歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論 PART13 > エジソンズ・ゲーム The Current War
制作:アメリカ
制作年度:2017年
監督:アルフォンソ・ゴメス=レホン
(あらすじ)
19世紀末のアメリカでは、電気技術の確立を契機に、合衆国全土に発電所と送電網を構築して社会インフラ全体を電化する計画が立ち上がった。
企業家であり発明家であるジョージ・ウェスティングハウス(マイケル・シャノン)は、交流電流を用いた送電システムを企画立案した。交流電流は、安全性が高く送電効率が良いため、あらゆる面で優れているように思われたからだ。
しかし、それに立ちふさがったのは、電球の発明者であるトーマス・エジソン(ベネディクト・カンバーバッチ)だった。彼は、己の既得権と威信を守るため、直流電流の優位性を主張し、交流電流に対してなりふり構わぬネガティブキャンペーンを開始する。
窮地に追い込まれ、破産さえ覚悟したウェスティングハウスの前に現れたのは、孤高の天才発明家ニコラ・テスラ(ニコラス・ホルト)だった。頼もしい味方を得たウェスティングハウスは、エジソンに対して最後の反撃を開始する。
(解説)
前回、『チェルノブイリ』を紹介したので、その問題の根本的な原因となった、電気黎明期の物語を紹介する。
この映画は、何の気なしに散歩に出かけた日比谷ミッドタウンの映画館で、たまたま見つけて鑑賞した。お客さんは悲しくなるくらいに少なかったけど、私は心から満足して映画館を後にし、その後もかなり長い間、感動の余韻が消えなかった。
しかしこの作品は、監督が若手だったせいもあり、またエジソンの描き方などについて制作者の間で意見が割れたため、2017年に完成したというのに、その後も再編集版や別ヴァージョンが作られ続けて混乱した難産の産物だ。そのため、日本初公開が2020年と、大幅にズレ込んでしまった。これには日本の配給会社も持て余したらしく、宣伝も不十分で、しかも『エジソンズ・ゲーム』などというヘンテコな邦題が付いてしまった。
原題の直訳は、「電流戦争」である。これは、重大な歴史事件として、その名が史書に記録されている。そして、映画の内容はほとんど史実通りなのだが、19世紀末のアメリカでは実際に、直流送電方式と交流電流方式を巡って、国を真二つに割るような大論争が巻き起こったのだった。
こういった最新技術を巡る論争は、歴史の中で無数に起きている。多くの場合、最初に概念を構築した者が既得権者となり、既得権に安住して切磋琢磨を忘れてしまう。そこに登場した後進が、より優れた方式を編み出した場合、既得権者は権力を駆使してそれを排斥しようとする。
ただし、「電流戦争」におけるエジソンの態度は常軌を逸していた。たとえば、「交流電流の残虐性を示すため、州政府による死刑囚の処刑方法に、自ら発明した電気椅子を採用させて、しかもVIPを集めて公開処刑を行う」などの行為は、いくら何でも人道的に見て酷すぎるだろう。
エジソンは天才的な偉人であることは間違いないのだが、かなり癖の強い難しい人間だった。自分が作った会社全てに「エジソン」の名を付けたがり、自分より優れた人間を迫害するなど、かなり子供っぽい人間だった。そして、自分の会社の社員であったニコラ・テスラを、その優れた才能を警戒して、迫害して外に追い出したことが運の尽き。この皮肉な運命の展開は、ほぼ史実通りである。
ちなみに、日本で公開されたのは、エジソンの悪人ぶりを赤裸々に表現したディレクターズ・カット版であるらしい。別のヴァージョンでは、エジソンがもっと大人しいようだ(笑)。つまり、エジソンを善人だと思っていたいような保守的な人は、現代のアメリカでもまだまだ多いのだろうね。
とはいえ、エジソンを演じたのがベネディクト・カンバーバッチだったのは、たぶん制作陣の狙い通りの大成功。『イミテーション・ゲーム』の項で紹介したように、この人が演じると、どんな悪人や変人でも憎めなくなるのだ(笑)。
さて、私がこの映画に心が震えるほど感動した理由は、この物語が表現するのが「アメリカ合衆国が最も輝いていた素晴らしい時代」だから。この認識は、おそらくスタッフやキャスト全体に共有されていて、映像からほとばしり出る誇らしい希望のエネルギーがとにかく明るくて強烈なのだ。そういう映画は、やっぱり見ていて楽しいよ。ワクワクが止まらないよ。
こうして、天才たちの夢と希望によって構築された送電システム。それを維持するためには電気を大量に作り続ける必要があり、行きついたのは原子力発電所。『チェルノブイリ』の悲劇だ。
つまり、電気を作るためにはタービンを回す必要があり、タービンを回すためにはその羽に蒸気を当てる必要がある。蒸気を作るためにはお湯を沸かす必要があり、そのためには熱が必要で、強力な熱を効率的に生み出す最強のアイテムがウラニウムなのだ。
だけどそもそも、お湯を沸かす以外に強い電気を作る方法って無いものなのか?この点は、19世紀から一歩も進歩していないような気がするぞ。
結局、この世界は、未だにウェスティングハウスとテスラの知的レベルを超えることが出来ないということなのだろうか?