歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論PART12 > 火葬人 Spalovac mrtvol
制作:チェコスロヴァキア
制作年度:1969年
監督:ユライ・ヘルツ
(あらすじ)
第二次大戦前夜。葬儀社の重役カレル(ルドルフ・フルシンスキー)はドイツ系チェコ人で、家族思いの教養人。職場に最新式の火葬設備を導入するなど、近代化にも積極的だ。
そんなある日、友人に誘われてドイツ人組合のパーティーに参加する。そこで知り合った人々との交流から、ナチス思想に目覚めた彼は、ユダヤ人の血を引く己の妻子を次々にその手にかけていくのだった。
(解説)
チェコ大使館に招待されて鑑賞した。
これぞ、チェコが得意とするブラックコメディだ。チェコ人の観客は、鑑賞中にケラケラ笑っていたけど、普通の日本人の感覚では笑える内容ではない。ユーモアのセンスが、かなり異なるのである。
私は、かなり前に原作小説を読んでいたけれど、ストーリーのあまりの毒気の強さに圧倒された。この映画版は、忠実にそのエッセンスを表現している。
物語は、主人公カレルの独白調の一人称で語られる。冒頭から、やたらに自己紹介がくどくて、自分の真面目さや教養の深さ、家族に対する愛情の深さを強調する。しかし、実際には意外に視野が狭くて知識が偏っていたり、また、いかがわしい風俗店に入り浸る様子も描写される。要するに、本質的には知性が浅くて意志薄弱で下品な男なのだが、それを必死に粉飾しているというわけだ。それが、ナチスの優生思想に嵌まって行く様子は、なかなかリアルである。
彼は、自分の妻子が持つ小さな欠点を、「ユダヤ人の劣等な血のせい」だと考えて(正確には、ドイツ系の友人にそう考えるように仕向けられて)、むしろ殺してあげることが愛情なのだと思い込む。そして、気持ち悪いことに、「愛を語りながら」次々に妻や子供を殺していき、その死体を葬儀社の棺桶に隠して焼いてしまうのである。
映画版では、カレルは末娘だけは殺し損なう描写になっていて、かろうじて救いがある。そして、カレルがその得意とする火葬技術を生かして、アウシュビッツに栄転(?)する含みを持たせつつ、映画は幕を閉じる。
ブラックコメディではあるが、人間描写が卓越しているので説得力がある。実際に、カレルのような底の浅い自称エリートは、自分の周囲にもたくさんいるかもしれない。そんな人たちに対して、「邪教に迷うべからず!」との教訓的な意味を持つ映画かもしれない。
この映画は1969年に製作されたため、いわゆる「プラハの春」の崩壊に巻き込まれて、長いこと陽の目を見なかった。(日本人の感覚だと)後味は良くないかもしれないが、人間存在や人間社会について考察する上で、なかなかの傑作であることは間違いないので、もっと広まって欲しいものだ。
鑑賞の機会を与えてくれたチェコ大使館に感謝である。