歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論 PART8 > ディクテーター 身元不明でNY The Dictator
制作;アメリカ
制作年度;2012年
監督;ラリー・チャールズ
(1)あらすじ
砂漠の国ワディア王国のアラジーン将軍(サシャ・バロン・コーエン)は、絵に描いたような独裁者。気に入らない奴は、即刻死刑。ベッドには毎晩、美女がてんこ盛り。
ところが、国際社会から核開発疑惑を騒がれて、ニューヨークに釈明に出かけたところで腹心タミール(ベン・キングスレー)の裏切りに遭い、トレードマークの髭を剃られた上で幽閉されてしまう。命からがら脱出したものの、すでに替え玉がアラジーンに入れ替わっていたため独裁者に復帰できず、ニューヨークの市井で平凡な雑貨店員として新生活を始める。
アメリカ下層社会の移民たちから見たこの世界の実情は、想像を超えた過酷なものだった。
(2)解説
新宿「武蔵野館」で観た。
あらすじだけ読むと、真面目な社会風刺映画のように見えるだろうけど、実際は超絶的におバカな下ネタ映画である。
下ネタも、妥協せずに徹底的にやり込めば、「神」の領域に到達できる。そういうわけで、私はこの映画の中に「神」を見た。人間の下半身の全ての器官と穴(誇張ではない!)を徹底的に使いぬく根性には、心から敬服する。まさか、妊婦の胎内を、あんな風にイジるとは!ウ●コも、ボトボト落ちるとは!そして、主演男優のチン●ンまで見せるとは!(爆)
日本のドリフや吉本新喜劇は、決して嫌いではないけれど、やっぱり「中途半端」だと痛感した。これは、アメリカと日本の「本気度」の違いであって、ダイナミズムという点で、日本がアメリカに絶対に追いつけない理由が実によく分かった。物事は何でもそうだが、「中途半端」が一番よくない。やるなら、メーターが振り切れるまで突き抜ける覚悟が必要だ。それなのに、日本人の気質として、やることなすことが全部中途半端なので、だから最近のテレビや邦画は詰まらないのだろう。
それはともあれ、『ディクテーター』は、まともな観客なら呆れて身動き不能になるくらいに下品な映画なのだが、ストーリーの中核は、かなりシビアな社会風刺でありアメリカ批判なのである。このギャップが、また面白い。そして、英語版のタイトルから分かる通り、この映画は実は、チャップリンの 『独裁者』のパロディであり、オマージュなのである。
思えば、『独裁者』を撮ったころのチャップリンは幸せだった。あの当時の世界は、独裁国家全盛であって、民主主義の国はアメリカと西欧の一部くらいだった。だからこそ、チャップリンは民主主義を純粋に信奉して、民主主義に夢を見ていられた。世界中に民主主義が広がれば、人類は幸福になれると無邪気に信じていられた。アメリカのことを大好きでいられた。
ところが、21世紀の世界を見よ。民主主義の牙城であるはずのアメリカは、貧困製造搾取マシーンと化し、しかも大義名分のない戦争を仕掛けまくって世界を荒廃させているではないか?中東の独裁国家の方が、民主主義のアメリカより、遥かに人道的で立派なのではないだろうか?
アラジーン将軍の最後の演説は、『独裁者』のチャップリン演説へのオマージュでもあると同時に、今日のアメリカを痛烈に非難する悲しい知性に溢れている。
サシャ・バロン・コーエンという作家は、この映画で初めて知ったのだが、素晴らしい逸材だと痛感した。彼のことを知っただけでも、この超絶おバカな下ネタ映画を観に行った甲斐は十分にあった。