散策と迷子
国民博物館
餃子
旧市街
世界文化宮殿
お好み焼き
散策と迷子
6時半に、自動的に目が覚めた。
日本から持ってきた小型の目覚まし時計は、壊れていて役に立たないことが判明。やはり「Made in China」は信用できんな。明日からは、携帯電話のアラーム機能を使うことにしよう。
朝のバイキングに行こうかと思ったが、機内食のサンドイッチが余っていたので、それを食べたら満腹した。KLMの機内食はとにかく不味いので(苦笑)、割合と簡単に満腹できるのだった。ともあれ、サンドイッチを捨てずに済んで、良かった、良かった。
高級ホテルの利点は、ベッドが寝やすいという点である。おかげで、疲れがすっかり取れて元気一杯である。ただ、かなり寒いので、長袖を着て戸外に出た。
装備は、いつもの緑の肩掛けカバン一個。こいつは、7年前のハンガリー旅行以来、チェコ、モンゴル、韓国、オーストラリア×2、トルコ、そしてアメリカで活躍して来た歴戦の勇士である!
寒いのも当然で、外は曇りだった。
ホテルから駅前通りの十字路を挟んで反対側が、地下鉄 ツェントルム駅 である。そこへと続く地下街に入ると、ここは通勤ラッシュの人々で混みあっていた。私服の人が多いのだが、この国の人はあまりスーツを着ないのだろうか?
地下街は、あちこちにサンドイッチの店があり(OSCARというチェーン店が人気らしい)、マクドナルドの看板などもあって、実に賑やかだ。
地下鉄駅の入口の前を通って地上に昇り、駅前公園を抜けて国鉄中央駅を目指して西進した。まずは、公共交通機関のチケットを買わなければならない。
国鉄中央駅は、巨大なプリンを逆さにしたような形の、灰色でゴツゴツした権威主義的な建物だ。構内も薄暗くて、どんよりしている。同じ旧東欧社会主義圏でも、チェコやハンガリーの駅とは随分と雰囲気が違うのだが、ポーランドは未だに社会主義を引きずっているのだろうか?
駅構内のインフォメーションセンターはまだ開いていなかったので、隣接した売店で公共交通機関の一日券(9ズロチー)を買った。それから、旧市街観光を目指して足早に駅を出た。
すると後ろから、美しい女学生にポーランド語で声をかけられた。どうやら、道を尋ねているらしい。って、毎度毎度のことだけど、なんで現地人が俺に道を聞くんだ?「英語しか出来ないよ」と言ったら、女学生は驚いた顔をして、近くのバス停に立つ他の人のところに行った。どうも俺は、かなり現地に詳しそうな奴に見えるようだな。まあ確かに、どんな土地にでもすぐに順応しちゃうキャラであることは間違いないのだが(苦笑)。
「地球の歩き方」で市街図を検討しつつ、地下鉄ツェントルム駅前まで東進して戻り、そこからマルシャウコフスカ通りを北上することにした。ここは、地下鉄路線に沿って南北に走る横幅20メートルはある大通りで、朝っぱらから多くの自動車が行き交っている。日本では、こんなに大きな通りは滅多に見ない。ポーランドは平野勝ちの土地柄なので、街をゆったりと作れるのだろう。ある意味でうらやましい。
聳え立つ「世界文化宮殿」の正門を左側に見つつ、デパートやオフィスビルに囲まれた大通りをひたすら北へと歩いたのだが、ぜんぜん観光資源がないので退屈だ。
すると、歩道の左側に、饐えた空気を放つ老朽化した掘っ立て小屋がいくつも並び、「Sex Shop」と看板があるのに気づいた。好奇心にかられて観察してみたところ、どうやらストリップを見せる店のようだった。なんだ、詰まらない。
いい加減に退屈したところで、大通りの右側に、鬱蒼と樹木が茂る公園が目に入った。どうやら、ここがサスキ公園であるらしい。そこで、横断歩道を渡って公園に突入した。
まだ朝7時半なので、あまり人がいない。清掃夫の人たちが、ゴミを拾ったり花に水をやったりしている中を抜けて、大噴水の横を通り、東側の入口から外に出た。
そこには、小さな四角い荘厳な建物があった。第二次大戦の戦死者を弔うための、「無名戦士の廟」である。2人の無表情な衛兵が、碑文やそこに捧げられた花束を守るように屹立している。最初、衛兵たちを人形と思って近づいたところ、いきなりその頬がピクリと動いたのにビビった(笑)。
その前の通りを東側に横切ると、大きな銅像が立っていた。ピウスツキ元帥の像である。彼は、ロシア内戦のときにポーランド軍を率いて活躍し、戦間期は首相として国民を守り抜いた英傑である。1935年に病没しなければ、ヒトラーのドイツ軍を撃退するか、それ以前にヒトラーの野心を封じ込めることに成功したかもしれない人物であった。拙著『アタチュルク』にも、(たった一行だけだが)登場する。
偉人の像を横目にしつつ、さらに東に歩いて行くと、大統領府の前に出た。
そこにあった銅像は、ポニアトフスキ元帥である。ナポレオン戦争のときに新生ポーランド(正確にはワルシャワ大公国)の軍勢を率いて諸国を転戦。1813年のライプチッヒの戦いで壮絶に散った英傑である。でも、この銅像の顔は、肖像画に少しも似ていないな(笑)。
どうやら、この大統領府の前を南北に走る道が、かつて「王の道」と呼ばれたクラコフ外苑通りだ。ようやく、観光地らしき場所に到達したぞ。
そこで、今度は旧市街を目指して左折、すなわち「王の道」の北上を開始した。この通りは、アスファルトではなく石畳で覆われていて、なかなか趣がある。沿道は、綺麗な教会やレストランに彩られている。
しばらく歩くと、小奇麗な広場とその前に聳え立つ赤い宮殿が見えて来た。これが、旧王宮である。しばらくデジカメで写真を撮っていると、パラパラと雨が降ってきた。しまった、傘をホテルに忘れてきた!・・・やれやれだぜ。
雨に構わずそのまま北上を続け、狭い路地に入ると旧市街だ。しばらく歩くと、大きな四角い広場に出た。「旧市街広場」である。赤屋根の美しい建物に囲まれた風情溢れるたた住まいは、プラハの旧市街広場に、なんとなく似ている。しかし、この広場のほとんどの面積が、オープンエアのカフェやレストランの敷地に取られているのが下品である。柵や椅子を掻き分けるようにして広場の中心に行くと、そこには名物の「人魚像」があった。デジカメを駆使した後で、広場に面した「ワルシャワ市博物館」の位置を確認すると、さらに北上して今度は新市街を目指した。
まだ午前8時なので、施設や店はどこも開いていない。周囲にも、ほとんど人がいない。だから、今の俺に出来る唯一の観光行動が「散歩」なのだった。
旧市街の北側に広がるのが新市街だ。狭い路地を北上すると、やはり赤屋根の古い建物が並ぶ中に「新市街広場」があったのだが、旧市街広場より一回り小さくて、なんだか寂しげだった。
この広場に入る途中、「キュリー夫人博物館」を見つけた。意外と知られていないのだが、ラジウムの研究で名高いこの学者はポーランド人なのである。窓から覗き込んでみたところ、なぜか民芸品や人形がたくさん飾ってある。キュリー夫人って、人形マニアか何かだったの?(後で知ったところ、彼女が子供のころに持っていた人形が展示されているらしい)。もっとも、マリー・キュリーの活躍の舞台はほとんどパリだったので、この博物館に入っても得るものは少ないだろう。そう判断したので、今回の「キュリー夫人博物館」訪問は止めることにした。どうせ、この時間では開いてないわけだが。
新市街広場を出て、旧市街方面に戻った。バルバカン(円形要塞)の前を右折し、旧市街の赤レンガの城壁に沿って小雨の中をしばし歩く。沿道には、いくつものレストランが並び、「ピルスナー・ウルケル」の看板も出ている。チェコビールか、いいな。この辺りのレストランを、今日の昼飯候補にしよう。
そのまま西進を続けると、周囲の風景はあっという間に元通りの近代都市になってしまった。ワルシャワの古都の部分って、意外と狭いんだね。プラハとは、まったく比較にならないな。
でも、バカにしてはいけない。ワルシャワの旧市街と新市街は、第二次大戦で完全に破壊されて更地同然になった後、元通りに復興された街なのである。映画「戦場のピアニスト」などを参照して欲しいのだが、1944年9月のドイツ軍の攻撃によって、ここは本当に更地みたいになったのである。しかし戦後のポーランド人は、古い写真などを持ち寄って、壁の亀裂まで正確に再現したのだという。ちょっと日本人には理解しにくい感覚なのだが、その努力が評価されて、ここはユネスコの世界遺産に登録されたのだった。
などと考えつつ西進を続けると、やがて「ワルシャワ蜂起記念碑」に行き着いた。ここは、この街が灰燼と化すきっかけとなった、1944年夏のポーランド義勇軍の戦いを記念した碑なのである。銅像(正確には群像)やレリーフなどを読んでいるうちに、「この事件を小説化する構想」が急に芽生えた!
具体的にどうしたものかと考えつつボニフラテルスカ通りに出ると、ちょうど180番バスが南から走ってきた。「地球の歩き方」によると、このバスは観光名所を南北に走るので、ワルシャワ初心者が街の全体像を把握するのに至便だという。考えてみたら、俺は「公共交通機関一日乗り放題」のチケットを持っているのだから、いつも歩いてばかりではチケット代がもったいない(といっても日本円で500円程度の話だが)。そこで、とりあえずこのバスに乗り込んだ。
バスは、真北に走るものかと思っていたら、途中で西に曲がった。少し郊外に出て車が少なくなると、すごいスピードですっ飛ばす。おいおい、どこに行くんだ?と、不安になっていると、いつのまにか他の乗客はいなくなり、俺一人になった。さらにしばらく行くと、郊外の辺鄙なバス停で、運ちゃんに「終点だから、ここで降りて(ポーランド語だけど、こんな感じ)」と言われてしまった。
まあ、仕方がない。ここのバス停から、道路を挟んで反対側のバス停に向かった。同じ180番バスに乗って逆走すれば、元の場所に戻れることだろう。でも、同じ道を同じ様に走るのは無駄だなあ。冒険したいなあ。そう思っていると、122番バスというのが走ってきたので、衝動に駆られてこれに乗ってみることにする。どうせ、どこまで行っても無料だし(笑)。
ここで解説すると、ポーランドの各バス停は、複数の路線が共同利用する仕組みになっている。ワルシャワ市は、路線の種類が無闇に多いので、平均して10種類が各バス停に停まるようになっているようだ。ややこしいけど、いろんなところに行けるわけだから、慣れればとても便利だろう。ちなみに、トラム(市電)も似たような仕組みになっている。
さて、122番バスは、まったく見覚えの無い閑散とした郊外の大通りを、猛スピードで疾走した。大通りの周囲は、開発中の荒地か団地だ。明らかに、市内中心から遠ざかっているぞ。いったい、俺はどこに連れて行かれるんだろう(笑)。
いつもの俺なら、現地で必ずバスやトラムの路線図を入手してから行動するので、こんなトラブルは起こり得ないのだが、今回は空港に着いたのが深夜で、中央駅に行ったのが早朝だったから、路線図を入手するタイミングを失してしまったのだった。まずいな。
さすがに心の余裕が無くなったので、トラム路線の近くでバスを降りた。ここがどこだかさっぱり分からないのだが(笑)、トラムで逆の方向に走って行けば、きっといつか市内に戻れるだろうと信じる(汗)。
このトラム駅は、道路の中央分離帯の上にアスファルトでプラットホームを築いたもので、幸いなことに、駅舎の壁にちゃんと路線図が出ていた。これで見ると、24番トラムがツェントルム(市内中心部)まで走るようだ。この駅には5路線のトラムが停まるのだったが、俺は24番が来るまで待って、これに乗った。
「無事に帰れる」と確信を持てる冒険は、本当に楽しい。トラムは、狭い路地を無理やりに走ったり、市民バザーの会場の脇をすり抜けたりと、多彩な街の顔を見せてくれた。やがて24番トラムは、乗車してから30分ほどで、西方から国鉄中央駅前に到達した。ふむふむ、俺は122番バスに拉致されて、街の西北方面に随分と飛ばされていたようだな。
国民博物館
さて、次はどうしようかと思案する。恐ろしいことに、事前に行きたかった名所旧跡は、現時点で制覇してしまったような気がする(笑)。ワルシャワは、観光地としては想像以上に大したことなかった。行きの飛行機で、女学生に「何しに来たの?」と言われた理由が良く分かったぞ(笑)。でも、一日はまだ始まったばかりじゃないか!
とりあえず、ホテルに傘を取りに戻ろうかと思ったが、いつのまにか空は晴れていた。ならば、このまま観光を続ける方が良い。腕時計を見たら10時になっているので、今なら博物館に入れるだろう。
そういうわけで、駅前大通り(イエロゾニムスキエ通り)を24番トラムにしばらく乗り続け、「国民博物館」の前で降りた。この博物館の東隣りには、「軍事博物館」もある。どっちから攻略しようかと思案しつつウロウロしているうちに、「軍事博物館」の中庭に兵器が並んでいるのに気づいた。好奇心にかられて中庭に入り、T34戦車やミグ21戦闘機を観賞して写真を撮りまくった。
その中でも感動したのは、ソ連軍が第二次大戦で使用した移動式ロケットランチャー「カチューシャ」だ。アメリカ製トラックの荷台に据え付けられ、ナチス軍を猛砲撃で恐れさせた曰く付きの名兵器である。別名「スターリンのオルガン」。実物を見るのはこれが初めてなので、なんか妙に感動した。
中庭の兵器に飽きたので博物館の館内に入ろうとしたら、建物の入口で軍人風の係員に「ダメだ」と言われた。今日(火曜日)は、たまたま休館日だったのだ。ううむ、運が悪い。
仕方ないので、お隣の「国民博物館」に入った。意表をつかれたことに、ここは博物館というよりも美術館である。館内の全てが、美術品と装飾品に埋まっているのだ。まあ、絵画鑑賞は嫌いじゃないし、名画と言われる「グリュンバルドの戦い」の巨大壁画の現物も見られたから満足だ。また、キリストや聖母マリアを描いた宗教画や彫像の膨大なコレクションには感銘を受けた。さすが、ポーランドは熱心なカトリック国である。
この博物館には、ちょうどVIPが居合わせたらしく、警備の人やカメラマンがウロウロしていた。係員のオバサンに事情を聞こうかとも思ったけど、俺はポーランドの政治家や文化人には詳しくないので、有名人の名前を教えられても無駄だからと思って止めておいた。
時計を見ると、12時近い。飯屋を探しつつ観光を続けるとしようか。とりあえず、ヴィスワ川でも見に行くとしよう。そう考えて、博物館の前のイエロゾニムスキエ通りを東に向かって歩いた。そして、橋の上からヴィスワ川の流れを見たのだが、一国の首都を流れる河川にしては人間の手が入っておらず、河岸は鬱蒼とした林に覆われていた。これが、ポーランド人なりの母なる川に対する愛情なのかもしれない。
橋の西側から、石造りの階段を用いて、河岸を走る自動車道に降りた。そこを川沿いに北に向かって歩いて行くと大きな公園に行き当たり、その端に大きな「人魚像」があった。俺はこうして、ワルシャワ市が誇る2体の人魚のデジカメ写真をコンプリートしたのであった!
この街は、人魚が名物なのだ。発祥伝説に人魚が登場するからである。ワルスとサワという2人の農民が、川の人魚に教えられてこの街を発展させたんだとさ。ワルス+サワ=ワルシャワというわけ(笑)。「なんで、人魚が川にいるんだよ!」という突っ込みは止めましょう。ポニョも崖の上にいることだし(なんのこっちゃ!)。
河岸にも飽きたので、二本ほど左(西側)の道に移って北上を続けた。「地球の歩き方」でチェックしておいたレストラン「ウ・ホプエラ」が「王の道」沿いにあるので、散歩しつつそこを目指そうと考えたのだった。
それにしても、人がいないな。平日の昼間だから、みんな仕事や勉強をしているのかもしれないけど、全体的に閑散として寂しい街だ。実は、市民の多くが、イギリスやドイツに出稼ぎに行っちゃっているんじゃあるまいな(汗)。などと考えつつ、さすがに歩き詰めで疲れたので、ワルシャワ大学に隣接するカジミエーシュ公園のベンチで水鳥を眺めながら休憩した。
「地球の歩き方」によれば、ここから西に向かって坂道を上れば、コペルニクス像の前で「王の道」に入れるらしい。そこで、学生らしい人達と前後しつつ坂道を上りきったところでコペルニクス発見。その銅像は、思ったよりも大きくて格好良かった。意外と知られていないけど、地動説を唱えた天文学者コペルニクスはポーランド人なのである。
さて、ここから右を「王の道」沿いに進めば、目当てのポーランド料理屋に行き着くはずであった。
石畳で覆われたお洒落なこの道は、さすがに早朝に比べると人出が多いようだ。それでも、観光客らしき人の数は非常に少ない。イギリス人ないしドイツ人と思われる老年観光客がパラパラといるくらいかな?これは、ワルシャワ自体が観光地としてマイナーであることに加えて、世界的な不景気と原油高がダブルパンチとなっているのだろう。そのため、最近はどこの国のどの街にでも出没する中国人や韓国人や日本人の団体観光客の群れは、この街ではまったく見かけなかった。ある意味、うるさくなくてラッキーである。
外国人ビジネスマンらしき人も、ほとんど見かけない。そういえば、日本企業がポーランドに進出したという話も、チェコやハンガリーに比べると少ないようだ。この国は、あまり外交的ではないのかもしれないな。もっとも、街を走る自動車は、日本製、ドイツ製、そして韓国製が主流みたいだが。プラガ(国産車)は売れていないみたい。トホホ。
とか思っているうちに、一転にわかに掻き曇り、強めの雨が降ってきた!やっぱり、ホテルに戻って傘を取ってくるべきだったかなあ。それにしても、この時期のヨーロッパでこんなに雨に降られるのは初めてだ。日本に限らず、ヨーロッパもゲリラ豪雨の犠牲になっていたのね。地球温暖化、いよいよ洒落にならないなあ。
まあ良い。すぐに目的のレストランに着くだろう。と思っていたら、お店が無い!「地球の歩き方」を何度見直しても同じだ。移転、ないし閉店したのかもしれない。
「地球の歩き方」には、しばしば裏切られることがある。っていうより、今回の旅行ではあまり役に立っていない。それでも、「るるぶワールド・ガイド」よりは随分とマシなのだが。「ワールド・ガイド」は、いちおう持参して来たけど、最後までまったく何の役にも立たず、カバンの中で嵩張るオブジェと化す運命にあった。頭に来たので、このシリーズはもう二度と買わないことにしよう。
もっとも日本では、ポーランド観光自体が極めてマイナーであるようだ。大きな本屋を全部回ったけど、ポーランドについて書かれた旅行ガイドは、「地球の歩き方」と「ワールド・ガイド」の2種類だけだった。お隣のチェコやハンガリーなら、もっといろいろあるのになあ。結局、ポーランド政府はあまり観光誘致に熱心ではないわけだが、ここは農業国で自給自足が出来ているので、国としてそれ以上の野心を持っていないのかもね。で、現地に使い物になるガイドブックは、日本でようやく入手した二冊のうち一冊だけだったという結論。まあ、そう考えるなら、「地球の歩き方」は優れものと言える。
餃子
土砂降りの中を、有りもいない店を探してウロウロしたので、びしょ濡れになってしまった。「水も滴る良い男」ってか?(笑)。
仕方がないので、旧市街の裏手に回って、早朝の散歩で見つけたチェコビールを飲めるレストラン「Pod wale」に入ることにした。チェコビールを売りにしているせいなのか、お店のトレードマークは、兵士シュヴェイク(ヨゼフ・ラダ画)に良く似た陽気なオジサンの横顔の絵である。
石造りの門を潜ると、そこはオープンエアのお洒落な雰囲気になっている。手前の受付で「昼飯いいかな?」と英語で聞いたら、男性店員が、不機嫌なウンザリしきった溜息をつきつつ、「(店の)外と中、どっちの席が良いですか?」と聞いてきたので、戸惑いつつ「外」と応えた。こいつ、なんで不機嫌なんだろう?
とりあえず、雨も上がってきたので、オープンエアの屋根(ビニールのテントだが)付きの木彫りの席についた。午後2時のせいもあるけど、周囲の客は、観光客らしい中年白人が数組いるだけだった。やがて、ウエイトレスの赤毛の女の子が注文を聞きに来たのだが、この子も不機嫌そうで態度が悪い。俺が「ミアッド(ハチミツ酒)を飲みたい」と言ったら、ドリンクメニューを黙って渡す。目を通しても見つからないので、「どこにあるの?」と聞いたら、「だから、無いってことよ」と仏頂面で返して来た。なんなんだ、こいつは!仕方ないので、チェコビールとピエロギを注文したら、むすっとした顔でメモして厨房に下がった。
俺も長いこと海外旅行をしているけど、お店でこんな邪険な対応をされたのは生まれて初めてだ。俺の体が、雨で濡れていたからかな?などと悩んでしまった。
後に分かったことだが、ポーランドの店はみんなこうなのである。店に限らず、博物館でもこうである。思い返せば、午前中に訪れた「国民博物館」でも、博物館員の態度はみんな冷たかった。俺が展示室に入っていくと、「泥棒か?」という顔をするのだ。
お隣のチェコでは、1999年のころから、店員はみんな愛想がよくて、博物館員もみんな笑顔で優しく接してくれた。チェコ人とポーランド人は、スラブ系の言語を話す同じ様な容姿の兄弟民族である。それなのに、まったく国民性が違うのは非常に不思議である。これは、研究の余地ありかもしれぬ。
それでも、注文した料理はすぐに出て来た。
ビールは、チェコが誇る「ピルスナー・ウルケル(プルゼニュスキー・プラズドロイ)」。生で飲むのは6年ぶりなので、感動である。世界最高のこの味は、輸送中にホップが劣化するという理由で日本では飲めないのであるが、ここポーランドはチェコのお隣なので大丈夫なのであった。付け合せのピクルスとキャベツの酢漬けも、なかなか美味だった。
ピエロギは、要するに「焼き餃子」だった。具は、チーズとジャガイモ。この巨大なのが全部で6個も入っていたので、食べているうちに段々と飽きてくる。味はなかなかなのだが、しょせん餃子は餃子だよね。
満腹したので、お勘定をお願いしたら22ズロチーだった。日本円なら1,000円だ。まあ、こんなもんでしょう。この国にはチップの習慣がないらしいので、定価分だけ現金で払って外に出た。
店員の愛想が悪いのは、チップの習慣が無いせいかもしれないと、しばし考える。もっとも、それだと博物館員の愛想の悪さの説明がつかない。博物館員にチップを払うような国は、世界に存在しないだろうから。やっぱり、ポーランド人の国民性そのものが無愛想なのだろうな。
旧市街
戸外は、すっかり晴れていた。そこで、旧市街の「ワルシャワ市歴史博物館」を目指して城壁沿いに歩き始めた。バルバカンを北から潜り、旧市街の城壁内に入る。ここで尿意を催したので、近くの公衆便所に入ったら有料(2ズロチー)だったので、受付で待機していたオバサンに小銭で渡した。便所が有料なのは、チェコやハンガリーや中国と一緒である。
すっきりしたので、しばし狭い路地を散策しつつ旧市街広場に入り、広場の北西の角に位置する「ワルシャワ市歴史博物館」に入った。ここも、受付の応対は無愛想である。
一見すると小さな博物館に見える割には、無闇に館員が多いような気がしたのだが、その理由はすぐに判明した。この博物館は、小さな建物を3つばかり繋げ合わせ、各部屋を複雑に連結させる形で展示室を造っている。その結果、まるで迷路みたいになってしまって順路が分かりにくいので、それで案内役の係員がウジャウジャいると言うわけなのだ。
ヨーロッパには、古い家を連結させて広大な博物館を作るパターンが多いようだ。6年前に訪れたチェコのプルゼニュ市の「ビール醸造博物館」が、まさにそうだった。
それに比べると、「ワルシャワ市歴史博物館」の方が複雑でややこしいので、さすがの俺も、あちこち迷って色々な係員に注意されつつ、1階から4階までの数多くの展示を見て回った。
この博物館は、ワルシャワ市の歴史に関する展示がメインだが、ポーランド全体にかかわる内容も多い。地質時代の出土品から始まって、歴代貴族や王族の遺品が続く。15世紀当時のワルシャワを模したジオラマが気に入って、何枚も写真を撮ってしまった(撮っても良かったのかな?)。
ナポレオン戦争時代から展示内容が濃くなるのだが、やはりポーランド人はナポレオンが大好きみたいで(いったん消滅したポーランド国家を再興してくれたから)、「国民博物館」の展示でもそうだったが、ナポレオンの絵や像はみんな格好よく出来ていた(笑)。
その後のロシアによる支配と抵抗、市民社会の盛衰などを興味深く眺めると、クライマックスは第二次大戦とユダヤ人の受難。そして圧巻は、1944年の「ワルシャワ蜂起」の展示だ。ワルシャワの街が、いったんは完全に瓦礫状態となったことが良く分かって慄然とした。ラストの展示は、1950年代に、市民が力を合わせてワルシャワを復興して行く姿だった。
やはりこの国は、日本人など想像もつかないような苦難の中を生きてきたのだな。妙に感動しながら博物館を出た。
その後しばらく旧市街を散歩して、有名な教会などを眺めつつ、夕飯の候補地を探した。「地球の歩き方」にも出ているポーランド民族料理屋「ザピーチェク」を発見したので安心し、旧市街を後にする。ワルシャワ旧市街は、一度更地になってから復興されたためでもあろうけど、プラハなどに比べると小さいし情緒も無い。なんか、東京ディズニーシーと似たような空気すら感じる。「観光用に綺麗にしました!」みたいな。
やはり、ヨーロッパの街で最高なのはプラハだな。俺は当分、チェコマニアから脱却できないだろうな。そう思うと、微妙に寂しい。
「王の道」を南に向かって歩いているうちに、「聖十字架教会」の前を通りかかった。ここには、ショパンの心臓が保管されているらしいので、中に入って見に行くことにした。ここは現役の教会なので、敬虔な信者さんで一杯だ。あちこちに飾られている聖者の像の前に、それぞれ年配の信者さんたちが跪いて願い事をしている。各人に、専用の聖者さまがいるらしい。結局、ショパンの心臓の在り処は分からなかったのだが、真面目な信者さんに聞くのも難なので、今回は断念することにした。
寺院の外で、虚しさに打たれた。この街には、どうやら立派なお寺が少ないようだ。プラハの聖ヴィート大聖堂やブダペストの聖イシュトヴァーン大聖堂は、見ただけでカルチャーショックを受けるような荘厳さだったのだが、ワルシャワにはそれに対抗できるものがない。一体どうしたと言うのだ!もうちょっと、頑張ってもらいたい!
さて、次の目的地は、「世界文化宮殿」だ。「王の道」からスィエトコルツカ通りに右折して西進しつつ、街の様子を改めてじっくりと観察した。午後4時半で仕事帰りの人も多いので、これならワルシャワの市井の人々の様子もしっかり観察できる。
どういうわけか、この街には「薬屋(APTEKA)」が多い。ポーランド人って、風邪をひき易い民族なのだろうか?まあ、日本でも「マツキヨ」とか多いので、人のことは言えないわけだが。
物は豊富である。どこでもスーパーやコンビニや雑貨屋があり、品揃えも充実しているから、西ヨーロッパにも決して負けていない。さすがはEU加盟国である。
だけど、人々の生活は質素な感じで、服装は垢抜けない。髪を見ると、男性は短髪で女性はポニーテールかショートヘアの人が多い。女性の髪飾りはほとんど無くて、イヤリングをしている人をたまに見かける程度である。化粧や香水も質素である。全般的に、「社会主義」の文化が残存している雰囲気なのだ。
もっとも、美男美女が非常に多いから、そもそもお洒落をする必要が無いのかもしれぬ。俺は男には興味無いので、女の姿にばかり興味が行ってしまうのだが、これほど美女の多い街は初めてだ。なんというか、スーパーモデル級の人が、視界一面にウジャウジャと溢れているのである。これなら、ガールウオッチングしているだけで一日くらい潰せそうだ。
そういうわけで、なんだか楽しくなって来たぞ。げへへへー。
帰宅ラッシュの人並みに沿って地下鉄スィエトコルツカ駅に入り、わずか一駅間だけ地下鉄を試してみた。どうせ俺は、公共交通機関一日乗り放題なのだから、乗らなければ損である。でもまあ、地下鉄は地下鉄だね。乗り心地は、日本やチェコやトルコのと全く一緒だった。
なお、ワルシャワの地下鉄は、マルシャウコフスカ通りに沿って南北を走る一路線しかない。東京は論外として、プラハやブダペストはもちろんのこと、ローマやイスタンブール(=遺跡が多いのであまり地下を掘れない)よりも路線が少ないのは意外なのだが、この街はバスやトラムが非常に充実しているので、わざわざ穴を掘って電車を通す必要が乏しいのだろう。
ここで解説すると、公共交通機関の乗り方は、他の中欧諸国(チェコ、ハンガリー、オーストリア)と同じである。すなわち、バス、トラム、地下鉄は、駅や停留所に改札口が存在しない。切符は買った各自が所持し、検札官に要求されたときだけ提示すればよい仕組みだ。ただし、検札官にただ乗りが見つかると、法外な罰金を取られるので要注意である。それでも、検札は滅多に行われないみたいなので(俺は滞在中、一度も会わなかった)、市民の公共道徳を信頼した仕組みなのが立派だ。
公共交通機関の切符には、いろいろな種類がある。一回券、一時間券、一日券など。もちろん、値段はだんだん高くなるけど、日本よりは随分と安い。
各交通機関の車両には、刻印機が設置されている。利用者は、初めて使う切符をその機械に入れなければならない。すると、切符の上に現時点の日時が刻印される。切符をチェックしに来た検札官は、その刻印を目安に、これは一日無料券だからセーフとか、一時間無料券だと30分オーバーしちゃっているから罰金を取るとか、判断する仕組みになっている。このときに切符に刻印が無い場合は、自動的に「ただ乗り」と認定されるらしいので要注意だ。
いずれにせよ、一枚の切符で様々な交通機関に自由に乗れるわけだから、日本などとは大違いの便利さである。東京も、少しは見習うべきであろう。過去に何度も似たようなことを書いているけど、ほとんど改善されないね。東京では、いちおうSuicaとPasmoは共通利用できるようになったけど、料金はそれぞれに払うわけだから、実は「切符を何度も買う手間が省けた」という、ただそれだけの話なのである。東京でワルシャワと同じ距離を移動したなら、間違いなくワルシャワの2倍以上の料金を取られるだろう。
日本では消費税の税率アップが話題になっているが、食料品はもちろん、公共交通機関の料金についても軽減税率を目配りするべきだと思われる。現状の、異常な料金の高さや不便さを放置した上で税率を上げる行為は、市民生活の破壊をもたらすことだろう。思うに、今の偉い政治家は、自分自身が金持ちで、バスや電車などという下等(苦笑)な乗り物を使わないから、市井の交通機関利用者の苦労を知らないのである。偉い役人は、国民の税金でタクシー乗り放題だしね(苦笑)。まったく、困ったもんだ。為政者が腐敗貴族と化した国家は、一度、革命で滅ぼす必要がある。これは、フランス革命以来の歴史の鉄則である!
世界文化宮殿
さて、あっという間に隣の駅に着いた。ツェントルム駅を地表に上がると、見覚えのある駅前広場だ。ここからスーパーマーケットの前を抜けて、「世界文化宮殿」の正門から中に入る。無愛想な受付の姉ちゃんから展望台の切符(20ズロチーだから高い!)を買うと、高速エレベーターで30階まで昇った。エレベーターのリフトの中には、無愛想なエレベーターガールがいたのだが、彼女は30階のボタンを押すだけで他に何のサービスもしないから、存在している意味が良く分からない。それでもエレベーターは、意外な高速であっという間に30階に着いた。とりあえず、綺麗な彩色がなされたエレベーターホールを抜けてバルコニーに出る。ここから、ワルシャワ全景を360度見るのである。
俺は、一人旅のときは必ずこういうことをやる。高いところから街の全景を見ると、安心するし楽しいのである。でも、この街の眺めはあまり良くなかった(泣)。「世界文化宮殿」の周囲は、もともと近代的な高層ビルばかりなので仕方ないのだが、これじゃあ東京や横浜の眺めと同レベルである。
ちなみに、現時点での自分の「世界都市眺望ベスト」は、一位がプラハ(ペトシーン丘の展望台より)、二位がイスタンブール(ガラタ塔より)、そして三位がヴェネチア(サンマルコ広場の展望塔より)である。ワルシャワは、断トツのビリ(苦笑)。
ここで、愛読書『スターリン・ジョーク』(平井吉夫編)に掲載されている一編を思い出した。
問:ワルシャワで最も良い眺めは?
答:世界文化宮殿の屋上から見た眺め
一見、普通の会話に見えるけど、実は意味が奥深い。この宮殿は1950年代に、ソ連のスターリンが、ポーランドの傀儡政権に、「友情」(実際は隷属)の証として造らせた権威の象徴なのである。だからポーランド人の多くは、今でもこの建物が大嫌いだ。ここで、このジョークが生きてくる。すなわち、ポーランド人は「世界文化宮殿を見たくないから、この宮殿からの眺めこそ最高だ」と言いたいわけ。
このように『スターリン・ジョーク』は、ちょっと頭を捻らないとオチの意味が分からないネタが多いから面白いのだ。これに比べて最近出版される政治ジョーク本では、親切のつもりなのか、ウンチクを余計に書きすぎて、「オチの意味を自分で考える喜び」を読者から奪う内容が多い。そういう所から、近年の日本人の知性や想像力が衰退しているのではないだろうか?
ともあれ、高校生のときに熱中したジョークのネタを、実際に訪れて体験することになろうとは、あのころは夢にも思わなかったなあ。感無量である。
やがて貧弱な風景にも飽きたので、展望台を後にした。
ここ30階の屋内スペースは、PCを用いてアインシュタインの実験を体験できる特設ブースになっている。好奇心にかられて覗いてみたところ、ポーランド人の子供たち(中学生くらい?)が群がって各端末を占拠していた。盛況なことで、結構、結構。
エレベーターを用いて一階まで降りてからトイレ(無料)で用を足し、それから近くのスーパーマーケットを冷やかしに行った。
スーパーの仕組みは、日本とまったく同じである。買い物カゴをぶら下げて、品物を見て回り、最後はレジに並んで精算だ。品揃えは非常に良くて、日本のスーパーに負けていない。俺はクランベリーのジュースとアイスティーとチョコバーを買ったのだが、レジの姉さんはやっぱり無茶苦茶に愛想が悪い。お隣の国とは大違いだ(チェコでは、必ず笑顔で挨拶とお礼を言われるし、人によっては話しかけてくるのに)。
外国のスーパーは、原則としてビニールの買い物袋を支給してくれない。品物は、自分で持ってきた袋に自分で詰めて帰るのだ。俺はもちろん、何の袋も持っていなかったので、肩掛けカバンに品物を直接詰めて帰った。不便といえばそうかもしれないが、日本もこの仕組みを真似るべきである。各スーパーやコンビニで、当たり前のようにビニール袋を配るのは、資源の無駄遣いでしかない。
それを言うなら、街の暗さだってそうである。ポーランドは極端だが、ヨーロッパの街はどこも夜が暗い。オフィスなども、昼間は電気を点けない。それに引き換え東京では、昼間からコウコウと電気を点けているし、夜もネオンサインがギラギラしているし、24時間オープンしているコンビニが当たり前になっている。これこそ、環境資源の無駄遣いである。
日本政府が、京都や洞爺湖で環境について偉そうなことを語っても、EUがなかなか付いて来てくれないのは当然だ。日本こそが、率先して環境破壊をしている国だという事実は、街の風景を見ただけで一目瞭然なのだから。きっとEUのお偉方は、内心で日本のことをバカにしていることだろう。
などと自虐的に考えつつ腕時計を見ると、5時半だ。何をするにも中途半端な時間であるから、いったんホテルに引き上げることにした。ホテルが中心街に立地していると、こういう時に便利である。
部屋でジュースを飲みつつ、ポーランドのMTVを見ながら、「地球の歩き方」を眺めたり、明日のクラコフ行きの電車の切符やアウシュビッツ・ガイドツアーの予約券のチェックなどをしているうちに6時半になった。
では、夕飯に出かけるとしようか!
お好み焼き
ホテルを出てから駅前通り沿いを東に歩き、若者スポット「新世界通り」の入口でバスを待った。旧市街まで歩いても良いのだが、結局は同じ道(王の道)を行くだけだから面白くない。この街はプラハと違って構造が単調だから、散歩には向かないのである。
やがて116番バスが来たので、ポーランドの若者たちに混じって乗り込む。このバスは、新世界通りをまっすぐ北に走り、途中から「王の道」に入り、そのまま王宮前広場まで俺を運んでくれた。もちろん、昼間の散策のときに、116番バスがここまで来ることはチェック済みであったから、この結果はすべて計算づくである。俺は、何度も同じミスをするような男ではない!(笑)
さて、夕暮れの王宮前広場を早足で突っ切って、旧市街広場へと向かうと、その途中にポーランド料理屋「ザピーチェク」があった。小さくてアットホームな雰囲気の大衆食堂風のレストランである。これなら一人でも入りやすいと思って覗いたら、けっこう混んでいる。考えたら、ここは観光の中心地だもんな。観光客自体が少ない街とは言え、ちょうど飯どきなんだから混んでいて当然か。
幸い、俺はギリギリセーフで、一番奥の樫のテーブルに、待たずに入ることが出来た。隣のテーブルは、やはり一人で来たお爺さんである。その他のテーブルは(全部で10卓しかない)、観光客らしい若者や、カップルやオバサン軍団で占められていた。
民族衣装っぽい制服のお姉さんに、とりあえずウォトカを頼もうとしたら、メニューにはビールしかない。困ったので、昼と同様にチェコビールを注文した。それから「地球の歩き方」で勧められていたジューレックなるスープ、それから、行きの飛行機で女学生に勧められたプラツキ(お好み焼き)を注文した。ついでにパンも追加した。
この店のお姉さんは、みんな若くて美人である。しかも、民族衣装をあしらった赤い制服は、かなりのミニスカートなので生足がまぶしい。これでチェコ人並みに愛想が良ければ最高なのだけど、お姉さんたちはみんな事務的で冷たかった。がっかりだ。
隣のお爺さんを見ると、ピエロギ(餃子)を注文していた。ポーランド料理屋は、どこの店にも餃子がある。っていうか餃子が主力なんだから、まるで宇都宮だな(笑)。お爺さんは、餃子だけ食べ終わるとさっさと帰ったので、一人で飯を食っている孤独な客は俺だけになってしまった(泣)。
しかし、この店のメニューを見ていて気づいたのだが、ポーランドの民族料理って、とどのつまりは「餃子」と「お好み焼き」じゃんか!日本なら、縁日の屋台や野球場で売っているジャンクメニューの定番だ!そう考えると、哀しいほどの貧弱さである。
でも、味は良い。チェコビールはもちろん期待通りだが、ライ麦スープのジューレックも素朴な田舎の懐かしい味で美味かった。
メインで頼んだお好み焼きは、小麦粉とジャガイモ粉でチキンを包んで焼き上げたものだが、上に掛かっているカレー味のシチューと相まって非常に美味かった。「お袋の味」って感じである。しかし、これはチェコ料理と完全に同じもので、表参道のチェコ料理屋「カフェano」で食べられるチキン・フランボラークとまったく一緒の味なので、これにはちょっと驚いた。あのチェコ料理屋、ポーランド料理屋に看板替えしても大丈夫だな(笑)。ただ、このお好み焼きは、とにかくヴォリュームが多かったので、食べきるのがたいへんだった。ヨーロッパで一人で食事をすると、時々こういうことが起こるから面倒なのである。
ともあれ、美味かったので、今日は大満足である。ここがチェコなら、満腹してくつろいだ俺を見たお姉さんが、笑顔で駆けて来て「コーヒーですか?紅茶ですか?それとも、あ・た・し♪?(最後のは嘘(笑))」と聞いてくるところだろうが、ポーランドではそういうことは無い。ほったらかしなので、面倒くさくなってこのまま帰ることにした。
お勘定を頼んだら38ズロチー(1,800円)だったので、カードで払って店を出た。それほど高くもなかったけど、6年前に比べたらヨーロッパの物価はかなり上がっている。というより、日本経済が凋落した結果、諸外国の物価が相対的に上がったのだ。日本の政治家や官僚は絶対に認めたがらないけど、これが世界の現実である。我々は、ちゃんと現実(日本の劣化)を直視するべきであろう。
それにしても、ワルシャワの街は、真っ暗でも安全な雰囲気なのが良い。戸外は、もうすっかり日が暮れているのだが、人影は疎らだし互いに無関心なので、危なさはまったく感じない。そこは、トルコと大違いだ。
王宮前広場を通ってバス停に行くと、ちょうど175番バスがやって来た。これは空港行きなので、ホテルの前を通るはずでラッキーである。そこで、中庸の混み具合のこのバスに乗り、計算どおりにホテルの前で降りた。
ホテルの部屋に入ると、読書に勤しんでからテレビを見て、それから寝た。明日は寝坊できないので、いちおう携帯電話のアラームを6時半にセットしておいた。
明日はクラコフに移動して、アウシュビッツを見に行く日である。すなわち、今回の旅行のメインイベントが早速、到来するのであった。