歴史ぱびりよん

第八話 カサブランカ会談

1943年1月、モロッコのカサブランカで米英首脳を中心とする国際会議が開催されました。これは、既に勝利を確信した連合国が、戦後世界のアウトラインを引くために開催したものです。しかし、ここで最も留意すべきことは、枢軸国陣営に対して「無条件降伏」の要求がなされた点ではないでしょうか?

「無条件降伏」という言葉は、歴史教科書には無造作に出てきますが、世界史的には極めて異例のタームです。無条件ということは、降伏した側は、何をされても文句を言えないということです。仮に、戦勝国によって「国民皆殺し」を命令されても、それを素直に受け入れなければならないのです。

それ以前の戦争は、切りの良いところまで戦って戦局の行方がはっきりしたら、第三国に仲介を頼むなどして「講和会議」に持ち込むのが通例でした。そして、対戦国同士が綿密に話し合い、互いに条件を決めて仲直りするのです。

しかし、第二次大戦では「無条件降伏」が要求されました。これでは、枢軸国は、余力があるかぎり戦いつづけるしかありません。枢軸国は、自らの政治的判断で、有利に戦争を止める道を完全に封じられてしまったのです。あの戦争が、日独両国が焦土となるまで続けられたのは、ヒトラーの狂気でも日本軍閥の愚かさでもありません。連合国が突きつけた理不尽な「無条件降伏」によるものなのです。

実は、チャーチルは反対したようです。これ以上戦争を長引かせてしまっては、日独のみならずイギリスやフランス、中国といった国々が大いに疲弊し、戦後社会がアメリカの一人勝ちになってしまうからです。そして、これこそアメリカの狙いだったのでしょう。ルーズヴェルトが、他国の反対を押しきって、「無条件降伏」の要求を貫徹したのは、アメリカの野心によるものとしか考えられません。戦争が長引くことで有利になるのは、アメリカ一国なのですから。

アメリカは、この戦争で空前の好景気に見舞われていました。今の景気など、及びもつかぬほどの好況でした。マクロ経済学に詳しい方なら、「財政支出による有効需要の創出効果」と言えばお分かりになると思いますが、軍需産業を中心とした実物経済が、笑いが止まらないくらいに儲かり、失業率も劇的に減少したのです。おまけに、日独が相手なら、アメリカ本土が攻撃される恐れは皆無です。そんな彼らが、おいそれと戦争をやめるはずがありません。

カサブランカ会談は、それ以前の数世紀にわたる世界的秩序を、一挙に覆すものでした。それ以前の世界は、複数の大国が互いに睨み合い、力のバランスを均衡させながら共存してました。バランスが崩れそうになると、イギリスのような国が弱者に肩入れして、力の均衡を元に戻していたのです。例えば「日露戦争」は、突出しようとしたロシアを押さえるためにイギリスが日本と結託して起こした戦争です。

アメリカは、このような世界秩序を否定し、アメリカの独占的な世界支配体制を確立しようとしたのでしょう。

ところが、思わず伏兵が現れました。

ソビエト連邦(ロシア)です。

ソビエトは、その勢力伸張を日独に封じ込められる状態にありました。日本とドイツは、「防共協定」を結び、古くからソ連のイデオロギーと激しく対立していたのです。しかし、「無条件降伏」の要求によって日独が最後まで連合軍と戦って壊滅したら、もはやソ連を押さえつける勢力は存在しなくなります。これは、ソ連にとって千載一遇のチャンスだったのです。アメリカの陰謀を鋭く見抜いたスターリンは、ルーズヴェルトをうまく騙して、己の利権伸張を図りました。

チャーチルは、どうやらスターリンの魂胆を見抜いたようです。しかし、ルーズヴェルトは違いました。彼は、日独の能力よりもソ連の能力を軽視してしまったのです。

1943年1月は、冷戦構造の幕開けの時といっても過言ではないでしょう。アメリカがあそこまで日独を追い詰めなければ、ソ連のあれほどの国力強化は有り得なかったからです。

・・・歴史は、大きく音を立てて転換を始めました。