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世界旅行記

ドイツ旅行記(附第三次チェコ旅行記)

9月21日(水曜日) マイセンへの船旅


 (1)第二次ドレスデン散策

(2)外輪船「ワーレン市」号

(3)マイセンの街

(4)マイセン磁器工場

(5)ドレスデンに帰着

 


  (1)第二次ドレスデン散策

  またもや、目覚ましが鳴る前に7時に目が覚めた。今日も快晴である。

 バスタイ・ホテルの1階の朝のバイキング会場は、ベルリンのボロホテルと違って非常に広壮である。結婚式の披露宴会場にそのまま使えそうなくらいだ。団体観光客を中心にして、お客さんの数も多い。ただし驚いたことに、メニューはベルリンとほとんど一緒だ。パン、サラダ、ソーセージ、ハムやサラミ、ヨーグルト。その程度しかない。ドイツという国の食文化の貧しさがつくづく思いやられる。

 ともあれ満腹したので、再びドレスデン旧市街に向かう。マイセン行き遊覧船の出発時刻は9時45分なので、それまで街を散策しようというのだ。

 昨日と同じルートで旧市街まで歩き、アウグスト大橋を越えて新市街に入った。新市街入口の広場では、金色のアウグスト強王の銅像が、朝の光の中で己の存在を誇示していた。

 augst strong

  さて、まずはギネスブックにも載る「世界で一番美しい牛乳屋」を見に行くとしよう。ここでのポイントは、「美味しい」のではなくて「美しい」という点である。店の内装が、ちょっとびっくりするくらい奇麗らしいのだ。牛乳屋なんだから、味で勝負しろよ(苦笑)。この店が位置するというバウツナー通りに入り、沿道を探したのだが見つからなかった。もともとガイドブックの地図には出ていない郊外の店なので、目くら判で見つけるのはやはり厳しいようだ。また明日、住所など控えた上で再チャレンジしてみよう。

 それから新市街の中心部に戻ってきて、中央通りなどを冷やかして回った。この辺りは公園などが奇麗に整備されていて、住み心地が良さそうだ。小鳥の声が多くて、心も洗われる。

 日本宮殿(という名前の政府系施設)を外から見学してからアウグスト大橋に戻り、再び旧市街に帰って来た。まだ8時半だから、時間が余っている。「君主の行列」と呼ばれる壁画(唯一、戦災を免れたらしい)ら有名な観光名所をいくつか回り、エルベ川を見下ろす王宮の高台「ブリュールのテラス」のベンチに腰かけて足を休めた。

 wall picture

  この場所はヒットである。エルベ川の全景が、朝日の中で実に美しい。なんとなく、ブダペスト王宮の「漁夫の砦」の雰囲気を懐かしく思い出す。ただし、ブダペスト王宮のイメージカラーは白だが、ドレスデンは黒である。ここは全体的に、黒や茶色の石積みが目立つ街なのだ。

 この高台からは、船着場が俯瞰できる。様子をチラチラ窺っていると、だんだん人が増えて来た。9時を大きく回ったから、そろそろ乗船開始だろうか。

 

(2)外輪船「ワーレン市」号

  この遊覧船の船会社は、なんと創業175年という老舗である。そういえば、船着き場のあちこちに「175周年記念イベント」の案内が出ているのだが、175って刻み過ぎじゃね?まあ、きっと5年ごとに記念行事をやっているんだろうね。それにしても、175年は立派なものである。日本には、そんな観光会社は無いだろうな。

 この遊覧船の最大のセールスポイントは、昔ながらの「外輪船」を使っている点である。すなわち、船の両脇に大きな車輪が付いていて、こいつの回転で船を前進させるというアレである。就業100年以上の船も、未だに現役で走っているというから恐れ入る。さすがは、伝統を大切にするヨーロッパ文化だな。

 俺が乗るのは、「ワーレン市(スタッド・ワーレン)」号。各船の名前は、この航路の沿線の地名から採られているようだ。

 steamboat

  乗り場は非常に混んでいる。それも、ほとんど白髪のドイツ人観光客ばかり。まあ、平日の朝だからこれが当然か。リタイアして、老後の生活をエンジョイしている人たちだろうな。

 乗船時刻になると、みんな一斉に桟橋に殺到する。「混んでいて座れないんじゃないか?」と焦りつつも、係員のオジサンにチケットに刻印してもらって、なんとか2階船尾のテーブル席の、通路側の木製シートに滑り込んだ。

 定刻通りに出発した船は、なぜかいったん逆走して、エルベ川を南へ遡航する。その後、ゆっくりと辺りを一周してから元の川下りルートに入ったので、これはドレスデン旧市街の全容をお客さんに見せてあげようという観光サービスなのだろう。良いんじゃない?

 さて、ここエルベ川は、南ドイツを水源として、チェコを縦貫してからバルト海へ、ドイツ国内を縦断して南北に流れる大河である。この流れがチェコにあるときの名前は、ヴルタヴァ川(ドイツ語読みだとモルダウ川)。同じ川の流れでも、国によって名前が違うのは良くある話だ。たとえば、長野県の千曲川が、新潟県に入って信濃川と呼ばれるのと同じことである。ただし、チェコマニアの立場からすると、この流れをエルベ川と呼ぶのには心理的抵抗がある。そうだ、「ヴルタヴァ川の残尿」と呼ぶことにしよう、そうしよう(笑)。

 「ワーレン市」号は、ヴルタヴァ川の残尿(笑)の中を優雅にゆっくり進む。明らかに普通の船よりスピードが遅い理由は、外輪船だからである。順行する往路に要する時間は2時間だが、遡航する帰路に3時間かかるのは、それだけ川の流れが速いということでもあり、外輪船のパワーが弱いということなのだろう。

 そういうわけで、今日はマイセン旅行で一日を終えるつもりである。足の痛みも、この軟弱(?)な船旅で大いに癒えることだろう。何しろ、放っておくと、ひたすら無理して歩いてしまうからね、俺様は。

 船内にはちゃんとレストランやカフェがあって、売り子のオバサンが端末を片手にやって来る。しかし驚いたことに、このオバサンはたった一人で全部の客の相手をするのである。100人を超えるだろう客の注文を聞いて端末に入力し、それを厨房に取りに行き、そして運んで来て、代金を受け取る。これらの作業を一人で全部こなすのだから、すごい能力と体力である。何よりも勤勉である。俺もビール一杯注文したけど、ちゃんと適時に運んできた。さすが、ドイツ人は優秀だなと実感する。日本人でも、ここまでの能力の人はいないだろう。かつてヒトラーが、「ドイツ人は世界最高の民族だ」と思った気分も、まんざら分からなくないな。

 って言うか、オバサンは、どうして一人で働いているんだろう?もう一人くらい雇ってあげなよ、船会社(苦笑)。もっとも、この不況下で、そんな余裕はないのかもしれないけどな。

 エルベ川、もといヴルタヴァ川の残尿の周囲は、黄緑色の草原や灌木に彩られている。それなりに奇麗で楽しいのだが、いささか単調である。地形が、ひたすら平野続きだからだろう。

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  時折、鉄屑などを積んだ平底船とすれ違うのだが、ほとんどチェコ船籍である。この水路はどうやら、チェコの工場地帯からドイツ中心部までの重要な工業輸送ルートになっているようだ。

 また、時折カヌーに出会う。大勢の若者が楽しそうに漕いでいるのだが、川沿いにカヌースクールがあったから、きっとそこの授業風景なのだろう。こんなに奇麗で風光明媚な川で練習したら、きっと上達も早いだろうな。

 途中、ローデボイルの船着き場で随分と人が減ったので、通路側の席から舷側の席へと移った。すると間髪入れずに、新たな老人グループが大挙乱入し、俺の通路側を完全に遮断した。老人たちは、樫の木のテーブルの上にイタリアの観光ガイドを広げて、次の旅行プランの討議を始める。リーダー格の上品なお爺さんは、目を輝かせながら、仲間たちに熱く語るのだった。この仲良し集団は、いつも連れ立って旅行三昧なのだろうか?そういえば、ドイツの老人は、日本人よりたくさん年金を貰えると聞いたことがある。それはそれで、羨ましい話だな。

 やがて、船外の風景に退屈した上に、尿意が耐えられなくなったので(ビールのせいだね)、老人たちの熱い討論を謝りながら遮って、通路まで出してもらった。

 小用を足してから、船内をあちこち探索する。すると、蒸気タービン室の仕切りと外輪の格納壁がガラス張りになっていて、外から稼働状況を見学できるようになっていた。タービンが一生懸命に働いて、外輪が健気に回っている様子は興味深い。

 それから、あちこちの舷側から川面や沿岸風景を楽しんでいるうちに、いよいよ目的地マイセンが近づいて来た。

  

(3)マイセンの街

  外輪船は、マイセン城(アルブレヒト城)に近づくと派手な汽笛を上げる。乗客たちも大喜びでデジカメを使い始める。なるほど、赤と淡いグレーに彩色されたマイセン城は、船上から見ると確かに美しい。

 meisen castle

  船着き場から旧市街橋に上り、この橋を西に渡り切ってマイセン旧市街に入った。楽ちんだった船旅は終わり、歩き三昧の日々が戻って来たというわけだ。

 ちょうど昼時なのでマルクト(市場)広場を物色したところ、屋台の焼きソーセージ(ブラート・ヴルスト)しかない。ほんと、ドイツって、どこに行ってもソーセージしか置いてない国なんだね(汗)。さすがにソーセージは飽きたので、もっとマシなレストランを求めて、市内をウロウロした。

 マイセンは、お城を中心とした非常に小さな街である。ただし、第二次大戦で珍しく戦災を受けていない場所なので(クラコフ同様、ソ連軍の通り道じゃなかったため)、美しい赤屋根の街並みは地霊が豊富である。とてもドイツとは思えないこの瀟洒な雰囲気は、なんとなくオーストリアのメルクやクレムスの街を思い出させる。そういえばクレムスも、ドナウ川の川下りで行ったのだった(ハンガリー旅行記参照)。あの頃が懐かしいな。

 もっとも、マイセンは小さな街すぎて見るところも少ないので、フラウエン教会を外から見学してから、とりあえずお城を目指してみる。この街の城はいわゆる「山城」で、険しい丘の上に立っている。つづれ折の細い山道をクネクネ上ると、城門が見えてきた。その近くに眺めが良さそうなレストランがあったので、そこに入って見る。

 これが、大ヒットだった。オープンエアのテラスは、マイセンの街全域を見渡せる高い崖に沿っていて、ここに座ると赤屋根の列とエルベ川の絶景が広がる。いつものように早足で登って来たものだから、同じ船に乗って来た老人たちをタッチの差で出し抜いて、崖際のベストな席を確保できたのだった。もっとも、後から来た老夫婦と相席になったのだが。

 そして、注文したビールとクリームパスタも美味だった。なんだかとても幸せになったので、携帯でmixiに近況を書き込んだ。この時を境に、mixiの日記や「つぶやき」を頻繁に利用するようになる。これはやっぱり、今回がいつもより退屈な旅行だったせいだろうか?

 meisen town

  その後は、アルブレヒト城まで歩いて周辺の名所を散策して回った。お城の裏手(川側)は、日があまり当たらないせいか、濃緑色に苔むして古色蒼然である。そこのベンチに腰かけてエルベ川を俯瞰的に眺めると、とても心地よかった。

 やがて、お城周辺に飽きたので、往路とは違うルートでマルクト広場まで降りた。中世そのままの石畳や階段が楽しいのだが、とにかく小さい街なので、なんだかハウステンボスとかディズニーシーを連想してしまうのだった。

 

(4)マイセン磁器工場

  さて、マイセンといえば陶磁器である。適当な土産はないかと、マルクト広場の土産屋を物色したのだが、あまり良い品が見あたらなかった。そこで、帰りの船の出発時間まで1時間以上あるので、足を伸ばして「マイセン磁器工場」まで行ってみることにした。

 案外と距離はあるし、足は相変わらず痛いので難渋したのだが、マイセン南郊の磁器工場に辿り着いた。工場と言っても、博物館や土産屋が併設されているここは、ガラス張りの奇麗な建物で、マイセン磁器のブランドマークである2本の剣が誇らしげにあちこちに描かれている。

 meisen factory

  この建物の2階にある陶磁器博物館に興味を惹かれたのだが、時間もあまり無いので、まずは1階の土産ショップで磁器製品を物色した。値段は随分と高くて、白塗りの小さなお椀が普通に5,000~6,000円もする。これに少し色や模様が付くと、1万円を軽く超える。さらに良いものになると、数十万円から数百万円だ。

 どうしようかと思案したが、「日本のような地震大国には、高価な割れものは似合わない」と思い当たったので、高級磁器の購入は諦めることにした。かといって、数千円クラスの安い奴は、デザインも色合いも悲しくなるくらいチープなので、これなら日本のイトーヨーカドー、いや、百円ショップに行った方がマシである。

 そもそもマイセン磁器は、18世紀になってようやく開発された後発製品なのだ。中国や韓国、さらには日本でさえ16世紀に確立されていた技術が、ヨーロッパではなかなか育たなかった。ようやっと、ザクセン王国の錬金術師(笑)が開発に成功したのが18世紀。アウグスト強王はこの技術でザクセン王国を大いに富ました。そして、他国のスパイからこの必殺の技術を守るために、磁 器職人を首都ドレスデンではなく、ここマイセンに隔離して管理した。こうして、マイセンが陶磁器の街となり、マイセン磁器がヨーロッパ有数のブランドになったというわけである。

 そう考えると、マイセン磁器はそんなに立派なものではない。中国の景徳鎮あたりに出かければ、もっと安くて良いものが容易に手に入るだろう。ヨーロッパ人のブランド創出能力の高さには敬意を表したいところではあるが、東洋人がわざわざ大枚をはたいて買うほどの品物ではない。

 急に虚しくなったので、2階の博物館には行かず、磁器工場を後にした。その後は、しばらく街を散策しつつ、途中の雑貨屋で絵葉書などを買いつつ、エルベ川の遊覧船乗り場に戻って来た。

  

(5)ドレスデンに帰着

  15:00の定刻通りにやって来た外輪船は、往路と同じ「ワーレン市」号だった。下流の終点まで行って、引き返してきたのだろう。

 マイセンがもっと見所の多い街だったなら、遊覧船を諦めて鉄道で帰ることも視野に入れていたのだが、見るべきものはほとんど見てしまったので(平知盛か?)、順当に船で帰ることにしたのである。

 船からは、かなり高齢で足腰の悪い老人たちが大量に降りたので、乗り込むまで随分と待たされた。この老人たちは、どこかの老人ホームから来たのだろうか?数少ない健常者(施設の人か?)たちが、抱き抱えたり車椅子を押したりする様子が痛々しい。俺も、生涯独身だとすると、こういう生活にいずれ、さらされることになるだろう。そう考えるなら、他人ごとではない。

 早い夕暮れの中、外輪船はゆっくりと進む。今回は、テーブルのないベンチ席に座ったので、例の働き者のオバサンも注文を取りに来てくれず、したがってビールは飲まなかった。もっとも、夕方の川の上はかなり肌寒かったので、ビールという気分ではなかったのだが。

 読書に勤しんでいるうちに、あっという間に時間は過ぎ去り、懐かしい(?)ドレスデン旧市街が見えてきた。船着き場に着いたのが18:15。ちょうど良い時間帯なので、レストランを物色する。

 アルトアルクト広場の裏手に回り、「地球の歩き方」に出ているレストラン「ゲンゼディープ」で、ビールとポテトスープとザウアーブラーテン(ドレスデン風ローストビーフ)を注文した。どれも、なかなか美味であった。デザートに、名物ケーキのアイアーシェッケを注文しようかと考えていたのだが、ショーウインドウに飾られている奴を見ると、一切れがかなり大きいので、食べ切れないと判断して断念した(俺は、基本的に甘いのが苦手なのである)。お代は、やはり30ユーロ前後だったので、チップ込みで多めに渡して店を出た。

 dresden dinner

  その後は、近所の大型スーパーマーケットや雑貨屋を物色して楽しんだ。「サターン」という家電専門店では、やはりi-phoneが大人気商品のようだ。お惣菜屋にはいろいろ並んでいるけど、どれもあんまり美味そうじゃないな。

 ホテルの近くに、「ユーロショップ」というのがあったので入ってみる。この店は、全ての商品が1ユーロで買えるというから、要するに、日本でいうところの「100円ショップ」だ。ただし、品ぞろえは良くなくて、見るからに粗悪な感じの三流品しか置いていない。そう考えると、日本の100円ショップは優秀である。そういうわけで、この店ではアイスティーを1本だけ買うことにした。なぜか1.25ユーロ請求されたので一瞬首をかしげたのだが、0.25ユーロの分は消費税(VAT)なのであろう。日本の100円ショップで、105円請求されるのと同じことである。

 なお、この旅行記で便宜上「ユーロと」呼んでいる貨幣は、ドイツ語では「オイロ」と発音される。念のため。

 こうして、ホテルに帰って読書して寝た。明日は、いよいよプラハ行きである。

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