歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論 PART7 > 七人の侍
制作;日本
制作年度;1954年
監督;黒澤明
(1)あらすじ
戦国時代の日本。
関東の貧しい村は、野武士の群れに毎年略奪に遭って苦しんでいた。村人は、野武士に対抗するために、七人の侍を傭兵として雇い入れることにする。
勘兵衛(志村喬)をリーダーとした七人の侍は、たまたま浪人中だったことから、生活のために傭兵になることを承諾し、村人と力を合わせて作戦を練り防衛手段を構築した。やがて野武士との最終決戦に勝利するも、仲間のほとんどを失ってしまう。
最後に勝ったのは、武士ではなく農民なのだった。
(2)解説
今さら解説なんて、する必要あるのか?
言わずと知れた日本映画の最高傑作の一つであり、世界映画の至宝である。未見の人は、今すぐにでもDVDレンタルの店に行った方がよい。
歴史をテーマにしたエンターテイメントとしては、文句のつけどころがない超絶的名作である。もはや、「神が宿っている」としか言いようがない。
黒澤明監督は、当時流行していたハリウッドの歴史大作などに感銘を受け、「日本でも満漢全席のフルコースのような映画を作ってみたかった」などと述べたそうだが、その意図は完璧に成功している。そして、この映画はハリウッドに巨大な影響を与え、フランシス・コッポラのみならずスティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスを動かすことになる。のみならず、『荒野の七人』をはじめ、様々なリメイク作品を生み出すことになる。
この映画の素晴らしさについて語り始めたら止まらなくなるので、あえてやらない。インターネットを見れば、世界中の山ほどの絶賛に触れられることだろう。
ただ、いちおう『歴史ぱびりよん』的には歴史ウンチクをする必要があるだろう。
すでに多くの論者が突っ込みを入れているところだが、この映画は、時代考証の基本が間違っている。「農民=非武装、武士(侍+野武士)=武装」という単純化された図式がそれである。
実は、日本の庶民が武装しなくなったのは 、豊臣秀吉の「刀狩り」からであり、それが定着したのは江戸時代からである。つまり、戦国時代の農民はみんな武装していて、しかも、かなり戦場慣れしていたはずなのだ。それはたとえば、あの織田信長が、武士ではない者たちから構成される一向一揆と10年間戦って苦戦の連続だったことからも明らかである。戦国時代の農民は、下手な武士よりも強かったのである。
したがって、野武士に怯えた農民たちが、「わずか七人の武士を雇い入れて教えを請う」などという事態は、実際には有り得なかったと断言できる。というよりも、野武士が「非武装の村」を襲うなどという事態そのものが有り得なかったことだろう。
また、「最後に勝つのは農民だ」という無理やりなメッセージは、当時全盛期だった左翼思想のバイアスが垣間見られて、いろいろと興味深い。 もちろん、以上の事を差し引いても、『七人の侍』が超絶的傑作であることは言うも待たない。