歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論 PART13 > 異端の鳥 The Painted Bird
制作:チェコ、スロヴァキア、ウクライナ
制作年度:2019年
監督:ヴァーツラフ・マルホウル
(あらすじ)
第二次世界大戦前夜。ポーランドに住むユダヤ人夫婦は、せめて愛児だけでもナチスの暴虐の中を生き延びさせようと、10歳の息子(ペトル・コトラール)を西ウクライナの辺境地帯に住む遠縁の老婆に預けた。
しかし、その老婆が頓死してしまったことから、過酷な望郷の旅が始まる。少年は、無知蒙昧で野蛮な人々に翻弄されながら、次第に逞しく、そして冷酷に成長するのだった。
(解説)
全世界の賞賛を浴びた傑作映画。日本では、最初はミニシアターでの少数館上映だったのに、その反響の大きさから、次第に大手シネコンでも上映するようになった。私は、日比谷ミッドタウンTOHOで鑑賞した。
全編モノクロ映像で、しかも劇中で用いられる言語は、インタースラヴ語と呼ばれる人造言語である。これだけで、「攻めた」映画だということが分かる。過去の焼き直ししか出来なくなった日本やアメリカの映画人は、少しはチェコの進取性を見習うべきではないだろうか?(似たことを過去に何度も書いているような気がするが)。
さて、『異端の鳥』は、御多分に漏れずチェコ流の性悪説全開の映画だ。登場人物は、ほぼ全員が極悪非道の人間の屑か無知蒙昧の野蛮人なので、見ていて胸糞が悪くなって来る。ただし、原作小説がそういう書き方になっているので、監督をはじめとする映画制作陣がそういう人間観だからそうなったというわけでもない。
イエジー・コジェンスキ(ポーランド人)の原作小説は、発表当初からあまりの胸糞の悪さで評判になり、様々な批判にさらされて来た。何しろ、この小説に登場する西ウクライナの人々は、極悪非道で性欲全開で、ユダヤ人やジプシー(ロマ族)を人間扱いせずに虐め殺すことを趣味にしているような野獣として描かれている。そんな彼らは、ユダヤ人を殺してくれるナチスドイツを、むしろ積極的に応援していたりするのだ。こうなると、ナチスのユダヤ人に対する暴虐は、単なる狂気とは言えず、それなりの民意を得た上の行動だったように思えてくるから怖いね。ロシアのプーチン大統領が、ウクライナとナチスを結び付けて議論したがるのは、それなりに根拠があることなのかもしれない。そんな気にもなってくる。
さて、原作小説の中で最も胸糞が悪くなるエピソードは、アウシュビッツ行きの列車から辛うじて脱出した幼いユダヤ人少女を、助けたはずの村人が強姦し、そうしたら膣けいれんを起こしてイチモツが抜けなくなったので、「この娘は悪魔だ!」などと激怒し、村人みんなで少女を殴り殺す場面だろう。お前らこそ悪魔じゃん(汗)。この酷いエピソードは、さすがに映画版ではカットされていたが、映画版もそれに負けず劣らずのヤバいシーンの連続である。
主人公の少年は、それこそ悪魔のような野獣のような人々の間を渡り歩きつつ、奴隷労働をさせられたり、性処理道具として使われたり(彼もまた、当たり前のように男からも女からも強姦される)、殺されかけたり殺したりを繰り返して、しぶとく生き延びるのだ。
凄いのは俳優陣で、少年を虐める極悪な大人たちを、世界の名優たちが演じている。ジュリアン・サンズとかステラン・スカルスガルド、ウド・ギア、ハーヴェイ・カイテルとか、次々に名優が登場し、とんでもなく愚かしく悪いことをやりまくるのは、なかなか他の映画では見られない絵だと思うぞ。
個人的に失笑したのは、ソ連軍の狙撃兵役にバリー・ペッパーが起用されていたところ。ペッパーは、スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』で、信心深くてカッコ良いアメリカの狙撃兵を演じて人気が出た人だ。ところが『異端の鳥』では、遊び半分で民間人を大量殺戮しまくる極悪狙撃兵として活躍(?)する。あえてこの役にペッパーを起用したのは、制作陣の遊び心だったと思うね。
さて、少年は結局、第二次大戦の全期間を放浪して過ごすのだが、最後はポーランドに侵攻して来たソ連軍に拾われる。そして、彼らから初めて人間らしく扱われ、教育を受けて、ついに無事に故郷の街へと生還するのだった。
ソ連のロシア人たちが、極悪狙撃兵ペッパーでさえも、周囲の野蛮人どもと比べて文明的でとても立派な人々に見えるのだけど、たぶんこの当時の状況下だと実際にそうだったのだろうな。ソ連がその後、この地域に50年にわたって覇権を確立できた根拠が良く分かる。
さて少年は、故郷で両親に再会できるのだが、もはや昔のような可愛い子供ではなく、むしろ残虐な野蛮人へと変貌していた。彼は、自分を荒野に捨てた(結果論だが)両親に対して深い憎しみさえ抱くのだった。
しかし少年は、やがて父親の腕に入れ墨(アウシュビッツでの囚人番号)があることに気づく。両親もまた、過酷な運命の中で戦っていたのだ。それを悟った幼い心に、何か新しい暖かいものが生まれる。少年はバスの車窓に、半ば忘れかけていた自分の名前(両親から貰った唯一の物)を指で書くのだった。
さんざん性悪説の酷いストーリーを紡いでおきながら、観客をラストでほんの少しだけ暖かい気分にさせるのは、安定のチェコ映画クオリティーだ。
いろいろと胸糞の悪くなるシーンが多い映画だが、未見の人にぜひお勧めしたい傑作であることには間違いない。