歴史ぱびりよん

5/2水曜日 ヘルシンキに移動

ヘルシンキ行きフェリー

朝5時半に起きて、身支度する。窓外を見やると、大雨だ。

俺が2日前に森に撒き散らした栄養素(あるいは毒素?)は、こうして広く拡散されることだろう。一本でも多くの樹木のためになることを祈る。それにしても、せっかくの船旅なのに、こんな暴風雨とはなあ。

6時過ぎに、フロントでチェックアウトする。今日は、朝飯を食いっぱぐれる形になるわけだが、どうせ毎日同じメニューだし惜しくはないね。あんまり美味くなかったし。

傘を差しながら、重い荷物を抱えてタリン主要港まで歩く。ターミナルに着いたのは6時半だったが、すでに7時発フェリーの乗船手続きは始まっていた。何も考えずにエスカレーターで2階に上って列に並んだところ、周囲の客は皆、自動改札機に小さな専用カードを通している。ところが、俺の手元にあるのは、昨日貰った紙の領収書のみ。不思議に思って近くの係員に聞いたところ、あらためて窓口で乗船カードを入手する必要があるとか。慌てて1階に戻り、昨日と同じ窓口に並んで、領収書とパスポートを提示してカードを入手した。世界最先端のIT国にしては、事務上の手間の無駄な掛かり具合が、日本の役所と同レベルだね。昨日の窓口で、カードをくれていても良さそうなものなのに。

さて、2階の自動改札口からフェリーの乗降口まで、かなりの距離だったので、まるで空港のようだ。時間ギリギリなのでダッシュしたのだが、なるほど、フェリー本体がとにかく巨大なのである。7階建てで、カジノ装備で、まるで世界一周用豪華客船みたいだ。だから、港に空港並みの広大スペースが必要だったのだな。

無事に乗り込めて一安心。しかし、内部が広すぎて、どこに落ち着いたら良いのか分からない。追加料金で個室もゲット出来るようだが、所要2時間半の船旅のために、そこまでする必要はないだろう。天気が良ければ、もちろん上甲板に行くつもりだったのだが、外はほとんど暴風雨である。そこで、4階の屋内カフェテリアに座り込むことにした。

ホテルで買ったミネラルウォーターと、昨晩スーパーで買ったパンで朝飯を摂る。しかし、パンが不味い。硬くて苦くて、食えたものじゃない。それでも、なんとか半分くらい食べて打ち止めにしたのだった。

飯が不味いのは、体調のせいでもあるだろう。妙に熱っぽいのである。やはり、昨日の夕方に風邪薬を買っておくべきだったな。このまま、静かに休むかな。

いやいや、せっかくの貴重な機会を無駄には出来ない。俺はカフェテリアを後にすると、7階建てのフェリー全域を視察して回ったのであった。あえて、上甲板にも出て、寒風の中で雨に濡れながら、彼方に煙るタリンに別れを告げたのだった。

このフェリーには大きな免税店もあったのだが、なぜか風邪薬は売っていなかった。お洒落なバーもあったのだが、朝から酒を飲む気になれず、結局は最初のカフェテリアに戻り、テーブルに上半身を投げ出して仮眠をとった。

やがてヘルシンキが近づくと、周囲が慌ただしくなった。俺も、少し体調が回復したので、景色を見に行くことにした。ヘルシンキ周辺には小さな島々が多いのだが、フェリーはその中を進むのである。有名な観光地スオメンリンナ島を間近に見られたのは良かった。昔の砲台跡(この島は、その全域が要塞だった)や潜水艦ヴェシッコ号を、船上から至近距離で観られたのだった。

そうこうするうちに雨は小雨となり、気温が上がって来た。ここ数日こんな調子なので、この地域全体が常にこういう天候気温サイクルなのかもしれない。

そして、ヘルシンキ中心部が見えて来た。白と緑のヘルシンキ大聖堂が、見事なランドマークとなって立ち現れる。フェリーは、2時間半の旅を終えて、市街東岸のカタヤノッカ・ターミナル港に滑り込むのだった。

 

ヘルシンキ上陸

巨大フェリーに別れを告げて、カタヤノッカ旅客ターミナルで公共交通機関券を求める。

この街にもヘルシンキカードという仕組みがあって、これを用いれば、タリンカードと同様にいくつもの施設が無料になるらしい。しかも、購入時にタリンカードを提示すれば、姉妹都市ということで割引が利くようだ。しかし、ヘルシンキでの滞在期間は明日のお昼までだから、ここは普通に公共交通機関2日券で十分だろう(その方が圧倒的に安いはず)。

ターミナルを出た場所の、分かりにくい位置に券売機があった。すると、機械の使い方が分からない老人を、2人の若者が助けてあげているところだった。その老人が用を済ませてから、若者たちは「簡単じゃないか!」とか言いつつ(英語ではなかったけど、こんな感じ)、さくさくと機械を操ってチケット入手。こうしてやっと、俺の番になったのだが、機械は依然として操作中だ。おいおい、若者たちよ。簡単とか言っておいて、画竜点睛じゃんか。フィンランド語の画面を見ながら適当にボタンを押すと、小さな紙が出て来て作業終了状態になった。どうやら、領収書の発行コマンドが残っていたのだね。さて、自分のチケットを買うためにはどうすれば良いのか。文字を見ているうちに、頭痛がしてきた。フィンランド語はあまりにも難しくて、お得意の山勘さえ働きようがない。やがて、画面を見ているうちに英語切り替えボタンを発見したので、やっと人心地を取り戻した。なるほど、英語画面なら簡単に操作できる。公共交通機関2日券(12ユーロ)をゲットして、領収書発行画面をキャンセルして作業終了させた上で、後ろの人に機械を引き渡したのだった。

そうこうするうちに、雨は上がって晴れ間が見えて来たぞ。旅客ターミナル前に、5番トラムの停留所があったので、とりあえずこれに乗り込んだ。車内におけるカード認証の仕組みは、エストニアと同じ。どうせ乗り放題なので、市街中心部まで運んでもらう算段である。さすが、ヘルシンキは、タリンに比べるとかなり大きい街だな。行き交うトラムやバスの種類や本数が桁違いである。

しかし、このトラムは、誰かが降車ボタンを押さない限り停留しない仕様だった。そして、この車両では、誰もボタンを押そうとしない。市街中心に位置する「ヘルシンキ大聖堂」をスルーしてさらに西進するものだから、さすがに降車ボタンを押して、次のトラム停で降りたのだった。少し歩いて、大聖堂の前まで戻る。

空を見上げると、すっかり快晴になった。ヘルシンキ大聖堂は、朝日に輝いて美しい。その前に広大な広場があるのだが、観光客も観光バスも疎ら。まあ、朝10時だからねえ。そのまま、石畳の路地を抜けて南に移動する。

最初の目的地は、市街最南端に位置する「マンネルヘイム博物館」だ。

 

エロマンガ

大聖堂から1ブロック南に歩くと、港に出る。そこに広がるのは、青空市場に埋められたマーケット広場だ。そこを素通りして、さらにエテラ湾沿いに南下した。美しく整備された「ザ・北欧」といった雰囲気の街並みを楽しく眺めつつ、オリンピア・ターミナルに到達。目的地のマンネルヘイム博物館は、この近くにあるはずだ。

実は、タリン港からヴァイキング・ラインではなく、タリンク・シリア・ラインのフェリーを用いた場合、このオリンピア波止場に到着したはずなのだ。うっかりヴァイキング・ラインを用いたため、遠回りになってしまった形である。まあ、結果的にたいした距離の遠回りではないから、大きな問題ではないけれど。

さて、道路標識を頼りにしつつ西側の小高い丘に登ったのだが、ここは高級住宅地のようだ。だが、そこにあるはずの建物になかなか辿り着けない。あちこち迷いつつ、ようやく目的地を発見した。マンネルヘイム博物館は、彼が実際に住んでいた地味な邸宅を改造したものなので、なかなか外観からはそれと分からなかったのである。

そして、施設は閉まっていた。入口の案内によると、どうやら午前11時から開館になるらしい。時計を見ると10時半だから、どこかで30分ほど時間を潰す必要がありそうだ。そこで、小腹もすいたことだし(朝飯のパンが、不味すぎて食えなかったので)、ガイドブックに載っていた喫茶店を目指すことにした。

元来た道を引き返すのは詰まらないので、各国の大使館が並ぶ裏通りを抜けて、それから海岸通りに戻った。ヘルシンキの街は碁盤目状に区画整備されているので、現在地の道路の名前を押さえれば地理を把握しやすい。ガイドブックを頼りにしながら、目的のカフェ「エロマンガ」に到達した。

どうしてこの店を選んだのか?もちろん、名前である。エロマンガとは、オセアニアの地名なのだが、『地球の歩き方』情報によると、ここの店長が地球儀を回して適当に指をさした場所にある地名を店名にしたそうな。ともあれ、行ってみる価値はある。

「エロマンガ」は、焼き立てパンとコーヒー紅茶を振舞う店だった。コーヒーと紅茶は、セルフサービスで飲み放題の良心設定である。パンは自分でレジの前で選ぶのだが、店員のオバサンが丁寧にいろいろ教えてくれて、お勧めパンを紹介してくれた。そこでハムチーズパンとシナモンパンを選んだ(6.8ユーロだから約1,000円)。木製の気持ちの良い丸テーブルが並ぶ店内は居心地が良く、しばしパンを食べつつコーヒーを飲みつつ、まったりした。しかし、コーヒーの味はエストニアと同様、あまり良くない。パンが美味しかったのは救いである。ちなみに、このお店には新聞や雑誌がたくさん置かれていて読み放題になっているのだが、残念なことにエロ漫画は置いていなかった。名前負けしているね!

さて、11時を大きく廻ったし、腹も膨れたので、再びマンネルヘイム博物館を目指す。今度は、海から見て一つ内側の街路を南下してみる。美麗な「ドイツ教会」を見学したり、市民公園を散歩したり。

ちなみにヘルシンキの市民公園は、ゴツゴツした黒い岩が隆起しているようなエリアに作られるケースが多いようだ。ヘルシンキはもともと、岩場を掘削して築いた街なので、技術的に撤去しきれなかった堅い岩場を、公園にと後付け利用しているようなのだ。これは、他の都市公園では見られない文化なので、なかなか興味深い。

 

ヘルシンキ市内放浪

さて、マンネルヘイム博物館は、相変わらず閉館中だった。入口には何のお知らせも出ていないので、どうして閉まっているのか分からない。こういうところは、エストニアと同じレベルの不親切さである。さて、今朝の俺の行動について、なんでこんなに要領が悪いのかといえば、この博物館がマイナーすぎて、『地球の歩き方』などのガイドブックにまったく案内が無いからである。

インターネットを使おうにも、この博物館には専用ホームページが無いみたいなのだ。仕方なしに、スマホで他の観光客のブログなどを調べてみたところ、どうやらこの博物館は、土日限定のガイドツアーでしか公開していないらしい。つまり、今回の旅行での訪問は諦めるしか無さそうだ。まあ、博物館の前まで来られただけで目的達成ということにする。

ここでカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムについて説明すると、彼は20世紀前半に活躍したフィンランドの軍人兼政治家である。フィンランドは当初、ロシア帝国の領土だったので、マンネルヘイムもロシアで軍人の修行を積み、日露戦争や第一次大戦ではロシア軍の将軍として勇名を馳せた。やがて第一次大戦中にロシア革命が勃発し、ロシア帝国が崩壊すると、フィンランドは晴れて独立を達成する。すると、マンネルヘイムはフィンランド軍の最高指揮官となり、独立後の内戦を勝ち抜くとともに、やがて攻めて来たソ連の圧倒的大軍に大打撃を与えるのだ(冬戦争)。そして、ドイツでヒトラーが台頭すると、これと同盟を組んだマンネルヘイムはソ連に攻撃を開始(継続戦争)。しかし、ドイツの劣勢が明らかになると、今度はソ連側に寝返る形で、第二次大戦という名の地球規模の大激動を乗り切るのであった。しかし、さすがのマンネルヘイムも平和時に活躍できるような人物ではなかったようで、短い大統領職を特筆する業績も無く務めた後は、この博物館となった邸宅で孤独な晩年を過ごした。それでも、彼が世界史レベルの超絶有能な軍人であったという評価は、今後も揺らぐことは無いだろう。

このマンネルヘイムを主人公に、小説を書くことは可能であろうか?それを見極める意味で、彼の博物館はぜひ訪れたかったのだが、今回は諦めるしかない。

とりあえず、海辺を散策する。ヘルシンキ湾には大小様々な島があって、それぞれが独特の雰囲気を持っていて美しい。日本で言えば、宮城県の松島の雰囲気に似ているかも。この景色を見るだけで、この街に来た甲斐はあったというものだ。

さて、景色に飽きたので、ホテルに向かうことにする。このまま散歩を続けても良いのだが、さすがに荷物が重いし体調も良くない。『地球の歩き方』を参考にしつつ、マーケット広場で、ここ発でホテルの前を通るはずのトラム路線(1番トラム)を探したのだが、駅に掲示されていた路線図を見ると経路がぜんぜん違っていて、そもそも1番トラムはここを走らないのだ。

心配になって、他のトラム路線もガイドブックの情報と照合してみたのだが、完全に不一致だ。やれやれ、やっぱり『地球の歩き方』は信用しきれないな。仕方ないので、スマホを起動して適当な路線を探したのだが、地名と地形が複雑すぎて、よく分からない。それでも、なんとか当たりを付けて、ヘルシンキ大聖堂からヘルシンキ大学の周囲を歩き回ったのだが、どうもホテル前を通る路線は、この近くに無さそうだと判明。どうしようか?

すると、ヘルシンキ大学の前で、南アジア系の男性が声を掛けて来た。俺に向けてカメラを振りながら、「ピクセ」とか言う。「ピクチャーのこと?」と聞いたら、そうだと答えるので、大学を背景に写真を撮ってあげた。あのピクセって、何語だったのだろう?彼は、この大学に入学できた新入生だったのかな?まあ、俺も微妙にテンパっていたので、あまり彼に構ってあげられなかったのだが。

 

ホテルに到着

さて、ヘルシンキの街は碁盤目状になっているので、いろいろと便利ではあるのだが、逆に区画ごとの個性や特徴を掴みづらいところがある。

結局、ヘルシンキ大学周辺で、ホテルの近くを通るトラム路線を探し当てられなかったので、「急がば回れ」とばかりに、マンネルヘイム博物館近く(つまり街の南端)まで引き返すことにした。オリンピア波止場前から出発する3番トラムなら、かなりの迂回路を取るものの、確実にホテルの前を通るからだ。それにしても、ホテルは市街の北郊にあるのに、一度、街の南端まで行かねばならないとは面倒くさい。

この3番トラムは、ヘルシンキの街を南端から時計回りに大回りしながら中央駅の前を通り、そこから北上して反時計回りに市街北郊へと抜ける路線だ。その始発駅を目指してオリンピア波止場まで歩いていくのは面倒なので(すでに何度も同じ道を歩いたし)、マーケット広場から2番トラムを捕まえて南下したところ、これはオリンピア波止場前の終点でそのまま3番トラムに変身する車両だったのでラッキー。そして、あちこち迂回しながら走る車両の方が、街全体を広域的に観察できるからナイスとも言える。

ヘルシンキの街で苦労するのは、市内の文字表記がフィンランド語とスウェーデン語の2種類しか無い点である。日本人の感覚では奇妙なことだが、フィンランドに住む人は、フィンランド語を話す人とスウェーデン語を話す人の割合が半々なのである。だから、市内案内板などの文字表記も、この2つの言葉が並列となる。その結果、英語などの外国語を記載するスペースが無くなってしまい、俺のような外国人が戸惑うというわけだ。そして、フィンランド語とスウェーデン語は、どちらもかなり難しい。エストニア語と違って、一つ一つの言葉が長いし、似たような文字列が多いのだ。文字を見ているだけで頭痛がしてくる。

などと考えているうちに、3番トラムはホテル「クムルス・カッリオ・ヘルシンキ」の正面に停まったので、ここで降りる。

トラム停の近くに大きな小学校があって、そこで子供たちがサッカーをしていたのだが、恐ろしいことに、グラウンドの周囲に大量に雪が積んである。5月になっても降雪があり、いつも雪かきしているということか。なるほど、道理でいつも寒いわけだな。

ホテルは、小ぶりで清潔なビジネスホテルだ。受付で、陽気なオバサンから説明を受けて部屋の電子キーを受け取った。6階の710号室は、白を基調とした小綺麗な部屋だった。やっと、重い荷物から解放されたぞ。

時計を見ると、午後2時だ。せっかくだから、散歩に出かけるとしよう。

 

シベリウス公園~岩の教会

ホテルを出てから周囲を見回すと、近くにトラム停が2つあることに気づいた。往路で用いた3番のものと、そこから少し離れたところにある1番のものだ。

1番トラムは、『地球の歩き方』でもこのホテルの前を通ることになっていたのだが、先述のように、その移動経路がガイドブックと全く違う。これは、街の西側を大きく迂回するように走る路線なので、港や中央駅や大聖堂がある街の中心を通らないのだ。つまり、これに乗るのは、ヘルシンキ初心者にとってそれなりにリスキーと言える。それでも、トラム停で路線図をチェックした感触では、こいつはシベリウス公園の近くをかすめて通るようだ。ならば、この公園への移動手段に1番を利用するのは理に適っている。

こうして1番トラムに乗ると、これはこれで景色が新鮮で楽しい。大きな岩だらけの公園や、内陸深くに入り込んだ海から成るトーロ湾付近を通るのだ。適当に見当をつけてトラムを降りてから、スマホを起動。シベリウス公園までの経路を突き止めてから向かう。しかし、午後3時前なのに気温は低い。天気は、曇り時々晴れといったところ。

最初は、水上バスに乗ってスオメンリンナ要塞島を観光しようと思っていた。しかしここまで寒いと、風が強いはずの海上に今更出る気にならない。また、往路のフェリーの上で、至近距離からこの島の名所をすでに見てしまっている。そういうわけで、今日の海上観光はパスすることに決めた。

っていうか、風邪気味状態が依然として継続中なのである。

さて、シベリウス公園だ。周辺も園内も閑散としているぞ。本当に、ここは観光名所なのだろうか?不安になりつつ、ほぼ無人の公園を進んでいくと、有名なシベリウス像とオベリスクに辿り着いた。さすがに、この周辺は混んでいて、日本人らしき若者観光客も何人かいた。みんな、違うルートから観光バスで来るみたいだね。曇天で相変わらず寒いけど、自撮りで写真を撮る。フィンランドの国民的作曲家シベリウスについては、交響詩「フィンランディア」と、交響曲を何曲かしか知らないんだけどね。まあ、何かの記念にはなるだろう。

さて、次は中央駅周辺で買い物でもするか。シベリウス公園を出ると、とりあえず1番トラムの路線沿いを歩いて南下してみる。まったく土地勘が湧かない。ヘルシンキは碁盤目状の都市なので、どこも似たような景色で、自分の現在位置を直感的に把握しにくいのだった。そういう時は、スマホを起動である。

適当な位置で左に入ると、黒い岩場が多い個性的なエリアに出た。どうやら、有名な「岩の教会(テンペリアウキオ教会)」の背後に出たようだ。アップダウンが多い街路を、急斜面の階段を上ったり下りたりしつつ、教会の前に出る。ここは岩場を切り開いて造った、かなり独特の雰囲気を持つルター派の教会だ。俺は信者ではないので、遠慮して中に入らなかったのだが、周囲を散策してその雰囲気だけでも大いに楽しんだ。

 

カンピ地区~中央駅

「岩の教会」の正面に、フレドリキン通りが南に向かってまっすぐに伸びているのだが、かなりの下り坂だ。ヘルシンキは、岩場を無理やり切り拓いたような街なので、実際に歩いてみると意外と起伏が多い。そういうところは、東京に似ているかもしれない。

このフレドリキン通りを南に向かって歩いているうちに、カンピ地区に到達した。地下鉄の駅があるみたいだから、試してみようか。その前に、薬屋に寄りたいな。トイレも借りたいな。ここには大規模なバスターミナルがあり、そこを中心に巨大なショッピングモールが屹立している。そして、ここまでの経路は閑散とした街だったのに、このモールはなかなかの混雑だった。まあ、モール内は暖かいしね。

トイレを済ませて薬屋に入り、若い女性店員に症状を訴えて風邪薬を所望した。親切な店員さんは、流ちょうな英語で次々に薬を紹介し、丁寧な説明をそれぞれに与えてくれるのだが、丁寧すぎて医学的な専門用語がビシバシ入って、だんだん意味が分からなくなる。そこで、説明を途中で打ち切って「一番簡単な奴」を買うことにした(笑)。

薬の料金は3.59ユーロだから、約500円。良心的だね。レシートを見ると、消費税(VAT)は10%だった。きっと、医薬品用の軽減税率なのだな。ついでに言うと、エストニアでもフィンランドでも、VATは複数税率になっているのだが、生活必需品が14%で、奢侈品が24%という区分けになっている。チェコより微妙に高いね(チェコはそれぞれ、15%21%だったので)。

日本より高いように思えるけど、日本の場合、消費税率は低い代わりに、他の税金が高いし、税金の種類自体が異常に多い。おそらく、総合的に見れば、日本の方が重税になっているはずだ。しかも、エストニアやフィンランドは、原則として教育費が無料で年金が多く支給される。ありとあらゆる意味で、日本の敗北だね。

さて、せっかくカンピ駅にいるので、エレベーターを用いて地下鉄駅に入り、わずか一駅分だけ地下鉄を試してみた。公共交通機関無料券を持っているのだから、使わないのは損であるからな。さて、地下鉄カンピ駅の構内は広大でお洒落な空間だったが、車両の乗り心地は普通だった。

あっという間にヘルシンキ中央駅に到着したので、エスカレーターを用いて1階に出た。ここはプラハ中央駅より小柄だけど、お洒落で機能的で、なかなか居心地の良い空間になっていた。空港でも気づいたのだが、フィンランド人は、狭い空間を快適に加工するための造形に、独特の優れた才能を持っているようだ。

この駅の正面は、多くの自動車やトラムが行きかう一等地だ。人も多い。とりあえず、お土産を求めてショッピングセンターのFORUMに入った。なるほど、ガラス張りの近代的なショッピングセンターだ。ここで、女性の友人たちに頼まれていたムーミングッズを調達するのが目的である。

知らない人もいるかもしれないが、『ムーミン』を描いたトーベ・ヤンソン女史はフィンランド人なのである。そして、ムーミンはカバではなくて、トロール(妖精)なのである。さて、本場のムーミンショップは想像していたより小さな店だったので(東京のムーミンショップの方が、数と種類が多くて広いかも?)探し当てるのに時間がかかった。そして、売っているグッズは意外と高価だった。10品くらい見繕ってレジに行ったら、100ユーロを超えていた。その場合、トートバックをプレゼントしてくれると店員さんが言うので、有難く頂戴しておいた。

お店を出てから、付近のベンチに腰を落ち着けて、先ほどカンピで入手した風邪薬を飲んだ。その後、FORUM内を適当に散歩し、それに飽きるとこの街の中心であるマンネルヘイム通り周辺を散策し、『地球の歩き方』に載っているレストランの場所をいくつか確認した。

すると、FORUMの正面に3番トラムの停留所を発見。とりあえず、ムーミン・トートバックとグッズを安置したいので、いったんホテルに戻ることにした。

ちなみに、フィンランドでも、ショッピングセンターはケスクス(Keskus)なので、エストニア語と共通の語彙もそれなりに有りそうだ。そういえば、「こんにちは」は、エストニア語では「テレ」だが、フィンランド語では「テレヴェ」。結局のところ、両国の言葉のルーツは同じなのかもしれないね。

ホテルに戻ると、部屋で読書しながら少し休憩した。いちおう、風邪気味だしね。

 

夕食とサウナ

夕方5時になったので、夕飯を漁りに街に出ることにした。風邪薬が効いたせいか、体調も随分と良くなったぞ。

今回は、3番トラムで素直に中央駅に出る。駅前のショッピングセンターを数か所散策するものの、あまり良さそうなレストランを発見できなかった。その途中で、お金をせびる中東系のオバサンに出会ったのだが、こういう人って、ベルリンのみならずヘルシンキにもいるんだね。確かに、ヘルシンキ中央駅周辺は人が多いし、金持ちもいそうな雰囲気ではあるが。

なんとなく白けたので、それ以上の散策を切り上げて、FORUM南側に位置するレストラン「コスモス」に入ることにした。ここは高級レストランらしく、入口でジャンパーをクロークに預けさせられた。逆に、こんなラフな格好で入っても良かったのかな?という心配をしたのだが、それは杞憂で、愛想の良い店長が出て来て「あなたが今日のお客第一号です」とか笑顔なので、英語でいろいろと世間話をしながら、ビール2本とニシンの酢漬け、そしてトナカイのステーキを注文した。いずれも上品な味で非常に美味かったのだが、60.9ユーロ(約8,200円)と高くついたぞ。なるほど、北欧ユーロ圏で美味いものを食べようと思えば、その程度の出費を覚悟する必要があるわけだ。

その後、マンネルヘイム通りを散策しつつ、庶民向けのコンビニに入ってジュースやお菓子などを物色する。ジュース類に加えて、リコレツ(Lakrits)という菓子を買ってみた。これぞ、フィンランドが誇る有名な「世界一不味い飴」である。日本ではサルミアッキとも言われるらしいが、サルミアッキはリコレツを用いた菓子の一種なので、厳密には違うらしい。こいつの袋を持ってレジに行ったら、売り子のお姉さんが悪戯っぽい表情で「楽しんで!」と言ってきた。つまり、そういう飴だということだ。

マンネルヘイム通りで、この通りの名の元になった元帥の銅像の写真を撮ってから、3番トラムに乗ってホテルに帰った。そして、自室で例の飴を食べてみたら、なんとも形容しがたい味だった。何しろ、原料となるリコレツの木の根自体が日本に存在しないのだから、俺の知っている他の味と比較しようがないのである。しかし、何個か食べているうちに、少しずつ良さが分かって来たような気がする。フィンランドの子供たちは、みんなこれを健康食として食べるらしいが、「良薬、口に苦し」ということかもしれぬ。そういえば、チェコのベヘロフカやハンガリーのウニクムと似た風味がするのだが、これら養命酒にもリコレツ成分が入っているのだろうか?

ちなみに、この飴を日本に持ち帰り、いろいろな人に食べて貰ったのだが、「美味しい」と喜んでくれた人は皆無であった。それはそれで、悲しいね。

さて、ホテルの受付で、「男性は7時半からサウナを使える」と聞いていたので、時間を見計らって9階のサウナ室に向かった。着いてみると、意外と小さな部屋なので拍子抜け(入口を見つけるのに手間取った)。しかも、更衣室のロッカーの中に、明らかに女物の服が置いてあるぞ。そういえば、先ほど自室に戻るときに使ったエレベーターで、上階に向かう浴衣っぽい女性と鉢合わせた。たぶん、あの人が中にいるのだろう。しかし、時計を見ると、女性が使えると決められた時間帯はとっくに過ぎている。まあ、海外で日本並みの時間的厳格さを期待するのは無理というものだが。ともあれ、あんまり更衣室をウロウロして、「覗き」だと誤解されるのは嫌なので、いったん自室に戻ることにした。

30分くらい部屋でテレビニュースを見て時間を潰してから、もう一度サウナ室に向かう。更衣室には1人分の服が置いてあるけど、明らかにさっきと違って男性の服だ。ならば安心とばかりに、服を脱いでサウナに入る。

シャワーを浴びてからサウナ室のドアを開けると、大柄な一人の白人青年が座っていた。軽く挨拶をしてから、彼の隣に座る。無料だから文句は言えないが、かなり狭いサウナ室で、大人が2人横に並べばもう一杯だ。これは、長居は禁物かなあ。

すると青年が、フィンランド語で何か言ってきた。こちらが英語しか出来ないことを示すと、彼は英語で「水をかけても良いですか?」と言い直した。これが、本場サウナでのマナーである。

ここで説明すると、いわゆるサウナはフィンランド語由来であって、この国こそが発祥の地なのである。本場のサウナは、熱した岩に定期的に冷水をかけることで蒸気を発生させる仕様。そして、岩に冷水をかける人は、その前に周囲の人に警告するのがマナーなのだ(蒸気が噴出する際に驚かせないように)。さて、英語で会話してみたところ、青年はヘルシンキ在住のフィンランド人だった。ここって、外国人観光客専用ホテルというわけではなかったのね。つまり、俺は現地プロパーの人に本場のサウナを振舞ってもらう形になったのだから、想定外のラッキーである。また、サウナでは、隣の人と楽しくお話するのもマナーの一種である。

せっかくなので、青年といろいろと四方山話をした。彼は日本についてほとんど無知だったのだが、ニュースで「働きすぎ」や「過労死」について聞いていたため、この件についていろいろ質問して来た。一般的な状況について説明してから、「俺は自営業だから、そんなに残業しないよ。だから、呑気にここでサウナしているんだし」と答えたら、青年は妙に安心していた。その青年はといえば、ヘルシンキ市内で精神科医を開業している自営業者で、普段はあまり残業しないのだけど、今週はたまたま60時間も働いたために疲労困憊し、それでサウナに癒されに来たのだそうな。「我々は、境遇や立場が似ているね」と意気投合。

こちらもお返しに質問だ。「ロシアの脅威が増しているけど、エストニアやフィンランドの人たちは怖くないの?」。青年は澄ました顔で、「アメリカ軍が助けてくれるさ」。俺「甘いな。アメリカは国力が急速に落ちているから、助けに来られるかどうか分からないよ。これからは中国の時代だぜ」。「ええ?それは本当?」と青年は不安顔。俺「でもフィンランドは、軍隊が強いから大丈夫じゃない?マンネルヘイム元帥とか、俺は尊敬しているよ」。青年「言っておくけれど、彼は残忍な人間だったよ」。俺「むむむ、それはそうかも」。

青年「君なら分かるだろうけど、フィンランドは、EUに入ったときに多額の借金をしたのだ。我々は、国の借金を返すために働いているようなものだ。税金を払うための人生だよ。虚しいなあ」。俺「日本の借金も酷いよ。日本人も、みんなそんな気分で仕事をしているよ」。

俺「フィンランド人って、サウナに入ってから冷水浴をすると聞いたけど、それって本当なの?」。青年「北部の寒いところの人なら出来るみたいだけど、都市の人はやらないし無理だね。僕はやったことないけど、友人2人が試してみたら、たちまち急性心臓麻痺でICU送りになったよ」。俺「やっぱり、そうなんだ!フィンランド人も人間だったんだね!」。

青年「フィンランド式サウナはいかが?」。俺「初体験だけど、すごく気持ちが良いね」。青年「ならば良かった」。俺「楽しい会話が出来て嬉しいよ」。青年「こちらこそ」。

などと意気投合したのは良いが、かなりのぼせたので、一緒にシャワーを浴びてから解散となった。青年はまだサウナを楽しむようなので、俺だけ更衣室に出た。その直後、2人組の白人男性が入って来たので、結果的にちょうど良いタイミングでの解散だった。

すっかり気分も良くなったので、部屋に帰ってすぐに寝た。