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9月22日(木曜日) ドレスデンからプラハへ


(1)第三次ドレスデン散策

(2)ツヴィンガー宮殿

(3)プラハ行き特急

(4)フス通りのプロコプ・ホテル

(5)ブドバー!

 


 (1)第三次ドレスデン散策

7時に目が覚めた。今日のドレスデンは、曇り空である。

昨日と同様に、ホテル1階のバイキングでマンネリ気味の飯を腹に詰めると、中央駅まで歩いて、自動券売機で公共交通機関のチケット1回券(2ユーロ)を入手した。それから、駅前で11番トラムの乗り場を探し当てて通勤客の列に並んだ。

今朝の一発目は、昨夜ガイドブックで「世界一美しい牛乳屋」の住所をしっかりと調べ、ホテルのロビーでトラム路線図を入手しておいた成果を元手に、新市街をじっくり探索しようという目論見であった。

さて、ドレスデンのトラム駅も、ベルリンと同様「到着まであと○分」という表示が出るので、待ち時間にストレスが無くて便利である。

さて、サンクト・ペテルブルク大通りを北上した11番トラムは、途中で左折してウォール通りに入り、ツヴィンガー宮殿の裏手を抜けてからマリエン橋でエルベ川を渡った。それから、国鉄のドレスデン北駅を左側に見ながらバウツナー通りに入ると、見覚えのある景色になって来た。道沿いの住所表示をチェックしつつ適当な場所で降りると、「世界一美しい牛乳屋」ことモルケライ・ゲブリューダーはすぐに見つかった。あいにく、朝早くて開店していなかったのだが、どうせ 、店内は写真撮影禁止である。窓の外から美しい内装を覗き込み、適当に写真を撮っていると、店内で開店準備の作業中だった店員さんたちが、嬉しそうに微笑んでいるのに気づいた。何となく気恥ずかしくなったので、軽く会釈して店を離れた。

バウツナー通り近辺をしばらく散策し、教会などを外から見学する。まあ、あんまり面白くはないね。地霊も無いしね。仕方ないので、中央通りを南に歩いてアウグスト大橋を越えて旧市街に帰って来た。とりあえず、旧市街で時間を潰すしかあるまい。

あ、その途中で、エルベ川の河原に降りて川の水を舐めたことは、いちおう書いておこう。「とりあえず、現地の天然水を舐めてみる」のは、俺の個人旅行の定番の変態企画なのだった。

しかしまあ、 ドレスデンが、こんなに退屈な街だと知っていたら、もっと早い電車でプラハに向かうところだったのだが、予約した電車は夕方発であるから、美術館や宮殿などで時間潰しを図るしかあるまい。

 

(2)ツヴィンガー宮殿

旧市街の観光名所を散策しつつ、ツヴィンガー宮殿にやって来た。美術館(アルテ・マイスター)の開館時間まで、宮殿の中庭を見学したりベンチで読書をしたりして過ごした。ここは、まあそれなりに美しい宮殿なのだが、あんまり感銘を受けなかった。中国人の団体観光客が、あまりにもウジャウジャしていたせいかも分からない。

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やがて10時になったので、美術館に入った。入口は行列だったのだが、いったん入館してみると構内が広いためか、思ったよりも混んでなくて、有名な絵画を見まくりだった。さすがに、名物の「システィーナのマドンナ(ラファエロ)」の周囲は人でいっぱいだったのだが、エル・グレコなどのもっと面白い絵は、意外と不人気のようだった。美術館や博物館は、これくらい空いていた方が楽しいね。

十分に堪能したので、腹ごなしにノイマルクト広場に出て来た。まずは、屋台で「カリーヴルスト」を食べたのだが、ベルリンで食べたものより不味かった。これは失敗だったかも。

仕方ないので、アルトマルクト広場の「のみの市」に入り込み、屋台で焼きソーセージ(ブラート・ヴルスト)を試したところ、こっちはなかなか美味かった。まあ、しょせんはソーセージだったわけだが。

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ここアルトマルクト広場の「のみの市」は、古着やお菓子やソーセージの屋台が並び、なかなか楽しい雰囲気だった。子供用の小型観覧車も大活躍だった。

それにしても、ドイツ人の子供は全然可愛くないね。さすがの秋元康先生も、これではDTL48(ドイッチュラント・フィアツィヒ・アハト)を結成する気にはなるまい(笑)。

その後は、近所の大型スーパーマーケットや書店を回り、お土産品のカップヌードル(友人に頼まれていた)やお菓子類やジュース、カレンダーや絵葉書を買い込んだ。

まだ1時過ぎだが、他にやることも思いつかないのでホテルに帰って来た。すると、カードキーが作動しなくて部屋に入れないでやんの。どうやら、チェックアウトの時間が過ぎたかららしい。こういうところが、電子キーの融通が利かないところだ。仕方無いのでフロントに戻って、受付のお姉さんにカードキーに磁気を入れ直してもらった。

部屋に入ったその後は、プラハ行きの電車の時間まで昼寝をしようと思っていたのだが、しばらくするとドアの外が騒々しい。ベッドメイクの登場だ。まあ、ホテルというのはそういうものだよね。やむを得ず、荷物を纏めチェックアウトして、ドレスデン中央駅に向かった。

バスタイ・ホテルは、まあ普通の観光用ホテルであった。悪いところは一つもないけど、逆に機能的過ぎて、面白みがなかった。

つまり、ドイツという国の在り方の象徴のようなホテルであった。

 

(3)プラハ行き特急

ドレスデン中央駅では、構内の喫茶店でカフェオレと妙に甘いケーキを楽しみつつ、読書三昧で時間を潰した。それに飽きると、構内の土産屋を物色して絵葉書などを買い込んだ。この駅で、所持しているユーロを使い切らなければならない。何しろ、これから入るチェコ共和国では、コルナ通貨しか使えないからだ。

やがて時間になったのでホームに上がると、定刻どおりに特急列車が現われた。おやおや、またもやCD(チェコ鉄道)の旧式車輌かよ。がっかりしつつも、2日前と同様の手順でコンパートメントを探し当て、窓際の予約席に腰を落ち着けた。

この列車はかなり空いていたので、同じコンパートメントに入ったのは、2人連れの10代半ばの女の子だけだった。その片方は、金髪碧眼で物凄く可愛いのだが、ドイツ人の中に美少女が存在するわけがないので(←言い切った!(苦笑))、きっとチェコ人だろう。だけど、この娘ときたら、黒髪のブサイクな相棒とジャレまくって、座席の上で寝そべったり、何だか態度がだらしない。オイラは、こういう子供が嫌いだ。だから、お友達になるのは断念した。

さて、15:08に出発した特急列車の車窓は、とても楽しいので、読書はほとんどしないで景色をひたすら見続けた。

ドイツとチェコの国境は、かなり険しい山岳地帯だ。エルベ川とその流域のわずかな面積だけに緑の平野があって、それ以外の場所は日本の信越地方並みの茶色い山々が左右を埋め尽くす。そういうわけで、 自動車道と鉄道線路は、エルベ川にぴったりと沿って、グネグネと蛇行しながらチェコを目指すのだった。こういったシチュエーションは、日本だと珍しくないけれど、ヨーロッパ中部では稀かもしれない。

左右の茶色い山々は、「ザクセンのスイス」と呼ばれる景勝地を形成している。日本で言うと、信州の妙義山のような形状の、奇妙に威厳のある岩山が続くのだ。これが、なかなか楽しい。

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景色を存分に堪能しているうちに、列車はいつの間にかチェコに入った。感動である。

ドイツとチェコは、山を隔てて地理的に近接しているのだが、土地柄が随分と違うように思う。ドイツは平野がちで緑の色が濃いのだが、チェコは丘陵が多くて緑の色が淡い。

ようやっと険しい山岳地帯を抜けたというのに、電車がエルベ川、じゃなくてヴルタヴァ川に沿って蛇行して進む理由は、チェコは丘陵が多い土地柄のため、川沿いの方が線路や道路を通しやすいという事情によるのだろう。

沿線から見える看板などで、独特のウムラウト付きの文字を見ると、「とうとう、チェコにやって来たな」と実感する。

電車は、デチーンを抜けて南下し、ウースチー・ナド・ラベムでしばらく時間待ち停車をした。この駅で意外と人の乗り降りが多いのは、ここが交通の要衝だからだろう。

ここウースチー・ナド・ラベムは、15世紀の「フス派戦争」で戦場となった場所である。ドレスデン方面からチェコ征服を目指して南下して来た「第4次異端撲滅十字軍」が、待ち伏せしていたフス派のチェコ軍によって壊滅的敗北を喫したのだ。なるほど、車窓から周囲の地形を見ているだけで、その時の状況が理解できる。険しい「ザクセンのスイス」を抜けて、ようやっと緑の平野に出て来た十字軍に対して、チェコ軍は平野が広がり始める手前で攻撃を仕掛けたのだろう。十字軍は、隘路の中で数の利を活かすことなく、疲労した状態で戦闘に突入して、当然のように敗北したのに違いない。

この戦いに興味がある人は、拙著「ボヘミア物語」を参照してください(←姑息な営業(笑))。

この地を出発した特急列車は、次第にプラハへと近づくのだが、トンネルに入ったり高架の下を潜ったりすることが多いので、ボヘミアは本当に起伏の多い土地柄だと実感できる。また、あちこちに散見される丘が、美しい黄緑色に彩られているのも印象的だ。チェコの民謡に、やたらと「ホラ(丘)」とか「ゼレナー(緑)」が登場する理由が良く分かる。俺も、景色を見ているだけで何か歌いたくなるもんな。ドイツの平野続きの単調な車窓より、断然こっちの方が楽しいや。

やがて、川沿いを蛇行しつつ進む列車の行く手に、威厳ある地霊まみれの巨大な建物が見えてきた。ああ、忘れもしないプラハ城よ。思わず、車窓に身を乗り出して歓声を上げてしまった。しかし、この地は何しろ丘が多いので、お城はすぐに丘の背後に隠れて見えなくなってしまった。考えたら、プラハ市は4つの大きな丘に囲まれているのだから、丘と丘の隙間からしか市街を覗けないのである。

少しずつスピードを落として来た列車は、プラハ北郊に位置するプラハ・ホレショビッツ駅でしばらく停車した。すると、同乗してきた女の子2人連れが、荷物を纏めて降りて行った。この子たちは、庶民が使うこの駅で降りるということは、 やはり観光客ではなくてチェコの現地人だったのだね。美少女の方と眼が合ったとき、これまで俺が見たこともないような可愛い笑顔を浮かべて軽く手を振り、「バイバイ♪」とハスキーヴォイスで挨拶してくれた。うおー、萌えるー!久しぶりに「ロリ萌え」だあ。こうして見ると、俺様の中のロリ根性は、決して風化したわけでは無かったのだな。

やはり、チェコ人は良いなあ!特に、スラヴ系の美少女が!

秋元康先生にはぜひ、CZH48(チェヒ・チテェジツェット・オスム)の結成をお勧めいたしますぞ!もっとも、握手会に参加するのは、俺一人だけかもしれないが。そして、神7のハートはオイラが一人占め(萌)♪

ホレショビッツ駅を出た電車は、ノロノロ運転のままトンネルの中を蛇行しつつ進み(丘が多いから)、17:28の定刻通りにプラハ主要駅に到着した。

おお、約10年ぶりのプラハだ!

ホームへの降り際に、隣のコンパートメントの乗客同士が別れを告げつつ「ビールを楽しんで来てね!」などと英会話しているのが耳に入った。やはり、「チェコといえばビール」というのが国際的な一般認識なのだろうか?

ちなみに、ベルリンからドレスデン経由で走って来たこの列車は、オーストリアのウイーンまで行く予定である。ベルリンからウイーンまで、随分と近い時代になったものだ。

 

(4)フス通りのプロコプ・ホテル

さて、約10年ぶりのプラハ主要駅だが、すっかり様変わりしていて驚いた。

なんというか、キンキラキンなのである。ベルリンやドレスデンの中央駅よりも、遙かに派手な感じである。それなのに下品な印象を与えないのが、いわゆるチェコ・クオリティであろうか?構内のデザインが、いちいちアールヌーボー、アールデコしているのだ。

praha station

両替所で5,000円を900コルナに両替し、便所(無料)で用を足すと、しばし駅構内を散歩した。いやあ、こんなにキンキラキンで、しかも上品な鉄道駅に来たのは初めてだ。大好きな国が、こんな風に発展しているのを見ると心から嬉しくなる。

さて、ホテルはジシコフ地区なので、駅から徒歩で行ける距離だろう。そう思って、ボストンバックを抱えて、勝手知ったるヴィトコフ丘方面を目指したのだが、街路がすっかり様変わりしていて戸惑った。9年前は、頭上に高架線なんか走っていなかったぞ。

しかし俺は、プラハの地名を全て諳んじている男なのだ。道路標識を頼りに試行錯誤しつつ進むうち、ヴィトコフの丘が見えてきた。おお、頂上に見えるのは、全高3メートルのヤン・ジシュカ将軍騎馬像だ。将軍、お元気そうで何よりです。だけど、将軍像のすぐ下の丘の中腹に、巨大なトンネルが出来ていて、ローカルの鉄道線路が走っている。ううむ、歴史名所を穴だらけにするとは!もっとも、日本もドイツもそれは一緒だから、あまりチェコの悪口も言えない。近代化とか産業発展というのは、基本的にそういうものなのだ。

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さて、首尾よくヴィトコフの丘の麓を走るフス通りに入ってから東進し、ホテルがあるはずのプロコプ通りを目指す。狭い路地に何度か迷いこみながらも、プロコプ・グループのホテル「ウ・トリ・コロネッツ」に辿り着いた。

チェックインしてからカードキーを貰って4階の部屋に行くと、緑色と白色を基調としたシックな木材基調の内装の上に、ムハ(ミュシャ)の絵が飾られたお洒落な部屋だった。おまけに、バスタブがちゃんと付いている!そして、窓からはヴィトコフの丘が見える。さすが、チェコのものは、何もかも上品で優れているのだなあ。

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ドイツのものは、機能面ではチェコより優れているのが多いけど、何か、潤いがなくて非人間的なのである。総合的に考えるなら、やっぱりチェコの方が良い。

さて、この辺りは、実は「フス派戦争」の古戦場なのである。拙著「ボヘミア物語」の中で、チェコ征服を目指す「第一次異端撲滅十字軍」が、フス派を率いるヤン・ジシュカ将軍の必殺の車砦戦術で壊滅的打撃を受けて敗走したのが、正にこの場所だ。だからこそ、この周囲にジシュカ将軍の騎馬像があったり、フス通りがあったり、プロコプ(=ジシュカと並ぶ、フス派の英傑の名)通りがあったりするのだ。

今回の旅行中のホテルは、旅行会社が勝手に手配したのであるから、俺がこのような因縁の場所に宿泊したのは、あくまでも偶然の結果である。それにしても、自分の著作の中で惨殺しまくった騎士たちの怨念に囲まれて眠るというのは、いったいどんな気分なのだろうか?

今から楽しみだ(笑)。

 

(5)ブドバー!

夕方6時半を回ったので、夕飯を物色しに街に出た。

チェコは、ドイツと違って暖かい。南に移動した甲斐があったというものだろうか?

フス通り(フシツカー)の沿道を、ジシュコフの丘を右手に見ながら市街中心に向かって歩くと、この通り沿いには雑貨屋やカジノ、パブなどが多いことに気付いた。また、「エロビデオ」の看板を堂々と出している店があったりして笑った。余裕があったら、どんなビデオが置いてあるのかチェックしてみようか。

沿道に散見されるパブは、どこもビールを飲ませる店なのだが、あまり馴染みのない銘柄が多いので店を選ぶのに困った。チェコのパブは、どこかの酒造と直接契約しているケースが多いため、限定された種類の銘柄しか置いていないのだ。

とりあえずは、定番のピルスナー・ウルケル(プルゼニスキー・ブラズドロイ)かブドバー(ブジェヨスキー・ブドバル)か、スタロプラウメンが飲みたいよなあ。ところが、フス通りの店には、結局、これらの銘柄の看板やポスターが置いてなかった。どれも庶民向けのお店みたいだから、観光客が喜ぶような銘柄は置かないのだろうか? 店内で、英語が通じる保証もないし。

仕方ないので、足を伸ばして旧市街まで行こうかとも思案したのだが、それは明日の楽しみに回した方が良い。そこで、ホテルのレストランで食事することにした。

元来た道を引き返して、ホテル「ウ・トリ・コロネッツ」の1階レストランに入ったところ、客も従業員も誰もいやしない。「ハロー!」と厨房を覗き込んだら、金髪のお姉さんが一人、椅子に腰かけてスマホをしきりに弄っていた。

これが、チェコ・クオリティである。彼らは、他人がいない場所では、たいていサボっているのである。だけど、必要な仕事はしっかりとやり遂げるから、そこはイタリア人とかキューバ人とは訳が違う。

ちなみにドイツ人は、日本人と同様に、他人がいないところでも必死に勤勉に働く奴らだ。偉いと言えば偉いけど、ある意味で、チェコ人よりも非効率的なのではなかろうか?適当なところで手を抜くことも、健康な労働にとって大切ではないかと思う。真の知性とは、そういうことではなかろうか?

さて、スマホの始末をつけたお姉ちゃんは、面倒くさそうに奥から出て来て、勝手に真ん中のテーブル席に座ってふんぞり返っていた俺に、メニューを渡した。それで俺は、メニューの一番上にあったブドバーと、プラハハムというのを注文した。

いよいよ、念願のチェコビールだ。もっとも、3年前にもポーランドで飲んだような気がするが。

美味い!美味い!うまーーーーい!!

冗談抜きで、ブドバーの生の美味さと来たら、この世のものとも思えないほどだ。これまで飲んできたドイツのビールなど、馬の小便としか思えない!

ちょうどその時、店内の有線放送でR.E.Mの「Man  on the moon」が流れて来た。この「世界で最も重要なロックバンド」が、突然の解散表明をしたのは、今日のお昼のmixiニュースで知って衝撃を受けたところである。チェコビールの超絶的な美味さと相まって、何だか感動で涙が出て来たぞ。

肴として頼んだプラハハムは、ハムに根菜とサワークリームと西洋ワサビが巻かれて入っているという、ややもすればゲテモノ扱いされそうな料理だが、甘味と辛味とサッパリ味が全部混じって、ブドバーの美味さと絶妙なコンビネーションなのであった。つまり、すげえ美味かった!

ううむ、やはりチェコの方が、グルメの面でもドイツより優れているのだな。

スマホ姉ちゃんは、意外と愛想の良い人だったので、いろいろと英語で世間話をし、また、チェコ語での「お勘定」の言い方を教えてもらったりした。

すっかり満足したし、外はすっかり暗くなっていたので、部屋に帰って風呂に入って読書して寝た。明日は、プラハ観光だ。