歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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世界旅行記

ドイツ旅行記(附第三次チェコ旅行記)

9月23日(金曜日) プラハ市内観光


 (1)旧市街から新市街へ

(2)カレル橋からプラハ城へ

(3)スメタナ博物館とピルスナー・ウルケル

(4)お土産屋巡りと巨大ハム

(5)火薬塔から軍事博物館へ

(6)ヴィシェフラトからアンジェルへ

(7)市民会館のコンサート

 


(1)新市街から旧市街へ

  朝6時に起きた。そして、俺が小説の中で惨殺しまくった騎士たちの怨霊効果で、体調は最高である(笑)!

 テレビでニュースなど見て時間を潰してから、昨夜と同じレストランでバイキングを腹に詰めた。バイキングのメニューは、ドイツとほぼ同じなのだが、明らかにチェコのパンの方が美味い。ちゃんと、麦の匂いと味がするのである。そういえばチェコでは、パンを工場などで大量生産するのではなく、みんな手作りでやっていると聞いたことがある。きっと、そのせいで美味いのだろうな。

 バイキングに同席したのは白人の中年夫婦一組だけだったのだが、そのせいか店員がなかなか出て来なくて、夫婦もんはイライラしていた。バイキングだから、店員は原則としていなくても構わないので、スマホ姉ちゃんはきっと奥でスマホを弄っていたのに違いない(笑)。この緩さこそが、チェコ・クオリティである。

 満腹したのでとりあえず、公共交通機関のチケットを買いにプラハ主要駅に向かった。フス通りを昨日と逆の順路で歩きつつ、頭上のジシュカ将軍像に挨拶などしつつ、通勤のサラリーマンやOLを搔き分けつつ、キンキラキンの主要駅に到達。

 チェコにもちゃんと、チケットの自動券売機やジュースの自動販売機はあるのだが、なんとお札は使えないのである。こういうところが、ドイツに比べてダメなところだ。俺の財布の中には小銭がまだ少なかったので、地下鉄の駅員に話しかけて1日券(90コルナ)をお札でゲット。駅員のオジサンは「朝早いから、大きいお札は困るんだよね」とか英語で言いつつも、ちゃんと売ってくれた。っていうか、小さいお金が手元にないから、駅員さんから直接買うんじゃん。チェコの自動券売機は、早めにお札読み取り機能を取り入れたまえ。

 さて、俺はプラハの地形を全て諳んじている男である。つまり、地図など不要なのじゃ。

 駅を出てまっすぐ西を目指し、懐かしいヴァーツラフ広場の「国民博物館」に到達した。見ると、博物館は改修工事中で閉館しているらしい。その左手側に大きなガラス張りの建物が建設中で、どうやらこの建物と併せた形でリニューアルオープンする予定であるらしいから、完成したころに遊びに来たいものだ。

 さて、そのままヴァーツラフ広場に突入し、聖ヴァーツラフ騎馬像やヤン・パラフ追悼碑に挨拶などしつつ、旧市街を目指して北上した。さすがに早朝なので、いつも賑やかなこの広場も、通行人は疎らだし、お店や施設はほとんど閉まっている。

 ムステークの交差点を抜けて、旧市街へ侵攻。ハヴェル通りの屋外野菜売り場は、大勢の店員さんが集まって開店準備中だ。こういった風景は、9年前と変わらない。グネグネした狭い路地を抜けると、目の前にいきなり旧市街庁舎のカラクリ大時計出現。ああ、ぜんぜん変わっていないなあ。

 そのまま旧市街広場に入ると、ドレスデン同様に「のみの市」の屋台がいくつも並んで、店員さんたちが開店準備中だった。後から思うに、これは中欧圏の「オクトーバー・フェスティバル」の一環であったようだが、それにしては地味な出店だったような気もする。

 広場中央のヤン・フス師匠の銅像に挨拶に行ったら、奇麗にピカピカに磨かれていて、その周囲にガラスの小瓶のお供え物(?)がたくさん並べられていた。なるほど、チェコの人々は、今でもヤン・フス師を深く敬愛しているのだなあ。なんか、感動した。

  Fuss 2011

 そのまま共和国広場方面に歩き、有名な建築「黒い聖母の家」や「火薬塔」を懐かしく見ながら、市民会館(スメタナ・ホール)に来た。面白そうなクラシックのコンサートがあるならチケットを買おうかと思っていたのだが、さすがに朝8時なのでホールは開いてなかった。それでも、入口付近のポスターで、当日のプログラムや時間はチェックできる。ふむふむ、一日の間に3公演くらいあるのだね。そして、開始時間は夜8時前後か。覚えておこう。

 さて、とりあえず、9年ぶりにお城に行ってみるとしようか。

 

(2)カレル橋からプラハ城へ

  方向転換して、カレル橋からプラハ城を目指す。

 旧市街庁舎の前を抜け、有名な居酒屋「3匹の虎」のレリーフを眺め(店に面した道路は補修工事中だったが)、クレメンティヌムの脇を通ってカレル橋に出た。まだ早朝なので、橋はほぼ無人であるから、橋のあちこちからヴルタヴァ川やプラハ城を様々な角度で眺めているうちに。

 落涙した。マジで感動のあまり涙が出て来た。

 この景色を見るのは、これで3度目なのだが、まだ慣れるということがない。俺にとってヴルタヴァ川とプラハ城は、地球上で最も美しい光景なのである。

 空は快晴で、気温もポカポカと暖かく、冬服では暑いくらいだ。「ああ、一生このままカレル橋の上からプラハ城を眺めていたいな」と心から思うのであった。

 praha catle 2011

  それでも、20分くらいで感傷を切り上げて、カレル橋を西に渡り切り、有名な居酒屋「3匹のダチョウ」の看板や、聖ミクラーシュ教会などを懐かしく眺めつつ、お城への坂道を登り始めた。途中で気が変わったので、お城への入口を素通りして坂を登り切り、小地区広場に入った。

 ペスト終息記念碑など眺めつつ、外務省ビルの前に立つヤン・マサリクの小さな銅像の前に大勢の小学生と先生が集まっているのを興味深く観察し(これはおそらく、歴史の課外授業の風景だろう。1948年のマサリク外務大臣のビルからの転落死は、自殺だったのか暗殺だったのか、未だに明確な答えは出ていないはずだが)、ついでに聖ロレッタ教会を外から見学した。

 聖ロレッタ教会近くの屋外レストランは、近所の屋内仕様の店舗に統一併合されたらしく、無くなっていた。俺が、生まれて初めてプラハ歴史地区で食事をした場所が無くなっているのは寂しい限りだが、まあ仕方ない。これも、時の流れという奴だ。

 のんびり歩きつつ西側からプラハ城を目指すと、フラッチャニ広場は団体観光客で埋め尽くされていた。ほとんど中国系の旅行者たちなのだが、早朝からご苦労なことだ。人混みを搔き分けつつ、建国の父・トマーシュ・G・マサリクの銅像に挨拶すると、無表情な衛兵の脇を潜って城内に入った。

 入口付近のお土産屋で、いろいろ物色する。Tシャツも絵葉書も地図も、今さら感があるし要らないやな。でも、受付の若い金髪女性が凄い美人だったので、お近づきになる口実に何か買おうかなと思っていたら、同僚と思われる男性店員が外から入って来て、美女と長話を始めたので諦めた。

 聖ヴィート大聖堂の前は、中国人の団体観光客でいっぱいだ。人混みが大嫌いな俺としては、どうやら今回は大聖堂やお城の内部の見学は諦めた方が良さそうだ。

 そこで、9年前と同様に、大聖堂の脇のトイレで小用を済ませると、旧王宮方面に足早に歩いた。王宮入口の案内を眺めるに、加賀谷くんと訪れた際に増設工事中だった地階は、「お城博物館」としてリニューアルオープンされていた。なるほど、日々発展しているのだね、プラハ城は!

 最初は、大聖堂裏のオープンエアのレストランでビールを飲むつもりだったのだが、朝早いので開いていなかった。しばらく待とうかとも考えたのだが、せっかく団体観光客の先を越して歩いて来たのに、ここで足止めを食らうのは得策ではない。そこで、ビールは別の場所で飲むことにして、ロヴゴヴィッツ宮殿に向かって東進した。

 この建物は確か、歴史博物館になっていたはずだが、なんと、博物館は閉鎖されてコンサートホールになっていた。そういえば、ここは9年前も博物館とコンサートホールのチャンポンになっていたのだが、あの歴史博物館は不人気だったよね。ここの展示物はおそらく、改装工事中の国民博物館の別館辺りに移される予定なのだろう。で、表の看板を見るに、クラシックのミニコンサートは午後2時からなので、どう考えても時間が合わない。お城は、今日はもういいだろう。混んでいるし。

 カフカが住んでいたという錬金術の小道を外から眺め、城の東門から外に出た。考えてみたら、東門を出入りするのは今回が初めてである。入口には、ちゃんと青い制服の衛兵さんが立っているのだが、西門と違って、緩やかな石造りの階段がまっすぐに旧市街方面に向けて続いている。この沿道には、聖人や天使天女の石像が並んでいて、すごく雰囲気が良い。さすがはプラハ。どこにも外れがないね。隙がないね。

 緩やかな坂を下りつつ旧市街方面を望見すると、ヴルタヴァ川と旧市街を挟んだ真正面にヴィトコフの丘が屹立し、例のヤン・ジシュカ将軍像が、こちらをガッシリと睨んでいた。なるほど、こういうことか。ジシュカ将軍は、今でもプラハの守護神なのだね。あの騎馬像は、将軍の視線が常にプラハ城の正面に当たるように設計されていたのだね。こういう、ちょっとした「気付き」は、本当に楽しい。

 ちなみに、プラハ城のてっぺんに翻る旗には、「真実は勝つ(プラヴダ・ヴィンティット)」と書かれている。これは、ヤン・フス師が火刑台の上で最期に放ったとされる言葉である。

 すなわち、チェコは未だに、ヤン・フスとヤン・ジシュカを心の支えとして存立している国なのである。「ボヘミア物語」の著者としては、それだけで嬉しくなってしまう。

 それにしても、プラハは何と美しい街なのだろうか。眼下に広がる赤屋根と教会の尖塔の列は、本当に感動的である。多くの尖塔は、先端の金箔を貼り直したらしく、陽光に照らされてキラキラと瞬いている。それが、少しも下品じゃないのだ。ただただ、美しいのだ。やはり、来て良かった。

 緩い階段を降り切ると、マラー・ストラナ地区の自動車道に出た。道沿いに南下して、ヴァルドシュタイン宮殿などを懐かしく眺めつつ、カンパ島に入った。この辺りをウロウロしている大勢の白人系の若者たちは、おそらくカフェを探す近隣諸国の観光客なのだろう。

 さて、カレル橋近くの「3匹のダチョウ」でビールを飲もうと思っていたのだが、ここには俺の知らない銘柄のビールしか置いていないようだった。それに、この辺りは団体観光客の定番散歩ルートなので、なんだか周囲がせわしない。そこで、ここでのビールも諦めて、次に旧市街の「スメタナ博物館」に行くことにした。

 それにしても、プラハはやっぱり最高だね。普通に散歩しているだけで、心がワクワクするもんな。ドイツなんかに寄らないで、最初からチェコに来れば良かった。

 

(3)スメタナ博物館とピルスナー・ウルケル

  カレル橋を東に渡って旧市街に向かう。

 橋の上は、早朝とうって代わって大道芸人や絵描きでいっぱいだ。観光客も多い。まあ、ここはプラハ観光の中心だからね。

 旧市街に帰って、川沿いを少し南下すると「スメタナ博物館」があるはずだ。9年前は、大洪水の影響で行けなかったので、3度目の正直といったところである。ところが、入口周辺にはビアガーデンが出来ていて、博物館の案内らしきものが無い。まさか、無くなったのか?心配しつつビアガーデンが置かれた路地に入って川岸に出ると、ちゃんとスメタナの銅像と博物館は健在だった。

 かつてスメタナが滞在していたという宮殿の、1階と2階が博物館になっている。1階は小さな入り口と書籍やCDなどの土産屋、その脇の石造りの階段を昇った2階が展示室だ。ここは、古い宮殿の建物の一角を無理やり博物館に改造した臭いがプンプンしている。ベルリンの時に書いたけど、こういう「無理やり」な博物館こそが俺の好みである。

 2階の展示場の入口で入館料を払うと、すぐ近くから広がる展示室には、スメタナが実際に使ったピアノや、直筆の楽譜が所狭しと並んでいた。木製の寄木細工のような床は、歩いていて心地よい。館内のBGMは、もちろん全てスメタナの作品だ。

 「我が祖国」の作曲者本人の制作メモなど、実に興味深い。チェコ語ないしドイツ語なので、俺の能力では原文では読めないわけだが(苦笑)。また、貴重な楽譜や楽器については、俺は素人なので、その良さがよく分からなかった。友人にチェコマニアのピアニストがいるので、ここはそういう人こそが訪れるべき場所だと思った。

 展示場はわずか1フロアなので、30分くらいで見終わってしまった。それでも、感じの良い博物館だったので、大満足である。

 戸外に出ると、ヴルタヴァ川のせせらぎの音が耳に心地よい。そこで、博物館に面したビアガーデンでビールを飲むことにした。銘柄は、ピルスナー・ウルケルだ。

 このビアガーデンは、川に面したテラス全域を用いた贅沢な店だ。もちろん、観光客で激混みだったので(ほとんど中国人の団体観光客だったが)、スメタナ像の隣の丸テーブルを確保できたのは幸運だった。ここからは、プラハ城やマラー・ストラナ地区の全容がくっきりと見える。空は穏やかな晴天だし陽気は暖かいしで、もう最高だ。観光用の気球がマラー・ストラナの青空に浮かんでいるのも楽しい。ついつい、感動に浸ってビールを2杯飲んだのであった。

 smetana statue 2011

 人生の目的は「幸せになること」だと仮定しよう。だったら、その目的はこの瞬間に達成されたことになる。なぜなら、今の俺は最高に幸福なのだから。

 「小さな隕石でも落ちて来て、俺の頭頂を直撃しないかなあ」と真剣に夢想した。今この瞬間こそが人生の絶頂なのだから、今ここで死ぬことこそが俺の幸福に違いない。これ以上生きていたって、今以上の幸福を得ることは金輪際有り得ないだろう。周囲のチェコ人に死体の始末を頼むのは心苦しいけれど、今ここでこの瞬間に「死んでしまいたい」とマジで思った。

 ところが結局、隕石は落ちて来なかったし、暴漢に刺されることも無かった。つまり俺は、不運で不幸な人間だということである。美青年のウェイターくんにお勘定を頼むと、ビアガーデンを出て「国民劇場」方面に南下した。

 

(4)お土産屋巡りと巨大ハム

  プラハの街は、あらゆる街路に風格や地霊があるので、退屈することも飽きることも無い。ヴルタヴァ川の美しすぎるせせらぎを耳にしつつ、懐かしい「国民劇場」のところで左折した。デパートの「テスコ」で、お土産でも買おうかと考えたのだ。ところが、それらしい建物が見当たらない。「おかしいな、この場所だったはずだが」と首をかしげつつ、近代的な純白のビルの前に立つと、壁面に「TESCO」とある。ひえー、全面改築したんだね。

 9年前は、いかにも昔の社会主義な感じの、垢抜けない黒い低い建物だったのだが、あれはあれで味わいがあって好きだったけどな。

 ただし、入ってみると、売っているものは以前とあまり変わらない。食品売場があったり家庭用品があったり。加賀谷くんと、9年前にここでチェコのファストフードを食べたのが懐かしいな。

 テスコでは目ぼしいお土産は見つからず、トイレもなぜか閉まっていたので(清掃中だったのか?)、急に増した尿意を解決するべくムステーク駅に移動して、そこの有料トイレで人心地を付けた。さすがに、チェコビールの利尿効果は抜群である。

 ムステーク駅に来るのは12年ぶりだが(9年前の時は、洪水の影響で地下鉄A線とB線は使えなかったので、ここには来なかった)、地下道のガラスの壁越しに、昔の城壁の跡を鑑賞できるようになっていた。この辺りを掘っていたら、出土しちまったということだろうか?ムステークには、中世のころ、旧市街と新市街を隔てる壁と堀があったはずだから、おそらくそれが出たということだろう。

 さて、ムステークから地表に出て、再び旧市街広場方面に向かった。女友達にガラス細工の土産をねだられていたので、とりあえずお土産屋巡りだ。何件か回ったけれど、今一つピンと来るものがない。

 悩みつつ旧市街広場に面した土産屋に入ると、店員と思われる短髪の兄ちゃんが有線のロック音楽を聴きながら踊っていた。俺と同じ臭いがする。変態の臭いが(笑)。そこで、この店で土産を選ぶことにした。思案の末、ボヘミアガラスのダイヤの模造品を選んでから兄ちゃんを呼ぶと、踊りながら近づいて来た。やっぱり変態だ!

 この兄ちゃんと来たら「お客さん、品物を選ぶセンスがいいねえ!入れ物のセンスがね!」などと英語で皮肉を言って来る。お前、売る気あるのかい?(苦笑)。

 この兄ちゃんと、お勘定にいたオジサンは、セルビアから来た親子であるらしい。俺が日本人だと知ると、やたらと「名古屋グランパス」の話題を振って来た。なるほど、あそこにはセルビア人のストイコビッチ監督がいるわい。俺はサッカーにはそれほど興味ないし、ましてや名古屋グランパスなんぞ、どうでも良いのだが(笑)。

 それにしても、セルビア人の一家がプラハで商売をやっているとは、1990年代の内戦の時に亡命して来た人々だろうか?いずれにせよ、チェコで出会った店員さんは、みんな愛想がよくて話好きで楽しい人ばかりでナイスである。

 首尾よくお土産もゲットしたので、次なる目標はお昼の腹ごしらえだ。

 レストランを物色して回るのも面倒くさいなあ、と思いつつ旧市街広場を覗くと、おりしもお祭りの屋台が大盛況である。豚の半身をコンガリ焼いてハムにする店があったので、行列に並んで、焼き立て巨大ハムとパンをゲットした(値段はちょっと高めで、日本円で1,000円くらいだったが)。ヤン・フス像が正面に見える広場のベンチが空いていたので、そこに腰かけてジューシーな巨大ハムを堪能した。なにしろ焼き立てだから、すげえ美味い。パンもやっぱり美味いし、最高の昼食だねえ。

 ham 2011

  満腹したので、旧市街広場をしばらく散策した。

 「蝋人形館」が、広場に面した建物の中にあったけど、これって12年前はムステーク交差点にあったよな。行ったことあるもの。また、その近くに蝋人形館の別館として「拷問博物館」というのが新設されてあった。どうやら、蝋人形で中世の拷問の様子を再現している博物館らしい。なんで観光名所のど真ん中に、そういうのを造るかなあ?発想が面白いなあ。これぞチェコ・クオリティだ。

 入って見ようかと思案したが、他に優先順序があるので、今回はパスした。

 そして、市民会館に向かった。コンサートのチケットをゲットするためである。

 

 (5)火薬塔から軍事博物館へ

  「火薬塔」の前を通りかかったら、狭い入口が解放されていて、中に入れるようになっていた。「ここの最上階からの眺めは、きっと最高だろう」と思って、石造りの狭い階段を昇ったところ、3階にチケット売り場があって、結構な料金を請求された。なんだ、無料じゃないのかよ。しかも、3階まで歩かせてから料金を取り立てるシステムは、「ここまで登って来た以上、もはや後戻りは出来ない」と客に思わせる仕様のようで、そのやり方に腹が立った。そこで、あえて金を払わず下に降りた。

 そのまま共和国広場に移動して、市民会館に入った。

 今夜ここで開催されるコンサートは3種類あるようだが(つまり、コンサートホールが3つある)、チケット売り場のブースがそれぞれ全部違うのでややこしい。「やっぱり、チェコの作曲家の曲が多い方を選ぶべきだろう」と考えて、それらしいチケット売り場に近づいたところ、ブースの奥から赤ん坊の激しい泣き声がするぞ。なんで?

 これは、「チケット売り場の人が、職場に赤ちゃんを連れて来ちゃった」という図なのだろうか?日本やドイツでは、ほとんど考えられないことなので、これもやはりチェコ・クオリティであろうか?なんとなく、ヤン・シュヴェンクマイエル監督の傑作怪奇映画「オテサーネク」を思い出してしまった。

 係員さんたちが、赤ちゃんへの対応に追われてオロオロしているので、このブースでの買い物は諦めて、反対側の翼のブースに行った。ここは、ベートーヴェンとモーツアルトの弦楽縛りの公演チケットを商っているのだったが、まあ、これでも良いだろう。カード払いして、愛想の悪い強面のオジサンからA席のチケットを受け取った(1,000コルナだから、約4,000円)。

 市民会館の外に出て周囲を観察すると、共和国広場にはいくつもの旗が立っていて「プラハ・ウォーキング・ツアー」と英語で書かれてある。そして、ガイドさんや旅行者らしい人たちが、旗の周りに集まりつつある。どうやら最近のプラハでは、観光ガイドが徒歩でお客を連れ回すツアーが人気らしい。確かにプラハは、乗り物なんかに頼るより、自分の足で歩いた方が楽しい街であることは間違いない。「参加してみようか?」とも一瞬思ったが、下手なガイドよりオイラの方がこの街に詳しいだろうから、止めておいた。

 さて、ヴィトコフ丘の麓にある「軍事博物館」に以前から興味を惹かれていたので、行ってみることにした。ここ共和国広場からヴィトコフ丘までは、東に向かって歩いた方が早いのである。

 途中でマサリク駅を見かけたので入ってみたのだが、この駅は9年前とほとんど変化が無かった。ここは国内向けローカル線の発着駅だから、リニューアルする誘因に乏しいのだろう。これはこれで、かえって懐かしい気分になって嬉しくなる。

 駅舎を出たら、前方に聳え立つ緑の丘を目指して歩くわけだが、だんだん足が痛くなって来た。おまけに、妙に疲労感が溜まって気だるい。お昼の脂まみれのハムも良くなかったのだろうか?

 それにしても、今日は早朝から公共交通機関乗り放題券を買ったのに、まったく使っていないよな。バカみたいだね。でも、プラハの街を本当に楽しむためには、無理をしてでも歩いた方が良いのである。

 さて、重厚なコンクリート造りの「軍事博物館」に辿り着いた。建物の正面に、ソ連製T34戦車が置いてあるのが目印だ。この博物館の前の小道を登って行くと、ジシュカ将軍像に行き着くはずだが、まあ9年前にも行ったので、今回はパスだ。

 さて、軍事博物館である。チケット売り場らしきものが無いので、入ってすぐに係員に聞いたところ、全館無料だそうである。ラッキー!

 この2階建ての建物は、元々は共産主義時代の役所だったのだろうか?「無理やり博物館に改造しました感」があって、やっぱり俺好みである。

 肝心の展示は、建物の1階が第一次大戦コーナーと戦間期コーナー、そして2階が第二次大戦コーナーになっていた。なんだ、20世紀の戦争しか扱っていないのか。「フス派戦争」キボーんぬ!「30年戦争」キボーんぬ(泣)!でも、無料なんだから文句は言えないね。

 展示物は、軍服や兵器や蝋人形のジオラマなど、非常に充実していて良かった。また、チェコ人と思われる団体の若者客も多くて、意外に人気のある博物館なのだった。日本のガイドブックには、まったく載っていないけどな(泣)。

 第二次大戦コーナーの最後の方は、チェコ国内での「反ナチス・パルチザン闘争」の展示がメインだった。ナチスによって殺されたゲリラ闘士たちの惨死体の写真が、たくさん壁に貼ってある。顔 面が半分吹き飛ばされた死体や、土中から発掘されて半ば腐った死体とか、これがモノクロ写真でなければ、さすがの俺様でも吐いたかもしれないような凄まじいグロ写真が多い。だけど、「戦争の真実」をしっかりと伝える上では、非常に良いことだと思った。

 また、展示の終わりの方には、ヘッツァー戦車が置いてあった。ただし、車体の前半分しかなかったので、レプリカかもしれないが。それでも、わーい、ヘッツァー萌えー!

 hetcher 2011

  いちおう説明すると、ヘッツァーは大戦末期のドイツ軍の駆逐戦車である。チェコ製38t戦車の車体の上部を改造して大口径砲を据え付けることで、火力を高めた兵器である。38t戦車は、その名の通り1938年に開発された旧式の小型戦車なのだが、車体の性能が非常に良いために、なんと1945年の終戦に至るまで、様々な改造を施されて戦場で活躍し続けた、ある意味で大戦中での最高傑作戦車なのである。チェコの技術力、恐るべしである。

 ナチスのヒトラーが、1938年に執拗にチェコを占領したがった本当の理由は、「チェコの兵器技術力が目当てだった」という説もあるほどだ。

 ヘッツァーの本物(?)を見られて感動したので、なんとなく「終戦直前のヘッツァーを主人公にして、短編小説を書きたいなあ」などと夢想する。

 さて、満足したので博物館を出た。小道を降りるとすぐフス通りなので、とりあえず土産品などを置きにホテルに帰ることにした。

  

(6)ヴィシェフラトからアンジェルへ

  ホテルに戻って荷物を整理した。なんか、眠いし疲労困憊である。足も痛い。このままベッドに横になったら爆睡間違いなしである。そこで、部屋の中に立ったままで、次の旅程の検討に入った。

 今回のプラハ観光は、前2回の旅行でチェックできなかった名所訪問が主目的である。とりあえず、スメタナ博物館と軍事博物館はクリアしたので、次はどこを目指そうか。ガイドブックを眺めているうちに、ヴィシェフラト近郊のユニークなキュービズム建築群を未見であることを思い出した。そこで、ヴィシェフラトを目指すことにした。

 軽くなったカバンを抱えて、再びフス通りを西進する。今回は、地下鉄のフローレンツ駅を探し当て、そこから地下鉄C線を使う予定だ。その前に、周囲を散策してフローレンツ・バスターミナルの様子を見学した。ここは、9年前に加賀谷くんと使う予定だったのに、洪水によって壊滅していたので断念したターミナルであった。今では、すっかり修復が終わって大勢の旅行者が行き来しているのだった。

 frolenc 2011

  地下鉄Cに乗って、懐かしいヴィシェフラト駅まで移動した。ここに来るのは3度目であるが、駅前の雰囲気はまったく変わっていない。まずは、城内を散歩しようか。

 9年前と違うのは、城内にやたらと観光客が多い点であった。どうやら、例の「プラハ・ウォーキング・ツアー」がここを周っているらしい。確かに、この城はプラハを語る上で欠かせない名所だからね(プラハ発祥の地だし)。その割には、9年前はガラ空きだったのだが。まあ、賑やかになるのは良いことだ。

 チェコの偉人が眠るスラヴィーン墓地の中も、観光客で混んでいた。ここは、いちおうお墓なんだから、あんまり観光客で混むのもどうかと思うけど、俺も同じ穴のムジナなので人の事は言えない。チェコマニアのピアニストの友人のために、フィビヒ(作曲家)の墓の写真を撮ると、ヴルタヴァ川を見下ろせる西側の城壁へと移動した。ああ、相変わらず良い眺めだなあ。3度目でも、まだまだ十分に感動できるわい。

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 景色を堪能すると、前回と同様に石の階段を使って河岸道路まで降りた。そして、この周囲のキュービズム建築群をいくつか見つけて回った。いやあ、楽しいなあ。プラハは最高の街だなあ。

 cubizm

  河岸道路を北上し、プラハ城とヴルタヴァ川を鑑賞しながら歩くと、本当に気持ちが良い。パラツキー橋に出たところ、何か違和感が。ありゃ、パラツキー先生(歴史家兼政治家)の銅像が取り壊されているぞ。別の人の銅像に挿げ替えるのだろうか?だとすると、ここの正面にある橋の名前も、いずれ変わるのかな?

 懐かしい気分になったので、パラツキー橋を西に渡ってアンジェル地区を目指した。9年前に加賀谷くんと一緒に通った巨大スーパーマーケット「ノヴェ・スミーホフ」の様子を見に行きたくなったのだ。

 おお、全然変わっていない。居心地の良い複合商業施設は、昔のままだ。ここは、すごく雰囲気が良い施設なのである。そのためだろうが9年前と同様に、大勢の現地の買い物客で賑わっていた。

 ここの館内のTESCOのお惣菜は凄く美味かったから、今日の夕食はここで調達しようかな。しばらく館内を散策し、TESCO2階の雑貨コーナーで音楽CD(ルティエ・ビーラーという女性ポップス歌手の最新アルバム。帰国して聴いたら、すごく良かった)やプラハ市の最新地図などをカードで買い、1階の食品売り場でサンドイッチやヨーグルトやジュースなどをキャッシュで買い込んだ。店員さんは、すごく愛想が良い。

 トイレに行ったついでに、ここの2階の別翼を散策したら、いろいろと面白い施設が増えていた。まずは「RUNNING  SUSHI」という店があるので覗いてみたら、なんと「回転すし」だった。ちゃんと日本人らしい職人さんが握る本格的なお寿司が、ベルトコンベアーの上を周っているのである。しかも2段で!

 running sushi

  海外で回転すしを見たのは、これが初めてだ。さすがはプラハ、和食好きで知られた街だけのことはあるな。

 その近くには、ボーリング場が出来ていた。映画館(シネコン)は相変わらず盛況だし、本屋さんも奇麗だな。なるほど、「ノヴェ・スミーホフ」の館内にいれば、一日中楽しめそうだ。

 その後、2階のパブに上がり込んで、プラハの地ビール・スタロプラウメンを飲んでくつろいだ。これで、飲みたかった3大銘柄(ブドバー、ピルスナー・ウルケル、そしてスタロプラウメン)をコンプリート出来たのだから、余は満足じゃ。

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  すっかり楽しくなったので、近くのアンジェル駅から地下鉄B線でフローレンツ駅に出て、後は歩いてホテルに帰って来た。なお、プラハの地下鉄はA、B、Cの3路線しかなく、それぞれの駅の表示などが緑、赤、黄に奇麗に色分けされているので使いやすい。こういったところは、9年前から変化がないのが嬉しいところだ。

 

 

 (7)市民会館のコンサート

  もう夕方6時だけど、市民会館のコンサート(20:30開演)まで半端に時間がある。

 ホテルの部屋で、先ほど買い込んだサンドイッチなど食しつつ(やはり美味いな)、読書で時間を潰す。7時になったので、再び歩いて市民会館を目指した。

 チェコは、夜でも治安が良いので本当にナイスである。フローレンツ地区の沿道のビアホールから、時おり酔客の笑い声が聞こえて来るのもナイスである。

 開演の1時間前に着いてしまった。チケットが余っているのか、市民会館の前では係員さんが総出でビラ配りをしていた。俺にチケットを売ってくれた強面のオジサンもいて、俺と眼が合うと、顔を覚えていたらしく「ハロー!」と笑顔で挨拶してくれた。強面だけど、実は愛想の良いオジサンだったのだね。

 市民会館の中をしばらく散歩して、この歴史的施設の地霊を十分に堪能した。

 それでも時間が余っているので、共和国広場に新設されたらしき複合商業施設「パラディウム」に遊びに行った。入口付近に仕立てられた演台では、ロックバンドの演奏や芸能人のトークショーなどやっていたのだが、どうやら「パラディウム開店○周年イベント」とか、そんな感じである。さて、館内のBGMはテイラー・スィフトちゃんの名曲「Mine」であるから、テイラーファンのオイラとしては嬉しくなってしまう。ここは、まあ複合商業施設だから、アンジェルの「ノヴェ・スミーホフ」みたいな代物なのだが、「パラディウム」の方が若者向けでブランド志向が強いように思われた。まあ、差別化しないとね。俺は、どちらかというと庶民的な「ノヴェ・スミーホフ」の方が好きだな。

 十分に楽しんだので、市民会館に戻って地下の会場の前で待機した。地下には2部屋あって、左側はビアホール兼レストラン、右側が目当ての「アールヌーボー・ホール」だ。もっとも、館内にちゃんとした案内表示が出ていないので、最初はホールの場所が分からず困ったのだが、係員に聞くと「地下だよ」とか言うばかり。

 この係員は、同僚に「なんで、どいつもこいつも、俺に同じこと聞いてくるんだ!」とか愚痴っていたけど、お客さんみんなに同じことを聞かれるということは、施設の案内の在り方に問題があるということだぞ。ドイツでは、おそらくそういうことは起こり得ないので、ここがチェコ・クオリティのダメなところである。

 さて、地下のレストランの方には、酔っ払った中国人観光客が大勢いて、なんだかウルさい。中国人の団体観光客って、基本的にだらしないしウルさいんだよね。もっとも、1980年代の日本人の団体観光客も、ヨーロッパ人から見ればこんな感じだったかもしれない。

 なお、この旅行中、日本人の観光客の姿もそれなりに見かけたのだが、みんな夫婦とか親子とか、小規模の自由個人旅行で来ているパターンが多いようだった。これは、ライフスタイルの変化ということだろうか?中国人も、30年後にはそうなるのかな?

 さて、8時10分になったので入場開始。お客さんの入りは半分くらいだったけど、弦楽カルテットのコンサートは、ベートーヴェンとモーツアルト縛りが2時間で、本当に良かった。やはり、チェコの弦楽器の音色は世界最高だね。被り付きで聴くと、心から痛感できる。これで4,000円なら安いものだ。

 もっとも俺は、本当はこの上階の「スメタナ・ホール」で音楽を聴きたかったのだが、こっちのコンサートのチケットは、どうやら例の「赤ん坊泣きまくり」ブースで売っていたものらしい。図らずも、赤ん坊に妨害された形だが、まあ、「スメタナ・ホール」は次回のお楽しみといったところだね。

 11時くらいに外に出ると、ビアホール以外のお店はどこも開いていなかった。真っ暗な道をホテル方面に歩きつづけると、フス通りのカジノやエロビデオ屋の存在が気になった。あの辺りって実は、「夜になると無法な危険地帯に早変わり」とか無いかなあ?だけど、実際にはまったく大丈夫で、何のトラブルもなくホテルに帰って来た。さすが、チェコ!

 さすがに疲労困憊だったので、風呂に入ってすぐに寝た。明日は、5時起きしなければならない。

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