歴史ぱびりよん > 歴史論説集 > 世界史関係 著者の好みに偏っております。 > 概説 チェコ史 > 第十一話 魔術の帝王ルドルフ2世
ウイーン包囲に失敗したトルコ軍が、その鋭鋒を緩めたので、東欧は久しぶりに平和ムードに包まれました。
神聖ローマ皇帝に選ばれたハプスブルク家のチェコ王ルドルフ2世(1552~1612)は、200年振りに帝国の首都をプラハに戻し、この地に多くの文化人を呼び寄せて「ルネッサンス」を始めたのです。
この王は、日本史で言うなら足利義政のようなタイプの政治家でした。政務や軍事に興味を持たず、ひたすら文芸や学究に凝ったのです。
特に有名なのは、錬金術の保護育成に尽力した点です。プラハ城内には「黄金の小道」と呼ばれる一角があるのですが、ここは欧州の著名な錬金術師が集まって、怪しげな研究に精を出したところだと言われています(実際は違うらしいが)。そのため、この王の治世は、SFやオカルト小説のテーマに良く使われます(例えば、カレル・チャペック著『マクロプロス家の秘法』)。
しかし、錬金術=魔法というイメージは、近代になってからの誤解です。
錬金術は、確かに最初は「鉛を金に変える研究」として始まりました。それがやがて、イスラム圏から知的刺激を受け、もっと広範な意味を含む「化学」ないし「科学」へと姿を変えていったのです。意外に思う人が多いかもしれませんが、あのフランシス・ベーコンやアイザック・ニュートンだって、正確な肩書きは「錬金術師」だったのですよ。
つまり、ルドルフ2世の業績は、「科学の保護育成」と読み替えるべきなのです。事実、この王の治世にはボヘミアガラスのカット技術が著しく進歩しています。
チェコの工業力は、ヨーロッパでも有数のレベルを誇っているのですが、その基礎を造ってくれたのは、この風流な王様だったのです。
ルドルフ2世治下のチェコは、学芸の都として、ルネッサンスの花を華麗に咲かせました。その有様は、シェークスピアが『冬物語』の中で特筆しているほどです。
しかし、この大輪の花は、すぐに摘み取られる運命にありました。
この王様は、政治に関心が無かったため、宗教問題にはたいへんに寛容でした。それに付け込んだチェコのフス派貴族や市民たちは、「ボヘミアの信仰告白」という議事を提出します。これは、フス派の権利を、未来永劫にハプスブルク家に認めさせる内容でした。フス派の人々は、熱烈なカトリックであるハプスブルク家による弾圧を予想し、危機感を募らせていたのです。
案ずるより産むが易し。能天気な王様は、喜んでこれを承認しました。
快哉を叫ぶフス派。
しかし、ルドルフ2世は、それから間もなく失脚します。跡を継いだ弟のマティアスは、熱烈なカトリック派でした。
チェコに、再び寒風が吹きすさびます。