歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論 PART8 > ゼロ・ダーク・サーティー ZERO DARK THIRTY
制作;アメリカ
制作年度;2012年
監督;キャスリン・ビグロー
(1)あらすじ
「9.11同時多発テロ」以来、イスラム原理主義者の猛攻に苦しむアメリカ社会。
CIAの女性職員マヤ(ジェシカ・チャステイン)は、卓越した調査能力で敵の中枢に迫っていく。そして、アメリカが最終的に下した決断は、アルカイダの首魁ウサマ・ビン・ラディンの暗殺であった。
(2)解説
横浜みなとみらいのイオンシネマで観た。
実話を基にした、ドキュメンタリータッチのサスペンス映画。
タイトルの「ゼロ・ダーク・サーティー」は、午前0時30分を意味する軍事用語である。これは、ビン・ラディン暗殺チームの作戦開始時間であった。
この物語の構造は、完全に『ジョーズ』などの「動物パニック映画」そのものである。 すなわち、「平和な社会を脅かす謎の敵が現れた。対策チームが活動を開始する。優秀な主人公が、アホな上司に悩まされたり友人を失ったりしつつも、ついに敵の正体を暴いてこれを退治する」。そういうお話なのだ。
しかし、この物語の中で退治するべき相手は、動物でも怪獣でもなくて、生身の人間なのである。「人間狩り」なのである。これを、動物パニックものの演出技法で淡々と撮っているのが凄い。
実際、この映画に登場するCIA局員たちは、アルカイダの構成員を人間だと思っていない。完全に動物扱いである。おそらく、ビグロー監督がそういう演技指導をしたためだろうけど、肉食獣の目をしたCIAが、捕虜にしたアルカイダを無情に拷問するシーンは、鬼気迫る冷酷さと残酷さである(このシーンは、アメリカ上院でも問題になったらしい)。
クライマックスの襲撃シーンも、アメリカ兵が、「殺さないで」と泣き叫ぶ女性たちを殴り倒しながら、ほとんど無抵抗のビン・ラディンとその親族を無表情に虐殺して行く場面には戦慄を禁じ得ない。本当に怖い。
このように、「陰惨」としか形容の仕様がない映画なのだが、後味は決して悪くない。なぜなら、画面全体からビグロー監督の女性作家ならではの悲しみや痛みが込み上げてくるからである。観客は、人間性を完全に喪失したCIAやアメリカ軍の残酷さや愚かさを、監督と一緒に悲しんで憐れむことが出来るのだ。
ビグロー監督はおそらく、このようになってしまった世界を心から悲しんでいて、その慟哭こそが物語を紡ぐ原動力になっている。このように、作家の純粋な心がストレートに物語を紡ぐハリウッド映画を観たのは本当に久しぶりだったので、「アメリカ映画やアメリカの映像作家も、まだまだ捨てたものじゃないんだな」と、少し嬉しくなった。
イスラム原理主義の方々は、あるいはこの映画を見て立腹するかもしれないけれど、どうか冷静になって欲しいものだ。『ゼロ・ダーク・サーティー』は、アルカイダへの憎しみではなく、こんな風に残酷に変質してしまったアメリカ社会への悲しみと愚かさを描いた映画なのだから。