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5月3日(日曜日)~テレジーン他


(1)ペトシーン公園の散歩

(2)テレジーン行き高速バス

(3)テレジーン大要塞

(4)テレジーン小要塞

(5)ビーラー・ホラ~プラハ城

(6)プラハ旧市街~ルドルフィノムのコンサート

(7)最後の晩餐


 

 

(1)ペトシーン公園の散歩

 

朝6時に起きて、菓子パンを食べた。

今回は格安ツアーに申し込んだせいで、朝飯が付かないのが痛い。俺は早朝から激しく動き回る人なので、菓子パンだけでは足りないのよ。

ともあれ、今日も朝の散歩に出かける。

空は快晴で暖かい。しかも、鳥の囀りがあちこちから聴こえてくる。彼らも、久しぶりの青空が嬉しいのだろうな。

今回は、マラーストラナ方面を散歩することにする。アンジェルの交差点を左折して、美麗な聖ヴァーツラフ教会を鑑賞してから、北上する。

この辺りの沿道は、カジノが多い。前回の旅行でも気づいたのだが、プラハは飲み屋以上にカジノが多い街だ。だけど、治安が悪い印象はまったく受けない。東京では、治安悪化を理由にカジノ建設に反対する人が多いようだが、それは勘違いだと思うぞ。っていうか、セグウェイといいカジノといい、プラハは東京よりも、遥かに先進的な街だという事実がここにある。

さて、トラムや自動車が行きかう一本道の大通りを北上しているうちに、ペトシーン丘の南端が見えて来た。ここは、濃い緑色をした大きなお椀を伏せたような美しい丘だ。

丘全体が自然公園になっているので、迷わず遊歩道に入り込む。すると、いきなり謎のオブジェを発見。まるでゾンビの群れだが、こういうのを歩道の真ん中に立てて、しかもライトアップ仕様にしているのがチェコクオリティである。

 

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そのまま遊歩道沿いに北上すると、右側に望見できる朝もやの中のプラハの街が美しい。本当に美しい。散歩しているだけで得られるこの幸福感は、日本ではとても考えられない。

やがて、16年前に乗ったケーブルカー線路の高架と交差した。この辺りはペトシーン公園の真ん中ら辺だが、歩道の周囲を飾る草花が本当に美しい。

小鳥の鳴き声が本当に優しい。

この公園は、実は人間の手がかなり入って整備が行き届いているのだが、遠目には自然のままにしか見えない。ケーブルカーの線路も、すぐ近くに来ないと存在が分からないほどである。そこが、「本当に自然のまんま」のドイツの公園のワイルドさと大きく違うところであり、全体の景観を完全に無視した汚らしい日本の公園とも大きく異なるところだ。

結論を言えば、チェコの造園技術は世界一である。やはり頭が良い民族は、やることが違う。

さすが早朝だけに、散歩する老人やジョギングする若者をたまに見かける程度で、ほとんど貸し切り状態だ。この幸福感はハンパないね。そして、こちらの公園も、俺の大好きな山鳩の声で溢れている。しかし、こちらの山鳩の鳴き方は、日本はもちろんクトナー・ホラの山鳩ともメロディが違うのだ。これは不思議である。

有名なレストラン「ネボジーゼク」の開店準備の様子を観察したり、藪蚊の蚊柱に突っ込んだりしつつ、公園の北側に達した。さて、左折して丘をてっぺんまで登るべきだろうか、そのままプラハ城の西側まで北上を続けるべきだろうか。

この丘の頂上には展望台があって、そこからの眺めは最高なのだが、おそらくこの早朝では開いていないし、過去に2度も展望している。そこで、北上コースにした。

ペトシーン公園北端の遊歩道は、プラハ城をアップでじっくり眺めることが出来る最高のスポットなのだ。あまりの美しさにため息をつきつつ歩いているうちに、13年前にも訪れたストラホフ修道院に達した。公園は、ここで終わりである。

 

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ここから先は、フラッチャニ地区だ。昔の王侯貴族の宮殿や政府系建物を懐かしく眺めつつ、東行してプラハ城の正門に達する。まだ城に入れる時間じゃないはずだが、フラッチャニ広場には大勢の観光客が群がっている。俺はその様子を楽しく眺めつつ、階段を使ってフラッチャニ丘を下って小地区に達し、マラーストラナ広場に到着した。今日はここから12番トラムを拾って、ホレショビッツ駅に移動する手はずなのだ。

しかし、時間はまだ8時で、今から行っても時間を持て余しそうだ。そこで、聖ミクラーシュ教会の横を抜けてカレル橋に遊びに行った。ここからの眺めは、何度見ても飽きるということがない。

ところが、橋の上には観光客の他に、警官隊がひしめいていた。ただし、みんな楽しそうな笑顔でロープを敷いたりしているので、どうやら市民マラソンの準備中らしい。ここもコースになるんだね。しかし、こんな美しい場所でマラソン出来るなんて、本当に羨ましいな。心身ともに健康になれそうだ。

東京や横浜なんぞでマラソンをやる連中の気がしれぬ。彼らは、汚い景色の中で、排気ガスを吸いまくって寿命を縮めているだけじゃないのか?

ともあれ、設営準備の邪魔になりそうなので、カレル橋を退去してマラーストラナ広場に戻った。

トラムのバス停は、大勢の中国人観光客が蝟集していてウルさかったのだが、彼らはビーラー・ホラ行きの22番トラムに乗って消え去った。この22番トラムは、フラッチャニ地区の北側に回り込んでから城と平行に隣接するので、歩いて丘を登るのが嫌いな無精者たちには好都合な路線なのだ。

待てよ。ビーラー・ホラって、あの有名な古戦場のことか。トラムで簡単に行けるなんて知らなかったな。時間に余裕があれば、行ってみよう。

 

(2)テレジーン行き高速バス

 

やがて12番トラムが来たので、これに乗り込んで、2日前と同じコースでホレショビッツに着いた。

ホレショビッツのトラム駅は、鉄道駅の南口に隣接していたのだが、2日前にはその存在に気づかなかった地下連絡通路を使って、難なく鉄道駅の北口にある高速バスターミナルに到達した。

しかし、バスターミナルの案内ブースはみんな無人だった。いったい、どこでバスチケットを買えばよいのだろうか?仕方ないので鉄道駅の切符売り場に行ったら、窓口のオバサンに「ここでは鉄道の切符しか売っていないわよ」と断られてしまった。

困りつつバスターミナルに戻ると、木製の案内ブースにちょうど、太ったオジサンが入るところだった。朝9時だというのに、重役出勤ですなあ。ブースに行って、「テレジーンに行きたいんだけど」と告げたら、ビール腹(おそらく文字通りの意味)のお爺さんは、ターミナルに今しがた入ってきたバスを、窓越しに黙って指差した。続いて「チケットが欲しいんだけど」と言ったら、「運転手から、直接買えば良いんだよ」と眠そうな調子で教えてくれた。

・・・そうだったのか!

「地球の歩き方」には、「チェコでは、バスのチケットは運ちゃんから買えないので、事前に別の場所で準備せよ」と書いてあったぞ。どうも、「地球の歩き方」は情報が粗いというか古いというか。それを最初から知っていたら、こんなに右往左往しないで済んだものを。

ともあれ高速バス乗り場に行き、行列に並んで153コルナで運ちゃんから往復チケットを買った。この運転手は、ラフなシャツを着たデブのオッサンだ。それと知らずに接すれば、その辺りのプータローみたいな風情である。身なりや外見にあまり拘らないのがチェコクオリティなのだ。

ちなみにチェコでは、鉄道でもバスでも、必ず「往復チケット」を売っていて、個別に買う場合の2/3くらいの割引料金になるから良心的である。日本のJRも、少しは見習うべきではないだろうか?(以前にも同じことを言った気がするけど、日本は進歩や向上がまったく無い国だから仕方がないのだ)。

 

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さて、席に座って周囲を見回すと、このバスの乗客はほとんど白人観光客である。目的地を鑑みるに、やっぱりユダヤ系が多いのだろうか?

9:35に走り出した高速バスの車両は、最新式で座り心地も最高である。昨日買い込んだジュースを飲みつつ、車窓を眺める。一面に広がる黄色い菜の花畑が麗しい。

高速道路は当然ながら無料で、料金所もETCも関係ないから実に快適な走行である。道路自体も空いているし。このバスの運ちゃんは、ラフな見かけによらず非常に運転が上手であった。さすが、チェコクオリティ。

北上を開始してからちょうど1時間で、テレジーンのバス停に着いた。クトナー・ホラ以上に、のどかな田舎だ。もうちょっと北に行けばドイツのザクセン地方だろうから、チェコの国土の小ささが痛感できる。

かなりの人が、このバス停で降りたのだが、みんな南側の「小要塞」方面に足を向ける。俺はしばし迷ったけれど、とりあえず博物館がある北側の「大要塞」を目指した。

説明すると、このテレジーンは、18世紀に女帝マリア・テレジアが築いた要塞都市である(ドイツ語読みだと、テレジーンシュタット。テレジアの街という意味である)。ここは、上から俯瞰すると、星の形をした分厚いレンガの城壁で都市全体を囲まれたボーバン型要塞で(日本で言えば函館の五稜郭がそう)、その建設目的は、北方の強敵プロイセンの侵略から、当時オーストリア領だったチェコを防衛するためであった。

しかしながら、この要塞都市が有名になったのは、ナチスドイツがチェコ占領時代に、ここをユダヤ人向けの強制収容所に転用したからだ。

ただし、ここは殺すための絶滅収容所ではなく、アウシュビッツなどへの移送用の中間収容所であった。したがって、老人や子供が多く集められ、それなりに福利厚生らしきものもあり、いわばドイツ国内向けの「広報用施設」としても使われていたらしい。つまりナチスは、同朋に対して、自分たちの所業の残忍性を薄味にして伝えたかったのだろう。

しかし、結局のところ、ここに収容されていた者の9割は死んでいる。襲い来る飢えと寒さ、そして病気に奇跡的に耐え抜いた者も、最終的にアウシュビッツ他に送られて最期を遂げたのだった。

しかし、菜の花やタンポポの種が舞うのどかな風景には、そのような陰惨さはまったく感じない。

 

(3)テレジーン大要塞

 

テレジーンは、北側の「大要塞」(街をすっぽり包んだ城市)と、南側の「小要塞」(戦闘用の保塁)によって構成されている。そしてこの街のバス停は、両者の中間地点にあるので、降車した後で、どっちを先に訪れるべきか悩むことになる。俺は、とりあえず北側を目指したというわけだ。

「大要塞」は、全周を赤レンガの城壁で囲まれているので、街の中に入るためには城壁に空いたアーチ状のトンネルを潜るしかない。どこかのテーマパークみたいでシュールである。

 

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なお、城壁の外側には深く大きな空堀が巡っていて、その中で数頭の馬が草を食んでいた。「動物を空堀で飼う」というのは、なかなか良いアイデアである。なにしろ、壁が高いので逃げられないし、草があちこちに生えているから、餌の面倒が無いのである。排泄物は、そのまま植物の栄養になる。そういえば、チェスキー・クルムロフでは、空堀の中でクマを飼っているらしい。さすが、チェコ人は考えることが合理的である。

 

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さて、空堀に架かった自動車橋を越え、城壁アーチを丸トンネルで潜って市内に入ったものの、観光地とは思えないほど閑散としている。

ほとんど無人の大通りを北に歩くと、チェコ国旗がはためく大きな民家があった。近づいて入口の表札を見ると、これが目的地の「ゲットー博物館」である。あまりにも普通の家っぽいので躊躇していると、白人の家族連れが何組か入って行った。それに勇気づけられて俺も入る。なるほど。ここは、「貴族の邸宅を改造しました系」の博物館だ。俺の好みである。

チケット売り場で、受付の上品なお婆さんから「総合チケット」を215コルナで買った。それから施設の裏手で小用を足して、じっくりと館内を見学した。

この建物では、収容所の歴史を紹介する展示がメインみたいである。ガラスパネルに収まった当時の歴史的写真を眺めつつ、どうしても足が向いてしまうのが、この博物館名物「子供の絵」のコーナーである。

親と引き離されてこの収容所に監禁されたユダヤ系の少年少女は、心ある大人の囚人たちに導かれて絵画に勤しんだ。壊れそうになる心を、こうやって慰めたのだ。収容所では本来、こういった文化活動は禁止されていたので、看守の目を盗んでこっそりと行ったらしい。そして、戦後になって屋根裏などから発見された4000点が、そのままここに展示されているというわけだ。つまり、これは非常に貴重な展示なのである。

 

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楽しかった自由の時代を懐かしむ絵が多いのが印象的だ。そして、これらを描いた子供たちの9割が、アウシュビッツなどに移送されて殺されたと思うと痛ましい。

ともあれ、13年前から見たかった展示を、ついに今日見ることが出来たというわけだ。

さて、受付で聞いたところでは、11:30から映写室で記録フィルムの上映があるという。せっかくだから見たいところではあるが、現在時刻は10:30。非常に中途半端な時間だ。仕方ないので、いったんここを出て「大要塞」内の他の展示を先に見ることにした。

俺が買った総合チケットは、ここ「ゲットー博物館」以外に、各種の記念碑やバラックの展示、さらに「小要塞」内の博物館まで見られる優れものである。つまり、なるべくたくさん見ないと損である。そこで、大通りを西進して、かつてのバラックの再現展示を見に行くことにした。

しかし、閑散として生活臭の無い街だな。かといって、観光客で埋まっているという感じでもない。まるで、ゴーストタウンの一歩手前である。大丈夫か?

途中の公園にヤン・フスの石像があったけど、プラハのとはまったく似ていない。誰だ、お前?(笑)

 

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ともあれ、チケットの裏面に書かれた地図を参照しつつ、大要塞のほとんど西端まで歩いて、やはり貴族の屋敷を改造したような雰囲気の博物館に入った。ここでは、収容所時代のバラックや各種生活用品、楽器などの娯楽用品(=ナチス時代のドイツ民間人が視察に来た時に、収容所内の生活を幸せそうに見せるための擬装用)など、物質系の展示がメインだった。そして、客が俺以外に数名しかいなかったせいで、じっくりとゆっくりと展示を楽しむことが出来た。

こんなに楽しいことはない!

日本の博物館は、混み過ぎて大嫌いだ。何しろ、ろくに展示を見ることも出来ず、行列と人波だけが印象に残って終わってしまう。いずれにせよ、日本は人口が多すぎると思うぞ。半分くらいに減った方が良い。少子化は、正しい行き方としか思えない。

時間ギリギリまで展示を見てから、速足で「ゲットー博物館」まで戻った。地下の映写室の前に、数名の観光客がすでに待機していたが、どうやら上映開始が遅れているようだ。そこで、地下室に置かれていたテレジーン全体のジオラマ模型を鑑賞しつつ、時間を潰した。

やがて、映画館並みの大きさの映写室で上映が始まったのだが、当時の映像を背景に、年度ごとの犠牲者数を大テロップで流すだけの内容で、10分程度で終了だった。思ったよりも呆気なかったな。周囲の他の観客も、期待外れの表情だった。もっとも、観客の人数は映写室の半分を埋める程度だったのだが。

さて、「大要塞」はもう良いので、「小要塞」に移動するとするか。その前に腹ごしらえをしたいところだが、どうやらここの地下2階に簡単なビュッフェがあるようなので、ハンバーガーかホットドックでも食べたいな。だが、入口でメニューを見つつ考えたのだが、収容所の悲惨な展示を見たばかりで普通に食事を摂るのに、罪の意識にかられてしまった。たぶん、「小要塞」にも食堂くらいあるだろうから、少し空腹を我慢するか。

こうして「ゲットー博物館」を後にした俺は、元来た道をぶらぶら歩きながら、南に位置する「小要塞」へと向かった。途中、ノヴァー・オフジェ川の土手に登って、周囲の美しい景色を堪能した。

 

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ああ、チェコの春は、本当に美しい!

 

(4)テレジーン小要塞

 

バス停を行き過ぎてから、さらに南に向かって歩くと、右手一面に広大な墓地が現れた。もちろん、犠牲者を弔うためのものだろうけど、キリスト教徒エリアとユダヤ教徒エリアがはっきり分かれているのがユニークだ。ここでは、大勢の人々が花を捧げ、頭を垂れているので、テレジーンを訪れる人々の主目的は、実は墓参なのかもしれない。

墓地を行き過ぎると、「小要塞」の城壁とアーチが見えて来た。空堀を越えたところにある入口は、それなりに賑わっているので、テレジーン観光の目玉は、むしろこちら側だったかもしれない。

 

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アーチを潜って要塞内に入ると、右手に観光案内所と博物館があったので、とりあえず博物館に入った。「総合チケット」で、普通に見学できるので。そして、ここも民家を改造した系で、俺好みである。ここにあるのは、収容所時代の「小要塞」関する克明な展示だった。写真が多くて、なかなか興味深い。

博物館を出ると、それにしても腹が減った。観光案内所で軽食が食べられるようなので、店員しかいない閑散とした食堂に入って、ホットドックを注文する。安くて美味かったけれど、物足りないな。でも、しょせんは軽食屋なので、この程度のものしか置いていないのだった(泣)。

食堂はガラガラだったけど、外の世界には意外と白人の若者団体の出入りが多い。学校の授業の一環で来ているのだろうか?ただし、観光客っぽくも見えるので、みんなドイツ人かもしれないな。

俺は群衆が嫌いなので、若者団体を避ける形で小要塞内を歩き回った。ここはかなり自由な施設で、係員もほとんどおらず、したがって城壁の内外や空堀の中まで自由に歩き回れるので、いろいろと勉強になる。ボーバン型要塞を、その細部の構造に至るまで、往時のままじっくり見学できる機会は貴重であろう。また、収容所時代の独房やバラックの様子は、アウシュビッツでも見られなかった展示なので、なかなか有意義だった。

 

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こうして、「小要塞」の隅々まで探索したので、テレジーン観光は打ち止めということで良いだろう。

バス停に戻りつつ、周囲を物色すると、原っぱにケバブの屋台が出ているのに気付いた。バスが来るまで時間がかかるなら、ここで再度の腹ごしらえをしようかと思案したのだが、バス停で時刻表を確認したところ、後10分程度で来てしまう。ならば、プラハまで我慢するか。

プラハ行の高速バスは時間通り13:35にやって来たので、これに乗り込んで約1時間でホレショビッツに戻った。

この行程で、チェコでは高速バスの旅もかなり快適だということが分かった。改めて、良い国だなあ。

 

 

(5)ビーラー・ホラ~プラハ城

 

ホレショビッツのバスターミナルで、ビュッフェなどを物色したのだが、あまり心惹かれるものが無い。地下道を抜けて南口のマクドナルドに行ったけど、それなりに混んでいるし、やっぱり心惹かれない。

そういえば、ホレショビッツで数名の兵隊さんを見かけたけれど、相変わらず緊張感のない柔和な笑顔を浮かべていた。考えたらチェコは、360度四方をEUの同盟国に囲まれているわけだし、いきなり戦闘になるリスクはほとんどゼロだ。実は、日本の自衛隊よりチェコの軍隊の方が安全なんじゃないのか?(笑)。

とりあえず、プラハ中心部に向かうことにしたので、ホレショビッツのトラム駅で12番トラムを待った。日曜ということで、周囲には家族連れが多い。幼い姉と弟が、「あ、ごめん!」、「こっちこそ、ごめん!」みたいなことを言いまくりつつ、互いの後頭部をど付き合っていた。既視感がある光景だと思ったら、うちの甥っ子たちと同レベルである。どこの世界にも、アホな子供はいるものだ。姉の方は、なかなかの美少女だったので、おバカで残念(苦笑)。ただしチェコの子供たちは、ふざけたり暴れたりする場合であっても、それなりに周囲の空気を読もうとしている気配がある。その点で、日本の子供たちよりは賢いかもしれない。

さて、12番トラムでマラーストラナ広場まで移動し、そこで22番トラムに乗り換えた。とりあえず、ビーラー・ホラまで行ってみよう。

22番トラムは、途中まで12番とほぼ同じ経路でレトナー公園の前を登って行くのだが、そこから左折して、プラハ城とフラッチャニ地区に北側で接する。そのまま西進してストラホフ修道院をかすめ、西の郊外まで走る。つまり、お城やフラッチャニ地区を、なるべく歩かないように楽をして観光したい人ご用達の路線なのだ。道理で、中国人観光客で混むわけだな。

俺は、とりあえず終点まで乗ることにした。車窓から見ると、雑貨屋や公園が左右に並ぶフラッチャニ西郊は、平凡な住宅街である。やがて終点のビーラー・ホラ駅ターミナルに到達したけれど、大きな教会がある以外は周囲に何もない。記念碑でもあるかと思っていたので、なかなか期待外れだ。

 

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ここで解説すると、ビーラー・ホラ(白い山)は、17世紀にチェコ国家の運命を決定づけた古戦場である。1618年、まさにこの場所でオーストリア軍とチェコ軍の決戦が行われ、大敗したチェコはその後300年間にわたるオーストリア支配を受け入れざるを得なくなる。そういうわけで、あまりチェコにとって嬉しい場所ではないので、それで扱いが軽いのかもしれない。

それでも、家屋がまばらに立つ広大な草原を眺めると、なるほど大軍同士の決戦場にふさわしい場所である。想像の翼を広げて往時を偲ぶのも良いかもしれぬ。そういうわけで、周囲をしばらく散歩してから、次のトラムで帰ることにした。

なんだかんだで、もう午後3時だ。22番トラムの始発に乗り込んでしばらく進んだのだが、せっかくなので、お城の北側でトラムを降りる。それから狭い路地を南に抜けてフラッチャニ広場に出て、どうせだからプラハ城に入ることにした。

もうすぐ夕方だというのに、ここは観光客で大混雑だ。入口の土産屋で、職場用と家族用のお土産をいくつか買い、聖ヴィート教会や王宮跡を外から懐かしく眺め、広場で黒ビールのコーゼルを飲んだ。しかし、観光客料金で95コルナも取りやがる。消費税も21%(チェコの最高税率)だ。やはり、観光地のど真ん中でカネを使うもんじゃないよな。

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でも、ビールは美味かったので、それなりに満足しつつ城内を散歩してから、4年前と同様に東口から城を降りることにした。それにしても、混んでいる。プラハは、観光地として超絶的な絶好調なのだね。

美しい旧市街の遠景を眺めつつ城を降りてから、ヴァルドシュテイン宮殿の北側の路地に入り、昔の貴族の庭園を見ることにした。

50コルナで入口のお婆さんからチケットを買い、狭い丘陵地帯を上手にアレンジしたレデブール庭園を感心しながら見て回る。崖全体に階段と花壇を渡したところを登りきると、そこに出口があった。何の気なしに出てみると、ここは、ついさっき降りてきたプラハ城東口の遊歩道ではないか。

 

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戻ってどうする?などと思いつつも、この公園はなかなか楽しかった。

 

(6)プラハ旧市街~ルドルフィノムのコンサート

 

それにしても、プラハは本当に居心地が良い街だな。1秒ごと、一瞬ごとに幸福感が胸を満たす。マジで、この街に移住することを真剣に考えるべきかもしれぬ。

などと考えつつ、女友達に頼まれていたガラス製品を物色するべく、旧市街のミーハー観光地帯に向かうことにした。

マーネス橋を旧市街方面に渡りきると、そこはルドルフィノムだ。有名なドヴォルザークホールがあるコンサート会場。案の定、若者が今夜の公演のチラシを配っていて、俺はまんまとそれに引っかかったのである。

弦楽5重奏だが、演目はヴィバルディやモーツアルトといったミーハーな内容だ。チケット代は1,000コルナで少々高めだが、売り子のコネで1割引になるという。考えてみたら、ルドルフィノムには一度も入ったことがないから、試してみるのもナイスだろう。

 

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売り子の青年からサイン入りのチラシを貰って、ルドルフィノム地下のチケット売り場に行った。受付では、すかした姉さんが早口の英語で説明してくれたのだが、手持ちのカネが無いのでカード払いにしたところ、それだと割引してくれないらしい。なんだよ、騙されたな。でも、会場内の席は自分で選べるシステムになっているから、それなりに良心的だ。カード払いをした際に、サインの漢字を姉さんに見せて感想を求めたら、肩をすくめて唇をプルプルさせただけだった。なんだよ、リアクション薄いな。ともあれ、チケットゲットだぜ。

コンサートは6時からなので、まだ時間がある。そこで、パリ通りを経由して旧市街広場に入ったところ、ちょうど市民マラソン用の設営機材の撤収作業の最中であった。この広場はいつもバタバタしているから、なかなかヤン・フス師匠の銅像にゆっくり挨拶できないね。

作業員の群れを掻き分けながら広場を南に抜けて、火薬塔方面に向かって歩きつつ、ガラス屋をいくつか物色する。最終的にディアマットという店に入って、安売りのペアグラスを発見した。面倒くさいので、これとスペア土産用の湯呑み(事務所職員用)をカード払いで買った(1,989コルナ)。

その後、コンサートまでの時間を潰すために、旧市街の北部を、ユダヤ人街を中心に散歩して回った。13年ぶりに見る珍しいシナゴーグたちは相変わらずナイスだが、以前よりも観光用に特化してしまった感が強い。

 

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「儀式の家」や「ユダヤ人墓地」がある路地に、セグウェイのレンタル店があって、店員さんたちが観光客に使い方のレクチャーをしていたので、しばし足を止めて観察した。なるほど、2日間に見かけたセグウェイの若者たちは、きっとここから現れたのだね。東京でもやればいいのに。と一瞬思ったが、日本の都市では人が多すぎて無理だろうね。

さて、時間になったのでルドルフィノムに戻る。チケット売り場でしつこく教えられたのだが、このコンサートは正門からは入れないのである。建物の西側を進んだ奥に入口があるのだ。すなわち、正面のドヴォルザークホールではなくて、小さい方のスークホールで開催されるというわけだ。まあ、ドヴォルザークホールは大オーケストラ向けだからね。

それでも、スークホールは壮麗で立派だった。色合いや調度品もだが、天井がとにかく高い。弦楽5重奏も、エンターテインメント性を強調する内容だったけど良かった。

 

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このホールでは、久しぶりに何組かの日本人観光客を見かけた。最近の日本人は、団体ではなく家族や個人といった少人数単位で観光する傾向が強いので、街の中では目立たないのかも。

 

(7)最後の晩餐

 

それにしても腹が減ったな。考えたら今日は結局、テレジーンのホットドックしか口にしていないじゃないか?

今日は最終日ということで、最期の夕飯は豪華盛大に行きたいところだけど、一人で大きな店に入っても詰まらないだろうな。早朝見かけたペトシーン公園内の「ネボジーゼク」にも心惹かれたけれど、もう夜9時近いし、今さらペトシーン丘の中腹まで行くのが面倒くさい。どうせ、観光地価格だろうし。

そこで結局、ノヴェ・スミーホフの「チェコの世界」に行くことにしたので、マーネス橋を西に渡って、マラーストラナ駅から12番トラムに乗ってアンジェルまで帰った。

「チェコの世界」は、2日前よりよほど混んでいた。この店はいつも、混み始めが遅いということかな?今日は、スタロプラウメンに加えて鶏肉入りフランボラーク(お好み焼き)を注文してみた。ガーリックが効いていてお味はナイスだけど、ちょっと焼き過ぎじゃないかいな?ただし、内蔵されている鶏肉が生焼けだと、それはそれでヤバいので、なかなか調理が難しい料理なのかもしれない。

満腹したので、少し多めに支払って店を出た。せっかくなのでTESCOの縮小された(泣)CDコーナーに行ってデヴィッド・コラーというロック歌手の最新アルバムを買った。帰国して聞いたら、なかなか良かったので、チェコの音楽には外れが無いのだね。

それから、菓子パンやピーチティーなど買って、ホテルに帰ってシャワーを浴びて寝た。

明日は帰国だ。