。

 まあ、これはバトボルドさんに調整してもらうしかないだろうな。

 

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