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9月11日土曜  自然史博物館、バーデンへの車窓の旅

7時に起きた。ホテルの飯は、相変わらずマズい。サービスも悪い。

今日は、博物館巡りをする予定なので、開館時間に合わせて少し遅めに宿を出た。財布を見たら、またもやすっからかんなので、ホテルのロビーで1万円を両替してもらった。ううむ、1日に1万円づつ使っているわけか。単純に考えて、チェコの5倍の物価高というわけだ。レシプロ機で40分の距離なのに、なんでこんなに違うのだ。長期滞在するなら、旧社会主義圏の方が良い。

気を取り直して地下鉄でリンクに出て、美術館と自然史博物館が向かいあうマリア・テレジア広場に出た。開館まで30分もあるので、大きなマリアおばちゃんの銅像前で日向ぼっこする。この期に及んで、美術館と博物館、どっちを先にするか決めかねた。まあ、たまには恐竜の骨(正確には化石)を見るのも悪くないかな、と思って自然博物館に入る。またもや、今日のお客第一号の栄誉は俺のものだった。

ウイーンの自然史博物館は、鉱物が非常に充実しているらしい。確かに、物凄い数の鉱物が陳列されている。寄贈元を見ると、意外と日本からのものも多く、中には住友金属鉱山から贈られたものもある。俺の友人が、監査の仕事で住友金属鉱山にお邪魔しているから、国に帰ったらこの辺りの事情を聞けるかも知れないな、などと思う。それにしても、宝石の原石は醜悪だ。石のくせに、綺麗な色が付いているから気持ち悪い。世間の女どもは、なんでこんなものを欲しがるのだろうな。ビー球の方がよっぽど気が利いているわい。なーんてことを考えるから、俺はモテないのだろうな。

ここは、自然史博物館のくせに恐竜の骨が少ないので、ちょっとがっかりだ。・・・恐竜を見にきたゲルマン族の幼女が目当てではなかったことを強調しておこう。その代わり、動物の剥製は物凄い数だ。上階の2フロアは、剥製に埋め尽くされていた。

その中に、(多分)本物のシーラカンスのホルマリン漬けがあった。焼いて食ったら旨いかなあ、などと恐ろしいことを考える。そろそろ肉料理に飽きてきたので、シーラカンスでも食欲の対象になるというわけ。

思ったよりも大した博物館じゃなかったな、ロンドンの自然史博物館の方が、恐竜が多くて幼女も多くて(おっと!)良かったなあ、と思いながら外に出る。なんだかんだで、もう12時近い。腹ごしらえをしてから、午後は美術館に行く予定であった。

リンクをブラブラと大学の方向に歩く。目に付いたのはマクドナルドだ。面倒くさいから、ここで食おうか、と思って店内に入る。フィッシュバーガーがない・・・。諦めてチーズバーガーのセットにして、2階席からウイーン大学を眺めながらパク付いた。大学の正門には、「2000年万歳」といった幟が棚引いていた。この国では、2000年問題は大丈夫なのかな、などと考える。ゲルマン族は優秀だから、その辺りは卒なくやっているんだろうな。

ここで、いきなり閃いた。午後は、美術館は止めにしてバーデンに行くのだ!

バーデンは、ウイーン南郊に位置する温泉保養町だ。オーストリアの温泉を試すのも悪くないぞ。

バーデンは、カールスプラッツから私鉄(バーデン線)で1本だ。ウイーンカルテが使えるかどうかは定かでないが、行ってみるだけの価値はある。

バーデン線は、4両編成の青い電車だった。一見するとトラムのようだが、市街を出るときに地下鉄になり、郊外では枕木の上を走る普通の電車になる。そして、バーデン市街に入るときは、再びトラムに変身するという楽しい電車なのだ。鉄道マニアには、ぜひお勧めしたい。乗ってみる価値は十分にあるよ。

この電車は、動き方もアクロバティックだ。トラム状態のときは、90度の角度で街路をカクカク曲がりながら走るが、地下に潜ると普通の地下鉄と同じになる。

車内は、案外と混んでいる。地下では、学生さんが大勢乗り降りする。今日は土曜だが、学校は休みじゃないのかな?オーストリアの女学生の学生服も、なかなか清楚な感じでいいなあなどと、ヒヒ親父モードになる俺であった。郊外の電車状態のときに、最も大勢が乗り降りしたのは、巨大スーパーマーケットのある駅だった。これだけ大きい店なら、ゾンビの大群が襲ってきても大丈夫だな(映画「ゾンビ」参照のこと)、などと訳のわからぬことで納得して頷く俺であった。

約1時間半で、バーデン駅に到着。ここは、想像以上にこじんまりした小さな街だ。ウイーンと違って、近代的なビルが中途半端に建っていないので、古き良きヨーロッパの風格を色濃く残している。駅前広場には若者が大勢いて、ソフトクリームを舐めたり、路上でチューしたりしていて楽しそうだ。なんとなく、プラハやターボルを思い出す。ただ、街自体の見所はあまり多くない。ベートーベンの家はあるけれど、彼の家はどこにだってあるので、有り難味が全然涌かないのだ。

この時点で、俺の体内の活力は急速に衰えを見せていた。何故かというと、昼に食った油の固まりのようなハンバーガーとポテトが、俺の臓腑に猛攻撃を仕掛けていたのだ。バーデン線の中でも気持ち悪かったけど、到着したらもっと具合が悪くなった。それにしても、ハンバーガーで食中りとは洒落にもならんわ。というわけで、奥まった公園のベンチで休息モードに突入する。ここは、深緑が豊かで、大きな噴水のある綺麗な公園だったので、俺のハラワタもようやく正常な動きを見せ始めた。

そこで、行動開始。ベートーベンが、「第九」を作ったという散歩道を歩くことにした。俺は、「田園」よりも「第九」の方が好きな人なので、「田園」の道を歩いておきながら「第九」の道を行かぬわけには参らぬのだ。・・・しかし、何も無い道だ。単なる田舎町の裏通り。ちっとも面白くないぞ。途中で冷やかしに入った雑貨屋も、ひどくみすぼらしい。タ-ボルの方が、遥かに栄えているぜ。それでも、頭の中で「第九」を鳴らしながら元気に歩くと、ちょうど第三楽章の終わりの辺で大通りに戻ってきてしまった。これから第四楽章の山場なのになあ。しつこく第四楽章を脳内演奏しながら、駅前広場に帰り着く。俺は、学生時代に混声合唱部で「第九」を歌ったことがあるので、歌詞は全部覚えているのだ。それなのに、ドイツ語が通じないのはどうしてじゃあ。納得いかねえ。まあ、英語が通じることのほうが不思議なんだけどね。前の会社で、5年間英会話講習を受けてきた甲斐があったということか。・・・TOEICは400点なんだけどね。・・・我ながら、駄っせえ。まあ、不自由しないから問題ないけど。

さて、これから野外温泉大プールで遊ぼうと考えていたのだが、体調がやっぱり思わしくない。どうしようかな、水着も持ってないし。

ヨーロッパでは、温泉は娯楽ではなく医療の一種として認知されている。だから飲用温泉が一般的だし、入浴式のものでも、医者に処方箋を与えられた病人や老人が屯しているのが普通なのだ。ということは、無理して行ったところでジジババに囲まれるのがオチではないか。

俺の脳裏に、5年前の悪夢が蘇った。あれは、友人とヴェネチアのリド島で泳いだときのこと。偶然に(?)イタリア美女の着替えを目撃し、観音様まで拝ませてもらったのだ。ああ、ありがたや!もったいなや!そこで俺の存在に気付いた美女が、般若のような怖い目で睨んだので、一目散に逃げ出したのだった。・・・違う。そんなことが言いたかったのではない。この海岸にはトップレスが大勢いたのだが、その大多数が幼女と老婆であった。幼女の胸なんか見ても意味ないし(これで、俺が変態でないことが証明されたな!)、老婆の胸は、老婆の垂れ下がった・・がああああああ。干し葡萄・・がああああああ。

いかん、吐き気が増してきた。こんな状態で温泉プールに行ったら、老婆の垂れた梅干に、胃の中の溶けたハンバーガーをぶちまけて、日墺戦争の原因を作ってしまうかもしれぬ。というわけで、温泉は残念だがパス。・・・なんのために温泉街に来たのやら。

ところで、日墺戦争って有りうるのだろうか。昔、第一次大戦で敵同士になったけど、直接刃を交えたことはないはずだよな。日本からこっちにミサイルを発射しても、今の日本の技術じゃ命中しそうもないしな。間違えてプラハに当たったら目も当てられぬ。俺の第二の故郷が壊されるのみならず、ユネスコにめちゃんこ叱られるぞ(その程度の問題で済むのか?)。

ここで、チェコのアネクトード(小噺)を思い出した。

問「チェコスロバキアが、ソ連を倒す方法はあるか?」

答「ある。まずは中国に宣戦布告する。次に、中国軍がチェコ国境に到達したら降参する」

意味分かるかな?中国の大軍がロシアの大地を通過する過程で、ソ連が食い荒らされて潰れるだろうという事。こういうギャグのセンスは、俺は大好きだな。

などと変なことを想像しながら、再びバーデン線に乗る。まだ3時だが、体調のこともあるのでウイーンに戻ることにしたのだ。席に座ってウトウトしていたら、いきなり車掌に起こされた。まだウイーンではないけど、周りを見ると乗客は誰もいないから、どうやら途中止まりの電車に乗ってしまったらしい。車掌さんが、片言の日本語で恥ずかしげに挨拶してくれたのが印象的だった。やっぱり、バーデン線にも日本人観光客が多いのかな。今回は、周囲に一人も見かけなかったけどな。ちなみに車掌に聞いたところ、バーデン線もウイーンカルテで乗り放題らしい。国鉄も私鉄も、関係無く乗れるとは、なかなか開けているなあ、と感心する。

電車を一つ乗り換えて、4時半にカールスプラッツに着いた。どういうわけか、体調はすっかり回復していたので、早めにバーデンを去ったのが悔やまれた。そこでカールスプラッツの有名な駅舎を見学し、その周囲の公園や教会を見て回った。しかし、この街は本当に東京に似ている。どこに行っても、自動車の騒音と排気ガスが付きまとうのだ。せっかく美しい公園や教会も、これでは興ざめである。

すっかり戦意を無くしたので、まだ5時だけれどホテルに帰ることにした。途中の雑貨屋で飲み物やお菓子を買い込んで、しょっぱい夕飯に備えようという戦略もあったのだ。ボクって、めっきり戦略家!

地下鉄には飽きたので、マリアヒルファー通りを西に歩いた。ここは若者の新名所というだけに、服屋やCDショップなど、若向けの店が多い。それでも、そのセンスは渋谷や原宿には遠く及ばないし、プラハのヴァーツラフ広場と大して変わらない。だけど、値段は馬鹿みたいに高いのだから嫌になる。

ウインドウショッピングも早々に切り上げて、ちょっと裏通りに入ってみたら、びっくり。小さな児童公園の脇に聳え立つ無骨なコンクリートは、アウガルテンで見たあいつではないか。これで、4基のうちの2基までクリアしたわけだ。次に来るときは、残りの2基も見つけてやろうと心に決める。

ホテルの近くの雑貨屋で、スポーツドリンクとヨーグルトを買い込んで部屋に入る。考えてみたら、この部屋には冷蔵庫がないではないか。やむを得ず、ジュース1本とヨーグルトはその場で空にする。さっぱりして美味しいや。ようやく、ハンバーガーとポテトの悪夢から解放された気分になれた。

それから、ベッドでゴロゴロしながら本を読んだり、「地球の歩き方」を眺めて腹が空くのを待った。そのとき、つけっぱなしにしていたテレビのMTVから聞き覚えのある声が。思わず目をやると、そこに映っていたのはデヴィッド・ボウイではないか。俺は、ボウイの大ファンなのだ。新しいアルバムを出すとは聞いていたが、ウイーンで先行シングルが聞けるとは思わなかった。曲は、「Thursday Child」。いい曲だなあ。52歳なのにまだまだ現役なんだなあ。思わず興奮して飛び跳ねてしまった。ボクって、めっきりかわいい!

チェコでも思ったことだが、街で流れるポップスは、ことごとく英米系だ。リッキー・マーチンやブリトニー・スピアーズを、やたらに耳にする。チェコやオーストリアには、固有の音楽産業が無いのだろうか。そんなはずはないと思うのだが、あまり若者受けしていないのかもしれない。

7時になって腹も減ったので、再び市街に繰り出すことにする。今度は、グヤーシュの味を試す予定であった。グヤーシュというのは、いわゆるシチューのことである。本来はハンガリー料理なのだが、あそこは昔オーストリアの植民地だったので、こちらに導入されたということらしい。シュテファン寺院の近くに、グヤーシュ・ミュージアムというユニークな名前の店があるので、そこに行くことにした。

シュテファン寺院の一帯は、夜でも混んでいる。それにしても、寺院の周囲にはいかがわしい雑誌を売っている人が大勢いるが、寺院を何だと思っているのだろう。まあ、一冊くらい買おうかと迷った俺も俺だけどね。また、寺院の対面に建つハースハウスも悪趣味だ。全面ガラス張りの近代ビルを、古色蒼然たる寺院に向き合わせて何が楽しいというのか。古今の対比ということらしいが、こういう感覚は俺には分からぬ。古いものは、古いから良いのだ。新しいことは、別の場所でやってくれよ。まあ、増上寺の隣に東京タワーを建てる日本人には、これを非難する権利なんて無いけどな。というわけで、オーストリア人のセンスは、チェコ人よりもむしろ日本人に似ているように思えてならない。経済と工業のセンスはあるけど、美術の感覚はダサいというわけだ。

食い物も、やっぱり相変わらずだ。塩辛さに飽きていた俺は、パプリカたっぷりのグヤーシュを注文してみたが、やっぱり同じだ。後で喉が渇いてたいへんだった。まあ、今回はジュースを買い貯めておいたから、マクドナルドへは行かずに済んだのだけどね。

というわけで、その日はとっとと寝た。