歴史ぱびりよん > 世界旅行記 > モンゴル旅行記(附韓国旅行記) > 7月15日木曜日 戦争記念館、帰国
(1)COEXモール
(2)戦争記念館
(3)土産屋巡り
(4)帰国
(1)COEXモール
いよいよ最終日だ。
7時半に、ロビーで集合して、ホテルの朝食バイキングに出かける。
さすがに10時間近く寝たので、体調は万全だ。これなら、どんな旅程でも耐えられるぜ。
朝飯は、俺のこれまでの旅行人生の中で最高級のバイキングだった。肉料理から野菜からジュース類から、とにかく何でもあるのだ。少食を誇る俺も、調子に乗って、つい食いすぎてしまった。ただ、味のほうは2年前のチェコに遥かに劣る。望月さんと宮ちゃんにそれを言ったら、まったく信用されなかったけどな(笑)。
食事を終えて時計を見たら、集合時間まで1時間30分ある。食堂にいる時間がもったいないな。そわそわしている俺を見て、望月さんが「散歩に行ってくれば」と言ってくれた。そこで、俺は二人を置いてホテル地下に広がる大モール(COEXモール)に遊びに行くことにした。
ここは、ものすごく大きなモールだ。商店街から食堂街から映画館と何でもありだ。ここにいるだけで、一日中潰せることだろう。モール内を一通り早足で見て周るのに、俺の健脚をもってして1時間かかったほどだ。
でも、スケールの大きさ以外は、構造といい雰囲気といい日本とまったく同じだ。行きかう人々も日本人と同じ顔だし、ポスターなどの男優女優も日本で馴染みのある人が多い。そういうわけで、言葉や文字以外では、ここが外国であることをしばしば忘れそうになる。そう考えると、もともと俺はこういう華やかなショッピングモールが大好きなのだが、わざわざ「海外旅行」で経験するまでもなかったのだと悟った。
それでも、朝の散歩を気持ちよく終えて、それなりに満足してホテルに戻りかけたら、モールの入口付近で望月さんと宮ちゃんに出くわした。彼らは、これから時間の許す限りモールを散歩するらしい。宮ちゃんは、海外では一人で行動出来ない人なので、望月さんに手を引かれて子供みたいだった。まあ、ああいう友情も有りだろう。
俺は、部屋に帰って支度を済ますとロビーに降りた。せっかく高級ホテルなのに、結局、ベッドで寝るだけだったな。だから、俺の感覚では、旅行の宿はボロくても安価でも構わないのだ。もっとも、高級ホテルを有効活用する器量を持たない俺が悪いのだとも言えるが。
チェックアウトするとき、「歯ブラシ代」を取られた。日本円で600円くらい。韓国のホテルでは、室内の装備品のいくつかは有料なのである。これは、どうしてなのかは分からない。まあ、そういうところが「外国」なのだろう。
(2)戦争記念館
ロビーで任さんと落ち合って、昨日と同じ大型バンに乗る。
当初の予定では、今日の一発目は「統一展望台」に行くことになっていた。ここは、北朝鮮との国境線を望める景勝地である。ここからは、映画で有名になったJSA(共同警備区域)も見られるらしい。望月さんも宮ちゃんも、ここには行ったことがないので、みんな、それなりに楽しみにしていた。しかし、雨はますます激しく降るし、街全体が煙っている。これでは、展望どころじゃないだろう。
そこで、望月さんが博物館好きの俺のために「戦争記念館」を提案してくれた。まあ、この悪天候じゃ博物館しか行きようがないので、みんな賛成だった。
俺は、基本的に「晴れ男」なので、旅行先で雨に降り込められたことはほとんどない。ウイーンやプルゼニュやテレルジで降られたときも、数時間で止んでくれた。しかし、今回の韓国は終日、降られどうしで閉口した。俺の精神テンションが、モンゴルで磨耗して晴れ男パワーを発揮出来なかったせいだろうか?なんちゃって。ただ単に、ちょうど梅雨の終わり時に来ちゃったからなんだよね(笑)。
宮ちゃんは、戦争記念館には嫌な思い出がある。彼女は、卒業旅行でゼミ同期たちと訪れたとき、ここで「日帝50年」の反日展示を嫌というほど見せられ、挙句の果てに博物館員から「先祖の犯罪を反省しろ!」などと怒鳴りつけられたのだという。まったく、恐ろしい博物館だな。俺は、同じ思いを味わいたくないので複雑な心境だ。まあ、これも人生経験だろう。
記念館の前に立つと、何度も訪ねたことのある望月さんが驚きの声をあげた。建物が、新しくなっているというのだ。最近、改築があったらしい。
チケット売り場から館内への入口に続く壁には、一面に人名が彫り付けられている。朝鮮戦争で犠牲となった両軍兵士の名前なのだが、とにかくものすごいヴォリュームである。俺は、熊本県の田原坂で似たようなモニュメントを見たことがあるが、西南戦争のあれは、朝鮮戦争の比ではない。俺は、博物館に入る前から、重々しい気分にならざるを得なかった。
ガイドの任さんは、最初の「朝鮮戦争コーナー」までは付き添って解説をしてくれることになった。1階左翼の一角が、丸ごと朝鮮戦争の展示になっている。見事なジオラマと貴重な史料の山に、俺のマニア心は炸裂しまくりだ。任さんが口を開く前に、俺が先回りしてより詳細な解説をしてしまうものだから、さすがのベテランガイドも呆れ顔だった。日本人のくせに、朝鮮戦争の戦況を知悉している自分の異常さを、我ながらつくづく思い知った瞬間だったぜ。
ともあれ、ここの展示に感銘を受けた俺は、帰国したら映画『ブラザーフッド』を見に行くことに決めた(実行したよん)。俺的には、ウォンビンよりもチャン・ドンコンの方が、かっこ良いと思ったな。だって、愚弟賢兄なんだもん。俺の家みたいだ。けけけー。
その後は、1時間半の自由行動となった。昨日の民族博物館でも気づいたのだが、韓国の博物館は実に美しく整備され、しかもジオラマにカネを掛けるところに特徴がある。たとえば、ベトナム戦争(韓国軍も従軍した)コーナーには、べトコンの地下秘密基地の断面図が、巨大なジオラマで表現されていたりする。
最も感動したのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の展示である。李舜臣(イスンシン)将軍率いる朝鮮水軍が日本水軍を撃破する場面が、音声入りの巨大なジオラマになっているのだ。亀甲船が体当たりして日本船を沈めると、手前の旗艦の甲板に立つ下士官人形が、「李将軍、やりましたぞ!」(韓国語だけどこんな感じ)と言い、上座の李舜臣人形が「よくやったぞ!」(韓国語だけどこんな感じ)と重々しく応える。俺は、思わず「かっこいい!」と叫んでしまった。
非国民と思われるかもしれないが、俺は李舜臣将軍を尊敬しているのだ。敵がどこの誰であれ、愛する祖国を侵略者から守った人こそが真の「英雄」だと思うから。
そういう意味では、韓国の軍人はみな「英雄」である。この国は、歴史的に見てほとんど「防衛戦争」しかしていないのだ。「○○大勝」という展示の多くは、中国やモンゴルや日本の侵略軍に対するものなのであった。そういえば、朝鮮戦争だって韓国から見れば防衛戦争だった。なんて健気な奴らなのだろう。俺の韓国人に対する好感度は、この博物館で大幅にアップしたのであった。ヨン様は嫌いだけどな(笑)。
兵器の展示コーナーも面白い。ここには主に、朝鮮戦争の兵器が展示されているのだが、俺は近代兵器なんかより、李舜臣将軍が対日本戦で用いた亀甲船の実物大模型に感動した。望月さんに頼んで、亀甲船をバックに記念写真を撮ってもらったぜ。そのうち、李将軍を主人公に、小説を書くとしようか。
ところで、問題の「日帝50年」の展示がどこにも無かったので、望月さんも宮ちゃんも意表を衝かれていた。後で任さんに聞いたところ、「日韓共催ワールドカップ」以降、そういう反日的な展示を止めることにしたのだという。
「そんな風に、安易に自国の歴史を変えて良いのかなあ。日本人としては嬉しいけどさ」と、望月さんは複雑な表情を浮かべた。
まあ、入口ホールに並ぶ韓国歴史英雄の胸像の筆頭は、相変わらず安重根(アンジュングン=伊藤博文を暗殺した独立運動家)だったから、この国は必ずしも過去を全て忘れたわけじゃないんだろうけどな。
(3)土産屋巡り
外は、相変わらずの土砂降りで、まったく止む気配を見せない。
しょうがないので、当初の予定通り、3人で土産屋巡りだ。
「東大門市場」を1時間散策した後、「韓国民芸品店」をしばらく冷やかしてから、同じビルの食堂で冷麺とチヂミをたらふく食った。こっちの食い物はとにかく美味いし、どこの店もキムチがお代わり自由なのが嬉しい。お陰で、口の中は唐辛子まみれだ。辛党の俺としては、まったく幸せである。
任さんは、我々を次々と「お店」に連れて行く。そうしないと、元(バックマージン)が取れないのだろう。
昼食後は「新羅免税店」で1時間。俺は、休憩室で読書していた。
続いて、「仁寺洞の商店街」で1時間。ここには、面白い骨董品がたくさんあったから、そういうのが好きな人にはお勧めだ。俺は、散歩しただけだったが。
さらには、「キムチ専門店(韓国食料品店)」でお買い物。
キムチ専門店は、巧みな話術(日本語)で仕掛けてくるが、俺と望月さんは無視して乗り切った。俺は、さんざん試食をしたくせに何も買わなかったのだから、とんでもなく酷い奴だな。宮ちゃんは、一人であれこれと買っていたから偉い。
嫌になるのは、食料品店のくせに、ここにはヨン様のポスターが貼られまくりで、ヨン様グッズ(ブロマイドとか携帯ストラップとか)が置いてある点だ。こういうのに釣られる日本人(のオバサン)が多いと思うと、実に情けないなあ。もっとも、望月さんの奥さんも、俺の弟の女房もヨン様のファンらしいので、あまり悪口を言えないけどな。
望月さんは、「このままでは、ヨン様に奥さんの心が盗られてしまう!僕も、韓国エステに行けばヨン様みたいになれるかなあ」とか言う。宮ちゃんが「絶対、無理!」と、いつもの調子。睡眠不足が解消されて、ようやく通常のテンションが戻ってきたようだ。
(4)帰国
せっかく、みんな本調子になったけど、夕方になったのでそろそろ空港に向かわねばならない。
大型バンは快調に飛ばし、4時には到着した。雨に濡れる仁川国際空港も、なかなか綺麗だったな。
我々は、出発ロビーで任さんと別れた。まあ、彼女にしてみれば、我々は大人しくて素直で扱いやすい客だったと思うぞ。望月さんが提案し、俺が持参していた手付かずのウイスキーボトルを御礼にあげることにした。俺は良く知らないのだが、専属ガイドさんにはお礼を渡すものらしい。ゴルフのキャディーみたいなものか?任さんは、喜んで受け取ってくれた。
「名古屋に遊びに来てね!」と望月さんに手を振られながら、こうしてガイドさんは去って行った。
帰りの飛行機は、本物のビジネスクラスだったから、我々は胸を張ってラウンジを占拠して飲み食いを始めた。俺は、あまり間食をしない主義なので、ビールとワインを舐めるに止めたのだが。
それにしても、無事に終わって本当に良かった。
初めての国なのに、トラブルを少しも起こさず、重病人や怪我人も出さず、人間関係の揉め事も起こらなかったのは、望外の大成功である。俺は、心地よい脱力感に見舞われていた。まあ、ほとんどがバトボルドさんや任さんのお陰なのだが。
東京行きの便は6時40分発だったのだが、名残惜しいので、ラウンジに6時30分まで居座った。それから望月さん(名古屋行きをしばらく待つ)に見送られながら、宮ちゃんとともに大急ぎで出発ゲートに向かった。望月さんってば、別れ際に握手しつつ涙ぐむんだものな。泣くことないじゃんか!俺まで、もらい泣きしそうになったぞ。いつものことだが、俺は旅行のメンツ(というか友人)に恵まれていると、つくづく思う。
問題は、究極のウワバミ女・宮ちゃんだ。
飛行機のシートに座った瞬間に、来た来た来た来た来たキターー(2ちゃんねる風に)。
こいつ、「さあ、飲もう!」の一言で、シャンパン2本とワイン2本を立て続けに空けおった。同じペースで付き合わされた俺の肝臓は、本当に大丈夫なのだろうか?このままでは、死んでしまうぞ!ひ、ひ、人殺しーー。
泥酔状態で気がつくと、いつのまにか成田空港に着いていた。夜9時ジャスト。
その後二人は、品川まで成田エクスプレスで一緒に帰った。明日は、金曜日だから仕事があるじゃないか、お互い憂鬱だなあ、と言い合いながら。
わかなちゃんは、昨日のお昼に無事に帰国したし(崩れた体調は、3日間の静養で回復したらしい)、ハリウンも一週間後に親孝行を済ませて無事に帰国(?)した。
こうして、モンゴル&韓国旅行は大成功のうちに幕を閉じたのである。
その後、K先生やゼミの仲間たちを集めて、旅行の発表会を行ったのだが、これも大成功に終わった。
今回は、俺にとって実に有意義な旅であった。
帰国してから友人に会うと「気のせいか、以前よりも人間が魅力的になった」と男女問わず言われる。自分の中で、何かが大きく変わったのかもしれない。
もし本当にそうなら、これほど嬉しいことはない。
今回の旅行記は妙に長かったが、バトボルドさん、ハリウンとそのご家族、そして仲間たちに感謝してこれで筆を置きたいと思う。
おわり