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レッドクリフ PART Ⅱ Red Cliff Part Ⅱ

制作;中国

制作年度;2009年

監督;ジョン・ウー

 

赤壁の戦いの完結編。

ジョン・ウー映画にしては、白いハトの出番が少なかったのでショック!もっと、たくさん出るかと思った(笑)。

ラストの決戦シーンは、孔明(金城武)が飼っている白いハト数百匹が、「ぽっぽぽっぽー」、「くるっぷっぷー」と鳴きながら、火の玉と化して敵陣に特攻して勝利!という展開を期待していたのですが、普通のハリウッド的アクションになっていたのが残念!どうせ史実をグチャグチャにするなら、そこまでぶっ飛んでいて欲しかったな。

クライマックスのトホホぶりは、思い出すだけで脱力です。まるで、子供向け番組の「戦隊シリーズ」みたいだった(苦笑)。

他のおかしな点を挙げるとキリが無いけれど、たとえば、江南人の孫尚香(ヴィッキー・チャオ)が、江北の陣に潜入して難なくスパイするのは不自然です。なぜなら、言葉がまったく通じないはずだから(訛り程度の差異では無かったはず)。

また、呉の兵士たちが、みんなで手紙を書く場面には、激しく脱力しました。あの当時、「紙」はたいへんな高級品だったので、王公諸侯でさえ軽々しく使えなかったはずなのに。

ここまでグチャグチャだと、さすがの筆者も笑っていられない。見なけりゃ良かった(泣)。カネ返せ。

ところで、実際の歴史上の「赤壁の戦い」って、どんなだったのか? 私は、「実際には、大きな戦いは無かった」と考えています。

ええー、そんなアホウな! と、思う人も多いでしょう。 そういう筆者も、「昭烈三国志」の中では、いちおう戦いを描いていますけど、あれは一種の読者サービスなのです。「最大限デフォルメして、これが限度」という程度の派手さで遠慮がちに書いたのでした。

では、どうして「戦いは無かった」と考えるのか? それは、「正史三国志」を何度か読めば分かります。

(1)天下分け目の決戦だったはずなのに、官渡の戦いなどに比べて、ほんのわずかしか記述がない。

(2)戦いよりも、疫病に関する記述が多く、「曹操は自ら船を焼いた」と書かれた箇所もある。

(3)天下分け目の決戦だったのに、両陣営とも損害が異常に少ない。特に、中級将校以上の戦死者や投降者が一人もいない!(官渡や夷陵では、負けた側の将校が大量に死ぬか降参しているのに)。

私が、特に決定的だと思うのは(3)です。 小説版の三国志(演義)では、曹操軍が100万人も死んだことになっています。それなのに、名のある将校が全員生還したのは不自然です。 映画「レッドクリフ」は、この不自然さを解消するために、架空の武将(中村獅童の甘興など)を両陣営に配し、彼らを戦死させることで誤魔化していますね。

そして史実の曹操軍は、「赤壁の戦い」のわずか半年後に、孫権に対して元気いっぱいに復讐戦を仕掛けています。とても、100万人の損害を受けた勢力とは思えません。

おそらく、実際の歴史の中で起きたことは、 「曹操軍と孫権軍は、小競り合い(=黄蓋の火攻めも、その一部)の末、戦況が膠着した上に疫病が酷くなったので、休戦協定を結んで互いの母国に引き上げた。曹操はその際、敵に利用されないように自らの船団を焼いた」 って、ところでしょう。

小説版三国志やレッドクリフで描かれた派手な戦いは、実は後世の別の戦いの状況に酷似しています。 1368年の「翻陽湖の戦い」です。 これは、朱元璋(明の太祖)と陳友諒の両雄が、江南地方の覇権を握るための争いでした。巨艦を鎖で繋ぐなどの謀略戦の状況、最後の火攻め、何もかもが小説版三国志の記述とそっくりなのです。ここまで瓜二つでは、偶然とは考えられません。

つまり、小説版三国志(演義)を明の時代に書いた羅貫中は、リアルタイムで起きた同時代の戦いの感動と興奮を、そのまま執筆中の自作の中に取り入れたのでした。

と、まあ、このように、「歴史小説」や「歴史映画」というのは嘘ばかりなので、皆さん、気をつけましょう!