歴史ぱびりよん > 世界旅行記 > ハンガリー旅行記(附第二次オーストリア旅行記) > 7月8日日曜日 ペスト地区観光
英雄広場
6時半に起きた。
今日は、ペスト地区を中心に観光し、温泉をハシゴし、しかも土産も買わねばならぬハードな日である。
ホテルのバイキングは、イマイチだった。それなりにいろいろ置いてあるのだが、朝っぱらから野菜の煮込み(コテコテしてる)やフォアグラ(山盛りになっている)なんて食いたくない。適当につまんでパンと紅茶で腹を膨らせた。どうも、ハンガリー料理は、原則的に俺の腹に合わないということらしい。残念だ。
さて、こうして7時半にはホテルを出た。最初の目標は、ゲッレールト温泉である。18番トラムでモスクワ広場に出てから、歩いてバッチャーニ広場へ。思ったより遠かったが、朝の空気が美味かったので、あまり足の痛みも気にならなかった。
美しい教会に囲まれたバッチャーニ広場から、19番トラムに乗り、ドナウの川沿いに南下して自由橋まで出た。いやあ、この川沿いのトラムは実に楽しい。朝の陽光を浴びたドナウが、左側の窓外に一面に広がる。
ゲッレールトホテルの前が、トラムの駅だった。取りあえず、ホテルに飛び込んで1万円を両替したところ、なぜか2万数千フォリントにしかならなかった。こんな一流ホテルがインチキするはずないから、どうやら為替相場が、ここ数日で大きく動いたということらしい。
温泉の入口は、ホテルの裏手にあった。アーチ状の立派な門を潜る。ここはホテルに附属した温泉なのだが、外来者も利用できる。ただ、1,600フォリントだから、ちょっと高い。世界的に有名だからって、ぼっているのだろう。入り方は、ルダシュの時と同じだった。
大浴場には、大きな四角い浴槽が二つあった。入口から入って左手が36度、右手が38度の湯温だ。青く彩色された煉瓦に囲まれ、荘厳な彫刻に彩られた幻想的な空間だった。その奥の部屋にあるサウナもやっぱり気持ちいい。でも、個人的にはルダシュの雰囲気のほうが好きだ。
ゲッレールトが世界的に有名なのは、この温泉ではなく温泉プールが立派だからである。大理石の石柱に囲まれた美しい空間は、ガラス窓越しに拝ませてもらった。
さて、8時半になったので、風呂上がりの体を朝のそよ風で涼ませながら、自由橋を渡ってペストに入った。東駅と地下鉄M2以外では、これが俺のペストデビューであった。
でも、日曜の早朝のため、有名な中央市場をはじめとする店舗は、ことごとく閉まっていた。そのまま環状通りを東へ歩くと、荘厳な建物が姿を見せ始めた。これが、本日の第二目標「国立博物館」である。ここにはハンガリーの歴史がギッシリ詰まっているから、きっとインスピレーションを得て新たな創作意欲が涌いてくるはずであった。でも、開館時間(11時)まで、随分と時間があった。
しょうがないので、アストリアホテルの前まで歩いて、M2のアストリア駅に入った。ここからデアーク広場駅に出てからM1に乗り換え、先に英雄広場を見に行こうと考えたのだ。
アストリア駅には、紙パックのアイスティーの自動販売機があったので、さっそく温泉で乾いた喉を潤した。実は、ポケットに小銭がたまり始めて面倒だったのだが、ここで小銭を(少し)崩せて助かったのである。まさに一石二鳥である。それにしても、ヨーロッパで自動販売機を置いている国は、俺が知る限りチェコとハンガリーだけである。これは、どうしてなのか?なかなか不思議な気がする。ともあれ、旅行者にとってはありがたい事だ。
デアーク広場駅では、盛んに検札をやっていた。駅員が数人ずつ何組かに分かれ、3つの地下鉄の入口にそれぞれ張り込んでいた。乗り換えを志した俺は、何度も捕まったので面倒くさかった。それにしても、ヨーロッパで検札にあったのは、これが始めてである。ただ乗りを決め込む悪人が多いのであろうか?
ようやく地下鉄M1(黄色い電車)に乗り込んだ。ロープウエイのゴンドラみたいな小さな可愛い車両だ。駅はみな、白と黄色の煉瓦で覆われていて美しい。後で聞いた話では、これがヨーロッパ最古の地下鉄なのだそうな。
地下鉄は、アンドラーシ通りを東に進み、やがて英雄広場駅に着いた。ホームから地表までは、わずかに階段で30段だった。これほど地表に近いところを走る地下鉄も珍しい。
英雄広場は、思ったよりも大きい。ここは、ハンガリーの建国者や歴史上の偉人の銅像が立ち並ぶ場所なのだ。なかなか、観光客で賑わっている。
ひとしきり写真を撮ってから、広場の裏手に広がる広大な市民公園の散策に出かけた。大きな池を囲む形で広がる公園には、俺の大好きな水鳥が多い。ふらふらと歩いていると、やがてセーチェニ温泉に出た。
しばし、建物の周りをウロウロすると、裏手は、自動車道を挟んでサーカスや動物園が並ぶ子供エリアだった。可愛い子供が見たければ、動物園に突入するのが賢明であろう。しかし、そんな時間の余裕はありそうにない。しばし悩みながら、温泉の入口付近を彷徨う。
ええい、ままよ!温泉の入口に入り、受付のオバちゃんに「水泳帽持ってないけど大丈夫?」と英語で聞いたら、いきなりレジを叩いて、温泉用チケットを発行してくれた。本当は、水泳帽を貸してくれるかどうか聞いて、オーケーならプールのチケットを貰いたかったのだが、まあ、温泉でも構わない。・・・ハンガリーには、水泳帽を持たない人は、プールで泳げないというルールがあるのだ。どうしてか?それは良く分からない。
さて、陽光に照らされた、広大な中庭の屋外プールを窓から眺めながら更衣室に向かった。やはり等身大の大きなロッカーを借りて、その中で着替えてから係員を呼ぶ。係員の青年は、俺に47番と書かれた小さな金属の符牒を渡し、ロッカーの扉の内側に白いチョークで同じ番号を書いてから施錠した。そして、このロッカー番号(360号)を覚えるように、とドイツ語で俺に指示した。つまり、青年の持つカギと、俺が持つ符牒と、俺の記憶によって三重のチェックが掛かったのである。これは、なかなか厳重だ。
青年は、次に温泉の構造について説明してくれたのだが、ドイツ語なので良く分からなかった。でも、手振りや身振りで、おおよそのことは推測できる。
さて、水泳パンツ一丁の俺は、真昼の陽光をテカテカに浴びる中庭に出た。この広大な庭には、3つのプールがある。真ん中は、冷水プール、つまり普通の遊泳用プールだ。ここでは、水泳帽の着用が義務付けられている。監視員はプールサイドで目を光らせ、利用者は気合を入れて泳いでいる。その堅い雰囲気に恐れをなした俺は、水泳帽を持ってなくて良かったなあ、と思った。
更衣室から見て右側は、暖かい温泉プールだ。プールサイドのあらゆる縁から噴水が噴出し、老人たちが楽しそうに泳いでいる。左側は、少しぬるめの温泉プールだ。ここは、比較的、若者や子供が多い。俺は、これらの様子を望見しながら、更衣室とプールを挟んで反対側の棟まで歩いた。ここにシャワーがあるらしいからだ。
棟の中は随分と広くて、立派なサウナや通常の温泉の浴槽がいくつもある。シャワーを浴びた俺は、少し屋内温泉に浸かってのんびりしてから、再び屋外に出て、暖かいほうの温泉プールに入った。
この美しいプールは、様々な観光ガイドに出てくる名所なのである。最も有名なのは、プールの両端に一台ずつ据えつけられた、チェス盤である。一台につき3つのチェス盤が置かれ、陶器のコマを握った老人たちが、難しい顔で角逐に精を出している。その周囲では、大勢の観衆が無言で勝負を見守っている。これがいわゆる「風呂チェス」だ。これは、普通の観光ツアーでは、なかなか見られない光景だ。だから、個人旅行は楽しい。
プールそのものも、とても気持ちよい。へーヴィーズと違って、ちゃんと足が立つ(当たり前だ)。日本の温水プールと同様、塩素の臭いが少々きついけど。
ただ、老人ばかりなのが気にいらない。そこで、反対側のプールに移ることにした。こちらは少しぬるめだが、だからこそ若者や子供たちが多い。プールの中央に大きなドーナツ型のエリアがあって、ドーナツの中心がジャグジーに、輪の部分が「水の流れるプール」になっていた。言うまでもなく、中心は老人の天国(俺にとっては地獄)であり、輪は子供たちの天国(俺にとっても天国)である。俺は、輪のほうに入って、若者や子供たちと一緒に流れて遊んだ。当然であろう。でも、端から見たら、きっと異様な光景だったろうな。
結局、無帽だと入れないのは、中央の冷水プールだけだった。わざわざ水泳帽を入手しなくて良かったなあ。
サウナのハシゴもして、すっかり堪能したので、1時間くらいで上がることにした。それにしても実に楽しいところだ。別の棟にはレストランやカフェもあるし、これだけ温泉の種類が充実しているなら、一日中いても厭きないだろう。はっきり言って、小涌園の「湯うとぴあ」よりも、こっちの方が楽しい。もしも時間に余裕があれば、もう1時間くらいいても良かったのだが。
ともあれ、着替えて戸外に出たらもう12時だ。ちょうど腹が減ったなあ、と思ったら、公園の屋台で名物「ペレツ」を売っていたので試してみる。「ペレツ」は、棒状のパンをいくつも網状に重ね合わせて焼き上げた塩味パンだ。随分と大きいので心配になったが、かなりいける味だったので、公園のベンチに座りながら一気に食べ終えてしまった。その後、別の屋台でジュースを買って喉を潤し、あっという間に昼食は終わりだ。何しろ時間が無いのだから、飯ごときにモタモタしてはいられない。
ともあれ、市民公園を一周してみる。ペスト地区最大の緑地というだけあって、随分と広大だ。池の中洲には厳しい城が建っているし(公園用に造った城だから、由緒は正しくないが)、いたるところに博物館がある。また、北のエリアでは日曜ガラクタ市が開催されていて、多くの市民で賑わっていた。
英雄広場に戻る途中、二人の少女が、それぞれ二匹の大型犬に、池の中に放ったソフトボールを取って来させる競争をしていた。二匹のワンちゃんが、並んで泳いでいく姿は圧巻である。俺は、犬も好きだが少女も好きなので、しばし見とれてしまった。
ようやく英雄広場に帰り着き、再びM1に乗って聖イシュトバーン大聖堂を見に行った。あいにく補修中だったけど、荘厳な外観だけでも大満足だ。それからエリザベート広場をウロウロして、再び黄色いM1に乗ってデアーク広場に出たら、まだ検札中でやんの。しつこいねえ。それにしても、この広場は随分と小さい。モスクワ広場にせよ、バッチャーニ広場にしろ、ブダペストの広場は、児童公園くらいの大きさしかないのだ。これはどうしてなのか?気になるところではある。
それから、青いM3でカルヴィン駅へ。そこから歩いて国立博物館の前まで行ったら、あっとビックリ。「改装中につき2003年まで閉館」だそうな。なんのために、ここまで来たのか?まあ、地下鉄3路線を制覇するという意味はあったが。
それにしても、博物館で歴史に関する勉強が出来なかったのは残念だ。俺の創作意欲というのは、だいたいこういう場所で刺激されるから、もしかすると畢生の大作を著す機会をフイにしたのかもしれない。
でも仕方ないので、ウインドウショッピングをしながらヴァーツイ通りを目指す。しかし、日曜なのでほとんどの店が閉店である。嫌な予感がするぞ。アストリアホテルの前で左折して、エリザベート橋へと向かう。この通りに「ヘレンド」の専門店があるはずなのだが。あった、あった、でも閉まっている。・・・ああ、どうしよう。
実は、母親はともかく、女友達に「ヘレンド」の小物を買ってくるよう頼まれていたのだ。・・・そうそう、とりあえず、酒屋でトカイワインを買わないと。
そこで、エリザベート橋の入口の手前を右折して、ブダペスト最大の繁華街ヴァーツイ通りに入った。ここなら、開いている店もあるだろう。
おお、さっそく雰囲気の良い酒屋を見つけたぞ。狭く薄暗い店内には、意外なことに20代前半くらいの可愛らしい女性が座っていた。軽妙な英語で、愛想よく商品を紹介してくれる。おお、姉ちゃんも品物も気にいったぜい。とりあえず、トカイワイン(辛口)を2本見繕ってもらい、ついでに脳味噌はナンパモードである。店内に客は、俺一人だ。というわけで、現地妻第一号は、コイツに決定!声をかけようとした瞬間、客の群れがドヤドヤと入ってきやがった。ちぇ。こうして、追い出されるように店を出た。
ヴァーツイ通りといえども、日曜は半分以上の店が閉まっている。でも、開いている店に入って商品を冷やかすのも、また楽しい。屋台で、刺繍製品をいくつか買った。まあ、お土産にスペアを用意しておくのは旅行の基本である。
そのまままっすぐ歩き続けると、やがて左手にインターコンチネンタルホテルが見えてくる。そこを左折してから、ドナウに突き当たったところを右折すると、鎖橋が見えて来た。
これは、19世紀に架けられた、ブダとペストを結んだ最初の橋である。大貴族のセーチェニ・イシュトヴァーンが、自腹を切って建設したのである。そんな大事業を個人にやらせるとは、どうやら、ハンガリーの国は貧乏だったらしい。もっとも、ヨーロッパには古代ローマのころから、「裕福な個人がインフラを提供する」という社会的伝統があるから、日本人の狭い考えで、あれこれ論じてはいけないのかもしれない。
ただ、その橋は第二次大戦でドイツ軍に破壊されたため、ここにあるのは戦後に架け直したやつだ。ヨーロッパに来るたびに、第二次大戦の恐ろしさが身にしみる。どうも、ブダペストには、築60年を越えている建物は無さそうな雰囲気だ。
ともあれ、鎖橋をブダ地区に向かって渡ってみた。橋の真ん中は大きな車道、橋の両脇が歩道になっているから、日本の勝鬨橋あたりと同じ雰囲気だ。ただ、橋の入口にライオンの像が2頭ずつ座しているのが楽しい。橋の途中には、ジプシーの親子や子供が大勢座って物乞いをしていた。こういうのを見ると、暗い気持ちになってしまう。
さて、ブダ地区に出た。目の前には、初日に見かけた箱型ケーブルカーがある。迷わず窓口に行ってチケットを買い、短い距離ながら眺めを楽しみつつ王宮の丘に昇った。ここから城内の店を物色しつつ、ウイーン門からホテルに帰って荷物を下ろす算段である。
汗を拭いながらマチャーシュ教会の方へ歩くと、商店街の中に、初日に見かけたヘレンド屋さんが開いていた。これは、ラッキーだぜ。上品なオバサンが一人でやっている店だった。さすがに、オバサンをナンパする覇気はないけどな。オバサンは、親切に英語でいろいろと教えてくれる。でも、やっぱり高い。小物でも10,000円くらいするわい。しかも、カードは使えず、現金オンリーだとか。こいつは参った。フォリントの持ち合わせが無い。するとオバサンは、日本円でも大丈夫と言う。腰巻の中に5万円ほど隠し持っていたので、これを使って、小物を3つ買うことにした。
オバサンは包装しながら、ハプスブルク家の話をしましょうか、と言ってきた。こやつ、俺を歴史マニアと知っての発言か?来るなら来い!最初は、やはりルドルフ1世とマルヒフェルトの戦いか?・・・と思ったら、オバサンは皇后エリザベート(シシー)の話がしたかっただけらしい。俺は適当に、あの人は美人ですねえ、ハンガリー想いでしたねえ、とか相槌を打ってやった。
さて、こうしてお土産をゲットすることに成功した。残る目標は、温泉ハシゴの完遂と名所見学の達成である。・・・その前に、ホテルに帰ってワイン2本と壊れ物を安置しなければならぬ。そこで、ウイーン門から王宮を降りて、モスクワ広場から56番トラムでホテルに帰った。時に、午後2時半。
ホテルのベッドの上に寝そべりながら、次なる計画を纏める。やはり、当初の計画通り、ブダペスト北方をターゲットにするべきだ。すなわち、マルギット島、ルカーチ温泉、そしてローマの遺跡アクインクム。
それにしても、足の痛みはますます激しさを増している。長距離を歩くのは、ちと辛い。良く見ると、右の薬指の横に巨大なマメが出来ている。これが割れたらたいへんなことになるだろう。でも、ここで居すくまっていては折角の旅行が台無しになる。そこで足のマッサージを急いで済ませると、勇気を持って最後の挑戦に打って出たのである(大げさだねえ)。
トラムでモスクワ広場に出て、再びバッチャーニ広場まで歩いた。ここで郊外電車ヘーブに乗り込み、マルギット橋の下まで行った。ヘーブというのは、ブダペスト市の北端及び南端から、それぞれ南北に伸びている緑色の電車である。俺が乗り込んだのは、北方のセンテンドレまで伸びている路線である。余裕があればセンテンドレ(落ち着いた良い街らしい)まで行きたかったのだが、今回は断念するしかない。
マルギット橋駅で降りてから、「地球の歩き方」を頼りにルカーチ温泉まで歩いた。黄色い大きな建物だが、入ってすぐに緑に覆われた中庭があって、まるで病院のような雰囲気だ。事実、もっぱら医療目的に使われる温泉であるらしい。困ったことに、英語が出来るスタッフがいないので、必殺のパントマイムを全開だ。なんとかチケットを手に入れて中に入ったのだが、観光用の施設ではないので看板も少なく、何度も道に迷いながらようやく更衣室に辿り着いた。
一人しかいない係員の兄ちゃんは、イマイチやる気がないらしく、ぼーと窓から身を乗り出してプールの様子を眺めている。ゴージャスな水着ギャルでも転がっているのかいな?いちおう、呼び止めたら、ちゃんと仕事したけどな。更衣室の仕組みは、ルダシュやゲッレールトと同じだ。水着に着替えて、温泉の浴槽に向かった。他の温泉に比べて多少ぬるめだが、成分は濃いようだ。さすがは医療用である。薄暗いコンクリートの屋内に4種類の浴槽があり、サウナもある。他の温泉に比べると、なんだか殺風景な雰囲気であるが、意外と若い女性が多かったので、その白い肌を見ているだけで心が和んだ。
30分ほどで温泉を出て、温泉前の18番トラムでローマの遺跡に向かう。ブダペストは、古代ローマ軍団の駐屯地として歴史の幕を開けた。アクインクムの有名な遺跡は、当時のローマ人たちが集った円形劇場跡なのである。鉄柵越しに大きな遺跡を眺めた。やっぱり、イタリアのローマで実見したものとは比べるべくも無い。まあ、これでも何かの記念になるだろう。
今度は、オーブダ地区を自動車道沿いに北に歩いて、マルギット島の北端を目指した。マルギット島は、ブダペスト市北方に位置するドナウ川の中洲である。南北2キロに細長く伸びたこの島は、その全体が総合レジャー施設になっている。島の南端は、マルギット橋によってブダとペストに結ばれている。島の北端は、アールパート橋によってブダとペストに結ばれている。俺の狙いは、アールパート橋からマルギット島に入り、この島を縦断してマルギット橋に出、それから飯を食ってホテルに帰るというものだった。
それにしても遠いわ。歩けど歩けど、アールパート橋が見えてこない。足は、やっぱり痛いしなあ。沿道の雑貨屋でミネラルウオーターを買ったら、99フォリントだった。ゲッレールト丘や市民公園では、平気で200~300したんだが。やはり、市内の観光地は、ぼっているのだな。・・・たいした問題ではないけど。
ようやく、味も素っ気もない大きな自動車道アールパート橋に達した。ここまで来てしまうと、もう世界遺産都市の雰囲気はない。東京と同じだ。でも、ドナウ川はどこから見ても美しいな。墨田川とは大違いだ。
ハンガリーの川辺や湖や公園を散策して感心したのは、文字通り、ゴミ一つ落ちていない点である。ハンガリー人の公共道徳は、恐らく日本人より上なのだろう。
橋を渡って、のどかな家族連れが行き交う島の入口から入る。島の北端に大きな駐車場があり、大型バスが多く停まっているのは、島の北部に大きなホテル(マルギット温泉ホテル)があるからだろう。ここで足の痛みが限界に達したので、ドナウの川辺に寝そべって、傾きつつある陽光の中で川の流れに見とれた。鋭気を養ってから、島内の探索に移る。
マルギットというのは、ベーラ4世王の姫の名である。このお姫様は、モンゴルの襲来で荒廃した国土に心を痛め、この島の修道院に一人で篭り、その生涯を祈りの中に送った。当時の人々は、モンゴルが二度と襲ってこなかったのは、この姫の清心な祈りのお陰と考え、この中洲をマルギット島と呼ぶようになったのだ。もっとも、トルコの占領時代にはハーレムになっていたらしいけど。
ともあれ、緑の多い気持ちの良い公園だ。南北2キロ、東西600メートルの全域が緑地になっているのだから凄い。花壇には美しい花々が咲き乱れ、芝生の上では子供たちが球技に興じている。野外レストランや野外劇場も充実している。こんな立派な公園で過ごせるなんて、もしかするとハンガリー人は日本人より幸せなのかもしれない。
島の南端からマルギット橋に出た。そのままブダ地区(西岸)に渡り、再びルカーチ温泉の前へ。ここに、ハンガリー料理屋「マロムトー」があるのだ。
俺は、ウニクム(ハンガリーの養命酒)と白ワイン、サクランボスープ(夏の名品)とガーリック風味の鯉のフライ、そしてデザートにパラチンタ(クレープ)を注文した。いやあ、ウニクムは強烈だ。パーリンカよりきつい。スープは甘酸っぱくて美味い。鯉は、ガーリックがきつすぎて、素材の味が良く分からなかった。白ワインも、昔イタリアで飲んだ奴に比べると不味かった。ラズベリー風味のパラチンタは、ハンガリーが誇る名品だけにかなりいけた。ついでにカプチーノを頼み、ハンガリーでの最後の晩餐は幕を閉じたのであった。もちろん、多めに払って店を後にした。
とりあえず、これでハンガリー料理のエッセンスは試し終えたことになる。心残りは、ロールキャベツとハラースレー(淡水魚のグヤーシュ)だ。本当はリバマーイ(フォアグラ)が一番の名産なのだが、俺はフォアグラが嫌いなので、これは最初から論外だった。
総括するなら、基本的にハンガリー料理は俺の口に合わなかった。唯一の例外はグヤーシュである。これは、日本で食べたどのシチューよりも美味かった。
さて、ハンガリー人は一般的に、中年になると男も女もブクブク太りだす。その理由は、恐らくカロリーの高いものばかり食べているからだ。少しはオーストリアを見習って、寿司とか食えばいいのにねえ。街で、ビア樽のようなオバサンが、カモシカのような肢体の美少女を連れ歩くのを良く見かけた。ああ、あの娘も20年後には・・・これこそ、諸行無常というものだ。
などと想像を巡らせながら、ホテルへ向かう。ウニクムが効いて、心なしか足がフラフラする。偽警官の襲撃を心配しつつ、マルギット橋の麓まで歩いて、そこから4番トラムでモスクワ広場へ。そこから、いつもの56番トラムでホテルに帰り、その日はすぐに寝た。