歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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世界旅行記

ドイツ旅行記(附第三次チェコ旅行記)

9月19日(月曜日) ポツダム、ベルリン観光


 (1)ポツダムへ

(2)ポツダム散策

(3)ツェツイーリエンホーフ宮殿

(4)サン・スーシ公園

(5)ポツダム旧市街

(6)ウンター・デン・リンデン~歴史博物館

(7)ペルガモン博物館

(8)ポツダム広場~ブランデンブルク門

(9)夕飯

 


 (1)ポツダムへ

  朝6時半に目が覚めた。目覚ましが鳴る10分前である。毎度のことだけど、目覚ましをセットする意味ないね。

 ボロホテルの安ベッドだが、快眠できた。俺の体は結局のところ、安ホテルと相性が良いのかもしれぬ。窓から見上げた空は曇りだが、次第に晴れて行きそうな雰囲気だ。そこで、予定通りにポツダムに向かうこととする。

 まずは、腹ごしらえだ。6階まで階段を上がると、受付で例の女の子2人組が相変わらずペチャペチャお喋りしている。仲が物凄く良いのか、ただ単にお喋りが大好きなのか。「食堂は、ここでいいの?」と聞くと、一人が部屋の奥を指さした。なるほど、いちおうバイキング形式の食堂になっておるわい。先客は、私服姿の貧相なオジサン一人だが。

 どうも、このホテルは、観光客向けというより単なるビジネスホテルのようだ。団体客が食堂に出入りする気配が全くない。一つのビルの4~6階までがホテルになっているスタイルは、日本でよくある「ステーション・ホテル」みたいである。

 さて、この食堂からは、いちおう屋上テラスやベランダに出てオープンエアで食事が出来る仕様になっているから、2年前のキューバのプラサホテルを懐かしく思い出した。ただし、ここの景色は灰色のビルだらけなので、ハバナの美しさとは比べものにならない。すごく寒いし。そこで、食事は屋内テーブルで済ませることにした。

 バイキングのメニューは非常に貧弱だったが、それでも塩味の良く利いたカリカリのベーコンは美味だった。黙々と食べていると、厨房係の女の子が奥から出てきて話しかけて来た。栗色の髪をした、典型的なドイツの田舎出身風の娘だ。すなわち、20年後には百貫デブになりそうな娘(苦笑)。その娘の要求とは、

 「なんべん!」

 「え?」

 「なんべん!」

 「すみません、英語で言ってくれない?」

 「さっきから英語で言っているわ、なんべん!」

 何度もやり取りしているうちに、この娘が俺のルームナンバーを知りたがっていることに気付いた。なんべん=numberというわけだ。

 これがいわゆる、「ドイツ語訛りの英語」と言う奴か。ドイツ人の英語レベルって、こんなものかね?先が思いやられるわい。

 ともあれ、満腹したので出かけることにする。腹ごなしのつもりで、1階まで階段で降りてから、ツォー駅に向かう。ここから、郊外電車(Sバーン)でポツダムに向かう計画なのである。

 昨晩も気づいたことだが、ベルリンの街は工事が多い。あちこちで道路を掘り返し、あるいはビルの補修をしている。不景気だから、公共事業を強化しているのだろうか?そうだとすれば、日本と同じだ。

 ドイツが日本と違うところは、ビル工事の場合、その下の歩道に必ず屋根つきの回廊が設置される点であろうか。どの回廊も同じ材質と構造なので、国なり市が定めた標準様式があるのだろう。もちろん、ビルでの作業中に上から物が落ちて来るリスクに備えて屋根つきになっているのだろうが、作業員を無駄に歩道に張り付けて通行人を見張らせる日本のやり方に比べると、遙かに合理的だと感じた。

 次第に気づく点だが、ドイツの仕事や仕組みの在り方は、とにかく合理的で効率的である。その点は素晴らしいと思うけど、逆に潤いや面白みが無い。つまり、生活するには便利だろうが、観光地としては詰まらない。

 なんか、いろいろな意味で「なるほど」と思った。以前に経験したアウシュビッツ絶滅強制収容所の、異常に冷酷な効率性と合理性は、このドイツ民族だからこそ可能だったのだろう。そのことが、実感としてよく分かった。

 さて、ツォー駅に到着した。さすがに月曜の朝だから、通勤客で混んでいる。構内をウロウロすると、マックやケンタはもちろん、カレー・ヴルスト(カレー味ソーセージ)のファーストフードや「アジアン・グルメ」という名のテイクアウト専門の中華そば屋などがたくさんあって楽しい。

 自販機で、間違えて他州行き特急電車の切符を買いかけて、慌てて引き返す。駅構内を探すと、ベルリン市内用交通機関の自販機は、Sバーン乗り場の近くにあったので、そちらで1日券(6・8ユーロ)をゲットした。

 階段で高架になっているホームに行くと、ちょうどポツダム行きのS7がやって来た。さっそく乗り込んだのだが、車内に切符の刻印機が無い。まあ、いいか。座席に座って、ベルリン南西方面の車窓を楽しむことにした。

 電車は、しばらく走るとグリュンヴァルド(緑の森)と呼ばれる森林地帯に入った。曇天のせいもあるかもしれないが、ここは薄暗くて不吉な雰囲気の森である。緑の森というより、黒い森と呼ぶべきではなかろうか?ドイツ民族の妙な生真面目さや哲学好きなところは、こうした暗い森の在り方と密接な関係があるのかもしれない。

 やがて電車は、ヴァンゼー駅に着いた。ここは地下鉄(Uバーン)との乗換駅らしいが、駅自体は暗い森に覆われて田舎風である。ただ、この土地の名は人類史上に永遠の悪名を轟かせている。ヒトラーとナチス幹部たちが、1942年に占領地域の全ユダヤ人を抹殺するよう決定したのが、ここヴァンゼーなのである。この残酷な決定を下した悪魔たちの深層心理の中に、この地を覆い尽くす欝蒼とした暗い森の影響があったと考えるのは言い過ぎだろうか?アウシュビッツを見て来た身としては、いろいろ感慨深い。

 ヴァンゼーでしばらく時間調整をした後、電車は再び動き出した。すると、私服姿の剽悍なオジサンが現われて、周囲の乗客たちにドイツ語で命令を始めた。なんだ、なんだ?やがて、乗客たちの行動を見て気づいた。これは切符の検察なのだ!

 移動中の車内で切符の検察を受けたのは、これが生まれて初めてである。さすが、ドイツの鉄道員は生真面目であるな。検察官のオジサンは、俺の切符に刻印が無いのに気づいて案の定、文句を言って来た。うひゃあ、いきなり罰金を取られちゃうかな。そこで、英語で「車内に刻印機が見当たらなかったんですう」と言い訳をすると、オジサンは「刻印機は駅舎にあるんだよ。次の駅で、ちゃんと見つけて押しておいてね」と、英語で指示して去って行った。オジサンが良心的な人で、助かった。そして、この人の英語はマトモだったので安心した。

 ここで説明すると、ドイツの切符は他のヨーロッパ諸国と同じ仕様である。1回券(=2時間券)とか1日券(=24時間券)とか使用時間の長さで種類分けされているけど、一つの切符で規定のエリア内の交通機関を乗り放題である。すなわち、日本と違って、利用距離ではなく利用時間で料金設定がなされているのだ。だからこそ、切符の使い始めの刻印(そのときの時刻が切符に印字される)が重要になる。

 交通機関の検察官は、この刻印によって切符の利用状況をチェックする。切符に刻印が無かったり、利用時間をオーバーしていたり、あるいは乗客が切符自体を提示できない時(つまり「ただ乗り」)は、法外な罰金を取り立てるのだ。

 その代わり、あらゆる交通機関に「改札」という概念が存在しないので、検察官にさえ見つからなければ、理論的には「ただ乗りし放題」ということにもなる。

 そして、ポツダム中央駅で切符に刻印した俺は、図らずも「ベルリン~ポツダム間」をただ乗りした形になったわけだ(笑)。まあ、今回は検察官公認だから良いよね。

 さて、ポツダム中央駅だ。思ったよりも大きくて奇麗な駅だ。楽しくなって、しばし高架になっている駅構内の本屋や文房具屋やCD屋を物色して回る。

 ここポツダムでの目当ては、かの「ポツダム会談」が行われたツェツイーリエンホーフ宮殿と、フリードヒ大王の王宮サン・スーシ宮殿だ。ただし、いずれも開館時間は10時である。そして、俺の時計の針は8時を指したばかり。無駄に時間が余りまくっているので、バスなどを使わず、歩いて目的地に向かうことにした。

 

(2)ポツダム散策

  いきなり道を間違えた。北に向かうべきところを南に向かって歩いてしまったのである。危うく、ベルリンまで歩いて逆戻りするところだった。途中で気付いたのは、さすがに熟練個人旅行者の勘が働いたのである。なんちゃって。地図に載っている川に行き当たらなかったら、誰でも気づくわな。

 それにしても、ドイツの道は自動車のみならず自転車がやたらに多い。それも、歩道を猛スピードで突っ走ってくるから、かなり危険である。まさに、歩行者泣かせの道なのである。

 背後からのシャーシ音にビクビクしながら北への道を歩くと、やがてポツダム旧市街に入った。だが、教会や市庁舎などの観光施設はほとんど補修工事に入っている様子だ。おまけに、この街もやたらに道路などの公共工事が多い。だから、観光客の立場からは、ぜんぜん面白くない。

 この間、俺の頭の中には、なぜかLady  Gagaの「シャイセ」という曲がエンドレスで流れていた。おそらく、この歌が「I  don’t speak German(ドイツ語、喋れないよーん)」から始まるので(その割には、歌詞のほとんどが流ちょうなドイツ語なのだが(笑))、一人でドイツをウロつく俺の今の心境とシンクロしていたせいだろうな。

 それにしても、寒い。

 俺もバカではないので、ドイツはきっと寒いだろう見越して、ちゃんと冬服のジャケットを着て来たのだが、こちらの通行人が厚手のジャンバーやコートを着ているのを見ると不安になる。せめて、ウインドブレーカーくらいは持って来るべきだったかもしれない。

 もっとも、この程度の寒さは、服を買い込めば凌げる話なのだから、キューバで経験した殺人的な暑さを思えば大した問題ではない。死ぬこともあるまいて。しかし、最近の俺の一人旅は火攻め、水攻めの連続だな。

 ともあれ、「地球の歩き方」の貧弱な地図を見つつ、ツェツイーリエンホーフ宮殿を目指す。

 適当に歩いているうちに、この街の道は碁盤目状になっているので、基本的な方角さえ間違えなければ、どの道を使っても迷子にならない事に気付いた。そこで、目の前に現れたジャージ姿の女学生たちのお尻に惹かれて、その後を付いて行くことにした。「道の選択に困ったときは、女学生のおケツに付いて行く」。それが、この俺様の基本ポリシーなのである。文句あるか?

 ドイツ人は、基本的にブサイクである。ポーランド人とは雲泥の差である。だけど、おケツは可愛いのである。若い娘のおケツに国境は無いのである!

 などと内心でエロく豪語しているうちに、おケツの群れは沿道の学校に消えて行った。さらばおケツ。また会う日まで。

 おケツの群れに見とれていて気づかなかったのだが、この辺りは観光名所の「オランダ街」の北側だった。ここは、かつて内紛で祖国を追われたオランダの新教徒たちが、しばらく住んでいたところである。赤屋根の列がそれなりに可愛いのだが、プラハの美しさを経験している俺にとっては大した代物ではない。

 holand house

  無視して西進していると、トラムが南北に行き来する目抜き通りに入った。南の方に灰色の石造りのナウエン門が見えるから、この門から南側が旧市街というわけだな。

 こうして現在位置が正確に確認できたので、この道を北進して一路ツェツイーリエンホーフ宮殿を目指す。やがて沿道は、バスも一方通行になるような狭い路地と化す。そして周囲には、道路工事のオジサンたちしかいなくなる。

 寂しくなったので、道の途中から、右手に見える「新庭園」に入った。

  

(3)ツェツイーリエンホーフ宮殿

  「新庭園」は、小高い木々に欝蒼と覆われた自然公園だ。この森は、おそらく昔の貴族の狩猟場だったのだろう。広大な面積の森林の中に、小さな道がいくつか渡っているだけのワイルドな公園である。ただし、北側と東側を美しい湖に囲まれていて、これがなかなか良い雰囲気だ。

 トレッキングの老人などに挨拶しつつ公園の北端まで歩くと、茶色い山小屋風のユニークな宮殿に辿り着いた。これが、ツェツイーリエンホーフ宮殿だ。

 ここは、ホーエンツオレルン家の最後の皇太子の住処だったのだが、ある会議の舞台となったことで世界的に有名である。すなわち、「ポツダム宣言(1945年)」はこの宮殿で話し合われたのだ。

 2発の原爆投下が、そして戦後日本の運命と未来が、まさにこの場所で決まったと思うと感無量である。ただし、美しい森林に覆われた優雅な宮殿からは、そのような陰惨で厳粛な雰囲気はまったく感じられない。ただただ奇麗である。

  potsdam palace

 懐中時計を見たら9:30だったから、宮殿博物館の開館まで30分もある。そこで、雨露に濡れた宮殿正面のベンチに腰掛けてガイドブックを見る。ここまで来た以上は、博物館のガイドツアーでポツダム会談の部屋を見るつもりだったのだが、改めて「地球の歩き方」を読み直すと、なんと博物館は「月曜休館」じゃああーりませんか!道理で、開館30分前にもかかわらず宮殿の建物が静かなわけだ。

 ただし、宮殿の左翼側は「古城ホテル」になっていて、こちらではスタッフが出入りしていた。狭いだろうから予約がたいへんなのだろうけど、こういう場所に泊まるのも楽しいかも分からないな。我がベルリン市内のボロホテルを思い返して、なんだか寂しくなるのであった。

 仕方がないので、宮殿周辺を散歩してから、しばらく新庭園北端のユングフェルン・ゼー湖の美景を眺めて心を癒やした。

 今回は古い靴を履いて来たせいか、すでに足が痛いのだが、頑張って歩いてサン・スーシ宮殿を目指そう。

 

(4)サン・スーシ公園

  ツェツイーリエンホーフ宮殿はポツダム市街の北端にあるので、同市街西側のサン・スーシ宮殿まで直行するためには、西南方向に真っすぐ進むのが良い。しかし、この経路を結ぶ交通機関は無いので、結局は歩いた方が早いのである。交通機関の1日乗車券、ぜんぜん活用出来てないね(笑)。まあ、いつものことだけど。

 ポツダムのこの辺りは、緑の木々に覆われた閑静な住宅街で、各国の大使館も多い。こうやって、観光地じゃないところをウロウロ歩いて、いろいろな発見や気づきをすることこそ、俺流の個人旅行の楽しみ方なのである。有名な観光地と観光地の間を、バスなどで転々と移動するだけなんて、まったく無意味な旅行だと思うね。

 でも、足が痛い(泣)。

 今回の旅行は、鉄道でドイツとチェコを移動するのが主眼だったので、こんなに長距離を歩くことはまったく想定していなかった。そこで、イトーヨーカドーで買った履き古した普段靴でここまで来たのであった。そのせいか、踵が妙に痛い。

 ちなみにキューバ旅行の時は、あの国の交通機関は貧弱だろうと事前にリサーチしていたので、ハイキング用の頑丈な靴を装着して行った。だから、あれだけ歩きまわっても大丈夫だったのだ。やはり、靴の効用はバカに出来ないね。

 などと、いきなり靴のことで後悔しつつ、「←サン・スーシ公園」の道路標示を頼りに、ようやっと目的地に辿り着いた。午前10時半である。

 緩い坂を登ると、いきなり宮殿の真裏に出た。周囲の観光客は疎らである。まだ朝早い上に、こっちは施設の搦め手だもんね。

 尿意をもよおしたので用を足しに行こうと思ったら、トイレの入口にオジサンが座っていた。さては有料か?だったら、もうしばらく我慢して、無料トイレを探そうとケチなことを考えて、宮殿の正面側に回った。

 宮殿の建物をじっと眺めると、薄い黄色の彩色がユニークだ。サン・スーシとは「憂いの無い」という意味である。なるほど、丸っこい外壁といい淡い彩色といい、癒し系を狙った造りになっているのだな。剛腕のフリードリヒ大王にも、癒しが必要だったのか。それはそれで、驚きである。

 宮殿の正面は、噴水のある公園まで下る段々になっている。この段々が、いちいちブドウの温室になっているのがユニークだ。居合わせた中国人のカップルに続いて段々を下りて、噴水から宮殿を見上げると、緑のブドウ畑に傅かれるかのような黄色い丸っこい風情が可愛らしい。やっぱり癒し系である。

 sansushi

  こうして、しばらくベンチに座って景色を楽しんでいると、バスに乗って正面側の入口からやって来たと思われる団体観光客がゾロゾロと。こういうのって、苦手だわい。そこで、痛い足をさすりながら宮殿の奥に広がる公園を目指した。

 碁盤目状の石畳と美しく剪定された四角い緑に覆われた公園は、ウイーンのシェーンブルン宮殿によく似ている。ただし、こっちの方が面積は遙かに広大である。

 いくつもの有名な建物(オランジェリーや風車)を楽しく眺めながら歩いているうちに、いつしか森林地帯に迷い込んでしまった。ここは、午前中に訪れた「新庭園」と同様に森の中に小さな道があるだけのエリアで、かつてフリードリヒ大王の狩猟場だったところだ。右手に施設内の植物園が見えたりするから、この森林もサン・スーシ公園の一部なのだろうけど、周囲に誰もいないから不安になる。寒いせいか尿意も増してくるし。

 それにしても、朝からずっと「森林浴」をしている気がするな。日本からはるばる、地球の裏側まで森林浴をやりに来たのかね、俺は(苦笑)。まあ、楽しいから良いけど。

 たまに、ユニークな形をした巨木に突き当たる。ここが日本なら、絶対に名前を付けたり、場合によっては御神体にしちゃうだろう木なのに、当地では「ほったらかし」である。こういうところが、アニミズムで多神教の日本と、唯物論で一神教のドイツの違いなのかもしれぬ。

 などと考えつつ、蚊柱に正面から突っ込んで「蚊いー、蚊いー(田中啓文調)」と顔を掻きながら歩いているうちに、大きな黒い建物に行き着いた。ここが、サン・スーシ庭園西端の「新宮殿」らしい。ところが、この辺り一帯で大規模な補修工事を実施中で、宮殿どころか周囲の庭にさえ入れないのだ。

 うわーん、トイレに行きたいよーー!漏れるよーーー!

 どうせ周囲は森林なのだから、茂みの中で立ちションしようかとも思ったが、その最中に観光客や係員が現われたらムチャクチャに恥ずかしいだろう。仕方ないので、最初に訪れた旧宮殿の有料トイレを目指して東方に足早に歩いた。

 なかなかの距離を歩いて黄色い旧宮殿に帰り着くと、中国系を中心とした団体観光客が噴水周辺にウジャウジャといる。彼らを避けるため、左端のスロープを使ってブドウ畑の段々を上り、宮殿裏側から公衆便所に辿り着いた。このトイレはやはり有料で、入口でお兄さんに0.3ユーロ取られたけど、さっぱりしてようやく人心地になれた。

 心に余裕が出来たので、雑貨屋でコーラなど買って飲みつつ、宮殿裏側を散策して回る。自動車道を挟んで北側の丘の上に大きな昔の展望台があったりと、ここは随分と広大な宮殿だったんだね。それが、ほぼ当時のまま保存されているのだから、なかなか贅沢である。日本では、ちょっと考えられない。

 雲間から太陽も出て、空気も少し暖かくなって来た。

 フリードリヒ大王のお墓参りも済ませて、ようやく「俺は、森林浴ではなくて観光に来たのだ」という気分になれたのだった。

 freidrich

  ただし、この宮殿は月曜が閉館日だったので、建物の内部を見学できなかったのが少し残念だった。もっとも、俺はフリードリヒ大王の「おまる」には興味ないわけだし、いずれにせよ宮殿内部のガイドツアーって、経験上そんなに楽しいものではない。だから、実はどうでも良いのだった。

  

(5)ポツダム旧市街

  時計を見ると12時過ぎているので、昼飯を漁るついでにポツダム旧市街で遊ぶことにした。宮殿裏の出口から出て自動車道を南に下ると、あちこちに昔の貴族の宮殿跡があって、なかなか歴史情緒に溢れた町だということが分かる。

 やがて、大きな石造りのブランデンブルク門に行き着いた。ここから東側が旧市街である。

 昼飯を探しに目抜き通りを歩いたのだが、オープンエアのレストランが並ぶヨーロッパ風情の楽しい場所だった。キューバのオビスポ通りを思い出す。しかし、レストランやカフェでは、通りに出ているメニューが全てドイツ語表記であり、しかも黒板に白いチョークで達筆(?)に書かれた内容が多いので、何が食べられるのかさっぱり分からない。仕方無いので屋台のソーセージで済ませようかと思ったけど、せっかく旧市街の中にいるのに、それじゃあ勿体ないような気がする。

 歩き回っているうちに、市街の東端に出てしまった。随分と小さな街なんだね。もう一度引き返すのも面倒なので、ちょうど通りかかったバスに乗ってポツダム中央駅まで帰った。そして駅ビル内のファーストフードで、ビールとパンとソーセージで腹を満たした。ドイツのソーセージは、やはり美味いな。ビールは、まあこんなもんでしょう。

 さて、これからベルリン市内観光に移ろう。帰り方だが、同じ路線で帰るのも詰まらないので、ヴァンゼーあたりで地下鉄に乗り換えて、しばらく郊外をウロつくのはどうだろう?と思案したものの、ベルリンには明日の夕方までしかいられないのだ。郊外探検は、もっと時間に余裕がある時に行うべきだろう。そこで、往路と同様に、S7に乗ってまっすぐベルリン市内に帰ることにした。

  potsdam train

 

(6)ウンター・デン・リンデン~歴史博物館

  ベルリンの町並みを車窓から楽しく眺めつつ、フリードリヒ大通り駅でS7を降りた。この周辺が、ベルリン最大の繁華街だ。東京で言えば、新宿、渋谷、六本木といったところだろう(ちなみに、クーダムは銀座っぽい)。

 フリードリヒ大通りの周囲には奇麗なデパートやオフィスビルが並び、大勢の若者たちが平日の昼間だというのに行き来していた。ただし、この通りを南下しながら目に入った店は、マックやケンタやサーティーワンやらスターバックスなど、アメリカ家資本ばかり。そういう意味でも、東京の風景に良く似ていて興ざめした。

 この風景は、ハバナはもちろんのこと、イスタンブールと比べても、えらい違いである(両国では、米系資本はほとんど見かけなかったので)。

 ドイツと日本は、どちらも同じタイミングでアメリカに征服された歴史を背負っているからねえ。キューバのように今でもアメリカと敵対している国とは、国の在り方自体が大違いなのである。

 ともあれ、ベルリンは東京に非常に良く似た街であることが分かった。第二次大戦でいったん全部が焼け野原になっているので、地霊(歴史的風格)がほとんど感じられない点でも共通だ。

 ・・・なんだ、詰まらん。

 観光資源に煮詰まったときは、博物館巡りだ。とりあえず「歴史博物館」に行こうかと思って、ウンター・デン・リンデンで左折東進した。

 ウンター・デン・リンデン、すなわち「菩提樹の下通り」は、東ベルリン地区で有数の大通りである。しかし、あちこちでビル工事や道路工事をやっているので、あまり豊かな風情を感じなかったのが残念である。

 ギリシャ神殿風の風格を持つフンボルト大学の校舎を眺めてから、ようやく歴史博物館に到着。ここもやっぱり外観は神殿風の建物だが、内部はガラス張りで近代的だ。10ユーロで拝観券を買って、トイレ(無料)で用を足してから、階段で2階の展示室に上った。

 考古学的資料や遺物から始まる博物館は、いろいろと珍しい展示が多くて、しかも広くて楽しめた。ただし中世以降の展示は、神聖ローマ帝国とオーストリア・ハプスブルク家が中心となって進む。・・・ドイツの歴史じゃないじゃんか(笑)。

 もっとも、10年前に訪れたオーストリアの軍事博物館でも、第二次大戦中のドイツ軍の兵器を「オーストリア製」と言い張っていたから(笑)、お互い様と言ったところか。どちらもドイツ語を話すドイツ民族の国なので、そういうところで、お互いの傷を舐め合っているのだろう(苦笑)。

 1階のナチスのコーナーは、最近になって出来たらしい。ヒトラー総統の胸像に抱きついてディープキスをしようと思ったら(笑)、監視員のオバサンの鋭い視線に止められた。気のせいか、ナチス関係の展示は監視が厳しい。兵器の展示も、88FLAK(88ミリ高射砲)の実物には感動したけれど、それ以外は思ったより少なかった。

 ・・・ティーゲル戦車の実物きぼーんぬ!(号泣)

 この博物館の展示は、冷戦時代を経てベルリンの壁の崩壊までだった。こうして、一通りの展示を見終わったので、後は広壮な中庭や土産売り場を冷やかして回った。

 博物館の入口付近に、巨大なヨーロッパの白い地図が平らに置かれており、ボタンを押すと、年代別にローマ帝国、フランク王国、神聖ローマ帝国、そしてプロイセン王国やドイツ帝国の領域が色付きで展示される仕様になっていた。ナチス第三帝国の領土は、ちゃんと西はピレネー山脈から、東はスターリングラード(現ボルゴグラード)にまで亘っていた。こうやって見ると、やっぱりヒトラーって凄い政治家で軍略家だったんだねえ。素直にそう思える。なかなか楽しい。でも、この地図を素直に見ていると、ドイツこそが古代ローマ帝国の伝統を継承する末裔国家だと主張しているようにも見えて来るけど、それって何だかなあ?(苦笑)

 さて、時計を見ると午後3時だ。次の目標について思案しつつ、ウンター・デン・リンデンを東向きに歩いた。途中でシュプレー川に差しかかったので、橋桁から身を乗り出して、デジカメで川の流れを撮影した。すると、周囲の人が「何か面白いものがあったのか?」と一緒になって川を覗き込むのが楽しい。何もないよーん。バカが見るー、ブタのケツう!

 シュプレー川は、ベルリン市内を流れる唯一の大河だ。といっても、他のヨーロッパの諸都市に比べるとすごく小さな流れである。ローマのテヴェレ川、フィレンチェのアルノ川よりまだ小さい。そして、灰色で濁っている。それなのに、遊覧船が走っているのが逆に滑稽である。この小さな灰色の流れの川下りが楽しいとは、とても思えないけどな。

 

 (7)ペルガモン博物館

 シュプレー川を東に越えて「博物館の島」に入った。そして、ベルリン大聖堂の正面の公園のベンチに腰かけて、巨大な聖堂を眺めた。

 berlin catedral

  やっぱり、ヨーロッパは良いなあ。寒いけど。

 この周辺だと、さすがに団体観光客や観光バスが多いようだ。中国人ばかりだけどな。

 しかし、こんなに足が痛いのに博物館を歩きまわるとは、我ながらアホウである。もう歩きたくない気分でいっぱいである。だが、この辺りは世界遺産にも登録されている「博物館の島」(シュプレー川の2つの小さな流れに挟まれた中洲)。だったら、博物館に行かないのはアホウであろう。

 重い足を引きずりながら北上し、いくつもの博物館の建物を外から見て回る。どれも、意匠を凝らしていて楽しい建物だ。戦後になってから、建て直したり改修したりしたものが多いとはいえ、この中州全体が世界遺産になっただけのことはある。

 時間もないことだし、せっかくだから、この博物館群の中で最も有名な「ペルガモン博物館」に行くとしよう。博物館の入口は改装工事中だったので、見つけて入るのに難渋したのだが、受付にて10ユーロでチケットをゲットした。ここは、古のペルガモン神殿などの実物大が展示してある広大な博物館で、ほとんどテーマパークみたいな所である。逆に、大味であまり博物館っぽくない。ある意味、ロンドンの大英博物館に似たテイストである。

 考えてみれば、ここに展示されているペルガモン神殿もアッシリアの市場門も、もともとドイツの遺跡ではない。みんな、かつてのオスマントルコ帝国の遺跡である。ドイツは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、トルコへの政治的コミットを大いに強めた時期がある。トロイ遺跡の発掘で有名な素人考古学者シュリーマンがその代表格なのだが、この時期のドイツ人たちはカネに物を言わせて、トルコの遺跡からの出土品を片端からドイツに持ち帰った。その成果こそが、ここペルガモン博物館というわけである。

 そういう意味でも、ここは大英博物館によく似ている。あの博物館の展示物も、その多くは植民地からの略奪品であった。たとえば、大英博物館名物ロゼッタストーンだって、もともとエジプトの出土品だったものをフランスが奪い、それをさらにイギリスが奪ったものである。

 そのように考えていくと、西ヨーロッパ諸国の文化的業績って、侵略と略奪によって成り立っていることが良く分かるのだ。ある意味、泥棒集団だね。それを、堂々と胸を張って威張っていられるところが、ヨーロッパ人の厚顔さだ。ある意味、立派である。

 それにしても疲れた。靴が悪くて足が痛いせいもあるけれど、今日は朝からほとんど休憩を取らずに、8時間近く歩いている。我ながらアホウである。巨大なペルガモン神殿の祭壇の一角に座りこんで、しばし身動きが取れなくなる俺であった。

 pergamon

  さて、こうしてベルリンの博物館を2つ回ったわけだが、総合的な感想はというと、イマイチであった。頭は満足だが、心は欲求不満といったところか。

 その理由は何か?と考えるなら、「奇麗で立派すぎる」点であろうか。

 他のヨーロッパ諸国の博物館は、昔の貴族や金持ちの宮殿を改造したものが多い。カリブ海に浮かぶキューバ(スペイン系)でさえ、そうである。こうした国々の博物館では、もともと博物館でない建物の中に陳列スペースを半ば無理やりに確保し、だけどお客さんに喜んでもらえるようにと、あれこれと工夫した並べ方をする。その手作り感が楽しいのである。そしてお客さんは、展示物と一緒に昔の建物内の風情を一石二鳥で楽しめる。そこが嬉しいのだ。

 それに対して東京やベルリンの博物館では、「もともと最初から博物館用に造った近代的な建物」の中に、当然のように陳列物を並べるから、機能的で奇麗になる道理だが、それが当たり前すぎて面白くないのである。お客さんは、楽しみに来たのではなく、勉強させられに来た感じになるのだ。

 もっとも、前述のように、東京やベルリンは戦災のために古い建物がほとんど焼失してしまっている。だからこそ博物館の建物が近代的になる道理だが、それこそが東京とベルリンの「詰まらなさ」に他ならない。この2つの都市は、非常に良く似ている。

 博物館に限らず、ベルリンという街の全てが、「機能的」で「奇麗」に出来過ぎているように思う。つまり、住むには非常に便利だが、楽しむことが難しい。出張や転勤で来るのなら素晴らしい街だが、観光に来るにはふさわしくない。

 第二次大戦の惨禍は、大勢の人を殺傷し街を破壊しただけでなく、大切な「文化」まで吹き飛ばしたのだと痛感する。そして、文化の破壊こそが、その社会にとって最も大きなダメージなのかもしれないとも思う。

  

(8)ポツダム広場~ブランデンブルク門

  さて、いつまでも博物館の祭壇に座り込んでいるわけにいかないので、外に出て次の目的地を目指す。

 「ベルリンの壁」の史跡を見たいので、まずはポツダム広場を目指すとしよう。

 フリードリヒ大通り駅に向かって線路沿いに西に歩いて行くと、高架線の下に「ベルリナー・ヴァイセ」を飲ませるレストランを見つけたので、休憩ついでに入ることにした。

 ベルリナー・ヴァイセとは、シロップ入りのビールである。要するにビールのカクテル、すなわちレッド・アイやシャンデイ・ガフの仲間だ。と、言えば聞こえはいいのだが、注文して出て来たものは、丸っきり「クリームソーダ」だった。色は緑だし、上に乗っている白いのはビールの泡ではなくてホイップクリームである(絶句)。ストローが差してあるから、これはストローで飲む飲み物なのであろう。ううむ。

 beer berlin

  おっかなびっくり口を付けてみたら、味はそんなに悪くない。軽く甘い上にサッパリした飲み口なので、疲労した体に丁度よい。これなら、日本でも腐女子向けの弱いお酒として売り出せそうだ。チャン・グンソク(=ソウル・マッコリ)の代わりに、イケメンのドイツ人俳優でもCMに使えば売れそうだな(笑)。といっても、この国では男女ともに、ブサイクな人しか見かけないような気もするが(泣)。

 午後4時のガラ空きの店内で、「地球の歩き方」を精読しつつ体を休めた。ウェイトレスのお姉さんは、「お代りいかが?」とか「ご飯は食べないの?」とか優しく英語で聞いてくるので、「また次回ね」とお愛想を言いつつ、結局クリームソーダ・ビール(笑)一杯で店を出た。ここは、なかなか感じの良い店だったので、夜にまた来ても良いかもしれない。

 ほろ酔い気分でフリードリヒ大通り駅からS1に乗って、ポツダム広場駅まで2駅分西南方向に移動した。Sバーンは郊外電車なのだが、この区間では地下鉄になる。逆に、地下鉄(Uバーン)は郊外では地表を走るのだから、SとUの厳密な区分けは無意味かもしれぬ。

 到着した駅で小用をしてから地表に出ると、ここ「ポツダム広場」はベルリンの新名所という触れ込みなのだが、なんでここが新名所なのかまったく分からなかった。いちおう五差路の交差点として開けてはいるのだが、コンクリートの灰色な広場があるという、ただそれだけの話である。近代的で奇麗すぎて、まったく「地霊」を感じない。だから、「新」名所なのかもしれないけど、俺のような人間にとっては、まったく興味の対象にならなかった。

 それでも、駅前に「ベルリンの壁」の残骸が飾ってあったのでデジカメ撮影し、ついでに昔の監視塔を路地に入って探し当て、カメラに収めた。

  kanshitou

 さて、この広場からブランデンブルク門までの南北を通るエーベルト通りが、かつてベルリンの壁が建っていた場所である。そこで、痛い足を気合いで騙しつつ、道沿いに歩いて北上することにした。

 エーベルト通りの左手に広がるのは、広大な市民公園(ティーアガルテン)だ。ここは、欝蒼とした森林の中に細い道がいくつも渡っているだけの公園なのだが、午前中のポツダムの公園といい、こういうワイルドなのがドイツ人の好みであるらしい。これは、太古の森林民族ゲルマンのDNAが成せる業であろうか?

 公園沿いにしばらく歩くと、今度は右手に、灰色の石積みの列が見えてきた。無数の墓石状のコンクリートの四角い石が、四方に広大な奥行きで並んでいる。なんだろうと近寄って見てみると、なるほど、これが「ホロコースト追悼碑」である。ここは、第二次大戦中のユダヤ人虐殺を反省する目的で建てられたはずだが、実際には子供たちの遊び場になっていた。なるほど、大小不揃いの石の列は、かくれんぼや鬼ごっこをするのにもってこいだ。

 ・・・ドイツ人は、本当に反省しているのかねえ?

 もっとも、この施設の地下には大きな真面目な慰霊施設があり、犠牲者の名前がたくさん刻まれているらしいから、地表の石積みだけ見てあれこれ論じるのは公平ではないかもしれない。いずれにせよ、アウシュビッツの衝撃をすでに経験済みの俺にとっては、わざわざ訪れるに値しない施設であろう。

 さらに北上すると、ようやく有名なブランデンブルク門が見えてきた。正面の広場には、大勢の観光客が集まっている。ツアーバスもたくさん出ている。自転車も、猛スピードで行きかっている。でも、門自体はあまり感動的なものではなかった。事前に過度な期待を抱きすぎると、後でがっかりするという好例であろうか。

 brandenbrug

  しばし周囲を散策し、国会議事堂などの政府系の施設を外から見て回った。メルケルおばさんは、どこら辺にいるのかな?ガラス張りで立派な建物が多いんだね。

 当然ながら、地霊は無いから、東京の国会議事堂前とあんまり変わらない雰囲気である。

 

 (9)夕飯

  さて、5時半を回ったところで、腹が減ったので夕飯を食いに行くことにした。

 キューバ旅行の時は、殺人的な暑さのせいで食欲があまり湧かなかったのだが、こっちは寒いので、我が腹具合も健常なのである。今日は、朝から異常なペースで歩き回っているしね。

 ブランデンブルク門を東に潜ってパリ広場に出ると、そこから再び地下のS1に入って北方のオラニエブルガー通り駅を目指す。この駅から、「地球の歩き方」に出ているドイツ郷土料理屋トゥホルスキーに向かうのである。

 オラニエブルガー通り駅は、国鉄路線の北側に位置するせいか、東京でいえばちょうど「山手線の円の外」といった雰囲気だ。ここからトゥホルスキー通りをブラブラと北に歩いたのだが、庶民的な雑貨屋やレストランが並ぶ落ち着いた雰囲気だった。観光地や中心街の雑踏に飽きた心にとっては癒しになる。でも、東京の郊外もこんな感じだよね。

 どうも、今回の旅行では「初体験の感動」や「未知なるものへの驚き」が希薄な気がする。俺は、もともとヨーロッパに来慣れているし、年齢と経験を重ねて心が老化したせいもあるし、前回の旅行先が異文化の極地キューバだった(笑)というのもあるけど、ベルリンが(というよりドイツが)日本に似すぎているのが悪いのである。

 しかも、今回の旅行ではまったく「ロリ萌え」しない。今朝のポツダム郊外では、児童公園で幼女の群れを見かけたりしたのだが、少しも心が動かなかった。これは、俺の海外旅行史上で初体験である。ドイツ人が、子供といえどもブサイク揃いなのが原因なのか?それとも俺の心が老化したせいだろうか?前者であることを願いたいものだ。

 もっとも、最近は幼い甥っ子たちに懐かれて、彼らと遊ぶ機会が多いので、「ロリ萌え」衝動が充足され緩和されているという現実がある。俺の「ロリコン」は、要するに、単なる「子供好き」に過ぎないからである。

 などと考えつつ、目的の郷土料理屋トゥホルスキーに到着した。

 ここは歴史の古い店みたいで、店内の壁に、ここを訪れた有名人の写真が所狭しと飾られていた。樫の木材やテーブルを上手に用いたお洒落な店である。

 まだ午後6時なのに、2組の老人団体の先客がいた。1組はお爺さん軍団だったが、ほとんど俺と入れ違いに帰って行った。もう一組はお婆さん軍団で、俺の隣のテーブルでビールをガンガン飲んで大騒ぎだった。こっちの老人は、元気があるねえ。

 トゥホルスキーは「地球の歩き方」に載っている店だけに、日本語メニューもあった。ベルリン・ピルスナービールの大ジョッキ2杯とトマトスープとロールキャベツを腹いっぱいに詰めて、チップ込みで30ユーロ払って店を出た。なるほど、これがドイツの庶民の味か。なかなか美味かったので、良心価格だったのではないでしょうか?

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  ビールのアルコール効果ですっかり楽しくなったので、再びオラニエブルガー通り駅からS1に乗る。そして、ポツダム広場駅で地下鉄のU2に乗り換えた。これで、まっすぐツォー駅まで行けるはずだ。

 すると、ポツダム広場駅から2人の若者が楽器を抱えて車両に乗って来て、Wham!の名曲「ケアレス・ウイスパー」をトランペットで演奏し始めた。なかなか良いねえ。だけどこいつら、グレイスドリーエック駅近くで乗客たちからお金を徴収し始めた。なんだよ、大道芸人みたいなものか。そういう俺も、2ユーロ払ってあげたけどね。

 そして、この車両はグレイスドリーエック駅から逆走を始めた。おいおい、たまたま、この駅止まりの電車に乗っちゃったのかよ。そう思ったので、仕方なくポツダム広場駅で降りて、また同じ路線のU2に乗り換えた。だけど、表示板を見るに終点はさっきと同じ駅みたいだ。どうやらダイヤ改正があったらしく、この路線は全てグレイスドリーエック駅止まりになったようだ。つまり、U2ではツォーに帰れないんじゃん。

 しかも、さっきのWham!2人組が、ポツダム広場駅から再び俺と同じ車両に乗り込んできて、やっぱり「ケアレス・ウイスパー」をやり始めた。

 他のレパートリー、無いんかい(笑)!

 同じ曲にまたお金を払うのは嫌なので、演奏の途中で、終点の一個手前のメンデルスゾーン生誕記念公園駅で降りた。

 酔っ払っているせいか、寒さはあまりこたえない。次の電車が来るまでの間、ホームの自販機でアイスティーと菓子パンを買った。ベルリンは、自販機があちこちにあって、しかも機械が高性能(お札が使える)だから良い。そういうところも、東京と同じである。

 やがて次の電車が来たので、終点グレイスドリーエック駅で、ツォーを通るはずの(それは、路線図や車両の終着駅名表示などで分かる)U12に乗り換えた。このU12は、「地球の歩き方」に載っていない路線なので、最近になって新設されたのだろう。そのせいか、駅や車両内の路線図の上でも、U12の案内は紙で追加して貼られる形になっていた。

 こうして、ツォー駅に帰って来た。駅構内の公衆便所(有料だが、自動改札式)で小用を足し(実は、漏れそうだった。ビールと寒さの利尿作用だね)、昨夜と同様のルートでホテルまで歩いた。

 まだ夜8時台だったが、ホテルのベッドに横になると一気に疲労が押し寄せて来たので、そのまま爆睡状態に入ったのは言うまでもない。

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