歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論PART10 > 永遠の0(ゼロ)
制作:日本
制作年度:2013年
監督:山崎貴
(あらすじ)
現在の日本。
佐伯健太郎(三浦春馬)青年は、亡き祖父が戦時中に特攻隊員だったと知って、特攻と太平洋戦争について調べ始めた。
やがて、祖父・宮部久蔵(岡田准一)とその家族が辿った数奇な運命が浮き彫りにされていく。
(解説)
2014年度の日本アカデミー賞を総なめにした大ヒット作。
「どうせ詰まらないだろう」と思ったので、映画館にも行かず、DVDレンタルにも行かず、テレビ放映で観た。その判断は大正解。「テレビの前で、無料で観る分には楽しめました」というレベルであった。(←この文章、「風立ちぬ」の項からの完コピ(笑))。
私は、百田尚樹さんの原作小説をかなり以前に読んでいるのだが、そもそも、こっちがビミョーな出来だった。
「現代の若者視点で太平洋戦争を振り返る」、基本構成は素晴らしいと思う。学校教育の欠陥によって、最近の若い世代は近代史の知識を持っていない。だけど、「永遠のゼロ」をきっかけに近代日本史に興味を持つ若者が多くなったので、その意味で原作小説の功績は偉大である。実際、この小説のヒット以来、「歴史ぱびりよん」で太平洋戦争について調べる人の数が急激に増えた。私が文部科学大臣だったなら、百田さんに表彰状をあげたいところだ。
しかし、小説としては、いろいろと腑に落ちないお話だった。
たとえば、「宮部は戦場で逃げ回っていたはずなのに、周囲から敏腕パイロットとして認識されていたのは何故?」、「戦場で逃げ回っているような人が、どうして上層部から処罰されずに最前線にいられたの?」、「それなのに結局、特攻に行ったのは何故?」、「部下の大石に家族の面倒を丸投げしたのは何故?」。などなど、物語の根幹を成す基本的な部分で、どんなに考えても理解できず納得できない箇所が多かったのだ。
これは、「読者の想像力を試すための、高度な謎かけなのだろうか?」と、最初は好意的に解釈してみたものの、他の百田作品でも「お話に矛盾がある」、「登場人物の突然の心変わりについて説明が無い」エピソードが散見されるので、つまり百田さんはそういう作家なのだろう。言動を見ていても「緻密さ」とは無縁の人みたいだし、深く考えても仕方ないのだった。
さて、映画版である。
山崎貴という人は、「ALWAYS 三丁目の夕日」をテレビで初めて見た時に気づいたのだが、「原作の味を徹底的に消す」ことに一種独特の才能を持っている映画監督だ。
だからと言って、他の味が付くわけでもない。たとえるなら、「味噌ラーメンを注文しても醤油ラーメンを注文しても、必ず素うどんが出来てしまう」能力なのだ。どんなジャンルのどんな作品でも「素うどん」に加工出来るのだから、山崎監督はもしかすると天才なのかもしれない。
製作委員会のスポンサー諸氏からすれば、この能力はとても有り難い。「必ず素うどんが出来る」と事前に分かっているのだから、品質管理も容易だし、広告などのマーケティング戦略も打ちやすくなる。つまり、楽をして金儲けができる。山崎さんが売れっ子監督になれたのは、そういう理由だろうと私は見ている。
だけど、原作愛好家(たとえば、味噌ラーメンに深いこだわりを持つ人)から見れば、素うどんを食わされるのは我慢が出来ないだろう。私は、少なくとも「永遠のゼロ」については原作愛好家ではないので、「ああ、いつもの素うどんだな」と思っただけだったけど。原作小説に感じた矛盾点や疑問点は、映画でもそのままスルーだったし(苦笑)。
いずれにせよ観客諸氏は、「素うどんに味噌ラーメンの料金を払わされている」という事実だけは正確に認識しておいた方が良いよ。製作委員会の金儲け主義者たちに搾取されているのだからね。
なお、「ALWAYS」などでもそうだったけど、「クライマックスで突然エモーショナルな音楽が流れて、俳優たちがバカみたいに一斉に泣き出す」演出は、気持ち悪いから、いい加減に止めて欲しい。もちろん映画製作者は、観客を泣かせて「感動を与える」ためにそうしているのだろうけど、こっちは「パブロフの犬」みたいに動物扱いされているようで不愉快だ。
まあ、「観客=家畜」というのが、映画製作者たちの本音なんだろうけどね。
・・・これが、今の日本映画界の現実です。
余談だが、「永遠のゼロ」は「風立ちぬ」とよく比較され、ネット上などでいろいろと議論になった。戦争賛美か否か、特攻讃美か否か、ゼロ戦讃美か否か、などなど。だけど、百田さんも宮崎さんも、そんなに真面目に物事を考えて創ってないと思うよ。議論するだけ時間の無駄です。どっちも、大して出来の良い作品じゃないし。