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8月17日(土曜日) ミラノ、帰国


 

ホテルで朝食を済ませた一行は、ローマ広場から再びバスに乗る。

道中で親しくなった大学教授夫婦に聞くと、団体一行は昨日の午後、ヴェネチアガラスの工場を見学したのだという。でも、俺が「海水浴をして来ましたよ」と言ったら、みんな羨ましそうにため息をついていた。ガラス工場はどうやら、そんなに楽しくなかったらしい。どうせ、団体観光客で混み合っていたのだろうな。もっとも、この一行が、リド島の貧乏人海岸でフルチンになって水着に着替える様子は、あまり想像したくないのだが(笑)。

さて、高速道路は混んでいたので、バスは予定よりも遅れてミラノに到着した。それからレストランで食事をして、有名なミラノ大聖堂を見学して、あとは団体ツアー定番の「お買い物コーナー」だ。一行はブランド品の店を連れまわされたけど、ブランド品に興味のない俺は完全に白けていた。それでも、皮のベルトくらいは自分のために買ったのだが。

夕方4時ごろホテルに入り、後は自由行動ということになった。これが、この旅行で最後の自由行動だ。しかし、時間が中途半端すぎてどうしようもない。この時間では、美術館にも博物館にも行けやしないだろう。

俺は、バンちゃんと二人で市民公園を散歩しつつ市街中心を目指した。でもミラノは、イタリアの産業中心地だけに、近代化されすぎていてあまり楽しい街ではなかった。東京やロンドンと同じ様な雰囲気だった。

ただ、イタリア人の人種の違いが窺えて楽しかった。

ミラノ市民は、大柄で毛深くて色白で金髪碧眼の人が多い。逆に、ローマっ子は小柄で色黒で、黒髪で黒い瞳を持つ人が多い。そして、ミラノ人は獣肉料理が大好きで、この街の名物料理はカツレツだ。ローマ人は、むしろ魚貝やパスタやピザを好む。

思うに、ミラノ人の先祖はゲルマン族、ローマ人の先祖はラテン族なのだろう。

ローマ帝国のころは、チビで色黒のラテン人が、ノッポで毛むくじゃらのゲルマン人を征服して啓蒙していた。しかしながら現代では、勤勉なゲルマン人が、怠け者のラテン人の肩代わりをしてイタリア経済を支えているのだから、歴史というのは本当に奥が深くて面白いと感じた。

いつのまにか日が暮れて、腹が減った。

「せっかくだから、名物のカツレツを食おうぜ!」「賛成!」というわけで、適当にカツレツが食えそうなレストランを見つけて入った。意外なことに、この店は「イタリア語オンリー」だった。ウェイターの言葉もメニューの文字も、イタリア語しかないのである。ミラノって、もっと開けた都市だと思っていたが、こんなレストランもあるのだなあ。それでも、ガイドブックを用いてメニューを解読し、パスタとカツレツをそれぞれ注文することに成功した。

出てきたパスタを見ると、これが半端じゃなく多い。もしかすると、2人でシェアして食べる品だったのかな。最初のパスタだけで満腹して「ぐえー」と呻いたところに、巨大なカツレツ登場。大皿の上から全周がはみ出しているので、皿がまったく見えないような代物だった。それでも、残すのは嫌いだし、カツレツ自体がたいへんな美味だったので、2人とも全部平らげた。その割には、勘定も安く済んだ。

やはり、「観光客向け」じゃない店のほうが、美味くて多くて良心価格なのだな。この経験以降、俺は旅行先で、なるべく庶民向けの店に入るよう励行するのであった。

結局、このイタリア旅行では、ひたすらパスタを食いまくった気がする。でも、日本で食べるのとは比較にならないほどの美味なので、味に飽きることがなかった。最近は、日本でも美味いパスタを食わせる店が出てきたが、本場の足元にも及ばない。その理由は、おそらく調理法ではなく食材にあるのだろう。前述のように、イタリアは「自然」を大切に考えて、自然そのものの食材を用いている。野菜や果物は、形は悪いし虫食いも多いが、それだからこそ美味なのである。日本も、少しは見習ったらどうだろうか?

満腹したので、暗夜の中をまっすぐ歩いてホテルに帰って寝た。我ながら、よく迷わなかったもんだな。イタリア最後の夜は、なんとなくテレビを見てから普通に寝た。

 


 

 

8月18日(日曜日) 帰国

 


 

この日は、朝からミラノ空港に向かい、そのままアリタリア航空で帰路についた。

一緒に旅行した仲間たちとは、しばらくの間手紙や年賀状のやり取りを交わしたが、今では疎遠である。

バンちゃんは、もう結婚して子供もいるので、二度と二人で海外旅行に行くことは無いだろうな。

今回の旅行で学んだのは、団体旅行の利点と欠点である。

利点は、「交通の足が確保されていること」。今回のように、長距離をあちこち移動する場合、貸し切りバスなどで移動手段が確保されていることが望ましい。団体旅行だと、それが至便なのである。お陰で俺は、昼間からワインを飲んでバスの中で寝ていられたのだった。

欠点は、「時間の制約が多いこと」。しかも、行きたくも無いお寺を無理やり見させられたり、興味もないブランド店に1時間も放置されたりする。今回は、添乗員の西川さんが話の分かる人で、規定外の自由行動も許してくれたわけだが、これは極めて幸運な例外だったと理解するべきである。

以上のことから、俺は「交通の便がある程度確保された完全自由行動ツアー」を志向するようになった。要は、一番初めの「イギリス旅行」の形態に回帰したというわけだ。

また、今回の旅行先でバンちゃんとしばしばトラぶったことから、自分がかなりワガママな人間であることも自覚した。そのため、なるべく「一人旅」を志向するようになる。

その割には、同床異夢の人たちとの集団旅行を、この先何度も何度も経験することになるのだが(笑)。

ともあれ、イタリアはすごく良い国だった。歴史も厚いし、酒も食い物も美味いし、名所は多いし、美女は多いし、人情も優しい。

いずれ、また訪れてみたい国の一つである。