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9月10日金曜  シェーンブルン宮殿、ホイリゲンシュタット

shonnbrun

 シェーンブルン宮殿

 

7時に起きた。ホテルの朝飯はマズかった。

とにかく、今日はシェーンブルン宮殿を観に行くことに決めていたので、フロントにタオルの件で文句垂れてから、とっとと出かけた。

U3で西駅まで出てからU6を経てU4に乗り換える。皇帝の別荘だったシェーンブルンは、ウイーンの西郊だ。U4は、少し都心を離れると地上に出て、御茶ノ水周辺に良く似た谷間を走るのである。ますます東京みたいな雰囲気だ。日本人は、ウイーン好きが多いらしいが、そういう人は、きっと東京が大好きなんだろうな。

シェーンブルン駅で降りると、朝の空気が気持ちいい。8時に宮殿の前庭に入ったら、観光客は誰もいなかった。庭師が、木々に水をまいているだけだった。考えてみたら、見学は9時半からである。ちょっと、早く来過ぎたようだ。まあ、それも無駄にはならない。宮殿内の見学は出来なくても、美しく剪定された庭を、一人で存分に堪能できるからである。しかし、金をかけた宮殿だ。建物が、ではない。庭が、である。これほど美しく木々の形を整えるには、どれくらいの人手を要するのだろうか。どうにも、バブリーだ。俺の趣味ではない。庭園や公園は、できるだけ自然のままが良いと思うのは、俺だけだろうか。

さて、散歩に飽きた頃、宮殿の開館時刻がやってきた。入り口では、もう十人以上が並んでいた。見学コースは、いくつも用意されていたが、いちばんポピュラーなのは、ヘッドホーンから流れる解説を聞きながら各部屋を回るというものである。それにしても高い。俺は、一番安いコースを選んだのだが、それでも2千円はした。後から後から涌いてくるツアー客の群れに押し流されながら、俺は必死に絵画や遺物を見て回ったが、ある瞬間に悟った。「なんだ、バチカン宮殿のパクりじゃん」。どれもこれも、バチカン美術館で観たものを、一回り小型にしたような感じだったのだ。考えてみれば、俺はフランツ・ヨゼフ皇帝にもエリザベート王妃にも興味ないのだった。皇帝の「おまる」を見ても楽しくないや。と言う訳で、足早に宮殿を出た。

時刻は10時半だ。俺は、庭園に付属している動物園(ティーガルテン)に行くことにした。どうしてか?動物が好きだからである。動物を観に来るオーストリアの幼女が目当てでは無いことを、ここで強調しておこう。西から回り込んで動物園の正面入り口に辿り着くと、幼稚園の先生らしい人が、子供を大勢連れて入り口で屯していた。俺はチケットを買うと、それを入り口の改札機に差し込んだ。これは日本の地下鉄の自動改札機と同じ仕組みなのだが、造りがチャチなせいか、俺が通る前に遮断機が降りてしまった。それを見ていた子供たちが、俺を指差して「いひひひひ」と笑いおった。ううむ、こんなガキどもに笑われるとは、一生の不覚じゃ。俺は遮断機の上を飛び越えて、ガキどもに「しー」とやると、足早に園内を進んでいった。それにしても、先頭にいた女の子は可愛かった・・。いかんいかん、妄想は慎むべし。ロリコン罪で誤認(?)逮捕されるわい。

動物園は、あまり大きくなかったが、マンドリルをはじめ、珍しい動物が多くて楽しめた。ここの象は、どうやら芸をするらしい。調教師の前に4頭並んで足を上げる象たちのしぐさは、なかなかキュートであった。ペンギンや猿は、いつまで見ていても飽きないなあ。

いつのまにかお昼になった。動物園の裏口から出ると、そこはシェーンブルン宮殿の大庭園になっている。この動物園は、もともと庭園の付属施設として開設されたものなのだ。強い日差しの中、庭園の南の丘を登る。丘の頂上には小さなレストラン(グロリエッテ)があって、そこからの眺望は抜群だ。とりあえず、そこで昼食にする。メニューをもらったはいいが、ドイツ語しかないじゃないか。適当に注文したら、パンと卵とコーヒーが出てきた。これじゃあ、まるで朝飯じゃないか。失敗したわい。

それでも一応、腹は膨れたので、陽光に輝く宮殿と、その向こう側のウイーン全景を楽しみながら丘を降りる。だがウイーンは、プラハと違って遠景が楽しい街ではない。プラハ城のような、目立つシンボルが無いからである。そういう点でも、東京に良く似ている。

ドナウ川=隅田川、シュテファン大寺院=芝増上寺、シェーンブルン宮殿=上野公園、王宮=皇居、市立公園=日比谷公園、アウガルテン=代々木公園、オペラ座=歌舞伎座、リンク=環状線、プラター=花やしき・・・似すぎ。街の形から施設の位置関係まで似すぎ。やっぱり、ドイツ民族と日本民族は似ているのかなあ。前の戦争で同盟組んだのは、偶然じゃないのかなあ、などと真剣に考えてしまう。

嫌なことに、物価が高いのまで似ている。俺の財布は、すっからかんになっていた。わずか1日で1万円が使い果たされたのだ。チェコでは、3日の後でも余ったのになあ。もっとも、レストランで現金払いするからいけないのだ。チップの計算が嫌いな俺は、「釣りはいらねえぜ」と言って、大目に渡して店を出るのが好きなので、なるべく飯屋では現金払いを励行している人なのだった。そのせいで、現ナマがすぐに枯渇してしまうというわけ。

仕方ないので、公園を出てすぐのところにあるホテルで、また1万円を両替した。そのホテルには、日本人観光客が大勢いたから、旅行会社御用達なのかもしれぬ。シェーンブルンのすぐ近くだから、きっと高いのだろうな。

それから、御茶ノ水駅に良く似た造りのU4ヒーティング駅から市街に戻る。次の予定が思いつかないので、とりあえずカールスプラッツで降り、トラムでリンクを時計回りで1周してみようと考えたのだ。リンクというのは、市街中心部を丸く囲む環状道路で、あのトルコ軍を撃退した昔の城壁の跡なのである。

それにしても、ウイーンカルテは便利だ。交通機関乗り放題というのは、実に素晴らしい仕組みだと思う。また、公衆便所の料金が、どこでも無料というのは素晴らしい。これだけは、チェコよりも優れた点と言えようか。

トラムでリンクを北上し、窓越しに国会議事堂やウイーン大学、ヴォチーフ教会の美しい建物を眺める。やがて市街の東側に出て、トラムの進路は南へと変わった。ここで、突然閃いた。東京みたいな街をウロウロしていても詰まらないから、郊外のウイーンの森に行くのだ!そして、ホイリゲンシュタットで、白ワインを飲みまくるのだ!

トラムを飛び降りた俺は、U4に乗り換えると、一路ドナウ川沿いに北上の旅を始めた。U4は、やっぱり郊外では地上を走り出す。ホイリゲンシュタットは、その終点だ。駅前の雰囲気は、高円寺に少し似ている。もっとも、街並みは田舎くさいが。

路線バス(38A)に乗ってしばらく走ると、左側にベージュ色の無骨なアパートが見えた。これは、ソ連の占領軍が造ったものらしい。やっぱり、アカはセンスが悪い。機能ばかりを追求して、ハートが欠けているのだ。まあ、日本人のセンスも似たようなものだ。京都にあんな駅ビル建てちゃうんだもんな。程度の浅さがバレバレだ。

しばらく住宅街を走ったところで、バスを降りた。この付近にベートーベンの家があるはずなので、それを見ようと思ったのだ。バスは若者で一杯だったが、誰もここでは降りなかった。彼らは、もっと奥の行楽地へ向かうのだろう。

この辺りには、ベートーベンが難聴になったときに遺書を書いた家がある。まずは、そこに行こうと思ったら、あいにく改修作業中だった。そこで、迷路のような小道を散歩しながら、東のドナウ川方面に向かう。途中で、ベートーベンの家を発見。まあ、この人は何十回も引越ししたので有名だから、別に珍しくもないんだろうけどね。

いつのまにか駅前に戻ってきた。高架線の下を東に抜けると、眼前に横たわる大河はドナウ川だ。ちょうど、ドナウ川とドナウ運河が合流する地点に来たわけだ。しかし、景色は今いちだ。川の周囲はコンクリートの堤防で囲われて、自然の香りがしてこない。これじゃあ、まるっきり隅田川じゃないか。ううむ、つまらん。

途中まで引き返してから、北方の山道に入る。ホイリゲンシュタットの北を東西に横切る山道は、ベートーベンがあの「田園」交響曲を作曲したという、曰く付きの散歩道なのだ。それゆえに、ベートーベンガング(ベートーベンの小道)と呼ばれている。

考えてみたら、今回のチェコ入りの目的はスメタナ関係であった。ならば、オーストリア旅行の目的は、ベートーベンがらみにしてしまえと、急に思いついたのである。

それにしても、ベートーベンの小道は楽しい散歩道だ。人一人が、かろうじてすれ違えるくらいの狭い道だが、両側には美しい木々が茂り、近くには小川が流れている。さいわい誰にも出会わなかったので、俺はベートーベンに成り切った気分で「田園」を鼻歌で歌いながら歩いた。ううむ、こんな素敵な散歩道なら、俺にだって名曲が作曲できそうだ。・・くそお、やっぱり無理か。

小道の終点には、大きなベートーベンの胸像が置かれた小さな公園があった。そこのベンチで休みながら、今後の予定を考える。

何も思いつかない。そこで、とにかく小道をまっすぐに歩きつづけることにした。ベートーベンガングは、いつしか単なる山道に合流していた。行く手をふと見ると、大勢の黒服が屯している。まさか、ネオナチが俺を待ち伏せしているのでは・・。片手を高く挙げて「ハイル・ヒトラー」で許してもらえるかな。・・・ここはドイツじゃないんだけどね。なんのことはない。良く見ると、沿道の教会で葬式の真っ最中だ。会葬者が、たまたまこの狭い道に出てきたわけだ。ううむ、進みづらいなあ。人並みを掻き分けながら、頑固に前へ。そのうち、左手に細い抜け道が見えてきた。好奇心にかられてその道に入ってしばらくすると、左右に一面のブドウ畑が広がる。ここは、いわゆる農道なのだろう。青々とした果実は、素晴らしい匂いを放って鼻腔をくすぐる。ううん、パラダイス。俺の心は決まった。まだ3時だが、ワインを飲みまくるのだ。反吐が出るまでワインを飲むのだ。

ふと気付くと、バス通りに出てきた。目の前には、トラムの転回点が。こうして、ようやく己の現在地を把握した暢気な俺であった。しかも、ちょうどこの辺りに、旨いハウスワインの店が並んでいる区画があるはずだ。まさに、絶妙の出現だ。

ところが、どの店も開いていなかった。店の前まで行っても、静かで人の気配がしないのだ。もしかすると、ハウスワインの時期では無いので休業かもしれない。あるいは、夜まで待てば開くのだろうか。どこかで時間つぶしをしてからまた来よう。

そう考えてバス通りに帰ってくると、ちょうどバス停にカレンベルク行きのバスが滑り込んできた。ちょうど良い。カレンベルクの展望台から、ウイーンの街でも眺めようか。なにやら行き当たりばったりの行動だが、これが個人旅行の醍醐味というものだ。

カレンベルクは、ウイーンの森北部の最高地点である。ここからなら、文字通りウイーン市の全景が見えるはずだ。バスの中は若者や親子連れで一杯だった。でもみんな、途中のコブレンツ(有名なハイキング場)で降りてしまうので、最後まで乗る人は少数派だった。それでも、いろは坂のような道をうねうねと登るバスの旅は楽しかった。

ようやく到着したカレンブルクは、高尾山山頂のような雰囲気のところだ。大きなバス停と自然公園と展望台の他は何も無い。俺は、まっすぐ展望台に向かい、オープンエアの屋上レストランに座って、カンパリを片手にウイーンの街を眺めたが、白く靄って良く見えなかった。帰国してから友人の舘田くんに写真を見せたところ、即座に「スモッグだ」と言われたが、多分その通りなのだろう。遠景がスモッグまみれとは、どこまで東京に似てれば気が済むんだ、ウイーンってやつは。

なんとなく拍子抜けしてホイリゲンシュタットに帰ってきたら、もう5時だ。来るときに乗ったバス停で降りたら、ちょうど目の前に白いテントが張ってあって、簡易酒場になっていた。中では、二人の若者がワインとビールをビニールコップに注いで売っていた。テーブルも10台くらいあって、椅子も十分すぎる数が置いてあった。「面倒くさいから、ここでいいや」という気になったので、ズカズカと入り、ドイツ語でワインを注文したら、なんと、ビールが出てきたではないか。俺のドイツ語は、救いようもないくらいに下手糞だということだ。何だか切なくなったが、この酒場は居心地が良かったので居直って、今度は英語でワインを注文し、立て続けに2杯煽った。そのうちに客も増えてきた。老人が多かったが、なぜか子連れの夫婦や若い娘たちもいた。

やがて、手回しオルガンを抱えたオジサン二人組みが登場し、飲み屋の中央に立って軽快な演奏を披露し始めた。こういう雰囲気も、なかなかいいものだ。ワインも旨いしね。オジサンの一人が、しきりに俺に話し掛けてくる。俺に、オルガンを弾かせようというのだ。多分、金を取る算段だろうと思ったので、曖昧な笑顔でごまかして相手にしなかったが、今から思えば、やってみても良かったかもしれない。酔っ払うと却って用心深くなるというのは、俺の昔からの特徴である。

さて、いい気持ちの酔眼で空を見やると、もう日が傾いている。それで飲み屋を辞去して、すぐ目の前にあるトラムの駅に向かった。地図によれば、ここのトラムはまっすぐ南に走ってウイーン市街U2のショッテントーア駅に達するはずである。始発から終点までの旅だから、気楽である。ウトウトしながら車窓に揺られ、地下鉄の駅に着いた。

時刻は6時半。飯でも食おうかと思いつつ地下鉄の構内を歩いているうちに閃いた。アウガルテン公園に行って、ナチスの築いた高射砲台を見ようじゃないか。そこで地下鉄を1駅乗ってショッテンリンクで降り、ドナウ運河を東に越えて、夕日を浴びながらアウガルテンを目指した。歩いているうちに酔いは醒めてきたが、代わりに尿意がこらえきれなくなってきた。辺りは普通の街路だから、便所なんかどこにもない。頬を蒼白にしながら、足早に目的地を目指す。目的地は公園だから、便所の一つや二つはあるはずだ。うう、膀胱が痛い。今回の旅行で迎えた最大のピンチ!

思いのほかの距離を歩き、ようやくアウガルテンの入り口に着く。中を見渡すと、実に広い公園だ。やっぱり人工の色が強いけど、市立公園と違って樹木や芝生が多い。大勢の若者や子供達が、球技に興じている。この雰囲気は・・・代々木公園!・・・やっぱり東京っぽいのね。ただ、唯一違う雰囲気を醸し出しているのは、公園の中ほどに聳え立つ、高さ30メートルほどのコンクリートの円筒形の建物だ。この醜悪な奴が、第二次大戦中にナチスが築いた高射砲台に違いない。ウイーンには、こいつを含めて全部で4基の高射砲台が残っているのだ。

ナチスの高射砲は優秀なので、ウイーンを空襲した米英軍の爆撃機は、さぞかし苦労させられた事だろう。ただ、あまりに優秀すぎて、現在のウイーン市も困らせているのだ。市は、こいつを壊したくて仕方ないのだが、頑丈すぎてどうしても壊れてくれないらしい。ダイナマイトも効かないから、酸で解かすしかないのだが、そんなに膨大な酸は用意できないというわけ。腐っても鯛、滅びてもナチスである。まあ、時間に余裕があったら、残りの3基を探してみるのも楽しいかもしれない。

などと考えているうちに、生理的欲求がますます昂じてきた。公園の案内図を潤む眼差しで見つめたが、驚くべきことにトイレらしいものが見つからない。目の前が暗くなり、足元が揺らぐ。大急ぎで高射砲台を写真に収めると、足早に駅に引き返した。それでも、往路と違う道を帰ったのは、我ながらさすがである。名づけて、尿意に打ち勝つ冒険心である。なんとか漏らさずに辿り着き、眩暈を抑えながら駅のトイレに駆け込んだ。ああ、至福の一瞬。人生って素晴らしいなあ、と心から思えてくる。

ようやく理性が取り戻せたので、今度は腹ごしらえに向かう。ウイーン大学の近くに、旨いターフェルシュピッツの店(ロイトポルト)があるので、そこに入ったのだ。ターフェルシュピッツというのは、牛肉の腿肉を軟らかく煮込み、リンゴ汁をかけて食べるステーキである。ビールと食後のメランジェも付けて、またもや至福のときを過ごしてしまった。

もう外は真っ暗なので、最寄駅からホテルに帰る。部屋には、ちゃんとタオルが置いてあった。よしよし、明日はチップを枕もとに置いてやるぞ。MTVを見ながら小説を読んでいると、またもや喉の渇きが耐えがたくなってきたので、再び外出し、昨夜と同じマクドナルドでジュースを買って生色を取り戻した。

オーストリアは内陸国のくせに、どうして食い物が塩辛いのか。それは、岩塩がたくさん採れるからである。だからって塩ばかり摂ってると高血圧になるぞ、まったく。

文句を垂れながら眠りについた。