歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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世界旅行記

トルコ旅行記

8月5日土曜日 ビザンチン文化とミニアチュルク


 エミノニュ散策

アヤ・ソフィア

カーリエ博物館

井戸焼きケバブ

ミニアチュルク

再びBlue Art 

 


 

エミノニュ散策

 朝5時に、突然目覚めた。

 周囲を窺うと、窓外から抑揚のある甲高い声が響いて来る。ああ、なるほど、これがアザーン(イスラムの礼拝の呼びかけ)か。

 アザーンは、「みんな、早く起きてお祈りしましょう。お祈りすると、良いことがありますよ」と告げているのだ。確かに、早起きしてお祈りするのは、心が清らかになるだけでなく、運動にもなるのだから健康に良いだろう。良い習慣だと思う。

 いずれにせよ、ラマザンが迎えに来る予定の9時まで4時間もある。昨日は夜10時に寝たのだから、睡眠が足りないわけではない。窓外はもう明るいので、のんびりと外出の準備をして、朝の散歩に出かけることにした。

 まずは、金角湾の朝を見に行こう。ショルダーバックを抱え、ホテルを出てから右へと進む。トラムの線路に沿って歩いていくと、右手に海が見えた。金角湾である。

 その途中にあるのが、国鉄の終点シルケジ駅だ。ここは、オリエント急行の終点としても有名である。駅舎に入って写真撮影に勤しんだのだが、まあ、普通の平凡な鉄道駅という印象だったので拍子抜けした。

 駅舎を出て、金角湾へと歩いた。この一帯が、エミノニュと呼ばれる交通の要衝だ。海岸に並ぶいくつもの桟橋に、早朝だというのに何艘ものフェリーや連絡船が行き来している。ここは、クルド人分離主義者(PKK)のテロが多発する要注意地帯のはずだが、周囲の華やいだ活気は、微塵もそんなことを感じさせなかった。

 船が着くたびに、大勢の人が吐き出される。みんな勤め先に向かうのだろうか?私服姿の人が多いので、その点は判然としなかった。桟橋付近の広場を歩く人々の横で、露店や売店の売り子が声をからしている。サンドイッチや飲み物を売っているのである。

 金角湾は朝日を浴びて青く輝き、その海面を無数のウミネコやカモメが飛び交う。彼らが狙うのは、もちろん、波間に飛び跳ねる魚である。金角湾が、数多くの釣果に恵まれる絶好の漁場であることは、ガラタ橋の欄干に蟻集する大勢の釣り人の姿を見た瞬間に、すでに一目瞭然だった。

 いやあ、実に豊かな国だな。改めてそう感じた。

 それにしても、早朝だというのに人出が多い。その理由には、やがて見当がついた。エミノニュには、イエニ・ジャーミーという大きな寺院がある。このお寺で、朝のお祈りをする人が多いのだろう。

  yenimosk

 俺は、この美麗な寺の周りをウロウロした。お寺の前の広場にはハトがとても多い。それを掻き分けながら歩き、朝の開業準備中のエジプシャン・バザールの雰囲気を堪能した。俺は、こういった朝の市場の空気が大好きなのだった。

 こうして、エミノニュ周辺を一周してからホテルに戻った。7時だから、そろそろ朝のバイキングが始まる時間である。部屋で少しテレビを見てから、地下の食堂に行った。

 お客さんは、みな金髪の欧米人である。ホテル・イルカイは、外国人観光客向けに特化したホテルなのかもしれない。バイキングの内容を見ると、数多くの種類のパンにチーズ、ヨーグルト、サラダ、スイカなどの果実類、なぜか飴まである。意外なことに、豚肉のハムもあった。トルコ人はイスラムだから、豚は食べないはずである。これはきっと、非イスラムの外国人に配慮してのことだろう。

 チーズとヨーグルトは、とにかく美味かった。さすが、トルコ人は元・遊牧民である。ヨーグルトはスイカの切り身と和えたものだったが、さっぱりしていてとても美味しい。この「スイカ入りヨーグルト」は、日本でも発売するべきだと思った。また、トルコ風紅茶のチャイも美味かった。イギリス紅茶とウーロン茶のちょうど半分くらいの 発酵度合いというこの茶は、昨日「BLUE  ART」でも経験しているわけだが、この旅行での最大のヒットとなった。

 さて、食事も終えて、ホテルの部屋でウダウダしているうちに9時になった。ショルダーバックを抱えてロビーで待つことしばし。ホテルの玄関からメスートが入って来た。彼はいきなり俺に抱擁しようとしたが、いかな美少年であっても、俺には男と抱き合う趣味は無い(笑)。握手でお茶を濁した。

 ホテルの前には、ラマザンが車を横付けしていた。「良く眠れましたか?」と開口一番に訊ねる彼は、ちょうど出勤途中だという。車に乗り込んだ俺は、そのまま「BLUE  ART」に向かったのである。

 車中でラマザンに今日の予定を聞かれた俺は、「新市街観光をしてからボスポラスクルーズに行きたい」と答えた。するとラマザンは「今日は土曜日なので、外国人観光客のみならずトルコ人の家族連れでたいへんな人ごみになります。止めた方が良い」とアドバイスをくれた。そこで俺は、「じゃあ、イスタンブール旧市街の西側を観光することにします」と言ったところ、彼は「それなら大丈夫でしょう」と頷いた。

 車がアヤ・ソフィアの横を通るとき、「ここは朝9時でも混んでいますか?」と訊ねたら、ラマザンは「むしろ、この時間帯がベストですよ」と言ってくれたので、さっそくアヤ・ソフィアを観光することにした。

 俺の経験では、こういう超有名な観光施設は「団体観光」の標的になっているので、団体観光客が訪れる以前の時間帯に、急いで見学するのが最善なのである。

 スルタン・アフメット広場に面した入口で、車から降ろしてもらった。ラマザンが、「1時間後に、ここに迎えに来ます」と言うので、「BLUE  ARTの場所は分かっているので気遣い無用です」と答えた。すると彼は、「この付近には悪い奴がウロウロしているから危険なんです。私は、あなたの安全のために言うんですよ!」と語調を強くした。それなら、お言葉に甘えておこうか。

 

 

アヤ・ソフィア

 彼らと別れ、アヤ・ソフィアの入口で10YTLを支払って庭園に入る。すると、そこに立っていた老人が「ガイドしましょうか?」と英語で話しかけて来た。「今日は、時間がないので結構です」と答えると、老人はとても失望した哀しい表情をした。悪いことしちゃったかな。でも、本当に1時間しか無いからな。俺は、他人に時間を管理されるのが大嫌いなのだが、今回の旅行ではラマザン一味にすでにコントロールされつつある。なんとか、抜け出す方法を考えないと。

  ayasofia

 美麗な庭園を奥へと進みつつ、巨大な赤い聖堂を眺める。7世紀の昔からこの形を留めるイスタンブール最大のドームは、全身から物凄い「地霊」を放っている。これは、拙著『アタチュルク』に何度も登場した由緒あるランドマークなのである。

 庭園奥を右に折れたところにドームへの入口があった。その回廊の壁には、アヤ・ソフィアの歴史を描いたいくつもの解説板が並んでいる。時代の節目ごとに、数ヶ国語の解説と図版で構成されたこれに、しばし心を奪われた。最後の板は、晩年のアタチュルクがアヤ・ソフィアの博物館化を決定する文書に署名する写真であった。そうか、ここが博物館になったのは1934年だったか。拙著では1932年と書いてしまった気がする。インチキ参考文献に騙されたぜ(汗)。

 その後、土産の売店を冷やかしつつ中に入る。薄暗くひんやりした聖堂内部は、やはり昨日のブルーモスクと比較すると古色蒼然としていた。石組みの壁は、ところどころ崩落したりひび割れたりして、この建物が乗り越えてきた歳月の重みを感じさせてくれる。

 この寺院は、もともとギリシャ正教(東方正教)の教会として建立された。その当時は、ドームの周囲に立つ4本のミナレット(尖塔)は無く、ドームの内側は無数のモザイク宗教画で埋め尽くされていたのである。しかし、1453年にオスマン帝国が侵攻してビザンチン帝国を滅亡させたとき、スルタン・メフメット2世の決定でイスラム様式のモスクへと全面改装された。そのとき、モザイク画はすべて、漆喰で壁に埋め込まれてしまったのだ。ところが、20世紀に入って、地震で剥がれた漆喰の裏から多くのモザイクが再発見され、これが契機となって博物館にされたこのドームは、今ではビザンチン文化の宝庫なのである。

 ドームの天井近くには、アラーを称える巨大な黒い円盤が飾ってある。さらに奥に進むと、内陣の天井にはキリストと聖母マリアを描いたモザイクが描かれている。もしもアヤ・ソフィアが「寺院」だとすれば、これは絶対に有り得ない光景なのである。アラーとキリストが同居することがそもそも有り得ないのだが、偶像崇拝を徹底的に否定するイスラム教が、寺院内部にモザイクの肖像画を飾ることは絶対に考えられない。そういう意味で、アヤ・ソフィアの寺院としての機能を全否定し、「博物館」に変えたアタチュルクの英断は特筆されるべきであろう。アタチュルクという人物が天才的な革命家だったことは、このことからも明らかである。

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 寺院左翼から、幾重にも折り返す緩いスロープを登ると、中央が吹きぬけになったドームの2階に出る。この階の壁に沿って、いくつもの美しいモザイク宗教画が飾ってあるのだが、これをじっくりと眺めるだけで1時間はあっという間に過ぎてしまう。10YTLの価値は十分にあるじゃないか。

 この博物館の警備員は、なぜか女性が多い。警官のような制服を纏ってトランシーバーを持つ彼女らの中には、金髪で白い肌の人もいれば、黒髪で浅黒い肌の人もいる。トルコ人は、歴史の中で非常に多くの混血を経ているので、いろいろな容姿の人がいる。だから、彼らが容姿を基準にして同胞を差別することは有り得ないだろう。事実、まったく異なる容姿を持つ警備員たちが、普通に談笑しているのだった。イギリスやフランスでは、とても考えられないことである。また、トルコは女性の社会進出が非常に進んでいることで有名だが、男と肩を並べて仕事している女性たちを見ていると「なるほど」と納得できる。

 さて、1時間経ったので博物館の出口に行くと、メスートが柵の向こうで手を振っていた。彼は、当たり前のようにお店の「パシリ」にされているので、なんだか気の毒に思った。

 少年と昨夜のサッカーの話で盛り上がりつつ(結局、1対1の同点だったらしい)、スルタン・アフメット公園を経て「BLUE  ART」に入った。それから、ラマザンに頼んでカタール航空のオフィスに電話してもらったのだが、「土曜と日曜は休業」とのことであった。なんだ、そりゃ!カタール航空の職員は公務員なのかよっ!これでは、リコンファームは明後日に持ち越すしか無さそうだ。

 

 

カーリエ博物館

 仕方ないので、チャイを飲みながらラマザンと雑談する。この店には、ラマザンとメスートの他に、2人の屈強な男が店員として働いているのだが、彼らはみんなラマザンの親戚なのだという。メスートはラマザンの甥っ子に当たるのだが、高校が夏休みなのでこの店で社会勉強をさせているのだという。トルコの社会では、これが当たり前なのだそうだ。まるで、昭和30年代の日本みたいだ。

 ラマザンの一族は、アナトリア南東部のマラティア市出身である。キリムで有名なこの町で高度な技術を習得した彼らは、一族総出でイスタンブールに引き移り、そして世界を舞台に絨毯やキリムの商売を多角的に展開しているというわけだ。

 やがてラマザンは、「今朝、納品されたばかり」という絨毯の営業に入った。確かに素晴らしい品々だったが、俺はすでに昨晩だけで40万円近く使っている。これ以上の出費は避けたいところなので婉曲に断った。っていうか、そもそも俺は、高級絨毯に囲まれて生活するような柄ではない。ボロボロの下宿でゴキブリに囲まれながら、カップラーメンを食っているのがお似合いの人間なのだ。

 「もったいない。仕入原価に7千円上乗せするだけでお譲りするのに」と、ラマザンは溜息をついた。「今週中に、日本の財閥の重役に売りに行く予定だったのを、あなたの人柄を見込んでこっそりお分けしようと思ったんだけどなあ」

 俺を、財閥の金満成金野郎と一緒にしないで欲しい。それでも、ラマザンが利欲ではなく親切心で言っていることは良く分かった。

 やがて、今日の旅程の話になった。俺が「カーリエ博物館とミニアチュルクに行きたい」と言うと、ラマザンは「スーパー!」と叫んだ。どちらもマイナーではあるが、かなりの穴場であるらしい。「カーリエは、本当に素晴らしいです。そうだ、並希は行ったことないはずだから、今から電話して彼女を呼びましょう!」と、彼は言い出した。どうやら、自分も同行する気になったらしい。商売の方は、こんなんで大丈夫なんだろうか?(笑)

 ラマザンが彼女の携帯に電話したら、まだホテルで寝ているところだった。今から支度して店に向かうので、待っていて欲しいと彼女は言う。時計を見るともう11時近い。海外で昼近くまで寝ているとは贅沢だなあ。もっとも、彼女の場合は時間が無制限に余っているのだから、これが当然か。

 30分ほどで並希さんが登場したので、ラマザンの車に乗り込んで3人でカーリエ博物館に出発した。結局、ラマザン一味のペースに乗せられているわけだが、カーリエやミニアチュルクは公共交通機関では行きにくい場所にあるので、ここは、もっけの幸いと考えるべきだろう。

 車は、エミノニュから金角湾沿いに西へと走り、テオドシウスの城壁で南方向に左折した。テオドシウス城壁は、それ自体がたいへんな歴史遺産である。衰退期のビザンチン帝国を最後まで頑強に守った3重の城壁は、ところどころ崩落しながらも、なお威容を誇っているのだった。

 

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 城壁沿いに丘を南に登りきり、エディルネカプ交差点を左折してすぐのところにカーリエ博物館があった。この石造りの建物は、昔の修道院である。もともとギリシャ正教のコーラ修道院だったものが、オスマン帝国の征服後にモスクに改造された。このとき漆喰で塗りこめられたモザイク画が、20世紀に再発見され、そのモザイクの展示会場としてこの博物館が存在するのである。そう考えれば、アヤ・ソフィアと同じ種類の博物館と言える。

 入口まで来ると、ラマザンは「私はもう20回も来ているから、近くの喫茶店で休んでいます。二人で見て来てください」と言った。この人は、自分は入る気がないのにわざわざ車で送ってくれたのか。つくづく、親切な人だ。

 そういうわけで、俺と並希さんは受付で10TYLを支払って博物館に入った。美しい庭をぐるっと後ろに回ったところに玄関がある。建物は「小柄なアヤ・ソフィア」といった構造だったが、壁や天井が美麗なモザイク宗教画に埋め尽くされているのが物凄い。ただ、部屋によっては修復途中のため、モザイクが欠けたり破損しているケースも見られた。

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  俺と並希さんは、きらびやかなモザイク画の余波で脳と精神をボーっとさせながら、30分ほどで博物館を後にした。図らずも、今日の午前中は「ビザンチン文化を訪ねる旅」だったわけだな。

 ラマザンは、博物館の正面に位置する喫茶店のオープンエアのベンチに座っていた。「楽しかったですか?」と、訊ねながら笑顔で立ち上がる。その後、3人で付近の土産屋を冷やかした。名産の陶磁器やエスキシェヒル琥珀やトルコ石などの宝石類の展示を大いに楽しむ。しかしラマザンは、「ここの店の品は、ほとんどイミテーションです」と切って捨てるように言った。有り得ることだけど、観光客の夢を壊すなよ。もっとも、ここで土産を買う予定は最初から無かったけどな。

 

 

井戸焼きケバブ

 そんなラマザンは、「さあ、ご飯を食べに行きましょう!」と両手を広げて微笑んだ。今日はとことん、彼のペースだな。そんな彼は日本人2人を、昨晩の夕食時に話題になった「井戸ケバブ」に連れて行ってくれるらしい。なんでも、大きな井戸の中に羊を一頭放り込み、そのまま焼き上げるお店なんだそうな。スーパーじゃん!

 俺と並希さんは、付近に翻るトルコ国旗とカーリエを背景に写真を撮り合ってから、ラマザンの車に乗り込んだ。車は、テオドシウス城壁に引き返し、そのまま西へと進む。この周辺は墓地が多い。墓地と巨大な城壁のコントラストは、なかなか叙情的であった。

 車は、やがて空港へ向かう海岸沿いの大通りに出た。アタキョイまで走って郊外型デパート・カルーセルの付近で右折すると、目指すケバブレストラン「GELIK」があった。夜は予約で一杯になるそうだが、昼の1時だと大分すいている。実に美しくお洒落で素晴らしいレストランだったので、俺も並希さんも心から感動した。

 俺はビール(エフェス)、ラマザンと並希さんはアイラン(ヨーグルトドリンク)を頼んで乾杯する。ラマザンが「ここのピラフは、イスタンブールで一番おいしいよ」と言うので、みんなでピラフを注文した。それから、もちろん全員分の「井戸ケバブ」。それから、ラマザンがウェイターに耳打ちして、「秘密の料理」を一皿注文した。

 料理が来るまでの間、ラマザンはマネージャーに話をつけて、日本人2人に「井戸ケバブの製造現場」を見せてくれるよう計らってくれた。この店の地階の最奥に、二つの大きな井戸があり、ここに羊を丸ごと入れて焼くのである。一つは空っぽだったが、もう一つには蓋がされ、中で何かが焼かれていることはガラスの壁越しでも感じ取れた。そして、ここで焼かれている肉が、我々の腹に入るべき羊さんなのであった。

 見学を終えてテーブルに戻ってくると、やがてピラフが到着した。これは、先ほど井戸に入れられた羊の腹の中で焼かれたピラフなのだそうな。さすがに羊の脂でギトギトだが、香草やえんどう豆がたっぷり入ったピラフの美味さは実に格別だった。みんなで「美味い」「おいしい」を連呼する。日本では意外と知られていないが、ピラフ(トルコ語でピラウ)はもともとトルコ料理なのである。本家本元なのだから、美味いのは当然といえば当然だ。

 続いて、「秘密の料理」が到着。何かの肉の揚げ物が、皿に5切れ入っている。ラマザンは、含み笑いを浮かべつつ言う。「さあ、クイズです。これはどこの肉でしょう?」。

 俺と並希さんは、一切れずつ味わった。どうやら内臓系である。俺は「腎臓」と言い、並希さんは「舌」と答えた。するとラマザンは嬉しそうに、「みんな外れです。これは羊の睾丸だよー!」と言った。ううむ、ラマザンの下品なユーモアセンスを鑑みれば、この解答は予想できて然るべきだったかもしれぬ(笑)。さすがに並希さんは、「あたしは、もうダメだ」と苦渋の表情を浮かべたので、残りは俺とラマザンの腹に収まった。さすがに、女性にはキンタマは食えないだろう。ある意味、セクハラだよね。ただ、この料理は内臓特有の苦味はあるけど、それなりに食べられる味ではあった。

 すると、いよいよケバブ登場。ケバブというのは、トルコ語で「焼肉」全般のことであるが、ただケバブと言った場合は「羊」の焼肉を指すのが通例だ。付け合わせのパン(エキメッキ)と一緒に味わったのだが、これが美味いのなんの。さすがは「井戸ケバブ」だ。おそらく、これ以上のケバブは二度と味わえないと思う。そういうわけで、この旅行中、ケバブは二度と食べなかった。

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  締めくくりに、ラマザンはプリンを提案した。ところが並希さんは「トルコの菓子は甘いから嫌」と拒否したので、男の分だけ2つ注文した。トルコのプリンは「ライスプリン」である。これが実際には、日本人の口に合うような程よい甘さで美味かった。とろとろの実の中に米粒が入っているのが特徴。トルコは東西文化の交差点だけに、麦(パン)も米(ライス)も美味いのである。ラマザンが並希さんに少しお裾分けしたら、「あたしも頼めば良かった」と後悔しきりの彼女であった。

 そういうわけで、料理は全部美味かった。レストラン「GERIK」は、ガイドブックに載っていない超穴場である。日本人観光客の皆さんは、ぜひこの旅行記を参考にして頂きたい!絶対に後悔はしませんぜ!

 ところで、食事中の話題は「古代リキア王国」や「ニーベルンゲンの歌」や「フン族」。そしてもちろん、「オスマン帝国の栄光」だった。ラマザンは興奮気味に、「コーヒーはもちろん、トイレだって、我々トルコ人がヨーロッパに教えてやったんですよ!」とか「本当は、ウイーンは16世紀に陥落していたんです。スレイマン大帝が、お情けで見逃してやったんですよ!」などと主張する。

 心の中で、屈強な大男のラマザンにオスマン帝国軍の軍服を着せてみた。ううむ、すごく強そうだ。こんなのが隊列を組んで進軍して来たんだから、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパが連戦連敗だったのも頷ける話だ。

 「私は、その偉大なオスマン人の正当な末裔なんですよ!よろしくお願いします!」と、ラマザンは言う。何が「よろしく」なのか良く分からないけど(笑)、先祖の歴史に強固な誇りを持てるというのは素晴らしいことだ。ある意味、うらやましい。

 満腹したのでお勘定になった。「ここは私に払わせてください!」と言ってウェイターにVISAカードを渡したのだが、なぜか使用不能だった。昨日、大きな買い物をしたせいかもしれない。仕方ないので財布を開けたら、全員分払えるほどのリラを持っていないことが判明。そこで、ラマザンには悪いけど「割り勘」にしてもらった。

 その後、3人は再び車中の人となる。俺が「ミニアチュルクに行きたい」と主張したので、ラマザンがそこまで送ってくれることになった。元来た順路でテオドシウス城壁まで東行し、それから左折して北へと降りて行く。金角湾に突き当たると、今度は左折して湾の奥へと向かった。しばらく進んだら右折し、橋を北に渡って新市街側に入る。イスタンブールの新名所ミニアチュルクは、すごく行きにくく分かりにくい場所に位置しているので、車で送ってもらえたのは大正解である。

 目的地近くの公園で羊の群れに出会ったのだが、ラマザンいわく「観光用」とのこと。先頭の羊は何かの塗料で全身を黄色く塗られていたのだが、これには何の意味があるのだろう?さすがのラマザンにも分からなかった。

 羊の群れを見ると、モンゴルを思い出す。実は、モンゴル人とトルコ人は、もともと同じ民族だったのである。唐帝国(中国)との抗争に敗れて西に走った遊牧民がトルコ人で、蒙古高原に居残った遊牧民がモンゴル人なのだ。日本人も、そのルーツはモンゴル人だと言われる。実際、お尻に蒙古班が出来るし、顔立ちも良く似ていると思う。

 しばらく前に、渋谷のトルコ料理屋にゼミの仲間で遊びに行った。ハリウンちゃん(モンゴル人の後輩。『モンゴル旅行記』参照)が、「この料理の味はモンゴルのと同じだー」と言いつつケバブを賞味する傍らで、トルコ人スタッフが忙しく働いていた。図らずも、「先祖を同じくする3つの民族が一同に会した瞬間」と思うと、なかなか感慨深かったものである。

 考えてみれば、今回の旅行でラマザン一族と一緒にいても「外人に囲まれている」といった違和感をまったく覚えないのは不思議なことだ。もちろん、「日本語や英語が通じる」ということも重要な要因であろうけど、顔立ちはまったく違うのだから、それだけじゃないと思う。これはやはり、トルコ人と日本人が、先祖を同じくする兄弟民族だと言う証明なのではないだろうか?

 もっとも、俺はもともと外国や外国人に対してまったく偏見を持たない性格なので、俺の経験や印象だけを引き合いにしては判断出来ない事柄だけどな。

 

 

ミニアチュルク

 さて、「ミニアチュルク」に到着したので、駐車場で車から降ろしてもらった。ラマザンは、「アクビルを買っておきますから、夕方、お店に来てくださいね」と言い残して、並希さんとともに車で去って行った。

 アクビルというのは、Suica(関東)やIkoka(関西)のようなカード(といっても、掌にすっぽり入るレンチ状の物体だが)である。デポジットを払って入手し、残金が無くなったらチャージする。これは、バスやトラムや地下鉄のみならず、フェリーや水上バスなど、イスタンブールの全ての交通機関で利用できる高性能プリペイドカードなのだった。

 このカードは、東京のより遥かに便利である。今の東京では、地下鉄と私鉄で使えるパスネットと、JRのみで使えるSuicaが分立しており、しかも、これらのカードはバスやトラムや高速道路では使用不能なのである。そう考えれば、日本人は自分たちが思っているほど先進的でもなければ、便利な環境にいるわけでもない事が分かる。むしろ、トルコよりも遥かに遅れていると断言できる。

 俺は、日本への土産としてアクビルを買って帰りたかったのだが、人気アイテムである上に販売場所が限定されていて入手困難であることが判明。そこでラマザンに相談したら、「うちの小僧に買いに行かせるから」と言ってくれたのである。いつも「パシリ」に使われるメスートくんは気の毒である。

 ともあれ、ようやく一人になれたわけだ。ラマザンや並希さんは良い人だけど、やはり一人旅は一人で旅すべきものなのだ!

 今日の天候は「快晴」である。雲ひとつない美しい青空は、ここが大都会の片隅であることを忘れさせる。日差しは強いけど、日本のような湿気はないので快適だ。モンゴル旅行で活躍した鍔広の帽子を着用してから、施設を目指した。

 「ミニアチュルク」は、イスタンブールの新名所である。おそらく「ミニチュア」と「トルコ」を合成した言葉なのだろう。その名のとおり、トルコが世界に誇る建築物や大自然を1/250の縮尺で模型展示している公園なのである。日本の「東武コスモワールド」と同じ発想によるものだ。

 緩いスロープを登って高台に位置する料金所に入る。料金は10YTLだった。料金所を抜けると、広いペデストリアン・デッキに出られる。ここにはベンチなどが置いてあり、ここから下方に広がるミニアチュルクの全体を、俯瞰的に眺められるようになっているのだ。これは、なかなか粋な仕掛けである。

 

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 このデッキの左右に一基ずつ、下方に降りられるスロープがあり、そこからミニチュア展示会場の中に入れるようになっていた。俺は右側のスロープを降りて、模型の配置図を立看板で確認してから見学に入った。さまざまなモスクを中心に、トルコ各地の貴重な遺跡や建物が、小道に沿って上手に配置されている。それらの隙間を縫って敷かれた線路上を、大きな模型の機関車が走り回る様子が楽しい。小さな子供が退屈しないように、工夫がなされているのだ。

 カッパドキアの奇岩群やパムッカレの石灰温泉の展示もあったが、こういう自然遺産って、本当に1/250の縮尺どおりなのだろうか?また、アルテミス神殿やファロス灯台など、歴史の中で消滅した建物の模型もあったが、本当に実物どおりなのかどうかは微妙であろう。まあ、こういうのもご愛嬌である。何しろ、ここは公園なのだ。

 周囲を見回すと、客層はトルコ人の家族連れが多い。外国人観光客は、あまりこういう所に来ないのだろうか。ちょうど、程よい混み具合である。

 公園施設の中央には大きな池があり、模型の船やボートが浮かんでいた。また、アタチュルク国際空港の模型(ミニアチュルク構内で一番大きな模型!)には、大きな模型飛行機が何機も止まっている。これらも、子供を喜ばせるための工夫だろう。

 この公園には、歴史建造物のみならず、上で挙げたアタチュルク空港やアンカラの国会議事堂や造幣局などの比較的新しい建物の模型も多い。これは、子供や若い人たちの愛国心を掻き立てる上で、とても大切なことだと感じた。

 などと考えながら公園の中ほどまで進んでいくと、賑やかな音楽とともにカラフルな衣服を纏った軍楽隊が、入口付近のペデ下から隊列を作って行進して来るのが見えた。彼らが鳴らす音楽はオスマン帝国の軍歌であるから、これぞいわゆる「メフテル軍楽隊」なのだろう。俺は彼らの演奏を、明日にでも「軍事博物館」で聴く予定だったのだが、今日ここで聴けるなら、むしろ好都合である。彼らはどうやら、俺と反対側のレーンで公園を縦断し、公園の最奥の広場で演奏会をやるようだ。そこで俺は、他の展示をすっ飛ばして、足早に最奥の広場に向かったのである。

 ミニアチュルク最奥に大きなペデストリアン・デッキがあり、この上から広場全体を俯瞰出来るようになっている。ペデの上は、お洒落なテーブルやチェアーが並ぶレストラン兼喫茶店になっていて、セルフサービスのお茶や食べ物やアイスクリームを、大勢の家族連れが幸せそうに楽しんでいるところだった。ここには左右の緩やかな階段から登れるのだが、ちょうど池の辺りから伸びている緩やかな橋からも、ペデの中央に出られるようだった。そこで俺は、この橋の中途から軍楽隊の演奏を眺めることにした。

 おりしも、広場に入って隊列を整えた軍楽隊は、指揮者の合図で「メルハバ!」と互いに挨拶を交わすと、さっそく自慢の演奏を開始した。楽団の構成は、クラシックのオーケストラに良く似ている。中央の手前に指揮者が立ち、金属の大きな杖を振って全体に指示を送る。指揮者の正面には二連の大太鼓が置かれ、屈強な奏者が巨体を左右に激しく振りながらバチを打ち下ろす。その背後に半円形に並んだ奏者たちは、シンバルや笛や弦楽器を巧みに操るのだった。

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 実は、ヨーロッパの音楽は、トルコの影響を濃厚に受けているのだ。オーケストラにシンバルや大太鼓が導入されたのも、「メフテル軍楽隊」を踏襲したものに過ぎない。いわゆるクラシックの「古典派」は、トルコの影響が無ければ存在し得なかった。モーツァルトやベートーヴェンの作品に、「トルコ行進曲」とか「○○トルコ風」というのが多いのは偶然ではない。オーケストラの演奏形態も、トルコのそれをパクったものに相違ないのだ。

 世界最古の軍楽隊と言われる「メフテル」は、オスマントルコ帝国の栄光の象徴である。シンバルや太鼓を多用した勇ましい陽気な音楽は、困難な戦場で兵士たちの士気を高揚させ、それが幾多の歴史的大勝利に結びついたのだ。連戦連敗を重ねたヨーロッパは、トルコの強さの源泉の一つが優秀な軍楽隊の存在であることに気づき、自分たちも軍制を改革し、また音楽文化を研ぎ澄ませて行った。これが、現代音楽の事始めなのである。そう考えながら、メロディアスで勇ましく楽しい「メフテル」の演奏を聴いていると、とても感慨深いのである。

 音楽に聞きほれていると、背中を叩く小さな手がある。振り返ると、10歳くらいの少女が俺に一生懸命話しかけて来るではないか。

 言い忘れていたが、トルコという国は本当に美女が多い。少なくとも、俺が過去に訪れた国の中では最高である。その理由は、東アジア系とアラブ系とヨーロッパ系の顔が、程良い配合度合いで混血しているためだろう。かつてオスマン帝国は、イスラム教の「万人平等」の理想を掲げて征服を行い、占領地域の人種や宗教に対して無類の寛容さを発揮した。その結果、多くの人々が進んで混血して行ったのである。その成果の一つこそ、「世界一の美女の群れ」なのであった。しかも、俺はロリコンの気がある人なので(笑)、滞在2日目にして、すでに幼い少女の可愛らしさに見とれて行動不能になる事しばしであった。

 で、世界最高の美少女の一人が、熱心に俺に話しかけて来るではないか!思わず相好を崩しながら話に聞き入る。でも、周囲が演奏でうるさいし、そもそも俺はトルコ語が出来ないので(笑)、意思疎通が難しかった。そこでボディランゲージに切り替えたところ、何のことはない。俺の立ち位置が「ペデ上の席に座る彼女の家族の視線を遮って、演奏が良く見えない」と抗議しているのだった。なんだ、「素敵なお兄ちゃん、あたちと結婚ちて♪」と言っているわけじゃなかったんだ!うう、ショックだ(泣)。

 仕方ないので、家族6人連れに手を振って詫びてから、橋の上からペデ上に移動した。それにしても、なかなか心憎い配慮である。あの家族は、「幼い少女が抗議するなら、あの外人(つまり俺)も気を悪くしないだろう」と配慮したのに違いない。もっとも、俺はロリなので、少女の言うことなら何でも無条件に聞いてしまう人なのだが(笑)。

 ペデ上でしばし演奏を聴きつつ、周囲の店を観察する。ケバブサンドやチャイやコーヒーやアイスクリームが、あちこちの売店で売られているのだった。せっかくだからアイスでも食いたいなと思ったが、ちょうどそのとき演奏が終幕したので、そっちの見学を最優先にした。

 軍楽隊は、大音声でお別れの挨拶をすると、来たときと同様に隊列を組み、賑やかに行進曲デッティン・デデンを演奏しながら公園の入口方面に去って行くのだった。いやあ、実に面白かった。

 ペデ最奥の階段を降りて、模型の見学を再開した。公園の奥側には、イスタンブール市が誇る巨大建築が多い。すでに実物を見てきたブルーモスクやアヤ・ソフィアやカーリエ博物館の模型もあるのだが、精密な出来に感心した。こうした模型は、全体構造をくまなく観察できるので、ある意味では実物を訪れるよりも勉強になるのだ。

 ひととおり見終えたので、芝生に腰を下ろし、ペットボトルのミネラルウォーターで喉を潤しつつ休憩した。この公園施設は、思ったよりも総面積は狭いのだが、実に上手にスペースを利用しているので狭さを少しも感じさせない。子供の遊び場なども充実しているし、日替わりで色々なアトラクションもあるらしい。施設の端には、大きな白い気球も浮いている。これなら、一日いても飽きなさそうだ。

 お土産屋でも物色しようかと立ち上がると、先ほど降りて来たペデ下の裏側が「メモリアル・ホール」という部屋になっている事に気づいた。そこで、好奇心にかられて行ってみる。

 薄暗い部屋は、左翼がジオラマの展示場、右翼の壁が写真パネルの展示場になっていた。

 写真は全て、アタチュルクのものだった。アタチュルクが生前に遺した名セリフ(トルコ語と英語で表記)のパネルの隣に、そのセリフを語った当時の彼の巨大写真が飾ってあるのである。写真の多くは、書籍やインターネットで見たことがあるものだが、ここでしか見られない貴重なものもあるように感じられた。議会で演説するときの、矢のような強く鋭い眼光は、こうして巨大パネルで見ると大迫力だ。本人にこんな眼で直接睨まれたら、俺なら失禁してしまうだろう。それとは逆に、プライベートで養子と歓談する写真での優しい面差しは、とても印象的だった。政治家としての峻烈さと家庭人としての優しさの両面を併せ持つ英雄。アタチュルクというのは、そういう人物だったのだろう。まさに、俺が小説の中で描写した通りじゃないか。

 ataturk

 

 左翼に並ぶジオラマに眼を移すと、これもアタチュルク関連であることが分かった。

 入口に最も近い展示は、「ガリポリ半島の戦い」(1915~16)を描いたジオラマだ。奥の壁画には、青いダーダネルス海峡とその上に浮かぶ連合軍の軍艦の列が描かれている。多くの軍艦の絵は、猛烈な勢いで砲撃を行っているようだ。手前には模型の丘陵地帯が置かれ、多くの兵士や大砲の模型が塹壕の中で砲撃を行っている。これが、半島を防衛するトルコ軍だろう。海に近い場所では、兵士の人形たちが白兵戦を戦っている様子も見られた。ううむ、実に良く出来ている。

 garipoli

  その次のジオラマは、「救国戦争」(1919~21)を描いたものだ。奥の壁画には、トルコ中央部の荒地や丘が描かれ、侵攻してきたギリシャ軍の戦列が見られる。手前の模型は、やはりトルコ軍の軍営を表現しているのだが、兵士や大砲や塹壕線だけでなく、大勢の農民たちが家畜を使って補給物資の輸送を行う様子や、看護婦たちが甲斐甲斐しく負傷兵の世話をする様子も人形で再現されているから凄い。これは、具体的には「サカリア川の戦い」の状況だろうか?ともあれ「救国戦争」が、挙国一致の防衛戦争であったことが見事に描かれているのだった。

 これらの展示を見ていると、背筋がソクゾクする。自分が想像力を駆使して小説の中で描写したシーンが、他ならぬトルコ人の手によって、寸分たがわずにビジュアル化されていたのだから。このような感動は、普通ではなかなか味わえないぞ。だから、「外国の歴史を題材にする歴史作家」は止められないのだ。

 ふと時計を見ると、もう午後4時半だ。そろそろ「BLUE  ART」に向かったほうが良いだろう。ラマザンが、アクビルを持って俺を待っている。

 出口に向かったら、客は土産屋を通らないと外に出られない仕組みになっていた。なかなか上手い仕掛けである。そこで、いくつかの土産品を物色したのだが、この店じゃないと買えないものは見当たらなかったので、そのまま外に出た。

 「ミニアチュルク」、俺は大満足だったぞ。やはり、来てよかった。

 

 

再びBlue Art

 さて、ここからイスタンブール中心部まで、どうやって戻るべきか。いちおう、ラマザンにバス停の場所は教わっていたのだが、ガイドブックによると、イスタンブールのバスは事前に別の場所でチケットを買っておかないと乗れないとのことである。そこでチケット売り場を探したのだが、ミニアチュルクの周囲には見当たらなかった。その代わり、タクシーがたくさん停まっているのに気づいた。きっとここは、良い稼ぎ場なのだろう。だがラマザンの話では、観光客はしばしば不良タクシーにぼられると言う。

 そういうわけで、俺は「歩く」ことにした。どうしても歩けないようなら、途中から無理やりバスに乗るかタクシーを使えば良いと考えたのだ。

 西に傾きかけた太陽の中、周囲の風景に目をこらしながら歩く。左手には金角湾があるのだが、ここは湾の最奥なので、狭い小川のような有り様だった。金角湾のどん詰まりなんて、普通の観光ツアーでは決して見ることは出来ないぜ!だから、自由観光は楽しいのだ。などと考えつつ湾に沿って西に歩いているうちに、案の定、迷子になった(笑)。いちおう自動車道の標識を頼りに歩いていたのだが、どうやらこの辺りは道が入り組んでいるらしい。単純に、太陽の方角や標識を目安に歩くわけには行かないようだ。

 少々焦りを感じつつ、周辺の町並みを見る。ここは郊外なので、家屋や店舗も疎らである。沿道のレストランや喫茶店は、満足に補修をしないためか古びている。

 ときおり、タクシーやバスが通りかかるのだが、その中には「乗り合いタクシー」もある。これは、一台の小型バスに、似た方角を目指す客たちを便乗させ、それぞれの目的地に送るというものだ。つまり、バスとタクシーの長所を併せ持った交通機関である。料金も安いらしいので、好奇心にかられて「乗り合いタクシー」を試そうかと思ったが、トルコ語での会話に自信が無かったので断念した。

 ウロウロと歩き続けること1時間。大きな橋で金角湾最深部を南に渡ったところで、体力の限界を感じた。仕方ないので、たまたま通りかかったタクシーに向けて手を振った。

 ゆっくりと停車した運転席には、真っ黒な肌で濃い口ひげを生やした大柄なオジサンが座っていた。「怖いな」と、思いつつ助手席に座る。運ちゃんが、片言の英語で「どこから来たんですか?」と聞いてきたので、「ジャポン(日本)」と答えたところ、運ちゃんは満面の笑顔になって、「おお、日本人ですか。私の名前はメフメットです。あなたの名前は何ですか?」と聞いてきた。「三浦です」と答えると、「三浦さん、会えて嬉しいです。本当に嬉しいです!」と、叫んで俺の両手を握り締めるのだった。・・・なんで?

 とりあえず、エミノニュ桟橋まで行ってもらうことにして、走り出した車の料金メーターを注視する。俺を油断させて、ぼったくる可能性もあるからだ。しかしメーターは正常に動き、かなりの距離を走ったにもかかわらず料金は10.5YTLで済んだのだった。エミノニュ付近は渋滞だったので、イエニ・ジャーミー付近の適当な場所で降ろしてもらうことにした。すると運ちゃんは「10YTLで良いです」と言って、それだけ受け取ると、笑顔で大きく手を振りながら車をUターンさせて去って行くのだった。ぼられるどころか、まけてもらったわけだ。ううむ、これぞ「トルコ人の親日感情」って奴だろうか。

 それにしても、タクシーは10キロ以上走ったぞ。この距離を、最初は歩いて帰ろうと思った自分の無謀さが怖くなるわい。

 エジプシャン・バザール横の裏道を抜けてホテルに帰る。少し部屋で休んで荷物を軽くしてから、「BLUE  ART」への上り坂を歩いた。

 意外なことに、ラマザンは留守だった。店番をしていた大柄な長髪の青年が、携帯電話で連絡を取ったところ、「仕事が長引いているけど、これから店に向かうから待たせておけ」との指示を貰ったようだ。そこで、この大柄な青年が俺の話し相手となった。彼は、ラマザンの従兄弟で、メフメットという名だった。ふうむ、今日2人目のメフメットさんというわけか。メフメットは「預言者マホメッド」と同じ名だから、イスラム圏のポピュラーネームなのだ。

 メフメットは、日本語はまったく出来ないけど、英語がとても堪能だったので、彼との会話は英語で行った。彼は、しばしば俺の文法ミスを指摘するのだが、そういう彼はHearを「ヒール」と発音したりForを「フォール」と発音したりする。そんな奴に、英語のミスを突っ込まれたくないよなあ(笑)。

 チャイやジュースを楽しみながら、トルコと日本の最近の状況や国際情勢(ヒスボラなど)について歓談した。俺は、日本の現在の悲惨な状況、すなわち貧富の差の急激な拡大、ニートやフリーターの増加、自殺者の急増、少子高齢化について説明し、「もはや日本は、かつてトルコ人が憧れたような良い国ではなくなった」と嘆じた。これって、国家機密漏洩罪?(笑)。

 メフメットは深刻な表情で、「もしも君の言うことが本当なら、それはこの世の地獄だね。そうなった原因は明白だ。日本人が信仰心を無くしたからに違いない。我々トルコ人は、みなイスラム教を固く信じているから、そのような堕落は起こりえない」と断言した。俺は、彼の意見に全面的に同意である。そういう俺は無宗教なんだけどね(笑)。

 そこで、俺は外交に話題を移し、「日本は韓国や中国やアメリカにバカにされて舐められて財布代わりに使われている。もうダメだ。絶望だ」と、ぼやいた。するとメフメットは、「どんなことがあろうとも、我々トルコ人は日本人を尊敬しているし日本の味方だよ。それだけは忘れないでくれ」と言った。まあ、気休めにはなるだろう(笑)。

 すると、メフメットは突然「お腹すいたでしょう」と言い出して、戸外で待機していたメスートくんに命じてパンを買いにやらせた。しばらくして帰って来たメスートから紙袋に詰まったパンを受け取ると、メフメットは何個か俺に渡して、「さあ食べてください。トルコが世界に誇るチーズがたっぷりですよ」と言った。なるほど、ゴマがたくさんかかった大きなパンの中に、香ばしいチーズが詰まっている。俺が代金を払おうとすると、「そんな遠慮は無用です。これは私の気持ちですから」と答える。ううむ、トルコ人の親切さ(ホスピタリティー)は、噂に聞いてはいたのだが。

 パンをいくつか頂いたころになって、ラマザンが疲れた様子で帰って来た。彼は俺と別れた後、アジア側にフェリーで渡り、サッカースタジアムを中心に営業していたのだという。俺がアクビルのことを切り出すと、「運悪く、どこも売り切れだった」とのこと。ラマザンの話によれば、アクビルが市内の全交通機関共通になったのはつい最近のことで、それ以来、大人気の売れ筋アイテムになったため、供給が需要に追いついていないのだとか。どうやら、俺が訪れたタイミングが悪かったようだ。

 もしかすると、今回のアクビル調達は無理かもしれないな。などと考えていると、ラマザンが「明日はどうするんですか?明日のお昼、一族や友人をこの店に集めて、トルコ風のパーティーをやる予定なのです。三浦さんも良ければ来て下さい」との優しいお誘い。しかし、これ以上ラマザン一族にかかわっていると旅行の趣旨が破綻してしまう。そこで、「明日は、新市街の観光に終日宛てる予定ですから」と答えて断った。

 するとラマザンは、「明後日は、並希とプリンシィズ諸島に海水浴に行く予定です。一緒にどうですか?」と聞いて来た。

 ううむ、次から次へと暑苦しい。だが、これこそがトルコ人の国民性なのだろう。

 俺が「お二人の邪魔をしたくないので・・・」と婉曲に断ると、ラマザンは肩をいからせて、「私と並希は、そういう関係ではない。ただの友達です。あなたと私の関係と同じなんです。遠慮は要らないんですよ」と言った。へえ、そうなんだ。続けて「私とあなたは友達です。友達の間には、遠慮があってはならないのです。たとえば、この店はもうあなたの家と同じなのだから、好きなように出入りして冷蔵庫を開けてソファーで昼寝をしてくれて構わないんです。もしも、遠慮なんかするようなら、絶交ですよ!」と、まくしたてるのだった。

 ううむ、やはり国民性の違いというのはあるな。日本の「親しき仲にも礼儀あり」という概念が、トルコには存在しないか希薄であるらしい・・・。

 そういうわけで、「考えておきます」と言って店を辞去した。どうぜ、明後日にはリコンファームのために店を訪れることになるだろう。

 その後、薄暗い坂道を降りてホテルに帰り着くと、シャワーを浴びてそのまま寝た。今日も充実した一日だった。

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