歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論 PART4 > ダンス・ウイズ・ウルヴス Dances With Wolves
制作;アメリカ
制作年度;1990年
監督;ケヴィン・コスナー
(1)あらすじ
アメリカ北軍のジョン・ダンバー中尉(ケヴィン・コスナー)は、奇策で味方を勝利に導き、南北戦争の英雄となった。上官から新たな任地の希望を聞かれた彼は、「失われつつあるフロンティア」への赴任を求めた。
彼が赴任した西部の砦は、長いこと放置され無人となっていた。愚直なダンバーは、それでも一人でこの廃墟に腰を落ち着ける。
孤独な生活の中、やがて付近のスー族との交友関係が生まれた。
白人たちが「盗人」「殺人鬼」と罵るインディアンは、実際には礼儀正しく大らかで、大地と調和しながら人間らしく生きる高潔な人々だった。ダンバーはスー族とともにバッファーローを追い、敵対部族と戦い、ついにはスー族に育てられた白人女性「拳を握って立つ女」(メアリー・マクドウェル)と結婚して部族の一員となる。いつしかダンバーは、部族の仲間たちから「狼と踊る男」と呼ばれるようになっていた。
しかし、そんな生活に白人の魔手が迫った。砦に戻ったダンバーはアメリカ軍に捕らえられ、かつての同胞たちから「裏切り者」と呼ばれて残酷な仕打ちを受け、ついに処刑のために後方の司令部に移送されることになる。
彼の危機を救ったのはスー族であった。彼らと共にに逃走したダンバーは、しかし自分の存在がスー族全体を危険にさらすことを恐れ、妻を連れて新たな大地を目指すのだった。
(2)解説
弟が大ファンだったので、弟が買ってきたビデオで見た。そして、ケヴィン・コスナーという人物の才能を大いに見直した。
また、『ラストサムライ』を映画館で見た時に最初に思い出したのがこの作品であった。『ラストサムライ』は、いろんな点でこの映画をパクっているように思う。
『ダンス・ウイズ・ウルヴス 』は、西部劇の概念を覆した革命的傑作である。
従来の西部劇では、インディアンは野蛮で残忍な殺人者であり略奪者であった。彼らと戦うアメリカの騎兵隊は、ジョン・ウェインの雄姿とともに「正義」の象徴に他ならなかった。しかし、こういったステレオタイプの図式を180度ひっくり返したのが 『ダンス・ウィズ・ウルヴズ』なのである。
この映画に登場する白人は、主人公以外はみんな冷酷残忍で無知蒙昧で野蛮で、見ているだけで不愉快になるほどの悪党である。これに対して、インディアンはみな高潔で文化的で人間的である。そして、白人こそが強欲な略奪者に他ならない。まさに、革命的な解釈である。
もちろん、こういった極端な描き方には批判もあるようだが、この映画はあくまでもダンバーの視点で描かれており、ダンバーは常にインディアンにシンパシーを感じている人物なのだから、この描き方で正しいのである。
こういった解釈論を抜きにしても、映像と音楽の美しさだけで魅力満開の映画である。大草原でのバッファロー狩りのシーンなどは、何度見てもため息が出るほどの美しさだ。映画は本来、こういう画を見せるために存在するのだと感嘆してしまう。
この映画はまた、「異文化交流」も重要なテーマにしている。ダンバーと「蹴る鳥」(スー族の聖者)は、好奇心を梃子に、互いを理解して友情を深めていく。好奇心の次に大切なのは、偏見を捨てて心を開き、そして互いの良い部分を尊敬しあい学びあうことである。ダンバーと「蹴る鳥」は、こういった条件を互いに十分に満たしていたから親友になれたのだ。
もっとも、ダンバーはかなりの変人である。映画の中では、彼の生い立ちなどの背景はまったく語られないのだが、妻子はもちろん、恋人どころか友人もいなかったようだ。また、自己の帰属する組織にまったく縛られないメンタリティの持ち主でもある。だからこそ、インディアンの一員になれたのだ。
このような変人でなければ、真の異文化交流が出来ないのだとすれば、それはとても哀しいことである。実際、連綿と続く差別と戦争の血塗られた人類史が、そのことを証明しているように思われる。