翌朝、目が覚めたら、体調はすっかり回復していた。
あの風邪薬がムチャクチャに効いたのだ。
さすがは中国の薬だ。漢方薬の本場だけのことはある。ってことは、俺の風邪は「鳥インフルエンザ」ではなくて、単なる「風邪」だったわけだ。ああ、良かった。心配して大損だ。だったら、もっと無理して遊べば良かったなあ。
今日は、10時のシャトルバスに乗って空港に行き、それから帰るだけの日だ。俺と御子ちゃんは、遅い朝飯をゆっくりと味わい楽しんだ。その後、集合時間まで外を散歩しようかとも考えたのだが、病み上がりだったので止めておいた。
そういうわけで、この日はあまり面白いエピソードはない。
時間通りにバスに乗り、空港で土産を物色し、それから普通に飛行機に乗って、3時間かけて東京に帰ってきた。
帰ってからが面倒なのだが、会社のカネで行った以上、それなりに結果報告をしなければならない。俺は社内報に「旅行記」を書いた。これは、「遊び」の部分を意図的に削ったもので、あたかも真面目に勉強してきたような内容だった。自分で言うのもなんだが、俺は会計士のくせに、粉飾の才能に優れているのである。
その甲斐あって、翌年分の歴史部の予算も例年通りに出たのであった。
「また、海外に行こうね」と中村先生は言った。
我々に異存があるはずがない。
こうして、同じメンバー&同じ時期の北京旅行が実現することになる。
やがて歴史部は、部外者から「旅行部」と渾名されることになるのだが、その話はまた後日。